先週末、母校である朝鮮大学校(東京都小平市)の創立55周年記念行事が行われた。日曜日には記念フェスタが開催され、卒業生を中心に多くの同胞、日本人が同校を訪れた。
私は両日とも別の仕事が入っていて、参加することができなかったが、時おり雨の降る天気にもかかわらず大変な盛り上がりだったと、参加した知人は話していた。
一方で、大学の校門前では、「在特会」(「在日特権を許さない市民の会」)が「抗議行動」なるものを繰り広げていた。この最悪のレイシスト集団はいつもながらの騒動を性懲りもなく繰り広げた挙句、同会の桜井誠会長は「われわれは朝鮮人を殺しにきた!」とまで発言したという。
「在特会」が来るということは、彼ら自身が大々的に宣伝していたのであらかじめ知っていたが、「殺しにきた」発言を含めた当日の狼藉ぶりの詳細は同日夜、ツイッターなどのSNSで知ることになった。
私は正直怖くなった。自分の属する民族集団を「殺しに来た」と言われて恐怖を感じない人がいるだろうか。そして、自分の面前で「殺す」と言われて平気な人間がいるだろうか。ネット上で殺すという言葉を書き込んだ人間が逮捕されるのだから、公衆の面前で殺害予告をしている人間も当然逮捕すべきだが、警察はそうしない。
「在特会」は自分たちのことをマイノリティだと思っているかもしれないが、彼らの主張は日本社会の少数意見では決してない。インターネットで朝鮮学校を検索すれば、「在特会」のような主張で満ちあふれている。自民党や民主党の政治家の発言や産経新聞の論調を見てみればいい。たとえば朝鮮学校に対する「高校無償化」適用問題で、彼らの主張と「在特会」の主張がどれだけ似通っているか。そして、「殺しに来た」発言はその場にいた警察にスルーされているので、国家権力も「在特会」のヘイトスピーチを黙認しているということだろう。政治家、メディア、そして国家権力をバックにしてなされている差別行為が「マイノリティ」であるはずがない。
「殺す」と名指しされた集団にとって、そしてその集団に属する私にとって、彼らの「自己承認欲求」や「不満」など知ったことではない。「在特会」のような集団に対して多くの日本人がとっているような無関心やシニカルな態度を、私は決してとることはできない。
というようなことを、昨日までの締め切り前の慌しさの中、頭の片隅で考えていた。(相)
私は両日とも別の仕事が入っていて、参加することができなかったが、時おり雨の降る天気にもかかわらず大変な盛り上がりだったと、参加した知人は話していた。
一方で、大学の校門前では、「在特会」(「在日特権を許さない市民の会」)が「抗議行動」なるものを繰り広げていた。この最悪のレイシスト集団はいつもながらの騒動を性懲りもなく繰り広げた挙句、同会の桜井誠会長は「われわれは朝鮮人を殺しにきた!」とまで発言したという。
「在特会」が来るということは、彼ら自身が大々的に宣伝していたのであらかじめ知っていたが、「殺しにきた」発言を含めた当日の狼藉ぶりの詳細は同日夜、ツイッターなどのSNSで知ることになった。
私は正直怖くなった。自分の属する民族集団を「殺しに来た」と言われて恐怖を感じない人がいるだろうか。そして、自分の面前で「殺す」と言われて平気な人間がいるだろうか。ネット上で殺すという言葉を書き込んだ人間が逮捕されるのだから、公衆の面前で殺害予告をしている人間も当然逮捕すべきだが、警察はそうしない。
「在特会」は自分たちのことをマイノリティだと思っているかもしれないが、彼らの主張は日本社会の少数意見では決してない。インターネットで朝鮮学校を検索すれば、「在特会」のような主張で満ちあふれている。自民党や民主党の政治家の発言や産経新聞の論調を見てみればいい。たとえば朝鮮学校に対する「高校無償化」適用問題で、彼らの主張と「在特会」の主張がどれだけ似通っているか。そして、「殺しに来た」発言はその場にいた警察にスルーされているので、国家権力も「在特会」のヘイトスピーチを黙認しているということだろう。政治家、メディア、そして国家権力をバックにしてなされている差別行為が「マイノリティ」であるはずがない。
「殺す」と名指しされた集団にとって、そしてその集団に属する私にとって、彼らの「自己承認欲求」や「不満」など知ったことではない。「在特会」のような集団に対して多くの日本人がとっているような無関心やシニカルな態度を、私は決してとることはできない。
というようなことを、昨日までの締め切り前の慌しさの中、頭の片隅で考えていた。(相)