日刊イオ

月刊イオがおくる日刊編集後記

プロローグ ~沖縄取材記①

2012-06-23 09:00:00 | (淑)のブログ
 ウェブマガジンにて次号予告を公表したのでブログでも解禁しますが、イオ8月号は済州島と沖縄の特集です。
 今なぜ済州島と沖縄なのか? それを一言で伝えるのは困難で、8月号を読んでいただけたらと思います。済州島と沖縄、両者に横たわる問題の共通性を探ることで、私たちが生きる歴史的現在を捉えるための、視座の一端でも提供できたら幸いです。

 そんなわけで先週から沖縄を取材しています。台風の影響で思い通りとはいかずとも、やるべき取材を一つひとつ消化し、あと数日で東京へ戻ります。
 今日6月23日は「慰霊の日」なので、これから沖縄南部・糸満市の平和祈念公園で行われる慰霊祭に行ってきます。
 この1週間、限りある時間の中で、一つでも多くの場所へ足を運び、多くの人と出会おうと努めました。ですがまだまだ足りない、もう少し取材したいというのが本音です。欲を言うなら、いつか機会があれば腰を据えて(長期滞在して)取材したいと思いました。
 そう思ったのは、沖縄の歴史と現在には、一つの視点だけでは語り得ない、長い歳月の中で複雑に絡み合ってしまった解決困難な課題がある、ということを、実際に沖縄に来て沖縄の人々と話す過程で再認識させられたからです。そして地平線のように広がる米軍基地には、びくともしない権力の壁を突きつけられたようで言葉を失いました。
 オキナワを語るときに「構造的植民地主義」という言葉がよく用いられますが、その仕組みの中に人々の生活ががんじがらめに組み込まれ、知らず知らず人々が侵食されている。「植民地主義と共存している/せざるを得ない」ような環境が着実に完成しつつある、そんな感覚を覚えました。
 私が見聞きしたのは、その一端、ほんの一端に過ぎません。現にこの1週間、私はまだ一度も米軍機を見ていませんし、よって騒音も聞いていません。台風による強風のため、軍事訓練は控えていたようです。これでは「米軍基地の過重負担」を体感したとは言えないと、悔しい気持ちです。もっとも危険に遭わなかったのは幸いなことで、“悔しい”なんて、外者だから言える平和ボケした無神経な言葉であり、沖縄の人たちが聞いたらきっと気分を害されるでしょう。
 それでも1週間、「本土」とは違う緊張感の中、取材や何気ない風景から大小さまざまなことを感じました。私がオキナワに抱いていた期待のような感情を、ここはある一面では大いに応えてくれ、ある一面では裏切ってもくれました。
 雑誌の尺では伝えきれないそれらを、数回に分けてブログで書いていきたいと思います。(淑)

コメント (3)
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