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「黒衣の花嫁」(LA MARIEE ETAIT EN NOIR) 1968年

2007-06-21 19:51:35 | 映画
「黒衣の花嫁」(LA MARIEE ETAIT EN NOIR) 1968年、フランス・イタリア
      
時間:107分、配給 : ユナイト
当作品の評価は色々ありますが、当時学生で、私はリアルタイムで、この作品を大変期待して観た記憶があり、そんな意味では、印象に残る作品でした。

監督:フランソワ・トリュフォー
原作:コーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)
脚本:フランソワ・トリュフォー、ジャン=ルイ・リシャール
撮影:ラウール・クタール
衣装:ピエール・カルダン
音楽:バーナード・ハーマン
出演:ジャンヌ・モロー as ジュリー、クロード・ブリアリasジャン、ジャン=クロード・ブリアリ、ミシェル・ブーケ 、ミシェル・ロンスダール、シャルル・デネル、ダニエル・ブーランジェ、他

解  説
「黒衣の花嫁」の原作は、1940年に発表されたコーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)の長編で、その他、「暗闇へのワルツ」はトリュフォーによって「暗くなるまでこの恋を」(’69年、主演:ジャン・ポール・ベルモンド、カトリーヌ・ドヌーブ)として映画化され、「裏窓」(’54年、主演:ジェームズ・スチュワート、グレイス・ケリー)の原作者でもあります。
トリュフォーは、1944年のパリ解放後、12歳ぐらいのとき、母親が持っていた仏訳版をこっそり借りて、読んだようです。
1960年代半ばに映画化を企画した際、ウールリッチには「黒の天使」とか「喪服のランデブー」とか似たようなタイトルの作品が多い為なのか、ウールリッチのどの作品かタイトルまでは、憶えていなかった様で、たまたまフランスで再版されて判明したらしいのです。
また、トリュフォーは、撮影監督ラウール・クタールと意見が合わなかったりして、他のことが忙しくて、演技まで手が回らなかったそうです。(クタールがトリュフォー作品に参加したのはこれが最後。前作「華氏451」はニコラス・ローグが撮影を担当しましたが、「ピアニストを撃て」、「突然炎のごとく」、「二十歳の恋」、「柔らかい肌」とずっとクタールが担当していました)。トリュフォーは演技指導をジャンヌ・モローに任せたとかで、映画自体も彼女が背後から男性陣を監視しているような感じになっています。

『黒衣の花嫁』の音楽を担当したバーナード・ハーマン(1911-1975)のドキュメンタリーから。
ハーマンは「華氏451」と「黒衣の花嫁」の音楽を担当しました。この本の作者はこの二作がお気に召さないらしく、ハーマンの仕事は、内容の乏しい作品に心理的なニュアンスを持たせて生き生きさせることだったと書いています。イギリスで録音された「華氏451」のときには英語がしゃべれない監督に苦労すればよかっただけですが、パリで録音された今回は、フランス人演奏者、指揮者、録音技師と一緒に仕事をしなければならず、フラストレーションがたまったようです。
『華氏451』の音楽はうまくいったのですが、『黒衣の花嫁』の音楽についてはトリュフォーはバーナード・ハーマンとかなり対立し、ジャンヌ・モローのスカーフが飛んでいくシーンの音楽を作り直すようハーマンに指示した時のエピソーの記憶です。
この番組では、トリュフォーの指定とハーマンの指定という双方の場面を比較して見せてくれていたのですが・・結局はバーナード・ハーマンの音楽を使わず、ヴィヴァルディの音楽を使うことになったいきさつが語られています。オーソン・ウェルズやヒッチコックは映画が完成したらそのままにしておくのに、トリュフォーが再公開時に編集しなおすことが気に入らなかったようです。ただ、不幸なウールリッチと違って、56歳のハーマンは27歳の女性と1967年11月に結婚するという幸福な時期でした。

   
フランソワ・トリュフォー(FRANCOIS TRUFFAU)
1932年2月6日、フランスのパリ生まれ。両親の離婚により孤独な少年時代を送り、万引きや盗みなど、さまざまな悪事を働いていたという。14歳で学校をやめ、15歳で放浪罪で捕まり、感化院に送られてしまう。
感化院を出てからのトリュフォーは、さまざまな職業につくものの長続きせず、映画館へ入り浸るうちに「カイエ・デュ・シネマ」誌の主宰者だったアンドレ・バザンと出会い、以来、バザンが亡くなるまで親子同然の生活を送る。バザンの勧めにより映画評論を書くようになり、「カイエ・デュ・シネマ」などを中心にプロの批評家として活動を始める。厳しく攻撃的な映画批評は「フランス映画の墓堀り人」と言われるほどだった。
トリュフォーも最初は小津の映画をこんな風に評価していました。「小津安二郎の作品は、私にはどこがいいのかわからない。いつもテーブルを囲んで無気力な人間たちがすわりこんでいるのを、これも無気力なカメラが無気力にとらえている。映画的な躍動感が全く感じられない」と言っていました。でも、後に「ところが最近、『秋日和』『東京物語』『お茶漬の味』とかいった作品を連続して見て、たちまちそのえもいわれぬ魅力のとりこになってしまいました」と評価を変えたのです(山田宏一『友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』)。
さて、トリュフォーはロベルト・ロッセリーニ監督の助手をつとめ、数本の短編や脚本を手がけたあと、1959年に「大人は判ってくれない」を発表。アンドレ・マルロー文化相の推薦で出品できたカンヌ映画祭で監督賞ほか2賞を受賞し、成功をおさめる。同じ年に監督デビューしたジャン=リュック・ゴダール、ルイ・マル、クロード・シャブロルらとともに、一躍“ヌーヴェル・ヴァーグ”の旗手として注目を集めるようになる。
1960年の「ピアニストを撃て」では、歌手のシャルル・アズナヴールを迎えて軽妙な悲喜劇を描き、第3作の1961年の「突然炎のごとく」では、ジャンヌ・モローを主演に男女の三角関係を、描き国際的な名監督という評価が確立され、1963年の「柔らかい肌」では不倫の愛をめぐる心理劇を描いた。
また、1966年の「華氏451」等、ヒッチコッキアンである彼は、サスペンス、コメディの才覚も発揮します。
1968年、フランスの五月革命をきっかけに、ジャン=リュック・ゴダールとの決別をはじめとして、ヌーヴェル・ヴァーグの仲間たちとも疎遠になった。この頃より、映画の作風も古典的、正統的なものへと変わっていく。
その意味からか、この作品は、ヌーヴェル・ヴァーグ的には感じられなかった。
1973年には「映画に愛をこめて アメリカの夜」を発表。アカデミー賞にノミネートされたほか、NY批評家協会賞、全米批評家協会賞で監督賞を受賞した。
また、アメリカのヒットメーカー、スティーブン・スピルバーグもトリュフォーに憧れた一人で、「未知との遭遇」(’77年)でフランスのUFO研究者の役をトリュフォーに演じてもらったのでした。
1980年の「終電車」では、セザール賞を総なめにしている。遺作となったのは、最後の妻ファニー・アルダン主演の「日曜日が待ち遠しい!」(1982年)だった。
私生活では、1957年に結婚し、ふたりの子供をもうけたが、1965年に離婚。1968年には、女優のクロード・ジャドと婚約したが、破局している。1981年にファニー・アルダンと結婚し、娘をもうけた。
1984年10月21日、脳腫瘍のため享年52歳の若さで世を去ってしまいました。
   

   
ジャンヌ・モロー(JEANNE MOREAU)
撮影現場で談話する俳優ジャン・ピエール・カッセル(左)、フランス映画界屈指の女優、ジャンヌ・モロー、トリュフォー監督(右)【写真右上】
1928年1月23日、フランス・パリ生まれ。父はレストラン経営者で、母は元ダンサーだった。18歳の時に見た演劇の世界に魅了され、女優を夢見るようになる。コントルヴァトワールで演技を学んだあと、モリエール劇団に入る。
1948年に映画デビュー。1954年、ジャック・ベッケル監督の「現金に手を出すな」で注目されるようになるが、当時はまだ色気を売り物にした女優と見られていた。
1957年、ルイ・マル監督の「死刑台のエレベータ」に出演し、一躍脚光を浴びる。
1960年には「雨のしのび逢い」で、カンヌ映画祭の主演女優賞を受賞する。
1961年、フランソワ・トリュフォー監督の「突然炎のごとく」に出演。退廃的ではあるが、一本芯の通った女性像を演じて、絶大なる支持を受ける。
1962年の「エヴァの匂い」では悪女を演じた。
1962年、オーソン・ウェルズ監督の「審判」、1964年、ジョン・フランケンハイマー監督の「大列車作戦」等の作品で彼女は外見の美しさだけでなく、自立した個性的な役柄を演じてきて、反保守のヌーベルバーグ派の監督に好かれたのでしょう。
1970年代後半からは「ジャンヌ・モローの思春期」などで監督業にも進出する。女優業のほうは、次第に脇役にまわるようになるが、1990年の「ニキータ」のように貫禄をもった演技で出演し、作品に深みを持たせている。
1928年生まれ,今年79歳で元気で現役、不思議な大女優ジャンヌ・モローに,アカデミー賞で,彼女の全芸歴に対して特別栄誉賞が贈られました。
欧州の女優では初めてのことで、歴史的な事件です。
私生活ではデザイナーのピエール・カルダンやトニー・リチャードソンなどとのロマンスが有名。1948年にジャン=ルイ・リシャールと結婚して、一児をもうけるが1965年に離婚。1977年にウィリアム・フリードキン監督と再婚するが、2年後に破局している。
この映画はトリュフォーがジャンヌ・モローに捧げた作品だそうだ。そして衣装は恋人の前記した、ピエール・カルダンだ。ジャンヌ・モローは当時40歳で花嫁を演じ、決して若いとは言えませんが、その冷めた美貌で男に近づき沈着冷静に復讐を遂げていくところは凄みさえ感じさせます。
スクリーンでのジャンヌ・モローの演技は軽快そのもので、よく笑い、心なごむ優しさの中でこそ最高の演技を見せる。そんなオーラと優しさの中から彼女は全てを創造する。だからこそ、また強烈なエモーションを表現できるのである。人間の弱さや傷つきやすさに対する寛容と強烈な共感と心からの理解力、そういった全てをジャンヌ・モローが演じている。

物語はいきなり1人目の復讐殺人の企てから始まります。そして、黒や白のドレスをまとった、この謎の美女ジュリー(ジャンヌ・モロー)が5人の男性を一人ずつ次々殺していくというシンプルなものですが、クールで鮮やかな身のこなし、ピエール・カルダンの黒と白のみのモローの衣装の鮮やかさが、映画では楽しめます。
結婚式の最中に向こう側のビルの一室で5人の遊び人の男たちが、誤って実弾のこもった銃を撃ってしまい、それが新郎に当り亡くなります。その事で5人の男を新婦が殺す動機には、少々無理がある様にも思われます。小説では、酔っ払った5人の仲間が車を暴走させ、結婚式を終えた新郎をひいてしまうという、悪質なものなのです。
五人の男性は、クロード・リーシュ、ミシェル・ブーケ、ミシェル・ロンスダール、シャルル・デネル、ダニエル・ブーランジェが演じており、リーシュとデネルの友人としてジャン=クロード・ブリアリが出演しています。
『黒衣の花嫁』はジャンヌ・モローの視点に立って男たちを見るようになっていると思うのですが、原作では、物語は一人の女の行動を追いかけていく。
タイトルの『黒衣の花嫁』(The Bride Wore Black)の意味は結末で判明する。
映画と原作が大きく違うのはこの最後の犠牲者のエピソードで、映画ではダニエル・ブーランジェ扮する小悪党が最後の犠牲者で、彼をどうやって殺すかは映画のオリジナルですが、原作ではそのターゲットは作家です。
最後の事件では、面白いギミックが読者に衝撃を与える効果を盛り上げている。それは五人目のターゲットに選ばれたホームズという作家の元に、謎の女がやってくる場面。この家に、足を痛めた若い女性フレディ・キャメロンと中年のタイピストミス・キッチナーの二人が訪れる。読者は当然若い女性の方を中心に読んでいて、当然、若い女性が殺人者だと思い、彼女がいつどうやってホームズを殺すのかと思ってしまう。しかし、彼女は単なるこの作家の崇拝者でしかなく、実はこれまでひたすら若く美しい姿ばかり見せてきた『女』が、今回だけは例外で中年のタイピストを演じていたと明かされる。
映画の中では最も信頼できる第三者はジャン=クロード・ブリアリ演じるコレだと思うのですが、原作では、もうひとひねりあって、新郎にも原因があり、ホームズの側も実は事前に察知して入れ替わっていた警官だった。この二つは著者の説明的でない文体だからこそ初めて成立した仕掛けであろう。

        あらすじ         
女(ジャンヌ・モロー)が或る決意を固めて、家を出るところから始まる。
コート・ダジュールのアパートで独身生活を楽しんでいるブリス(クロード・リッシュ)のもとに見知らぬ、美しい女が訪れた。折から婚約パーティが開かれていて、出席していた、ブリスの親友コリー(J・C・ブリアリ)は、彼女から鮮烈な印象をうけた。
女はブリスをバルコニーへ誘い出した。ブリスの友人コリー(ジャン・クロード・ブリアリ)も会話に付き合ったが、部屋に戻った隙にブリスはバルコニーから転落死し、女の姿は消えていた。

そこからほど遠くない別の市の銀行員、女性恐怖症であるコラル(ミシェル・ブーケ)のアパートにコンサートの指定席券が届く。コラルは心当たりがなく不審に思いながらもコンサートに出かけた。
ピアノとバイオリンのコンサート。コラルの隣席に謎の女が座る。
コラルと女は共に帰るが、何故コンサートの券を自分に送ってくれたのか女は明かさない。そして彼女は、翌晩コラルのアパートを訪れる約束した。コラルは胸がときめいた。
「人生は勝利しなくちゃね。負け犬なんて最低よ」 謎の言葉を残して女は立ち去った。
翌日の夜、約束どおり女がやって来た。と云うか、銀行員に擦りよりアパートを訪ねる。酒好きのコラルに酒のボトルを携えて。
緊張して舞い上がる男への土産はアラク(アニス・リキュール)というイラク酒。彼女の愛するマンドリンがフーガを奏でるドーナツ盤は死へ誘う舞踏曲、そして、毒入り注射の酒がとどめをさす。
乾杯し、コラルの頭が混乱し始めた時、女が話し始める。
数年前、教会での結婚式。教会から出てきた新婚カップル。新郎が突然の銃撃に倒れる。胸から血を流して倒れた新郎に泣き叫び取りすがる花嫁。
床を這うコラルを残して、女は立ち去った。
「・・・分かったぞ・・・あのときの花嫁だな・・・」 コラルは悶絶して息絶えた。

若手政治家モラン(ミシェル・ロンダール)の家に電報が届く。『母急病すぐ来られたし』 モランの妻の母の急病を知らせる電報だった。
妻は急いで実家に帰った。小学生のクッキーとモランの家に、モランの息子の幼稚園の先生と名のり、夫人が留守で困っているだろうから、子供の世話をしにきたといってあらわれた。クッキーは違うという。しかし女が料理を作り、かくれんぼ遊びをしてくれるうちにそんなことはどうでもよくなった。クッキーを寝かしつけ、女が帰ろうとしたとき、「指輪がないわ」女が言った。
かくれんぼ遊びのとき、女が階段下の物置に入った時に落としたのかもしれない。モランが物置に入って探しているとき物置のドアを女が閉め鍵を掛けた。隙間はセロテープで目張りされた。
「何をする!・・なぜ?」 モランが叫ぶ。「私はジュリー・コレールよ。貴方を殺しにきたの」 ジュリーは冷たく言い放った。モランは瞬間に悟り、「待て!全て説明する」 
『数年前、教会の向かいのアパートメントの一室でモラン、ブリス、コラル、ダルロー、フェルグスたち狩猟仲間5人が酒を飲みながら銃について談義していた。銃も何丁かそこにあった。教会の塔の上に風見鶏がある。悪戯にモランが銃に実弾を込め風見鶏を狙う。そのままモランは銃をテーブルに置き酒を飲みに奥へ行った。その隙にスキンヘッドのダルロー(ダニエル・ブーランジェ)がその銃を取り風見鶏に標準を合わせる。そのまま下へ、教会の玄関から式を済ませた新婚カップルが出てきた。
ダルローが新婚カップルに標準を定める。「その銃には弾が!」モランが窓際に走って来たときには遅かった。ダルローは実弾の入った銃を撃った後だった。
子供の時から愛し合っていたダビッドと結婚式をあげた後、腕を組んで教会から出てきた彼女の夫が銃で撃たれたのだ。教会の玄関口で新郎が倒れ人々が取り囲んでいる。
このまま捕まっては一生を棒に振ってしまう。5人はアパートメントから逃げた。もう二度と会わないと約束を交わしながら。』
モランは思いだした。いつか、ブリス、コラル、フェルグス、ダルローら五人の狩猟仲間と、ふざけて教会の風見の鶏を射とうとして……。
「・・・過去の話だ」モランは言う。「私には過去じゃない。夜毎訪れる悪夢よ」 ジュリーの幼友達ダビッドを、将来は夫になる人と夢見た男を結婚式のその日に失ったのだ。ジュリーの心はこの時から死んでしまったのだった。悲嘆のあまり自殺しようとしたこともある。だがジュリーは思い直した。夫ダビッドの仇を討つまでは死ねないと。そして長い歳月を費やし5人を探し出したのだ。
ジュリーはガムテープで物置のドアの隙間を目張りしていく。だが、僕じゃない。モランはさけんだ。モランが必死にド中アを叩く音。呼吸は次第に苦しくなっていった。
ジュリーは去り、翌日、モランは死体となって発見された。

ジュリーは懺悔室で神父に犯した罪を懺悔する。「今すぐやめるのだ」 神父は言う。「憎しみに生きる殺人者に人を愛せると?・・・やり遂げたら彼の元へ行きます」

自動車修理工場へジュリーが来た。バッグの中にピストルが忍ばせてある。呼び出しに応じてスキンヘッドのダルロー(ダニエル・ブーランジェ)がやって来た。ジュリーはバッグからピストルを取り出した。その時、意外なことが起った。ダルローの周りを警察がパトカーで囲みダルローを逮捕してしまった。ダルローは盗難車を売りさばいて不当な利益を出していたのだ。

画家フェルグス(シャルル・デネ)のアトリエをモデルとしてジュリーが訪れる。フェルグスはジュリーを見た瞬間、自分が以前から思い描いていた理想の女性像にジュリーが瓜二つだと思う。(実際画家のフェルギュスが描いた理想の女性像はジュリーに瓜二つ)そのベッドに横たわる女性像。
モデルのジュリーに、ディアーナになれと言う、そして大作『ディアーナ』を描き始める。やがて、フェルグスは白いチュニックを着て矢入れを肩に弓をかまえるポーズのジュリーに次第に惹かれていく。
そんなある日、アトリエを訪れた友人たちの中にコリーがいた。コリーはジュリーを見て前に会ったことがあると思うのだが思い出せない。
コリーがその女を思い出したのはフェルグスがアーチェリーの矢で胸を射抜かれた後だった。
フェルグスの葬儀に顔を出したジュリーはコリーと再会する。ジュリーは警察に逮捕された。

監獄に入ったジュリーは模範囚となり、いつの日か給食係りとなった。ここの男房にはダルローが収監されている。夫ダビッドに引金を引いた張本人がダルローだ。
ジュリーが給食を台車に載せ男房に入っていく。フキンの下に包丁は隠されていた。やがて男房からダルローの断末魔の叫び声が監獄に響き渡った。
          
        

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この映画を、リアルタイムで見たお方は (山口ももり)
2007-06-22 08:28:59
いつも、貴重なコメント戴いて感激しています。そして、「何才くらいのお方かなあ???」って思っていました。この、映画は見ていませんが、この映画が1968年に製作された・・・というから・・・わたしより、少しお若い???
あの当時の映画や女優さんたちって、本当に魅力がありました。ジャンヌ・モロー・・・ちょっと、けだるい感じの女優さんでしたね。なんの映画で見たのか思い出せないのですが・・・
私の若かった頃は、ブリジッド・バルドーとか、ミレーヌ・ドモンジョなんか・・・パスカル・プチとか・・・
 そうそう、「欲望という名の電車」とか・・・いっぱい、名画がありました。
 「スカボローフェア」っていう歌、知りません。又、機会があればお教えくださいませ。アイルランドからの流民を描いた「ギャング・オブ・ニューヨーク」本当に汚い画面で嫌いでしたが、ちょっと見直そうかと言う気になりました。ブラッド・ピットだったと思います。
SUKIPIOさんへ (kju96)
2007-06-22 12:18:29
こんにちは
フランソワ・トリュフォーは良く観ました。
「勝手にしあがれ」で知ったトリュフォー。
「夜霧の恋人たち」「華氏451」「アデルの恋の物語」
なんと言っても「大人は判ってくれない」は最高に好きな映画でした。「映画にこめたアメリカの夜」も良いですね。「黒衣の花嫁」のジャンヌモローの美しさは際立っていますね。懐かしさでいっぱいです。
フランス映画も良いですね。

再訪問 (kju96)
2007-06-22 12:33:29
マタ・ハリの脚本もトリュフォーでしたね。
懐かしいです。
映画付けの日々でした。
一に7本観たこともあります。もちろん学校は
ズルしてました。
深夜はバイトで忙しい高校生でした。
おはようございます「ももり」さん (SUKIPIO)
2007-06-23 07:57:54
大変、良い勉強もさせて頂きまして、何時も感謝致しております。
本当に知識なんかではなくて、単に好奇心だけで、浅―くしか、知らないのですよ。

あの頃の映画雑誌には、ヨーロッパでは、クラウディア・カルディナーレ、ソフィア・ローレン、ヴィルナ・リージ、モニカ・ヴィッティのベテラン女優に、当時有名であったアイドル女優では、カトリーヌ・スパーク、そしてドミニク=サンダ等も出ていました。

私とほぼ同年代では、女優では、イザベル=アジャーニ、アニセ・アルビナ、男優では、ジャック・ワイルド、ビョルン・アンドレセン、ショーン・ビューリー、ジョン・モルダー=ブラウン辺りですが、もう活躍されていない様な人もいて、知っておられない人が多いと思います。

「スカボローフェア」は、サイモンとガーファンクルが歌っていました。映画「卒業」の挿入歌です。


トリュフォー、ファンなんですね。 (SUKIPIO)
2007-06-23 08:02:28
貴重な情報と、素晴らしいコメントを頂き、有難うございました。
「マタ・ハリ」は、ポスターの記憶が、何故か、よく残っています。
でも、脚本が、トリュフォーとは、知りませんでした。

ジャン・リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」に主演し、ヌーヴェル・ヴァーグの寵児なったジーン・セバーグは、10代多くのフランスの知識人達との出会いが彼女にとっては良くなかったのかも知れませんね。

「大人は判ってくれない」は、ジャン=ピエール・レオー主演で、アントワーヌ・ドワネル、シリーズの第一作で、「親愛なるフランソワ、きみの映画は傑作である。奇跡のようなものだ。」と、ジャン・コクトーも手紙で絶賛していました。
特に、1960年代の映画は、大人では無かったのですが懐かしいですね。

確か、妻のファニー・アルダン主演、「隣の女」も好かった様に思います。
グレイス・ケリー (ミーシャ)
2007-06-23 10:52:50
SUKIPIOさん、おはようございます。
いつもご丁寧なコメントありがとうございます。私の拙いブログにお付き合い下さって恐縮致しております。
映画は、SUKIPIOさんやkju96さんのように沢山観ていませんので、いつもその解説を映画以上に楽しませていただいてます。その都度、知識もさることながら、感性に刺激されてます。
「裏窓」の原作者でもあるんですね。これは観てます。私はグレイス・ケリーとイングリッド・バーグマンが大好きです。たまに、you tubeでそのお顔を見たりしてうっとりしています(笑)
こんにちわ、ミーシャさん (SUKIPIO)
2007-06-23 14:18:24
何時も丁寧なコメンを下さるのは、ミーシャさんです。
ミーシャさんのブログは、単にその事柄だけではなく、時代や周辺の事も必要とされるので、私の様な単純な考えのモノでは何時も難しい題材となっていますね。
そんな訳で、ミーシャさんの知識の深さには、感嘆しています。

ガラっと変わりますが、you tubeで観ておられるのですね。
映画史の中で、最もエレガントな気品をまとっていたのが、グレース・ケリーでした。
彼女は、上流社会出の女優で、また上流階級に戻りましたね。
「裏窓」と同監督ヒッチコックの「ダイヤルMを廻せ」でも出演する等、監督のお気に入りだったのですね。
1954年は、彼女にとっては、女優として良い年になり、前記作の他、「喝采」では、アカデミー主演女優賞を受賞しています。

ヒッチコック監督では、バーグマンも1946年「汚名」がありました。
ボギーに“君の瞳に乾杯”と言わせるほど、美貌がスクリーン映えした北欧美人の大女優で、私生活では愛する男の為に全(家族、ハリウッド)を捨てて突き進む情熱的な女性だった様ですね。
不倫騒動から、ハリウッドにカムバックを果たし、女優としても女性としても成熟したバーグマンは演技派俳優として活躍した頃の1961年、フランソワーズ・サガン(ブラームスはお好き?の原作者)の映画「さよならをもう一度(Goodbye Again)」では、サガンは勿論、イングリット・バーグマン、アンソニー・パーキンス、イヴ・モンタンそして「追想」と同監督のアナトール・リトヴアック等、豪華スタッフ、キャストで、夫と自分を慕う青年に揺れ動くヒロインを貞節な妻の中にも、垣間見る女としての情熱を見事に演じていました。
その他、アーネスト・ヘミングウェイやアガサ・クリスティ原作の映画も出演し、その都度、色々な思い出を私達に残してくれましたね。


southAsia (southAsia)
2007-06-23 15:00:10
はじめまして。southAsiaと申します。いつもはROMオンリーで楽しくBLOGを見せてもらっています。
楽しみにしてるんで更新頑張って下さいね!
僕のブログではターバン野口の折り方を紹介しています。
暇があったら是非どうぞ。
http://panicblog.blog109.fc2.com/?eid=8134
southAsiaさんへ (SUKIPIO)
2007-06-23 15:41:05
初めまして、コメント有難うございました。

また、宜しくお願いいたします。
ジャンヌ・モロー (たそがれ)
2007-06-24 06:59:58
 いつもコメントを有難うございます。
 遅ればせのコメントですみません。
 ジャンヌ・モローは記事でも触れられていた、「突然炎のごとく」を見ました。
 も一度見たいとも思ってます。
 今日は「雨に関連して「明日に向かって撃て」を取り上げました。その中で貴兄の記事の一部引用と、ブログ紹介をさせて戴きました。
 無断引用をお詫びしますと共に、お許し賜りますようお願いします。
 今後とも時折りの引用をお許しください。
 よろしくお願い致します。
 

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映画 『黒衣の花嫁』 (甘~い生活 *LA DOLCE VITA*)
*監督* フランソワ・トリュフォー *原作* コーネル・ウールリッチ *脚本* フランソワ・トリュフォー、ジャン=ルイ・リシャール *撮影* ラウール・クタール *衣装* ピエール・カルダン *音楽* バーナード・ハーマン *出演* ジャンヌ・モロー as ジュリー     ...