玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

C・R・マチューリン『放浪者メルモス』(6)

2015年03月28日 | ゴシック論
『マンク』の場合とは違って、アロンソの修道院生活は具体的に微細なところまで語られ、当時の修道院がどういうものであったかがよく把握できる。
 アロンソは修道院内の腐敗の構造についても語る。修道士がどんな狼藉を働いても、どんな規律違反を犯しても、彼が地位ある僧の血筋にある者であれば、その罪は不問に付される。そうでなければ、どんな小さな規律違反であろうと容赦なく酷い罰が加えられる。
 それに対して同情することすら禁じられている。アロンソは言う。「人の情に発する美徳は、修道院の中では必ず悪徳とみなされます」と。同情を示した修道士は院長の命令で気の狂うまで鞭打たれ絶命してしまう。宗教に名を借りた悪と腐敗の監禁装置でしかないのだ。
 修道院内の生活はこのように極めてリアリスティックに描かれていく。カトリック批判の思惑があるにせよ、そこに誇張はあるにせよ……。ゴシック的道具立ても『放浪者メルモス』が書かれた1820年にはリアリズムの裏打ちがなければ、とうてい読者に受け入れられるものではなかったのである。
 アロンソの幽閉の中で典型的なエピソードがある。「きみは修道院の生活に慣れるとも」と先輩の修道士に言われ、アロンソは「ありえません、絶対に――明日までにこの泉が涸れ、この樹が萎えない限りは」と言ってしまう。すると翌朝、本当に泉は涸れ、樹も枯れるという“奇跡”が起こる。
 しかし、この奇跡は本当の奇跡ではなかった。アロンソの後の話の中でその奇跡はアロンソを馴致させるための先輩修道士による“いかさま”であったことが暴露される。
 実は『放浪者メルモス』では、超自然的な現象はほとんど発生しない。放浪者メルモスが神出鬼没、至るところに出現するというありかただけに超自然的要素は集中していて、それ以外の部分はリアリズム小説となんら変わるところはないのである。


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