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千島列島の範囲の変更は許されないか――古谷経衡氏の2島返還論を読んで

2018-09-23 07:12:43 | 領土問題
 以前の記事で述べたように、「ダレスの恫喝」で4島返還論に転じたという古谷経衡氏の主張(古谷氏に限らず、同様の論者はしばしば見かけるが)は嘘であるが、ほかにもこの古谷氏の記事にはいくつか疑問がある。
 その最大のものは、千島列島の範囲をめぐるわが国政府の解釈の変更をやたらと強調している点である。

 古谷氏は概略次のように述べている。
・1951年、サンフランシスコ条約で日本は千島列島を放棄した。この千島列島には国後、択捉が含まれると当時の政府は答弁していた。
・1955~56年の日ソ交渉の途中で、「「ダレス恫喝」が強く影響」して、政府は国後・択捉を含む「四島一括の帰属の確認」の強硬路線に転換した。そのため政府は、「千島列島」には国後、択捉が含まれないと主張を変えた。
・しかし、歴史的に見て、千島列島に国後、択捉が含まれるとされてきたことは明らかであり、政府の主張は「無理筋」である。
・千島列島ではない歯舞・色丹なら辛うじて返しても良い、というのがロシアの最大限度の譲歩であり、「北方新時代」の扉を開くため、「結局、2島返還しか道はない」。

 これも、2島返還論者にしばしば見られる主張である。

 サンフランシスコ平和条約における千島列島の範囲について、条約締結当時と日ソ交渉時以降で政府の解釈が異なっているのは、古谷氏の指摘するとおりである。
 しかし、これはそれほど重要視すべき問題なのだろうか。

 そもそもわが国は何故千島列島を放棄したのだろうか。
 サ条約で日本の領域を定めた第2条には、確かに次のようにある(太字は引用者による。以下同じ)。

第二条

 (a) 日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

 (b) 日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

 (c) 日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

 (d) 日本国は、国際連盟の委任統治制度に関連するすべての権利、権原及び請求権を放棄し、且つ、以前に日本国の委任統治の下にあつた太平洋の諸島に信託統治制度を及ぼす千九百四十七年四月二日の国際連合安全保障理事会の行動を受諾する。

〔同条文以下略〕


 だが、わが国が連合国に降伏すると決めたのはポツダム宣言を受諾したからである。ポ宣言は降伏後のわが国の領域について次のように規定している。

八 「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝〔ナラビ〕ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ


 「吾等ノ決定スル諸小島」とあるから連合国が好き勝手に決められるように思うかもしれないが、その前に「「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク」とある。
 カイロ宣言とは、1943年に米中英3国の首脳名で発表された、連合国の対日方針を示したものである。その文中に次のようにある。

三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス
右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ
日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ

前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス


 日本の侵略に対する懲罰が戦争の目的であり、領土拡張の念を有するものではないとしている。
 そして、第一次世界大戦以後にわが国が奪取または占領した太平洋の島々の剥奪、満洲、台湾及び澎湖島などの中国への返還、わが国が暴力及び貪欲により略取した一切の地域からの駆逐、朝鮮の独立が述べられている。
 しかし、千島列島及び南樺太についての言及はない。これはソ連がこの宣言に加わっていない以上当然のことだが、ポツダム宣言に「「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク」とある以上は、わが国の主権の及ぶ「吾等ノ決定スル諸小島」の範囲は、カイロ宣言の精神にのっとって決定されるべきだろう。

 日露戦争により獲得した南樺太は、「暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域」に含める余地もあるかもしれない。
 しかし、千島列島のうちウルップ島以北の北千島は1875年の千島樺太交換条約により平和的に取得したものだから「略取」した地域には当たらないし、国後、択捉は1855年のロシアとの国境画定以来のわが国固有の領土だからなおさら「略取」したものではない。

 では何故、サ条約でわが国が放棄すべき地域に千島列島が含まれたのか。
 それは、古谷氏も述べているように、1945年2月に米英ソ3国首脳が秘密裏に結んだヤルタ協定で、次のように定められていたからである。
 
二、千九百四年ノ日本国ノ背信的攻撃ニ依リ侵害セラレタル「ロシア」国ノ旧権利ハ左ノ如ク回復セラルヘシ (イ) 樺太ノ南部及之ニ隣接スル一切ノ島嶼ハ「ソヴィエト」連邦ニ返還セラルヘシ
〔(ロ)(ハ)略〕

三、千島列島ハ「ソヴィエト」連邦ニ引渡サルヘシ


 南樺太は「返還」なのに千島列島は「引渡」とされていることに留意されたい。
 つまり、千島列島が「略取」された地域でないことは、米英ソはいずれも承知した上で、ソ連の対日参戦を決めていたのである。
 米英は、カイロ宣言で領土不拡大を掲げながら、ソ連にはこれを適用しなかったのである。

 サ条約で千島列島の放棄が定められているのは、このヤルタ協定(戦後公表された)を受けてのことだろう。
 だが、ソ連はこのサンフランシスコでの講和会議に参加はしたが、条約には結局署名しなかった。
 サ条約第25条には

第二十五条

 この条約の適用上、連合国とは、日本国と戦争していた国又は以前に第二十三条に列記する国の領域の一部をなしていたものをいう。但し、各場合に当該国がこの条約に署名し且つこれを批准したことを条件とする。第二十一条の規定〔引用者註:中国と朝鮮の権利に関するもの〕を留保して、この条約は、ここに定義された連合国の一国でないいずれの国に対しても、いかなる権利、権原又は利益も与えるものではない。また、日本国のいかなる権利、権原又は利益も、この条約のいかなる規定によつても前記のとおり定義された連合国の一国でない国のために減損され、又は害されるものとみなしてはならない


とあるから、わが国が千島列島を放棄したのはサ条約を締結した国々に対してであり、ソ連に対してではない。ソ連と、それを継承したロシアは、千島列島領有の根拠にサ条約を援用することはできない。
 また、わが国が放棄した千島列島や南樺太の帰属は、わが国を除いたサ条約の締結国が決めることである。それらの国々がソ連、ロシアによる千島列島や南樺太の領有を承認したことはない。
 そもそも、ソ連が千島列島や南樺太を自国領に編入したのは、サ条約にはるか先立つ1946年2月のことである。サ条約とソ連による領有は直接関係ない。

 以上のことを前提に、サ条約における千島列島の範囲の変更について考えてみたい。
 政府による千島列島の範囲の解釈の変更は、果たして許されないことなのだろうか。
 わが国は、サ条約の会議に出席して意見を述べることはできた。しかし条約の文言を変更する権限はなかった。戦勝国が決めた条約の文言をただ受け入れるほかなかった。それが嫌なら、そもそも条約を拒否するしかなかった。しかしそうすれば、わが国の独立はますます遅れたことだろう。
 したがって吉田茂首相は、サ条約の受諾演説でこう述べるにとどめるしかなかった。

過去数日にわたってこの会議の席上若干の代表国はこの条約に対して反対と苦情を表明されましたが、多数国間に於ける平和解決に当ってはすべての国を完全に満足させることは不可能であります。この平和条約を欣然受諾するわれわれ日本人すらも若干の点について苦悩と憂慮を感じることを否定できません。この条約は公正にしてかつ史上嘗て見ざる寛大なものであります。われわれは従って日本の置かれている地位を十分承知しておりますが、あえて数点につき全権各位の注意を促さざるを得ないのであります。これが国民に対する私の責任と存ずるからであります。
 一、領土の処分の問題であります。奄美大島、琉球諸島、小笠原諸島〔中略〕の主権が日本に残されるという米全権および英全権の発言を私は国民の名において多大の喜びをもって了承するものであります。〔中略〕千島列島および南樺太の地域は日本が侵略によって奪取したものとのソ連の主張には承服致しかねます。日本開国の当時千島南部の二島択捉、国後両島が日本領土であることについては帝政ロシアも何んら異議を差しはさまなかったものであります。たゞウルップ島以北の北千島諸島と樺太南部は当時日露両国人混住の地でありました。一八七五年五月七日日露両国政府は平和的外交交渉を通じて樺太南部は露領としその代償として千島諸島は日本領とすることに話合いをつけたものであります。〔中略〕また日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島も終戦当時たまたま日本兵が存在したためソ連軍に占領されたまゝであります。(吉田『回想十年』第3巻、中公文庫、p.103-105)


 そして、1951年10月19日、衆議院の平和条約及び日米安全保障条約特別委員会において、外務省の西村熊雄条約局長はこう答弁した。

 条約にある千島列島の範囲については、北千島と南千島〔引用者註:国後、択捉〕の両者を含むと考えております。しかし南千島と北千島は、歴史的に見てまったくその立場が違うことは、すでに全権がサンフランシスコ会議の演説において明らかにされた通りでございますあの見解を日本政府としてもまた今後とも堅持して行く方針であるということは、たびたびこの国会において総理から御答弁があった通りであります。(松本俊一『日ソ国交回回復秘録』朝日新聞出版、2012、p.258)


 やがて、吉田は退陣し、鳩山一郎政権の下で日ソ交渉が始まった。その中で、日本政府は、サ条約で放棄した千島列島に国後、択捉は含まれないと解釈を変更した。これが「無理筋」だと古谷氏は言う。

 しかし、サ条約の文言の解釈を決めるのは誰か。それは、わが国を含むサ条約の締結国である。
 サ条約の締結国が、わが国の解釈変更は不当である、国後、択捉も放棄したと言ったではないかと主張するなら問題となるのもわかる。しかし、そんな主張をどの締結国がしているというのか。
 米国は、1956年に、サ条約の千島列島に国後、択捉は含まれないとのわが国の見解を支持すると表明した。当時、英国は態度を明確にしなかったが、後にわが国のソ連への要求を支持したと記憶している。そして、解釈変更に異を唱えた国があるとは聞かない。
 わが国がサ条約の解釈を変更したとしても、他の締結国がそれに異を唱えなければ、それがその後の条約の解釈として通用するのである。そして非締結国であるソ連、ロシアに異を唱える権利はない。
 したがって、この解釈変更は、それほど重要視すべき問題ではないのである。

 この政府の解釈変更は、当然国会でも指摘された。1961年10月6日、小坂善太郎外相は衆議院外務委員会で、自民党議員の質問の際にこう答弁している。

先般〔1961年10月3日〕予算委員会において講和条約締結当時の政府委員の答弁〔上記の西村熊雄条約局長の答弁〕が取り上げられて問題になっておった〔池田勇人首相は「その政府委員の発言は間違いと考えております」と答弁し、社会党から追及された〕のでありまするが、この答弁はその当時における政府の一応の見解を述べたものでございますが、一方においていわゆる千島の中には南千島も入ると言いながら、他方日本政府としては南千島と北千島は歴史的に見て全く違うものであると考えており、その考え方は今後も堅持すると言っております。この二つの答弁は矛盾した内容を持っておるのであります。そこでそういう矛盾した内容を持つ明確を欠いた答弁がなされたわけでございまするがこのことはひっきよういたしまするに条約発効以前の各国の微妙な事態を反映して、その当時においてまだ占領下にあるわけでありますし、また各国も平和条約を批准していないというその事態において、わが国の立場のみを強く前面に押し出すことを避ける考慮もあったと考えられますが、これはいずれにもせよその当時における一応の考え方を述べたものにはかならないと思うのであります。その後さらに慎重に検討をいたしましたる結果、今申しましたように各種の交渉からいたしましても国後択捉が日本国の領土であることは明らかでございまして、しかもなおサンフランシスコ講和条約で放棄いたしました千島列島の中には含まれていないとの解釈が明確化いたしまして、昭和三十一年重光外務大臣の言明となっておる次第でございます。


 占領下では、条約の文言に従って、放棄したと答弁せざるを得なかった。
 その後実際にソ連と交渉が始まって、国後、択捉も返還を要求すべきわが国の領土であるとの結論に至った。

 解釈変更を問題視する見解に対しては、この答弁で十分反駁できるのではないかと私は考える。
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