時計の針の 巻き戻し

ふだんの生活の中で、ふとやり残した感じがすること有りませんか?時計の針は、自分で巻き戻すものです。

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宮城音弥先生

2005-11-29 11:40:15 | 心理学雑論

宮城音弥先生が亡くなられた。 宮城音弥氏=東京工大名誉教授 (読売新聞) - goo ニュース 

宮城先生については、私が中学生の頃から岩波新書などで知っていた。私が心理学教師になったのは、宮城先生の影響が大きかった。 「神秘の世界ー超心理学入門ー」の内表紙裏に書かれた言葉は正確には覚えてないが、

証明無くしてはなにものをも容認せず アプリオリにはなにものをも否定せず

という意味の言葉だった。これは

「証明がなければどんなことでも受け容れない。また、自分勝手に頭から否定したりもしない」

という、科学者にとっては当たり前で重要な立場であった。また科学者特に海外の学者の中に、厳密な研究に依らずに安易に超常現象を肯定する立場の人がいるがそういう人たちも批判した。

彼は心理学者として極めて厳密に、超心理現象を研究した。宗教からの接近という立場を否定しつつ、慎重で厳密な推論と統計的検定で、一つ一つ調べていった。

彼は、「精神分析入門」「天才」など多くの著作を残したが、彼の素晴らしいところは、自らが心理学界の正統派に属し、認められている学者であり、また著作はわかりやすいがそのレベルにおいては決して「専門外の人のご機嫌取りはせず、阿らない」というものであった。

非常な勉強家・研究者であり、たとえ歴史に残る外国の有名な学者といえども、理論的に不備が有ると判断すれば容赦なく批判を行った。フロイトに対してはその解説文は非常にわかりやすく、フロイト自身の功績を認めると共に、彼の後継者をも含めて批判すべきと考えたところには手厳しい批判を行っている。その批判の仕方においても決して、他の誰かの権威を借りる、ということをしなかった。

今は心理学の解説書を書く人のなかには、学者としての評価は別、という人も多い。宮城先生のような方がこれからも出てくるとして、果たして日本社会は受け容れるだろうか。

 

ご冥福を心からお祈り致します。

 

 

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学会に対する私の立場

2005-11-27 12:09:22 | 自己紹介
私は、退会届を出していない、という意味では間違いなく学会員である。また時々学会の会合にも顔を出す。無役職だから、本当は参加する資格乃至必要の無い地区協議会にも顔を出す。

ところが私は本当のところ、学会教義は全くと言っていいほど信じていない。もっと正確に言えば興味がない。三世の生命だけでなく、いろいろな話を聞いたところで、おもしろくないし感動もしない。そういう私でも小中高校生ぐらいの時にはある程度、信じ込もうとした。しかしどうしても無理だった。その背景にはおそらく、当時の私を取り巻く切羽詰まったやりきれない状況に、学会教義が事実上、信じても直接に効果があるとはとうてい思えなかったこともある。現実を打開するのに精一杯だった。教学試験だけは合計3回受けて、合格してきたが。

今では日蓮(大聖人)も含め、歴史上の有名な宗教家が体験したという神秘的な体験は、おそらくは幻覚(幻視、幻聴など)や妄想の結果だと考えている。それを反映したのが教典だというのが私の偽らざる本音である。

こういう私は、信じられる人を、すごく羨ましく思うことがある。そういう人はある意味で素直なのである。素直だから、学会の信仰も活動を含めて一生懸命行う。すると意識の上だけでなく、情動の上でも学会の教義に染まる。だからそういう人が学会を抜け出しても、書類上は当然として、意識的にも「非会員」ではあるが、情動面ではなかなか抜けられない。以前書いた「情動条件づけ」である。だから、学会を抜けても学会の話を聞いたり学会の人に接したりすると、不安・恐怖・怒りなどの激しい情緒的反応が生じたりしやすい。

そういう意味では私はほとんど感じない。罰論など、当初から馬鹿馬鹿しいと思っており、人間なんて動物なんだから、死んだらすべてが終わりだと思っている。

学会の会合に出ても、例えば「同時中継」などで、ある幹部が突然非難され始めたら、権力争いがあったか、最高権力者のお気に召さなかった事があったか、そのいずれかが多いのでは、と思っている。

こういうとき、「適応的な」会員は、心の中では本当は多少疑っていても、「どのように振る舞えばよいか」をとっさに判断して行動する。そうしているうちに、自分の行動と自分の本音との間にある不協和を低減しようとする作用が働き、たいがい本音が負けてしまう。もちろん信仰心が薄い人の場合、学会活動をするという行動よりも疑いの方が強くなり、退会したり活動に参加しなくなってしまう。

私がやめずにいるのは、学会外でも嫌な目にあったからである。はっきりって、学会内にも全く失望したと同時に、学会を含む世間一般に対する複雑な感情は消えがたい。人から、特に母親や、私と同じぐらいの年代の男性・女性から馬鹿にされた経験は、深い情動的な反応として残っている。そういうことに対して、いろいろ好意的にアドバイスしてくださることは、本当にありがたいが、学会から抜け出た人に対して「今は学会員じゃないんだから、何も感じなくても良いんですよ」と言っても、嫌な気持ちが残るのと原理は同様で、情動的反応は誠に消えにくい。そして、学会外部の人が多かったから、当然そこに行くのは「学会で嫌な思いをして脱会した人が、あえて学会に戻る」ような感覚である。いわば、マイナス・マイナス葛藤であって、動けない。

そういう私が見いだした道は、「名目上の立場のみ現状維持」である。しかし最近、これには積極的な意義も感じるようになった。学会組織を離れたらとうてい頼まれないような、学会活動によって重篤な精神疾患に陥った人たちに対する支援である。もちろん、先の記事で書いたように、幹部の意図は別にあるが、私はいかにして本人たちに「自分のアタマでものを考え直す」、つまり、思考上の自立を促すかを考えながら、行動している。

学会員が本当に辛いことに遭遇したら、まずは自分に無理をしていないか考えてみるように勧めたりもする。あるいは自分にとって無理な圧力(達成目標に対する指導など)がかかっていないか、それはどこまで妥当なのか、考えてみるよう勧めている。

病気などでもまずは専門家、それもなるべくは(特に精神的な悩みが主のものについては)学会員でない医師にかかるよう促す。指導の仕方が非会員の医師と異なる場合がかなりありそうだということが、いろいろな情報源からわかってきたからである。

ただし、「どうにも打つ手がない」と言うとき、私は本人が祈る、ということに反対しない。正直、教義も組織も、もはや信じてない私でも、どうにもならないときには祈る。もし私が他の宗教の信者であっても、何も頼れない、打つ手がない状況のときには祈るだろうと思う。

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病める学会員

2005-11-22 16:20:53 | 心理学雑論

学会幹部が私のところに、病的な学会員を頼んでくる事は以前からあった。たいていの場合、かなり状況が深刻な人を頼まれる。なぜか?

あちこち病院などを回らせ、どうにもならなくなった人を私のところに寄越す場合が多いからである。

通常の、「悩みがある」というレベルとは程度が異なる場合がだいたい6割~7割ぐらいである。以下に、私自身が担当しあるいは見聞きした例について述べる(*プライバシーを考慮し、多少設定を変えてあります)。

以前にも挙げた実例だが、突然身体全体が硬直して無意識状態になり数時間そのまま、という女子部員がいた。彼女は国立の精神病院では異常無しと言われ、脳外科でも脳波やMRI検査でも全く異常が認められず、「どこも悪くない」と言って追い返され、ついに学会員ドクターのところに。だがその医師の診断も揺れた。最後に都内の精神病院に入院する事を勧められると、さすがに親も躊躇。とうとう私が出てカタルシス。家族・婦人部幹部がいる前で。彼女は半分無意識の状態のまま、学会活動ばかりしている母親を激しくなじって目が覚め、症状から解放された。

ところが最近また女子部幹部が活動に誘いだし、再び軽い痙攣反応が生じているが、私の言ったこと(「組織には戻さないこと」)を守らず、また私にはもはや頼んで来ないので、私は関与できず。そのままの状態が継続。

次の例。学会地区婦人部長。数年前から更年期障害のような症状を訴えていた。彼女に関しては私は頼まれなかったが、国立病院などでは異常なし。脳外科でも脳波などの検査では異常なし。だが最後は精神病院に入院させられ薬物を大量に処方されていたせいか、入院する前とは別人のように『いかにも精神病患者らしく』なってしまった。今でも学会組織では彼女は地区婦人部長ということになっているが、別の人が代行し、幹部は完全に無視している。本人は学会活動から実質的に離れたようである。

別の地区婦人部長。白ゆり長から地区婦人部長に任命されて2ヶ月後、『(目の前にある)車がないように見える。車を突き抜けて歩けるような気がする』という幻覚が生じ、抑鬱発作が生じる。国立病院、大学病院などをまわり、脳波やMRIも含めて、どこでも『異常なし』の所見。最後に神経科で薬物処方。副役職に変わった後、しばらく安定。ところが支部・本部幹部たちが「そろそろ戻って良いだろう」と言って正役職に戻したところ、発作再発。「信心で治すしかない!」と県幹部(いずれも婦人部)が言ったことを受け入れて戻ってしまった。再度、病院へ。薬の数・種類は大幅に増え、げっそりとやせ細ったが、幹部はさらに「今こそ宿命転換よ」と言って“励まして”いる。

女子部幹部。某県幹部の長女。明るく活発な子であり、高校生時代はきちんと自己主張ができ、面倒見も良かった子であったが、学会系列のS大学に入学して2年後、激しい不安と震えと共に、『自分は誰にも理解されない』という気持ちが生じ、ついに休学して都内の学会系クリニック通い。鬱状態に陥る。彼女はいろいろ言いたい事があるようであるが、親や周囲が学会幹部ばかりでわかってもらえないという感じを持っているらしい事が、彼女の高校時代の同級生の話(非学会員)から聞くことが出来た。同級生からは、彼女が「親の言うとおり私はやってきた。私は親にとってはよい子だった」と言っているという言葉を聞いた。
彼女の事は秘密扱いで、私にも直接、接触させない。ちなみに彼女の妹は、高校時代は目立たない子であったが、一般の大学に行き、特に問題なく通学している。

このように、学会員の精神的障害は、かなり深刻なレベルの状態が少なくない。私が診た場合に限って言えば、幹部は隠したり、「今こそ宿命転換だ」と言ってさらに活動させたり、「あの人は病人だ。言うことなす事、全て病気のせいだ」ということで片づけられたりする。

しかし、上記の1番目から3番目までの人については、心理テストをしたことがあり、いずれも対人関係で摩擦を起こしやすかったり、自己中心的な傾向があったりする事である種の共通点がある。問題は、特に婦人部の場合、そういう人を無理に役職に就けて、対人関係のストレスをますます高めてしまい、またそれによって精神的障害が生じたことを、学会の教義で解釈して活動を続けさせる事にある。

1番目と4番目の女子部の場合、現れてくる症状は本人の特性に応じて違うが、いずれも我慢させて、学会員としての『良い子』を演じさせていたことに共通点がある。

私が診てきた例の中には、確かに私の目から見ても明らかに『統合失調症(精神分裂病)』という人もいたがそういう人は少なくとも現在まででは、ただ一人であった。上記の各例では病院の検査では、いずれも『異常なし』であった。2番目の例では治療を受けるようになったが、あくまで検査の結果に異常は現れないが、本人の言動から判断して、入院させられたのである。

なにが問題か?上記の2番目の例はよくわからないことがあり、もしかしたら本当に発病したのかどうか不確実である。しかし精神病院によっては、ノイローゼでも入院させるところもあるので断定できない。

確実なことは、学会が、幹部個人としても組織としても、非常に無理を強いるところだということである。そしてその結果についてはだれも責任をとらない。いや、教義からしてとらなくてすむようになっている。

学会は個人のプライバシーには十分に配慮しつつ、もっと情報を開示すべきだ。学会活動が何らかの意味で、原因の一端となっている場合、問題点を隠したり、個人を追いつめたりしてはならないと思う。対人関係が苦手な人に、対人関係を伴うノルマを課す、等というのは非常に危険だと言える。

また学会は、一般会員に対して、特に幹部になったら聖教新聞を余計にとったり、様々な出版物をとらされたりその他いろいろなものを買うことになったり、経済的に大変になるだけでなく、そういうことを人にも頼む(あるいは強いる)活動をさせられることになる、ということを、あらかじめ言っておくべきである。

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学会幹部の性格検査

2005-11-18 15:25:29 | 心理学雑論

先週の日曜日、私は近くのある本部の会合に来てくれるよう依頼された。性格検査というものをして欲しい、と言うことだ。私のような役職なしの会員でも、こういうことでは今までも結構誘い出しがある。

行って実施。結果は大体どこでも同じであり、予想通りであった。つまり、大体において役職持ちの人で、不適応に成らずに学会活動を続けている人は、もともと適応的な性格である。

 

その本部で数人の婦人部幹部が不適応気味だという。性格検査の結果にもその通り現れている。

問題はその後である。この本部では以前にも実は、全く同じ検査をしたことがある。参加している人は様々だがこういうことへの興味・関心は婦人部や女子部の人が高い。

婦人部の総県○○長さんや、県婦人部幹部は概して適応的であるが、それは彼女たちが言うような、「学会活動によって人間革命した結果」とは考えにくい。以前の結果とほとんど同じだし、あまり悩まず考え込まず、言われたとおりに行動するタイプである。こういう人たちは確かに一般社会でも適応的である。だから、臨床心理学者のなかにはこういう性格は、社会生活を送る上で好ましい、と評する人が多い。

それもその通りだが、重要な点を見落としてはいけないであろう。こういう人のなかには、楽天的なあまり、他人の苦悩を軽く考える人が多い、という事実である。わかろうとしない傾向が強いのである。自分が日常生活で用いている考えかたで相手のことを考える。

例えば悩んでいる人を見ると、「病気なのではないか」とか、「考え方を変えれば良いんじゃないか」と思ったりする。学会幹部の場合はそれに加えて、「業が深いのではないか」「学会活動をしっかりやらせれば治るのではないか」とか考えがちである。後者の場合は、不向きな人に対しても、活動を無理にやらせるからかえってこじらせてしまう。

このまま活動させたら危ないと思う、と以前にも総県や県の幹部には話したが、聞く耳を持たなかったのは残念である。はたして以前、軒の主張した通り、数人の婦人部幹部が病院通いしていたが、そのうち3人は先日も来て、同様に、情緒的に危ない状態にあった(なぜか、ほとんどが婦人部なのだが)。

それでも上の幹部は、私の言うことなど聞かない。私はたいていみんなの前で、学会活動をすることによって、検査に現れるほど性格自体が適応的に変わったということは、今まで私が実施してきた限りありません、と事実を言う。

一般社会だけでなく、学会内においても、「性格」というものが誤解されている。ひどくなっても、上の方の「適応している」幹部は、まず、自分のせいだなどとは思わないと感じる。こうなれば、自分が危ないと感じたら、自己防衛すべきだと思う。

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過去を下さい。

2005-11-15 10:50:45 | 自己紹介
過去を下さい。思い出を下さい。
時計の針を逆に戻して
過去を下さい。
私の歩んだ過去でなく、
新しい過去を下さい。

友だちと遊んだ思い出、家に友だちを連れてこられた思い出、
そういう思い出を作るために
過去を下さい。

母親の愛を得られなくても、女性の愛の得て
過去にこのような女性とおつき合いできた、と明るく言えるように、
それが今からでも、みんなから認められるように、
過去を下さい。

女性に愛を求め、無視され馬鹿にされ、
幾たびか、憎しみを抱き復讐を夢見て、
果たせず、一切の準備を捨てた・・・。

馬鹿にするのは勝手か?
馬鹿にされたが故に、本人がどうなろうとも
全く馬鹿にした人のせいではない、というのが
私たちの社会のようだ。
その結果、どんな事件が起きようとも。

私を不当に馬鹿にした
その女性たちに、私への罪を償わせるために
時計の針を 巻き戻して
女性も過去に戻ってもらい、
当時の行動そのものを、
ひっくり返して欲しい、心も体も。

今私が感じている感情は、
条件づけられたものだ。
条件づけられた、嫌な感情は
否定しても存在し続ける。

あるがままの気持ちに従うのは危険。
鬱になれば、「自殺したい」。
それが、本当のあるがままだ。

叶えられなかった自然な欲求を
今からでも叶えたい。

できることなら心も体も
青春時代、いやその前に戻り、
多くの人と同じように
アイドルなどに興味を持ち
歌も自然に歌いたくなる、
そのような感情が欲しい。

今は心からやりたくなくても
若いときにはやれなかった、無念にもやれなかったそのことは
もしかしたら本当に望んでいたことかも知れない、昔は。

だから私は今はちっとも、
やる気が無くても、
数十年前にやる気があったことを無理矢理始めている。

時計の針を 巻き戻して
過去からの出発をしたい。

だから
過去を下さい。
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