時計の針の 巻き戻し

ふだんの生活の中で、ふとやり残した感じがすること有りませんか?時計の針は、自分で巻き戻すものです。

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脱会したら地獄行きか?

2012-10-18 00:04:20 | 功徳比較論特別講義

「脱会したら地獄行き」こういう感じの指導が学会では日常茶飯事である。いや公平に言えば、日蓮正宗の信徒団体も同じことを言うらしい。

昔は日蓮正宗・創価学会だったから、「富士大石寺のご本尊」が信者にとっては最高のものであった。それが学会の離反の後、偽造本尊を大量印刷して配布した。

こうなると、どちらが「罰」を受けるのか?

確かに正宗の住職の中に、癌で亡くなった人もいる。しかし人数がはるかに多いせいか、癌で亡くなる学会幹部の話は頻繁に聞く。交通事故で亡くなる人もいくらでもいる。

リストラされた人も世の中にたくさんいる。学会幹部が経営者で、学会員が社員で首を切られた話などいくらでも聞いている。中にはその少し前、学会活動を一生懸命していて、一目置かれていた人も多い。

それが、経営者学会幹部によって地獄に落とされている。中には行方不明になった学会員も、数人知っている。

学会のみならず宗教というのは恐らくは「超常現象」は引き起こせないのだろうと思う。心の安定+閃きぐらいだろうと思う。その閃きが「仏知恵」の正体だろう。しかし、閃きはものすごい量の努力と能力、集中心が無ければ生じるわけない。

近頃の学会活動は、「金か票か」が中心であり、昔ならほんの少しはあり得たような「心の安定と閃き」などはまず、生じる様子はない。

学会が最初から本当に「純粋」だったのか、途中から変わったのかは別として、少なくともかなりの学会員は真剣・深刻であった。

真の学会信仰は、組織から離れるか、組織から自立して、「懸命に祈る」ところに残っていると感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

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果たして功徳は存在するか?

2009-02-19 13:38:20 | 功徳比較論特別講義
創価学会の会合に連続して出てみると、最近はあまり功徳の話は聞かれません。同時中継に行けば、過去に創価学会のために頑張った人たちへの罵詈雑言が聞かれ、またその同中でも新聞でも、池田先生が表彰された、学位を貰った、とこれでもか、これでもか、という具合に知らされます。

あっそうか!功徳はみんな、池田名誉会長のところに行っちゃってるんだ。だからわれわれ下々が功徳の話してないんだ。

確かに名誉会長殿のところには、具体的な物で功徳が行きます。財務のお金、聖教新聞の売上、そのほか多くの出版物の売り上げなどなど、これらはすべて、名誉会長殿とその取り巻きの職業幹部たちを潤わせているようですね。

われわれ下々は、コピー&偽装ご本尊に向かって、南無妙法蓮華経と唱えて“奇跡”が起きるのを待つよりほかに方法がないようです。

さてその時、残った粕のようなものから、少しでも功徳が得られれば、万歳!ということでしょう。

はたして功徳は生じるでしょうか?私はこれまで見聞きした範囲では、学会会合でのほとんどの功徳話は、偶然か大袈裟だと思います。

以前書いた“交通事故の宿業を持っている婦人部”は、先日の体験談で、また交通事故を起こしそうになり、夢中で“南無妙法蓮華経”と唱えたら、直前で車が止まって、人をはねるのを免れた、と言ってました。

私はこの人は、財務に何百万も出すのなら、その一部を使って自動車教習所に行き直したほうがいいと思いました(残りは貯金すべし)。見ているとすごく危なっかしくて近寄れないような運転をします。

ところが彼女はそれを“宿業”だと指導され、自分もそう思い込んでるので、危ない運転の方は一向に変わる気配がありません。変えるべきは“宿業”の方ではなく、本人の運転技術です。

さて人間というのは弱いところがあるものでして、私も思わず“南無妙法蓮華経”とコピー曼荼羅に向かって祈りたい衝動に駆られることがあります。一生懸命に祈ると、激しく運動した後と同じように、確かに一時的にすがすがしくなることがあります。

こういう状態は対人関係で落ち込んでいるときなどはある程度、効果的でしょう。だれでもびくびくしていて暗い人よりも、明るくて堂々としている人を信頼するものです。

その結果、仕事がはかどったり人間関係がうまくいく、ということはあり得ると思います。

だから私は、創価学会という組織を離れて一人で祈り、組織のために1円も出さず、池田大作氏を全く信じない、という信仰ならば、それほど害はないのでは、と思っています。

ただし功徳は、“ご本尊様”がくれたものではなく、自分の心の安定によって間接的にもたらされたのであろうと考えています。

もちろん、一生懸命祈りながら考えれば、意識が集中しますから、さまざまなアイディアなども浮かびます。

祈りの効果とはその程度のものか、あるいは病気の場合は、プラセボ(*偽薬)効果に、意識が前向きになって体が活性化するための効果がプラスされた程度だろうと考えています。




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功徳は無いと思うけど

2007-05-05 18:18:04 | 功徳比較論特別講義
 私は功徳、罰、天国、地獄、過去世、来世をてんで信じていませんが、もしかしたら題目や他の宗教の「祈り」には効果はあるかもしれないと思っています。

 ただしそれは神様や仏様が下さるのではなく、一種の自己暗示として、です。例えばルルドの奇跡というのがありますが、あれはもしプラセボ効果でなければ自己暗示効果だと考えられます。

 プラセボ(偽薬)効果にせよ自己暗示にせよ、かなり詳しい研究がなされていますが、批判的な研究者の実験でも、ある程度は存在するという結果が書かれているのが普通です。ただし批判的な立場では、ごくわずか、せいぜい痛み止めぐらいの効果、というのもあります。これは、批判的な実験者の立場・態度が実験全体の雰囲気に影響したためでしょう。実際にはもう少しはあると思います。

 前向きに明るい気持ちを保つことが免疫力を高めるということはよく言われていますし、また病気でなくても、何かの希望を実現するために祈る場合、関連するいろいろな情報に敏感になったり、前向きな気持ちになることは十分に考えられます。そのことが成功の可能性を高めるのでしょう。

 ところで創価学会に批判的なグループの中に、「元身内」の日蓮正宗がありますが、このグループの人や元学会員(退会した人)の中に、「学会では功徳が出なくなった」という主張をする人がいます。功徳というのはもとから無いというのが私の立場ですが、何らかの良い効果という意味ならば、低下した、という可能性は十分にありえます。

 聖教新聞を開けば毎日、大先生の勲章の話と批判者への罵詈雑言ばかり。「同時中継」しかり。選挙その他へ駆り出され、組織の歯車にされている状態。

 これでは嫌になっても無理はありません。会員は覚めています。ますます暗示効果も出にくくなっていますし、願ったことが多かれ少なかれ叶う、ということも低下するでしょう。

 どうしても創価学会の本尊に祈りたければ一人でじっくりと、聖教新聞も読まず同時中継にも行かずに祈るならば、ある程度の効果は出るかも知れないと思っています。
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「仏知恵」で、願いは叶うか?

2006-02-26 23:22:31 | 功徳比較論特別講義

お金の件については理解してくださったようですが、それ以外の事ではどうでしょうか?

叶わざる事無し、と昔から聞かされましたが、人間関係に絡む問題については、叶ったのかどうかさえ分かりがたい、と言えましょう。例えば友だち関係が上手くいきますように、と願ったとします。祈りをすると確かに心が落ち着いたり、思いがけない事に気づいたりすることがあるでしょう。それによって、相手に対する態度も変わって行くことは考えられます。

ときどき、「全ては自分次第だ」というようなお説教めいた話が、学会内外で聞かれます。でも、本当にそう上手くいくでしょうか?たまに成功することはあっても、いつも上手くいくとは限りません。人間関係は、相手があるわけですから。

それが、自分の気持ちが変われば全て上手くいく、となったら、友だちとの関係も恋人との関係も全てが円滑になるでしょう。ただし、ある程度はその可能性はあります。それはいわゆる明るく他人思いで、神経質でない性格の人が、比較的人に好かれやすい傾向があるからです。事実、性格的に明るい学会幹部の中に、こういう傾向の人が多いのは事実です。

しかしそれは誰でもなれるものでなく、性格というものがそう簡単に変わるものではない事は良く知られています。またたとえ、上記のような性格の人であっても、「嫌だ!」という人はいます。それに、人間関係は誠に複雑で、状況によっては普段の友人が競争相手になったりします。

また人とのつき合い方の技術というのがどうやら幼児期までに、仲間関係でその基礎が出来上がってしまうらしいことがわかっています。ところが、その具体的なことは実はほとんど分かっていないのが現実です。例えばどういう状況の時に、どういう集団の中では、どのように振る舞えば仲間に入れるのか、また仲間はずれになってしまうのか、など、詳しいことは発達心理学者たちが一生懸命観察したりして研究してますが、前にも書きましたように、特に日本人はノンバーバルなコミュニケーションを良しとする民族ですから、非常にわかりにくいんです。

これが恋愛になると、さらに難しく、確かにその能力は一種の対人関係能力ですが、その能力に秀でた人がいるのは事実ですが、私などは残念ながら・・・というところです。

勿論心理学者も手をこまねいているわけではなく、人間関係のトレーニング講座はあちこちにありますし、恋愛講座もあるようです。特に男性に悩み深い人が多いらしく、以前聞いた例では、「男性扱いのエキスパート?」と言えるほどの女子大生を募集し、うぶな男性に模擬デートを行わせ、色々指摘するそうです。私はまじめに考えて、これはとてもいい方法だと思います。ただ、値段がベラボーに高いようですが。

あれ?信心の話はどうした?って言われそうですからこの辺で戻りますと(笑)、結局祈りだけで何とかしようとするよりは、対人関係能力を高めた方が妥当、ということです。一生懸命祈って、「どうか、上司と上手くいきますように」、「どうか彼女と恋人同士になれますように」と願っても、恐らく人間関係に関しては、知識よりも更に「仏知恵」は出にくいでしょう。祈って変わるのは恐らく、自分が真剣に考えているという態度と、本人の性格などにもよりますが、気持ちが落ち着くこと、ぐらいなものでしょう。

学会での指導で、「題目によって宇宙のなにがしを動かし・・・」という言葉も良く聞きますが、これを文字通りに考えたら、超常現象は果たして起こせるや否や、という問題になってしまいます。もっとも私の実験でも、テレパシーや透視に関しては、「否定は出来ない」程度の結果は出ることはありますが、大宇宙の生命を動かし・・・と言う言葉を、極めて真面目にその文字通りに理解したら、これは念力の話になり、特殊な学問領域、又は一種の神秘主義の話になるでしょう。

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「仏知恵が沸く」ということ

2006-02-24 21:55:25 | 功徳比較論特別講義

学会で本尊に向かって祈るとやがて「仏知恵」が沸き、問題が解決する、とよく言われました。これは本当でしょうか。

まず、会合などで全員で色々指導をされながら唱題するのと、一人で問題解決をひたすら願いつつ唱題するのとは、いろいろな面で異なるでしょう。前者は、その雰囲気にとけ込めれば、集団意識、仲間意識、目標に向かう気持ちが高まり、気分が高揚します。この状態が更に進むと一種の集団催眠に似た状態になります。

そうなると集団の中でみんなと一緒に行動しているという一体感から来る安心感、優越感も味わえます。集団として目標を達成させるには非常に効果的な方法です。ただしその代わり、個人に特有な問題の解決には向きません。

そのため個人の問題解決のためにはどうしても本尊と自分とが一対一で向き合う必要があります。そうして祈りを続けているうちに、これまた独特の類(自己)催眠状態になります。この状態ではいわゆる潜在意識(*心理学者は普通、無意識と言う言葉を使います)が現れやすくなり、抑圧されていた考え方や感じ方、そして自分の様々な経験や知識が活性化され、問題解決への糸口に向かった考えが生じることがあることは否定できません。ただし、この状態は、公平に言えば他の宗教でも同じような手順で祈れば、同様になります。

ここからが問題です。はたしてそこから生じた知恵は「無限の可能性」を示すものでしょうか。

類催眠状態では確かに、押さえられていた記憶が活性化されたり、ある知識と別の知識とが統合され、再体制化されて新しいアイディアが浮かぶことがあるのは広く知られています。

同時に次のことも事実です。人間は、自分の記憶の中に貯蔵している考えや、またそれらを新たに結びつけて新奇な考えを想像する働きがありますが、全く記憶に入ってないことからは、何も生じさせることは出来ない、ということです。

例えば、株の売買について全く知らない、聞いたことすらないと言う人がいたとします。その人が、お金が必要になったとき、一生懸命祈ったとして、果たして株に関することが思い浮かぶでしょうか。学会だけでなく、どんな宗教でも無理なはずです。

そういう類のことを良く知らないで、例えば金策のためにひたすら題目をあげるということは、気持ちがそちらを向き、情緒が安定することによってなにがしかの効果はあるでしょうが、具体的な方策を知らなければ、出来ることは限られて来るはずです。

結局、どんなに題目をあげても、より良い「仏知恵」を願うならば、経験や本などで、より妥当な知識をより多く重ねることが最も重要だと言えるでしょう。

ただひたすら祈っていても、何の解決にもならなかった、という例はいくらでもありますが、それはこういう基本を軽んずるからだと言えましょう。

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