日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

交番で警察官に…

2018-09-06 10:00:00 | (全)のブログ
先日、財布を失くした。
気づいたのは勤務中。デスク周りをゴソゴソ探すも見当たらない。

財布を最後に使ったのは、会社近くのコンビニで朝食を買ったとき。
道中で落としたか…と記憶を辿ると次第に汗が噴き出した。

すぐさまクレジットカード会社のコールセンターに電話し止めてもらい、付近の交番へ。
交番で必要事項を記入する用紙が出されたので、淡々と記入していると、
「全さんって日本の方ですか?」と質問された。
「いいえ」
「国籍は?」
「朝鮮です」とおきまり(?)の会話が始まった。

すると警察官は「何しに来られたんですか?お仕事?」と聞かれたので「植民地時代に祖父母が朝鮮から渡ってきたんです」と歴史をおさらい。

より詳しく歴史を教えようかと思ったが、時間もなく財布のことで頭がいっぱいだったので断念。
しかし、今回の交番での会話をはじめ、学生時代のバイトの経験も含めて、日本社会では上記のような質問を頻繁に受ける。

なかには私たち在日朝鮮人の存在や、過去の歴史を正しく理解している人もいるが、そうでない場合がほとんど。
ここに歴史教育の重要性があると思う。
「歴史修正主義」が蔓延するなか、少なからずその影響を受けた日本の若者が在日朝鮮人の歴史や存在について肯定的に思うはずがない。
日本の歴史教科書の変化や、「歴史修正主義」の台頭についてもっと勉強しなければと思った。

そして、財布は先輩が持っていた
自転車のカゴに置き忘れていたのを見つけた先輩が、取っておいてくれました。

最近、財布を置き忘れることが多いので注意します。(全)
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自然災害、心配になること

2018-09-05 10:00:00 | (麗)のブログ
各地で台風21号による被害が出ている。
昨日は午後に外出する予定があったのだが、都内某所(ビル街)に吹き荒れる暴風がとにかくすごく、立っているのがやっとだった。
下校途中の小学生たちは、大勢で身を寄せ合って暴風に耐えていたが、小さな身体が飛んで行ってしまうのではないかと非常にハラハラした。

ニュースで関西の被害状況を見ていると、心配になるのがやはり実家だ。

母いわく、ベランダの屋根が1/4飛んでしまったらしく、
隣の家の壁が剥がれ、その一部が実家の裏側に落ちたままだそう。

ベランダの屋根は確かトタンなので、今回の暴風を考えると、簡単に吹き飛んでしまうことは想像に容易い。
他にもあらゆるものが道路に散乱しているとのこと。

今回のように離れた場所で被害があると、やはり娘としてはもどかしい。
もしものことがあったら…と思うことが最近増えてきた。

親には必ず連絡を入れるようにしている。
母はLINEの既読が異常に早く、すぐ返信が来る。

深刻な状況とは真逆な笑顔の絵文字が語尾についていると、少しは安心する。(麗)



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「短歌に親しむ」

2018-09-04 10:00:00 | (理)のブログ

 2017年度の月刊イオ4月号に掲載された特別企画「私が詠う五・七・五」。俳句や川柳、短歌という日本の文化に、在日朝鮮人のアイデンティティをのせるとどのような表現が生まれるのか―。同胞たちが詠んだ作品を鑑賞し、日本の歌人の方々にも講評してもらおうという新鮮な内容でした。

 同企画で朝鮮学校児童・生徒たちの作品を講評して下さった田中章義さん。自身も歌人として活躍されるほか、「全国高校生創作コンテスト」の短歌部門で審査員も務めています。神戸朝鮮高級学校の生徒たちが紡ぐ言葉には以前から注目していたそう。


(2017年度イオ4月号の特別企画「私が詠う五・七・五」より)

 また、毎日新聞出版が発行している週刊誌『サンデー毎日』にて「歌鏡(うたかがみ)」というタイトルで様々な短歌を紹介するコラムを連載しています。本日発売の最新号では連載230回目を迎えました。過去には、このコーナーで在日朝鮮人が詠んだ作品を紹介したこともあります。

 そんな田中さんが、都内で短歌講座を開講することになりました。講座の名前は「短歌に親しむ」。
 日本の教科書に掲載されている短歌や歴史上の人物による短歌のほか、沖縄や被災地の人たち、原発作業員、そして在日朝鮮人が詠んだ、人間ドキュメンタリーを感じるような短歌も取り上げる予定です。もちろん、実作の指導もされます。

●講座の詳細はこちら↓
https://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_1156199.html

 リンク先の説明文には「日本人必読の歌を鑑賞しつつ、…」とありますが、田中さんは「国籍を問わず、定型詩を愛されるかたがたと御一緒できたら嬉しいです」とのこと。
 今年10月から来年3月までの連続講座(全6回)のため受講の機会は関東在住の方に限られてしまうかもしれませんが、興味のある方はチェックを。申し込みも上のサイトからできます。(理)
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朝鮮からのおみやげ

2018-09-03 09:41:11 | (瑛)のブログ


8月中旬、生まれて初めて祖国・朝鮮を訪れた中学生の息子が2週間を現地で満喫して帰ってきた。

トランク一杯に入った朝鮮のおみやげを見たときは驚いた。(没収されなかった!)という安堵と、朝鮮でこんなに大きな袋のお菓子を生産しているという事実に…。

14歳初の海外旅行。息子は、私が生まれた1972年に朝鮮に帰国した叔父や、その子どもたちとも初対面。朝鮮語で思いを伝えるのに苦労したようだが、二十歳ごろまで日本で育った叔父と日本語も交えながら話ができたようで、「楽しかった」と聞いたときは嬉しかった。

2002年、同胞障害者の家族たちが集う「ムジゲ会」に同伴し平壌を訪れて以来、16年もの間、朝鮮には行けずにいる。叔父もハラボジになったというし、5歳で帰国した従妹も海州で元気に暮らしているという。今回、息子が訪朝するということで、久しぶりに叔父や従妹に手紙を書いた。

地方に暮らす叔父は大袋のお菓子を息子に渡してくれた。目にした時には、その量と真心に心が温まり、子どもたちと小分けして世話になった人たちに配った。

帰日後、叔父から預かってきた手紙を父に渡したり、お土産話をすると、とにかく嬉しそうだった。日本で一つ屋根の下で育ったきょうだいが朝鮮に暮らしているのだ。「無事に幸せに暮らしているだろうか」という思いは、常に頭のすみにあるだろう。2世の多くは、親きょうだいといった、身近な親族が帰国しており、3世の私たちとは、祖国への思い入れが違うと感じるのは、こんなときだ。

息子がハラボジハルモニたちに買ってきたお土産を見て懐かしかったのは、そこに書かれた文字や刺繍。手の温もりが感じられるお土産が海を渡って人の手に渡る―。旅のささやかな喜びだ。この小さな幸せが「制裁」という名のもとに奪われてきたことを思うと、気が遠くなり、それを平気で続ける人間の意地悪さに腹が立ってきた。

訪朝中、息子は担任の先生がプレゼントしてくれた日記帳に、現地での出来事や自分の目でみた朝鮮の国の印象を毎日書いたという。世話になった平壌国際サッカー学校の先生が、別れる日、「サッカーは日本でもできる。けれど、朝鮮でボールを蹴ることで、私たちは友情を育むことができる」という言葉で見送ってくれたことに感動したという。一つひとつの話が心に染み入るのは、年をとったせいだろうか。

ルーツが宿る祖国―。

この大きな存在を、日本で生まれ育つ子どもたちに伝えていくことも、大人の責任だと感じたしだい。「制裁」なんぞに負けるものか。(瑛)

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