玄文社主人の書斎

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アレホ・カルペンティエール『方法異説』(1)

2016年12月06日 | ラテン・アメリカ文学

 キューバの作家、アレホ・カルペンティエールの未訳の長編『方法異説』が10月に水声社から刊行された。「フィクションのエル・ドラード」の一冊。
「フィクションのエル・ドラード」は20巻が予定されていて、これで11巻が出たことになる。驚くべきことがある。20巻のうち半数の10巻が寺尾隆吉訳であり、既刊11巻のうち寺尾訳は9巻を占めている。
 ほとんど個人訳の叢書である。カルペンティエール『バロック協奏曲』同じく『時との戦い』、ドノソの『夜のみだらな鳥』は鼓直訳が予定されているが、いずれもすでに本人の邦訳があり、改訳による出版である。
 寺尾隆吉はドノソの『夜のみだらな鳥』の出版についても、鼓直訳が出なければ「私がやる」と公言していて、大変な訳業となるであろう。寝る暇がないかと思えば、「ちゃんと普通の生活はしている」とのことであるから心配は要らないのかも知れない。
 しかし、寺尾訳はこの叢書の中で、アレホ・カルペンティエール、フリオ・コルタサル、ホセ・ドノソ、カルロス・フエンテス、フアン・カルロス・オネッティ、セルヒコ・ラミレス、フアン・ホセ・サエール、マリオ・バルガス・リョサと8人の作家をカバーしている。
 しかも同時進行で刊行中の現代企画室「ロス・クラシコス」でも、ホセ・ドノソの『別荘』とロベルト・アルルト『怒りの玩具』を担当しているし、他にも現代企画室から、翻訳不可能といわれたカブレラ・インファンテの『TTT』、水声社からマリオ・バルガス・リョサの自伝『水を得た魚』を刊行している。
 寺尾の睡眠時間のことよりも、私は翻訳の質を心配しないではいられない。この10年で20点を超える翻訳を手がけ、自著も3点出版していることから、かなりのハードワークであることは間違いない。
 しかも作家の傾向も多岐にわたっていて、一定の作家への拘りが見られない。昔の翻訳家は一人の作家をこつこつと訳して、いわばその作家と心中したわけだが、今日ではそのような翻訳の在り方は古くさいというのだろうか。
 ところで、アレホ・カルペンティエールは"文体の作家"である。キューバの作家と言われているが、生まれはスイスであり、母親はロシア人、父親はフランス人の生粋のヨーロッパ人である。
 カルペンティエールの作品はそのほとんどを読んだが、極めて文章の密度が高く、品格があって、ゆっくり読まなければならない文章の類に属している。と言うことは翻訳もまた時間をかけてゆっくりやってほしいということで、私は寺尾の訳業について重大な不安を感じているのである。でもカルペンティエールにとって極めて重要なこの作品を翻訳してくれたことに対して、私は寺尾に感謝している。
 アレホ・カルペンティエールは私にとって特別の作家である。ラテン・アメリカの作家は数多いが、コロンビアのガルシア・マルケス、チリのホセ・ドノソと並んで私にとって重要な作家である。
 彼の長編はほとんどが訳されていて、『この世の王国』から『失われた足跡』『追跡』『光の世紀』『バロック協奏曲』『春の祭典』『ハープと影』と読んできた。
 最初に読んだのは『失われた足跡』で、この作品で私はカルペンティエールにはまってしまったように思う。ラテン・アメリカ社会に存在するヨーロッパ的価値観と未開社会の価値観とに引き裂かれる主人公の物語であるが、その濃密で美しい文章に参ってしまった。
 そして、今はその細部を覚えてはいないのだが、内乱の国でホテルに泊まり、いきなり市街戦に巻き込まれる場面は衝撃的であった。それまで読んだことのない小説世界がそこにはあった。
『失われた足跡』の前に描かれた『この世の王国』はまさに、読んだことのない小説世界そのものであって、これぞマジック・リアリズムと思って読んだのだった。ただし、他の作品は大きく違っているのだが……。

アレホ・カルペンティエール『方法異説』(2016,水声社「フィクションのエル・ドラード」)寺尾隆吉訳

 

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