大晦日にテレビを見ながら尾道の林芙美子を読む(2007.12.31)

2007-12-31 22:40:27 | Weblog

*亥(い)の年から子(ね)の年へ。旧庄和町の陶芸作家さんの作品。亥は山田さん。子は高沢さん。

私は新聞を後ろから見ます。日経の最終面(最大で48面)は、文化面です。そこにある“私の履歴書”欄をまず読みます。執筆者によって、さ~と流したり、じっくり読んだりです。12月は森光子さんの履歴書です。31日の今日が最終回です。まあ、丁寧に読んだ方でしょうか。

今日(最終回)は、文化勲章の話に続いて、こう書いて、(たぶん正確には、話して)おられました。

<“私たちの年代は戦争で青春が真っ暗になった。
戦争を知る人は、幸せの根底にあるのは平和だともっと大きな声で言うべきだといつも思っている。
平和でなければ、誰も幸せになれないのだから。>

 “放浪記”の森光子さんです。こう続きます。
<“放浪記”では、たくさんの役者さんと舞台に立った。尾道に帰った林芙美子は途方に暮れた行商人親子にご飯を食べさせる。ご飯をかきこむ女の子の初代は中山千夏さん。・・・・・「どうも有り難うありますの」。行商人の父親が言うせりふを聞くと、林芙美子役の私はいつも胸がツンとする。この一言だけで貧しい昔の暮らしがよみがえるからだ。>

林芙美子の尾道での少女時代のことを、私は、“風琴と魚の町”で読んでいます。芙美子は、ほんとに貧しい行商人の娘です。

私の育ったのは、岡山県と広島県の境あたりです。中学2年か3年、国語の女先生、たぶん教師になったばかりだったでしょう、が、宿題の私の読書感想文を照れくさいほど誉めてくれて、しばらくたった後、林芙美子と尾道のことを、放課後の教室で話してくれたのです。
尾道に行く度に、思いだしていました。

*文庫本に尾道の観光スタンプ。文庫本もって、尾道への旅。ちょっと少女趣味。この角川文庫本は、昭和39年発行、定価60円。

放浪記は読んでいません。林芙美子の“解説本”は、4,5冊読みました。
10年ぐらい前のこと。小さな庄和町にも男女共同参画というお上の政策方針が届いた頃のことです。庄和町出身の三上於兎吉、本妻・長谷川時雨、時雨が始めた<女が作る、女のための>“女人藝術”という文芸雑誌、そこに初めて登場し連載されたのが林芙美子の放浪記というつながり、なのです。このあたりは、どこかに書いたことがあります。

庄和町や春日部市で、三上於兎吉の企画展もありました。
今年の1月3日夜9時にあるNHKの正月時代劇<雪之丞変化>は、三上於兎吉の原作です。
庄和町出身といっても、お隣・杉戸町との間で、境界線の変更があって、どっちの町といっていいのか、よくわかりません。

それより私には、三上於兎吉は大流行作家なのですが、その生き方は好きではないのです。
林芙美子は、その後、長谷川時雨の<女人藝術>でデビューしたことを徹底的に消そうとした、といわれています。
その理由を解説をしているものはありませんが、私には、よくわかります。