自覚症状なしから、<まさか>の臓器をひとつ摘出までの80日間(2009.1.31)

2009-01-31 22:39:31 | Weblog

*どちらの病院ですか?と聞かれても、正しく教えられなかったのです。

 昨日(1月30日)に退院しました。これで、11月中旬からの<不健全状態>には一応の処置が完了したことになります。あと体力回復を待つことになります。
 11月に12日間、12月に9日間、1月に12日間、合計33日間、4つの病院に行っていました。

 2008年11月。20年間やってきた、わが町のジャズバンド<スウィング・ベアーズ>、晴れの20年記念コンサートを5日後に控えて、表も裏<つまりバックステージ>も、準備に追われていた時のことです。
 11月11日、ちょっと右わき腹に痛みを感じて、町の<**中央病院(車で10分)>に。大した問診も触診もなく、CTスキャン検査。<明日、**総合病院に行って下さい> 翌12日、隣の町・市中央部の<**総合病院(車で30分)>に行きます。
いくつかの(CTとかMRIとか)検査の後、<明日入院して下さい>、<コンサート本番前なので月曜からではだめですか?>、<死ぬ生きるの問題ですよ>、<……>、翌13日(楽譜を隠し持って)入院。そして、金・土・日と<気分正常で過ごした>のです。

 そうして、本番の日を病院内で<元気に!!>過ごし、翌月曜日(11月17日)に、右の尿管結石の破砕手術です。
 実は、右に結石、左腎臓にガンという診断結果だったのです。医師は、一週間後には左腎臓摘出というスケジュール表を作っていました。たいした自覚症状もないのに、トントンと運んでいくスケジュールに、なんとなく<恐ろしさ>を覚えていたのです。
 CTスキャン画像を見せられ、そこに、確かなまん丸の腫瘍が映っているのです。こちらには、心の準備と知識がありません。
 <わかりました>と、半分くらい言いかけた時に、立ち会ってくれていた娘が、<セカンド・オピニオンを受けてもいいですか>と口を開いてくれたのです。私も、少し気持ちを取り戻し、<ちょっと一息入れさせて下さい>と言うことができました。

 セカンド・オピニオンは、別の病院で診断をえることです。<紹介状を書きますが、宛先はどうしますか?>別の病院と言っても、なんら知識はありません。もう口から出まかせです。<**医科大学附属越谷病院(車で40分)>に行ってみます、と。
なんの理由もありません。通勤電車から毎日見えていた大きなビルの記憶だけだったのです。

 さて、それで、本当はどこに行こうか。新聞社系週刊誌には<名医リスト、名院リストが>特集されています。立ち読みしても<何ら役立ちません>。ネットで探してみても手がかりはえられません。
私は、腎臓まるまる全摘出以外の方法はないのか、と探していたのです。私が安心を覚える解答は、見つかりません。
 <正しく返事をする日が来ました>。もう全摘出は仕方ない、と思っていました。

 <柏の国立がんセンターで手術してもらうことにします>。ここまで診ていただいた先生に<病院を変えます>というのは、ほんとに勇気がいりますが、言ったのです。

 柏の国立がんセンター(車で40分)は、<私の住む地域では誰でも知っています>、ガン=終末のイメージが重なる病院名です。泣く子も黙る<がんセンター>なのです。

 12月2日、初めての柏の国立がんセンター東病院。いくつかの検査の後、<摘出しましょう>と。<内視鏡治療とか・・・どうですか?>と小さい声の私、<摘出ですね>、<……わかりました、よろしくお願いいたします>

 正月明け(23日予定で)に手術することに決定しました。
 <ところで>と先生。<高脂血症ですね。一度心臓の検査を受けて来て下さ>。 例えば、と指定されたのが<*東京病院(電車で40分)>。高脂血症といっても、コレステロールが高いだけ、サラリーマンを30年やっていれば誰だって、とタカをくくって、心電図検査に臨みました。<問題なしです>、<そうでしょうね>。<午後からは負荷をかけてやってみましょう>

 負荷をかけるとは、走りながらの心電図測定です。ベルトの上を走らされるのです。でも平気、わたしゃ、高校時代は陸上競技部でインターハイ予選落ちの経歴です。ところが、これでもか、これでもか、とスピードを上げるのです。息が上がります。例えば、家人なら、この速度についていくことさえできないでしょう。まるで、何か出るまで<やらせる>ように感じてしまいます。<はあ…はあ…>、そして、<心電図に乱れがあります、狭心症の疑い>とのご託宣です。
 <後日入院してもらい、心臓のカテーテル検査をやりましょう>、<まいったなあ、ガン摘出に心臓がもたない>と結論を出されたら、わが人生一巻の終わりです。

*がんセンターの窓から、柏レイソルズのサッカー場

 12月28日から2泊3日で入院。手首血管から心臓に向かって、極細チューブを入れ、造影剤を流し、心臓直近の血管を調べるのです。医師は、モニター上に踊る我が血管を指差して<問題なしです>と。
 ワタクシは言葉を失くし、<この画像いただけませんか>と。その日、検査入院中のベッドに動画像CDRが届きました。

 全く<めでたくない>正月を越しました。

 手術日が1月23日に決まり、3日前の20日に入院。退院は、1週間後と予定されていました。いよいよクライマックスではあるのですが、もう書くのを止めます。
 1月23日に、左腎臓全摘出手術。腹筋力ゼロ状態で、1月30日にウチに帰りついたのです。

    【おまけ】

*これで、ウチに帰ります。

* 今回なにかと助けてくれたウチの娘は、隣の街、越谷市で家庭を持っています。私と、80日間の流れを思いながら、長かったけど、まあ順調だったなあ、そして春日部市立病院、越谷市立病院の名前が出てこなかったなあ、という話になりました。

* 娘は、春日部市立病院生まれですし、子どものころ(20~10年前)、もっとも頼りにしていたのが、春日部市立病院だったはずです。今、全く信頼を失くしているのでしょうか。

* 娘、<公立病院は、直接的な(最先端医療技術での)ガン手術より、普通の、子どもからお年寄りまで、誰もがかかれる病院、小児科、産科、そして救急医療に対応できる病院であったらいい>と。そういえば春日部市立病院は、産科も小児科も廃止してしまったような話があったなあ。

* <なんでも民間へ>という政府の方針ですが、公立病院は民間(私立)病院と<市場原理>という競争をしたらいけないんだ、と思うのです。 公立病院には、医療ビジネスという言葉に無縁の、公立ならではの役割りがあるでしょう。