時計の針の 巻き戻し

ふだんの生活の中で、ふとやり残した感じがすること有りませんか?時計の針は、自分で巻き戻すものです。

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病理的な自己開示

2009-08-27 19:08:11 | 心理学雑論

心理学で、「病理的な自己開示」というものがある。これは学者によって、「神経症的な人の自己開示」とも言われている。次のように、これは世間では「自己中心的」と捉えられているようである。  

 

(引用はじめ)

http://www14.plala.or.jp/CMDT1W/gso255.html

失敗しないための告白手順とは  (自己中の「告白」は……玉砕?)

★先日、ある学生と恋愛について意見を聞くことができた。面白かったのが、好きな女性に対しての「告白」についてであった。その学生もそうらしいが、彼の友人たちは好きな女性ができたら、いきなり告白するのだという。

★これには少々驚いてしまった。つまり、相手のこともあまり知らないし、相手も自分のことについて情報を得ていない状況の中で「告白」してしまうからである。

★これでは「玉砕」してしまうのも無理もない。これは明らかに恋愛というものを勘違いしている。恋愛は告白から始まると思い込んでいるからかもしれない。恋愛で大切なのは「恋心」である。

★「恋心」はいつ生まれるのだろうか。出会ったそのときに生まれる場合もあるが、異性と接触していく中で生まれる場合のほうが多いだろう。自分に「恋心」があっても相手に「恋心」があるとは限らない。それを「告白」によって「恋心」を生じさせようというのだから無理があるのだ。

 ★もちろん「男の告白」が女の恋愛感情を引き出し、女心を切り替えるスイッチになり得るのも確かである。とはいえ、いきなり告白というのは、あまりにも無謀としかいいようがないだろう。

★「告白」することは決して悪いことではないが、その前にやらねばならないことがある。それは、情報交換である。つまり、好きな女性に自分の性格や物事の考え方、その他いろいろな自分に対しての情報を伝えることが必要なのだ。また、それと同時に相手に関しての情報を得ることも必要だろう。そういう情報交換する時間を作らねばならない。その中で、自分を好いてくれる可能性があるのかを見極めるのである。

★自分に関しての情報を伝えず「好きだ」「付き合って欲しい」「彼女になって」と、告白したところで、女性はあなたのことを知らないのだから、判断のしょうがないではないか。「恋心」は決して外見だけで生じるわけではない。

★自己開示をして可能性を見いだせなかったら、その恋は諦めるべきである。ダメな女をいくら追いかけても少しもいいことはない。男には勇気ある撤退も必要なのだ。どこまでも楽観的に新しい恋を探せばいいではないか……。

(引用終わり)

 

もちろん、これには異論もある。積極的に告白は行うべきだという意見も多い。

ただ、心理学の「自己開示」の問題としてこの問題を考えてみたい。

私(軒)自身も、異性に対する自己開示などお世辞にもうまいとは言いがたいが、とにかくこの問題を、今年の大学の定期試験問題として出してみた。

特に、自己開示(自分のこと、特に自分の気持ちなどを相手に伝えること。恋愛ではいわゆる”告白”)が相手のペースを無視して一方的に行われることが、神経症的傾向の人には多いといわれる。

簡単に言えば、心が安定せず自信が無い人が陥りやすい傾向のことである。

どっちがよいのかなどは私はわからないが、神経症的傾向があると生き難いのは事実である。

心理学者の中には、内向性よりも神経症的傾向のほうを問題にして、徹底的なリラクセーショントレーニングを勧める人も多い。

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日本心理学会第73回大会報告

2009-08-26 21:43:14 | 心理学雑論
1日目が終わった。日本国内からのみならず、韓国心理学会からの参加もあったので、英語があちこちに飛び交っている。

参加者の表情を見ていつも感じるのは、まず、若い人が多いことだ。大学院生が自分の研究を、周囲からの評価を期待して発表しているのが多い。もちろん業績作りの意味もある。

また、これらの若い人たちの多くは実に生き生きとしている。自己表現の場を与えられたこと、そしてまたこの学会で発表する人たちの多くが、将来の学者生活を約束されたレベルの人が多いからだと思う。

彼ら・彼女らの明るさは、そのような事情に基づくものだと思う。

ところである種の新興宗教団体の会合でも「ニコニコしている人が多い」という、ただ表面だけを見れば似ている面があると思うかもしれないが、中身は全く違う。

新興宗教では、自分の心を教祖またはリーダーに委ね、悩むことをいわば放棄して安心を得ている面があるが、(心理)学会の発表者は、評価や批判が来ることを当初から念頭に入れた上で、自分を高める喜びを求めていると言える。

私も、10人以上の自分の出身大学院の後輩たちを含めて意見交換・名刺交換した。お互いに率直に意見を交換してきた。

明日は学会発表の間を縫って、昔どこかの”ガッカイ”が、「邪宗」とよんでいたお寺を訪ねてみたいと思う。せっかく京都に来たのだから。

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日本心理学会

2009-08-25 19:59:22 | 心理学雑論
日本心理学会大会が京都の立命館大学で行われる。明日から。

私は今年は、いつもの統計的な検定や多変量解析を行ったものではなく、
かなり原理的な問題提起を行う予定である。

もちろんすでにエントリーしていて、今は京都市内のホテルからこの記事を書いている。

心理学の学会発表や論文は、見たことある人はわかるが、実はほとんどが
統計的検定や多変量解析といった、統計的手法を経たものばかりである。

日本心理臨床学会や日本カウンセリング学会などでは、そうではないものも散見されるが、とにかく日本の心理学の主流は

「統計に基づかざれば、心理学にあらず」

といった感じで、一部の世間の人が想像するような、フロイトやユングといった言葉はほとんど出てこないのが実情である。

だから、今回の私の発表のようなものは、恐らくあまり高く評価しない学者が多いだろうが、気にしない、気にしない。

自分の考え方を明確化させるための絶好の機会だと捉えている。
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好きだから行くのではいけない?学会民音

2009-08-17 06:17:14 | 思想と宗教
創価学会の系列団体、民音とは不思議なところだと、昔、思った。

民音の券が学会内部で回ってきた。幹部が黙々と買う。それも数千円する、S席やA席など。
普通の感覚では、その人はよほど演奏者あるいはその音楽が好きなのだろう、と考える。しかし、創価学会の感覚では決してそうではない。

創価学会の活動をしたことある人ならわかると思うが、券を買うことはほとんど寄付と同じである。それだからこそ、学会員は嬉々として券を買う。

だから昔私が学会の会合で、「その歌手が好きだから」という理由で券を買おうとすると、非常に変な眼で見られた。

その後ある地区婦人部長が後で秘かに言ってたという言葉を聞いたが、それは「あの人は本当に信心があるの?」という疑問であった。

これは妥当であって、私はそれ以前から創価学会の信仰など、全く無い状態ではあった。ただ学会会合で、民音でちょうど私の好みの人が演奏するというので買っただけである。

では好きでもないのに買った学会婦人部員たちはその心の葛藤をどう処理したのであろうか。

これは私のほぼ予想通りであった。つまり彼女たちは、互いに今度どういうグループが民音に来るか、そして自分にはどういう席が割り当てられるか(*席の割り当ても組織の中で、学会組織の「地区」ごとに違う)、楽しみだ、と言い合っていたのである。

彼女たちは、本当に楽しんだのであろうか。これには精神分析で言う防衛機制が関与していると考えられる。しかし心の処理はすべての人がうまくいくわけではない。

実際何人かの学会員はその後、「学会活動なんだから仕方がないんだよねぇ~」と言っていた。矛盾を感じながら止むをえずしている証拠である。

それではこういうことを長くしているとどういうことになるかと言えば、観察している限り、いくつかのことが分かる。

まず組織活動に対してもともと適応性の高い性格の場合の人たちは、組織は組織、自分は自分と割り切る人が多い。学会組織で活動している間はあくまで学会員として黙々と組織に従う行動をとり、かくて民音はあくまで学会活動としていく。プライベートな時には本人が本当にやりたいことをするという傾向がある。

もともと組織活動のようなものがあまり得意でない性格の人の場合はどうか。この人たちの多くは葛藤がプライベートな場面にもおよび、心の中では民音に行くような状況に対して葛藤が処理しきれないことが多い。

その場合、本人たちがしている習い事にも影響し、やがて習い事に対しても葛藤が生じつつ、習い事をすることに罪悪感を感じて、止めたり意欲が大幅に低下したりすることが見受けられる。

こういうように創価学会のような、組織に対する忠誠を誓わせるような団体においては、以前から書いているように、内向的な人や神経質な人は心を大いに乱されてしまう。

宗教の影響は本人の性格によって異なる事の証拠でもある。
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酒井法子について

2009-08-14 04:02:28 | 心理学雑論
タレント・酒井法子が先日,覚せい剤に手を着けていたとの疑いで逮捕されたとの報道は,広く知られていると思われる。

彼女をめぐる一連の報道は多岐にわたるが,この問題に対して,彼女がなぜ覚せい剤に手を付けたのか,これから心理的・行動的には彼女にはどのような可能性があり得るかについて考えてみたいと思う。

心理的・行動的と書いたのは,法的には現在,彼女は拘束される立場にあるからであり,仮に事態が最大限彼女にとって良い方向に進んでも,彼女の意志通りに動けるようになる可能性はむしろ低いのではないか,と考えられるからである。

問題の核心は,彼女はなぜ覚せい剤に手をつけたのであろうか,ということであるが,このことに関しては多くの報道から察するに,彼女の成育歴から推測しても,彼女自身の中にすでに,自己破滅的行動をする傾向が宿っていたと考えることもできる。

夫の自称・プロサーファーは,彼女自身に比べれば実はほとんど収入も無い状態であり,そのような男を結婚相手として選択するという行為の中に既に,彼女の自己破滅的傾向の一部が窺い知れる。

ここではその自己破滅的行動がどのようにして身についてしまったのかについての推測はそれ以上行わない。

彼女は確かにそのような男を選ぶような傾向性を身につけてしまったのだろう。その延長として,そのような男のする行動に大変影響されやすい状態にあったのだろうと考える。また彼女自身も,繰り返して書くが,破滅的行動を行う傾向を成育過程で身につけていたであろうから,いわば相乗的に事態が急速に悪化していくのはその段階では不可避的であったともいえる。

しかしこういう推論のみでは,「原因はその本人にある」という,世間のタテマエ的な考えに迎合するだけである。

人間の行動は,成育歴のみによって規定されるものとはいえない点に注目することも必要であろう。人間がある瞬間にどのような行動をとるかについては,心理学では確率的・統計的なものとして扱う。そう考えれば,例え生まれ育ちでどれほどハンディキャップが大きくとも,周囲の人の影響によって人間の行動は変化していくことは当然考えられる。

酒井法子の場合は,強い父親代わりの人が,駄目なことは絶対にダメ,と言いきる環境がなかったのが大きかったろうと思われる。

彼女に対しては,もし心と行動傾向を変えたいのであれば,法的な外からの「厳罰」でなく,しかし絶対に甘やかさないながらも本人に対する深い愛とその存在自体に対する尊敬に基づいた,実の父親的な愛情を注ぐ人の存在が必要であろう。

法的には別として,心理的・行動的には彼女が,本人にとっても周囲のファンにとっても,良い方向へと変容する可能性は確かに残っていると言えよう。
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