玄文講

日記

山田 真哉 「女子大生会計士の事件簿」

2005-09-16 20:07:39 | 
山田氏は、一般には知られていない会計士の仕事を多くの人に知ってもらいたくて、この本を書いたという。
そして、その目的は見事に成功している。
この本はシリーズ化され、マンガにもなっており、広く普及している。
会計の仕事を紹介した内容も、私には始めて知る話ばかりで新鮮であり、会計という仕事の重要性を認識することができた。

しかし不満もある。
ドラマが弱すぎるのである。はっきり言えば内容がタイトルに名前負けしている。

なにせ「女子大生会計士の事件簿」だ。

女子大生とは千両ではないか。素晴らしいタイトルである。

若くして会計士になった秀才ゆえの名声と苦悩。

学生生活と会計士の仕事というギャップゆえの2面生活の面白さ。

そういう描写を期待して本を買いたくなる。
しかし、この本の主人公が「女子大生」という立場を活用することはほとんどない。
それどころか彼女が大学に行く話は(私が読んだ1巻と2巻においては)一切ない。
物珍しいはずの彼女への周囲の反応もほとんどない。

女子大生なのに会計士という立場には、もう少し好奇の視線が集まってもいいと思うし、そういう描写があれば話も盛り上がるというものだ。

また多忙な仕事の合間に行く大学とそこで起きる騒動を見てみたいと思うではないか。

しかし山田氏はストイックなまでに「会計の仕事」を紹介するという目的に専念し、そういうエンターテェイメントをするつもりはないようである。

ブランドが好きで、デザイン系の有名人が好きで、自画自賛癖のある、正義感の強い若くて可愛い女性。
それがこの本から分かる主人公の情報である。

だから読後の感想としては

「主人公、別に女子大生じゃなくてもいいじゃん」

となってしまうのである。
この作品の描写ならば、主人公は若くてミーハーな女性なら誰だっていいではないか。



つくづく思うのは、山田氏はタイトルをつけるのが上手いということである。
売り上げの半分はタイトルで稼いでいる、とさえ私は思っている。

思えば氏のベストセラー「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」も興味深いタイトルだ。
そして、本の紹介によるとこれは「会計の本質的な考え方」を説明したものでもあると言う。

特殊でマイナーな職業の内実を報告しながら、それが経営や会計の一般論に拡張されていくという展開を期待してしまうではないか。

しかし実際はさおだけ屋の話は始めに少しあるだけ。
しかも内容が現実の竿竹屋の実情と違いすぎると、アマゾンの書評で本職の竿竹屋から批判される始末である。

実は私は竿屋さんです。

製造のほうですが竿屋さんは正直80%は潰れました。

本も読みましたがあのような竿やさんは、今も昔もほとんど存在しません。また、そのようなシステムも存在してません。

多分著者が自分が理解しやすいように勝手に思い込んだのでしょう。生き残っている業者は著者が想像できないようなしっかりした組織にて運営されています。

どの業界のこともそうですが聞きかじりで勝手に業界のことを適当に書かれるのは非常に不愉快ですね。

(アマゾンの書評から引用)

そこで私が思い出すのは、19世紀の出版者ハルデマンという人物である。
彼は「本の医者」という別名を持ち、本のタイトルを変えることで売り上げを伸ばす名人であった。
例えば彼は『金色の髪』という年間600部しか売れなかった本を、『金髪の愛人を求めて』というタイトルに変えて5万部に売り上げを増やした。

タイトルが本の売り上げを左右するのは明白な事実である。
もちろんそれが悪いことだとは思わないが、山田氏にはもう少し内容をタイトルに近づけてもらいたいものである。
そうすればより面白い本になるのは確実なのだから。

それと、どうでもいいことだが神戸の話に出てくる幽霊がしゃべりすぎ、出しゃばりすぎである。
あの幽霊には、もう少し慎ましさや節度というものを学んでいただきたいものである。
それに私は「イイ話」でおちをつける幽霊話を安っぽく感じてしまうのだ。しかも、あそこまで露骨にイイ話にされると、安っぽいを通り越して超絶である。

最新の画像もっと見る