時計の針の 巻き戻し

ふだんの生活の中で、ふとやり残した感じがすること有りませんか?時計の針は、自分で巻き戻すものです。

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宗教で性格は変えられるか

2009-06-27 18:05:27 | 心理学雑論
性格検査というのがあります。私などは仕事上、毎週のように使っています。
性格検査にはいろいろなものがありますが、基本的にほとんどの検査は性格が「それほど変化しない」という前提で作られています。

もちろん、一般の人にはそういう風には言いません。特に、気になるような結果が出る場合、「この検査で出たのはあくまでそのときの状態で、それが変わればまた結果も変わります」と言っておくことが多いです。

それでは性格は全く変わらないでしょうか。私が見たところ、いくつかの条件では非常に大きく変わる場合があり、心理学者たちを悩ませています(*通常の心理学理論では説明困難なため)。

まずは異性関係です。男女とも変わりますが特にはじめての経験のとき、それ以前とまったく違った世界に入り、大きく変わる場合があります。

大学時代、私の同級生に全く男性と付き合わず、よわよわしい感じの女性がいましたが、彼女はある男と付き合うようになり、その男の家に3ヶ月間こもっていました。やがてその後、彼女を再び見た時は、劇的な変化を遂げていました。

非常に明るく、男を挑発するようなしぐさを見せ、全身に自信がみなぎっている感じでした。これは自己認知や自分に対して持つ感情が非常に大きく揺り動かされた証拠と考えられます。

同様のことは勿論、男性にも生じますが、ここでは宗教の影響について考えてみましょう。

宗教の場合、最も大きな現象は、いわゆる回心現象です。回心は狭い意味ではキリスト教の場合のみを意味しますが、広くはあらゆる宗教において考えられます。

何かによって「救われた!」と心から思えるような晴々しい経験です。

しかしこの場合、救われ体験が何を対象として生じたのかが問題だと思います。
宗教の場合、具体的な人物だとかえって厄介になる場合があります。

たとえば「偉大なる○○先生」の場合、回心者はその人物と自分とを同一視しようとしますが、その宗教団体あるいは○○先生個人が、信者に対して全く違った気持ちーたとえばコントロールして使おうとか、金を引き出そうとかーを持っていると信者は遅かれ早かれそのことに気付きますが、やがて非常に激しい葛藤に悩まされることになります。正直、いわゆる新興宗教に多いと考えられます。

もちろんこうなったのは本人の原因というよりは宗教の原因です。しかし、その段階まで人を救えないという社会にも問題はないでしょうか。

これまでの心理療法やカウンセリングにはない、非常に強い力を宗教は持っていますが、これを本人の自律を損なわないようにしながら有益に用いるということは果たして難しいでしょうか。
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父と母とのこと

2009-06-14 22:00:15 | 自己紹介
最近、感じることであるが、父や母があれほどの態度を昔私に示したが、ある意味、やむを得なかったんでは、と最近思うようになった。

物心ついてからの私は、父や母が体力を使う仕事に従事しながら、再三愚痴を言う状況を見てきた。

だが先日父方の従兄に会い、多くのことを知らされた。

私の祖父はその町で1,2を争う資産家だったそうだ。それがある事情で一文なしに近い状態になったとのことである。

昔、父と母とが結婚したときの写真をもらったが(*自分の子にはなぜかずっと見せなかった)欲目も入るだろうが確かにある程度かっこよく、ある程度きれいであった。

父母にとってはすばらしい結婚だったはずだが・・・父母は落ちぶれた祖父母に、自分たちと同じ職業に就くことを強いられた。父はすべてを擲って肉体労働をする様になった。

すばらしい結婚だったはずが瞬く間に地獄に堕ちた感じだったろうと想像できる。

父はそのころ、「人生なんてつまんない」と毎日愚痴を言いながら、酒や焼酎をあおっていたそうである。

父のそれ以前の職業は教員だった。旧制高等師範卒業だった。

それが安月給で肉体労働を強いられ、自分の未来に対して絶望的になった。

そこで現れたのが創価学会である。草創期の学会に、それこそすがる様な気持ちで入会したことだろう。

一向に家計は良くならなかったが、後に一応、ふつうの会社員になった。私が小学校上級生の頃である。

どん底にあるとき、創価学会は父母を支える役割を果たした。こういう点は素直に認めたい。

母の私に対する仕打ちも、「結婚したのにひどい、絶望的な状態になった」という気持ちが底にあったのも一因だと感じる。ただ、無理矢理特殊学級に押し込めようとしたことなどはいただけないが、これも母自身無学であることも関係があると感じる。

脳梗塞で倒れてからの母は非常に純粋な子供のようになってしまった。今の母なら、何かあったら助けたいという気持ちが湧くのは不思議である。

姉が息子たちを学者にさせたいと願い、その通りになった(*甥はある私立大学の助手)のも、私が一応大学教授になったのも、その底に、父の願いを無意識に察しそれを実現させたのではないか、とさえ感じている。
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