昨日、朝鮮高校10校の卒業式が各地で行われた。2010年、高校無償化制度が朝鮮学校を排除して施行された後、3年目の卒業生たちが憤りの中、卒業を迎えた。
今年度の卒業式らは2010年に朝高に入学した。生徒らの高校3年間は常に朝高排除に立ち向かうたたかいとともにあったが、先輩たちと同じように、光をみることなく母校を巣立っていくこととなった。
この不条理なたたかいの日々が生徒たちに植え付けたものとはなんだろうか。自分たちが生まれ育った日本社会への失望・絶望なのか、朝鮮人である自己の存在否定なのか――。
2月20日、文科省記者クラブで行われた記者会見では2人の朝高生が壇上で思いの丈を語った。
東京朝鮮中高級学校高級部2年の李祥庸さんは、「僕たちにとってこの問題は、単なる支援金の問題ではない。日本社会がわれわれの存在を認めるかどうかの問題だと思っている。そして昨日(省令改悪決定が発表された2月19日)、僕たちの存在が否定された。僕たちは朝鮮人の存在が認められるまでたたかっていく」と語った。
また高校3年の白聖亜さんは、卒業後は日本の大学へ進み、看護士になって社会に貢献したいと話していた。
朝鮮学校卒業生は日本のほとんどの大学で受験資格が認められており、大学卒業後は大多数が日本国内で就職し、日本社会で生きていく。3年間、文科省は何度も決定を覆し、朝鮮学校生徒らに自己否定という屈辱を与えてきた。だがそんな中でも聖亜さんのように「社会に貢献したい」と志を抱く生徒は少なくない。それは、立派な朝鮮人として日本社会とともに生きてほしいと願う、朝鮮学校教員たち、保護者をはじめとする同胞たち、朝鮮学校の民族教育があったからにほかならない。これが「反日」教育といえるのか。
国家権力を振りかざし、ついに朝高完全排除を完成させた日本政府および地方自治体と同時に、政府による朝鮮学校への不当な扱いを許容してきた日本社会に跋扈する無自覚な民族差別、他者排除の風潮をこそ糾したい。政府による差別を助長し、生徒たちに傷を負わせてきたのは日本社会だ。
差別が我が物顔でまかり通ってきたこの3年間を振り返ると、在日同胞たちが一つひとつ勝ち取ってきた民族教育の権利を奪う、新たな動きが出てくるのではないだろうかと危惧している。それほどの危機意識を持って、高校無償化制度の省令が改悪され絶壁に立たされた今、さらなる声を集めていくことが強く求められている。(淑)
今年度の卒業式らは2010年に朝高に入学した。生徒らの高校3年間は常に朝高排除に立ち向かうたたかいとともにあったが、先輩たちと同じように、光をみることなく母校を巣立っていくこととなった。
この不条理なたたかいの日々が生徒たちに植え付けたものとはなんだろうか。自分たちが生まれ育った日本社会への失望・絶望なのか、朝鮮人である自己の存在否定なのか――。
2月20日、文科省記者クラブで行われた記者会見では2人の朝高生が壇上で思いの丈を語った。
東京朝鮮中高級学校高級部2年の李祥庸さんは、「僕たちにとってこの問題は、単なる支援金の問題ではない。日本社会がわれわれの存在を認めるかどうかの問題だと思っている。そして昨日(省令改悪決定が発表された2月19日)、僕たちの存在が否定された。僕たちは朝鮮人の存在が認められるまでたたかっていく」と語った。
また高校3年の白聖亜さんは、卒業後は日本の大学へ進み、看護士になって社会に貢献したいと話していた。
朝鮮学校卒業生は日本のほとんどの大学で受験資格が認められており、大学卒業後は大多数が日本国内で就職し、日本社会で生きていく。3年間、文科省は何度も決定を覆し、朝鮮学校生徒らに自己否定という屈辱を与えてきた。だがそんな中でも聖亜さんのように「社会に貢献したい」と志を抱く生徒は少なくない。それは、立派な朝鮮人として日本社会とともに生きてほしいと願う、朝鮮学校教員たち、保護者をはじめとする同胞たち、朝鮮学校の民族教育があったからにほかならない。これが「反日」教育といえるのか。
国家権力を振りかざし、ついに朝高完全排除を完成させた日本政府および地方自治体と同時に、政府による朝鮮学校への不当な扱いを許容してきた日本社会に跋扈する無自覚な民族差別、他者排除の風潮をこそ糾したい。政府による差別を助長し、生徒たちに傷を負わせてきたのは日本社会だ。
差別が我が物顔でまかり通ってきたこの3年間を振り返ると、在日同胞たちが一つひとつ勝ち取ってきた民族教育の権利を奪う、新たな動きが出てくるのではないだろうかと危惧している。それほどの危機意識を持って、高校無償化制度の省令が改悪され絶壁に立たされた今、さらなる声を集めていくことが強く求められている。(淑)