小学生の低学年の頃だったろうか、図画の時間に家庭をテーマに絵を描く授業があった。天井からの俯瞰で一家団欒を描いたのだが、おまけに模型飛行機を傍らに配した。飛行機は茶色と黄土色の迷彩色の英国の軍用機ポーカーハリケーンだ。
横にいた男の子が言ってきた。「嘘だ、そんな飛行機が家にあるわけがない」言いがかりである。たしかに正直に言えば、我が家にはこういう飛行機はない。ないが、父の作ったセスナ機はある。父の周りでは模型飛行機を作るのが流行りだったのだ。
父の会社の若い人が、このポーカーハリケーンを作っていた。格好が良くて羨ましく見たものだ。父のセスナ機も見事な出来であったが、やはり軍用機よりも派手さにはかける。地味なセスナ機よりもポーカーハリケーンの方が描いていて楽しいのだ。
たしかに嘘だと言われ、返す言葉がないのだが全くの嘘ではない。家には、その飛行機は無いのだが頭の中にはある。へんな言い訳だが、絵は想像であり創造なのだ。描いて楽しく見て楽しければ、それで良いと今では思うのだが当時は黙りこくってしまった。
言いがかりをつけてきた同級生は愚直なのだろう。絵は設計図ではないのだ。正確ではなくても良いのだ。もちろん正確性が要求される絵もあって然るべきだが、頭の中の材料を画面に好き勝手に並べて配置して描く絵もあって当然だと思うのだが、その子からは嘘つきのレッテルを貼られてしまった。
さて絵であるが、まだ未完である。当時の宣材ポスターを模倣した。完全な模倣ではなく自分流にアレンジして、画風やタッチも変えてみた。愚直な人が見たら、やれ盗作だとかパクリだとか糾弾するかもしれない。だがどうしても描きたいし、描いていて楽しいのだ。さて見てくれる人は楽しいだろうか?
横にいた男の子が言ってきた。「嘘だ、そんな飛行機が家にあるわけがない」言いがかりである。たしかに正直に言えば、我が家にはこういう飛行機はない。ないが、父の作ったセスナ機はある。父の周りでは模型飛行機を作るのが流行りだったのだ。
父の会社の若い人が、このポーカーハリケーンを作っていた。格好が良くて羨ましく見たものだ。父のセスナ機も見事な出来であったが、やはり軍用機よりも派手さにはかける。地味なセスナ機よりもポーカーハリケーンの方が描いていて楽しいのだ。
たしかに嘘だと言われ、返す言葉がないのだが全くの嘘ではない。家には、その飛行機は無いのだが頭の中にはある。へんな言い訳だが、絵は想像であり創造なのだ。描いて楽しく見て楽しければ、それで良いと今では思うのだが当時は黙りこくってしまった。
言いがかりをつけてきた同級生は愚直なのだろう。絵は設計図ではないのだ。正確ではなくても良いのだ。もちろん正確性が要求される絵もあって然るべきだが、頭の中の材料を画面に好き勝手に並べて配置して描く絵もあって当然だと思うのだが、その子からは嘘つきのレッテルを貼られてしまった。
さて絵であるが、まだ未完である。当時の宣材ポスターを模倣した。完全な模倣ではなく自分流にアレンジして、画風やタッチも変えてみた。愚直な人が見たら、やれ盗作だとかパクリだとか糾弾するかもしれない。だがどうしても描きたいし、描いていて楽しいのだ。さて見てくれる人は楽しいだろうか?
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