玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

千年もつか?

2010年07月03日 | 日記
 市内高柳町門出の「高志の生紙工房ギャラリー」で開かれていた「野中光正木版画展」を会期末になってようやく観ることができた。二カ月前に案内をいただいた時、木版による抽象表現というめったにない世界に興味を持ち、インターネットで野中さんの作品を観てから、ずっと気に掛かっていたのだった。
 ちょうど本人がいらしたので、いろいろお話することができた。野中さんは門出和紙を使うが、和紙を使うと、絵の具が紙の繊維に深く浸透して、色が落ち着くという。だから、モンドリアンを思わせるような幾何学的な抽象画でも、挑発的な感じはなく、温かい色の世界が拡がっていく。
 しかし、時に真っ黒い矩形の紙を画面に貼り付けた作品があって、そんな作品は十分に挑発的で、切れ味が鋭い。そんな作品に惹かれる自分を発見することができた。
 東京浅草生まれの野中さんは平成元年から三年まで、高柳町に移住し、小林康生さんのもとで紙漉きを学んだ。本当は高柳町に永住するつもりだったというが、紙漉きをやっていると絵を描く時間がとれず、東京に戻ることになった。
 それから苦節二十年、ようやくいろんなギャラリーから声が掛かるようになり、野中さんの作品は世に知られるようになってきた。抽象画に抵抗のある人もいるかも知れないが、野中さんの繰り出す“色”と“形”と直接対話することを心がければ、その素晴らしさが伝わってくる。
 最後に、小林康生さんがこだわる“生紙”についての話になった。「千年もつ」という生紙だが、私が「紙はもっても人類がもたないかも」と言うと、野中さんは頷くのだった。純粋な和紙が人類より長く生き延びる姿を想像するのは辛い。

越後タイムス7月2日「週末点描」より)


まさかの26

2010年07月03日 | 日記
 直前まで二十四で決着するものと思っていたのに、裏ワザで二十六に決まった。市議会議員定数のことである。削減派は二十四人案で十五人をまとめ、過半数を抑えたつもりでいたのに、“まさか”の気持ちだっただろう。
 現状維持派だった議員らは、二十四人案が可決の見通しとなったために急遽、二十六人案を修正案として提案することになった。“現状維持”が維持できず、四人削減まで撤退して防衛線を張ったのだ。
 「みらい」と「市民クラブ」「蒼生会」は二十四人案と二十六人案で割れていた。いずれも会田市長派と目される会派で、会派の分裂やしこりを考慮に入れての戦術だったのかも知れない。採決の段階になって、二十四人派の「市民クラブ」と「蒼生会」各一人が議場に居なかった。修正案を可決させるための戦術だったのだ。
 二十六人案は、平成二十年の九月議会に「整風会」を中心とする削減派が提案したもので、「整風会」の議員は“なぜあの時反対していながら、今になって二十六人案を出すのか”と反発した。ある意味、無駄な時間を費やしてきたとも言える。
 全国の人口十万人以下の都市のうちの五○%が六人~八人の定数削減を行っている。地方財政の逼迫から、議員に対する市民の風当たりは強く、定数削減への圧力は強まる一方である。県内でも柏崎市より人口も多く面積も広い三条市議会は、定数を二十六としている。
 柏崎市議会にとっても、統一地方選挙が近づく中で、定数削減は避けられない流れだったと思う。二十四がいいのか、二十六がいいのかは分からないが、質の高い議員がそろっていれば、二十六でも十分なような気もする。今回の攻防は、たった二人の違いの争いだった。そんなことでなく、議員の質の向上を望みたい。

越後タイムス6月25日「週末点描」より)