買ったばかりの大画面テレビに朝鮮の砲撃シーンで第3次世界大戦ブルース(2010.11.24)

2010-11-24 23:26:49 | Weblog

*今日、2010.11.24付朝日新聞1面。左に、エコポイント駆け込みテレビ購入者(ワタシもそのうちの一人)の記事も。

 昨日(11月23日)の夕方、前夜買ってきた、わが家には大きすぎるテレビをセットアップしたら、突然、砲撃シーンとハングル文字が現われました。大画面の中に、着弾、炎が上がります。一瞬なんのことかわかりませんでした。
 それで、今日のブログは、そこからの連想ゲームです。

 同じ昨日11月23日は、1963年のことですが、米日間で通信衛星を使ったテレビ映像伝送実験が行われ、初めてテレビ画像が日本に送られてきた日です。
 つまり、米国で起こったことがリアルタイムで日本で見ることができるようになった記念日です。その時、送られてきたテレビ画像、ぱっと写った映像がケネディ大統領暗殺のニュース映像だったのです。
 そのことを後日、ワタシも関わるようになる通信衛星利用開発のことで電波研究所に通うようになり、研究者に聞いたことがあるのです。

 そのとき、1963年11月23日は、私にとっても忘れられない日です。
 学生だった私は、3月に卒業したら、ある新聞社に入ることになっていました。その日は、総選挙だったか、選挙速報の手伝いに新聞社の中にいたのです。その夜に、ケネディ暗殺のニュースが飛び込んできたのです。
 学生寮暮らしだった私に、テレビはなく、まあ、あっても当時のテレビのニュース映像には、リアルタイムの動画像はなかったでしょうが、翌日、寮の新聞(1963年11月23日付け夕刊)で、そのことを知ったのです。

 もちろん大ニュースの認識はありましたが、ケネディ米国大統領の置かれていた位置や、米国内外動静ついて、考えていたことはなかったでしょう。
 そのことを深く知った、知ろうと思ったのは、アメリカの若者たち、同世代の行動を知るようになってからです。公民権運動などで歌われていたフォークソング、ボブ・ディランやジョーン・バエズを知ってからでしょう。

*右;朝日新聞1962年10月25日付1面縮刷版から、キューバ危機の記事。左;第3次世界大戦を語るブルースの入ったボブ・ディランのLP。

 ボブ・ディランは、“第3次世界大戦を語るブルース”、すなわち核戦争の恐怖を歌いました。米国とソ連、米ソ冷戦時代です。アメリカの喉元、キューバにアメリカに向いたミサイル群があることを偵察機が撮影します。アメリカ中が恐怖に陥りました。
 ケネディ大統領は、キューバに対して海上封鎖を1962年10月25日に始めます。ソ連の艦船が接近してきます。一触即発の状況だったわけです。
 世にいうキューバ危機です

 ボブ・ディランは、プロテスト・ソング、反戦歌をつくり歌います。私らも、ギターを持ち、それをまねて歌っていました。しかし、ディランが作り歌っていた“第3次世界大戦を語るブルース”の切迫した感情が理解できたかというと、今、それはどうだったかな、と思うのです。

 北朝鮮、韓国、アメリカ、日本、中国、ロシア。今、キナ臭い世界情勢です。
 米ソの冷戦の時代はとっくに終わり、自由主義圏の時代と思い、今や、対イスラム社会の問題だけだと呑気に対岸の火事と思っていますが、どっこい、東アジア、日本の直近で、寝たふりしているのか、死んだふりしていたのか、力を貯めていたのか、社会主義圏が照準をこちらに向けているのです、・・・・・・でしょうか。いつの世も覇権争いなんでしょう。

  【おまけ】

*“第3次世界大戦を語るブルース”の原題は、Talkin' World Ⅲ War Blues  です。語り調に歌いながらストーリーを進めていく歌、トーキング・ブルースです。その夜、昨夜です。ウチで見ていた大型テレビに、NHKですが、トーキング・ブルースが流れました。“トイレの神様”です。歌っていた歌手の名は知りません。感情のこもった歌でした。まさに、1960年代のトーキング・ブルースです。

*なんとはなしに、過ぎ去ってしまった1960年代、若かった時代、私にとっても夢があった時代を思っていました。 最近、世間が暗い、先に明るさが見えません。60年代は、お金がなかったけど、先は明るかったように思うのです。


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