オスカー・ピーターソンを追悼するブログです(2007.12.28)

2007-12-28 21:17:52 | Weblog

*ロビンソン・デパートの新星堂で。

12月25日夕刊で、23日に死去したことを知りました。83歳。その後、新聞の文化面で追悼記事が続きました。

*左;日経、右;朝日(12月25日夕刊)

今日(28日)、年末年始(の暇!)に備えて、春日部市立図書館に出かけ、ついでにロビンソン・デパートのレコード屋(新星堂)をのぞきました。そこに、“オスカー・ピーターソン追悼”のメッセージがあったのです。普通なら、ずらーっと、オスカー・ピーターソンのCDが並んでいるところです。並んでいたら、1枚記念に買ったかもしれません。1枚のCDが立てかけてあるだけでした。

 *ヴァーヴレコードSMV-1006

オスカー・ピーターソン。レコード1枚を持っているだけです。
正確に覚えていませんが、1965年頃に買ったのでしょう。私が買った3枚目のジャズのレコードです。アート・ブレーキー、MJQ、そして、このオスカー・ピーターソンだったのです。その頃、超はやりのLPです。オスカー・ピーターソン・トリオ(Oscar Peterson Trio)がミュージカル映画、ウェスト・サイド・ストーリー(West Side Story)に流れた曲を演奏しています。田舎から大阪に出てきた頃(1960年代初)に、見た、酔いしれた映画<ウェスト・サイド・ストーリー>の余韻があったのです。

フォークやカントリーソングと違って、モダンジャズには、手の届かない、大人の世界、憧れのようなものがあったでしょう。梅田コマ劇場近くのジャズ喫茶“ファンキー”とか、“バンビ”にも、時々行っていました。お金がなかったから、ほんとうは、眠眠で、餃子ともやし炒め(コーテルとチャウトーヤ)の方がはるかに多かったでしょう。
しかし、その後、だんだんと、ジャズと離れていくのです。

この間(2007年10月)、春日部文化会館で、秋吉敏子さんのソロ・ピアノ・コンサートを聞いたばかりです。
50年も前に、秋吉敏子さんを見い出し、レコーディングをすすめたのが、オスカー・ピーターソンであることも知っています。1953年11月初め、オスカー・ピーターソン・トリオが、日劇で“日本人を対象に!!”演奏したときです。
秋吉敏子さん24歳、数日後、東京放送(現TBS)で録音され、米国ノーグラン・レーベルからレコードが出たのです。
そのレコード<トシコ>を、今聞くことができるのかどうかは、知りません。このあたりは、秋吉敏子さんの自伝<ジャズと生きる>岩波新書の感動的な部分です。<ここに少し書いています>

   【おまけ】

*ネットに流れるオスカー・ピーターソン

* 5,6年前のことです。庄和町に住んでおられるクラシック畑のピアニストさんをご自宅に、正風館でのコンサートのお願いにいったことがあります。私が、町のジャズ・バンドをやっていることを話したら、芸大生の頃、オスカー・ピーターソンのコンサートに感動して、楽屋に訪ねサインをもらったと、大事なレコードを見せてもらいました。
久しぶりに訪ねて、オスカー・ピーターソンのお話を伺ってみるのもいいな、と思っています。


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