4月21日付けの『朝日新聞』の「声」欄(投書欄)に、「すたれないで 美しい日本語」と題する京都市在住の60歳の主婦の投書が載っている。
書店で店員に「おつかい物にしたいので、図書カードを二つお願いします」と言ったところ、意味がわからないと言われたので、「人さまに差し上げたいのですが」と言ったところ、「それならプレゼントですね」と言われ、「ええ、そうそう、プレゼント、ギフトです」と、ようやく意味が通じたとのこと。
《この女性はどんな環境で育ったのだろうか―と思ったが、「いや、いや、この国の閣僚の方々もやたらと横文字をお使いだ」と思い直した。》
私も、「おつかい物」という言葉は知らなかった。
Googleで、「おつかい物」で検索してみると、1310件がヒットした。
「おつかいもの」で検索してみると、38200件。
「お遣い物」では、30900件。
「お使い物」では、109000件。
結構広く使われている言葉らしい。
しかし、私はン十年生きてきたが、聞いたことがない。
私は、「どんな環境で育ったのだろうか」と思わせるほど異常な環境で育った覚えはないのだが。
妻に聞くと、「お持たせ物」のことをそう言うのではないかと思うが、あまり聞かない言葉だという。
しかし、調べてみると、「お持たせ物」は持参する手土産のことを言うそうだから、ちょっとニュアンスが違うような気もする。
あるサイトによると、「東京ではよく耳にする言葉」だそうだが、この情報もこのサイトでしか見つからなかったので、地域的にどうなのかよくわからない。
『東京おつかいもの手帖』という本が2005年、『京阪神おつかいもの手帖』という本が2007年に出ている。Amazonで「おつかいもの」で検索すると、2004年に出た本が最新だ(「お遣い物」「お使い物」「おつかい物」ではヒットしない)。もしかすると、比較的最近になって、はやりだした言葉なのかもしれない。
ところで、投稿者の文はこう続く。
《そういえば、最近は「全然大丈夫です」とか「すごいうれしいです」など、全然文法になっておらず、すごく気になる言葉が、電波を通じて流されている。》
「全然」は、下に打ち消しの言葉を伴って「全然・・・ない」のように用いるのが正しい用法だと思っておられるようだ。
たしかに、近年はそういう用法をよく見るが、元々は必ずしもそのように用いられていたわけではない。
『大辞林』が提供している「goo辞書」によると、「ぜんぜん 【全然】」の項にはこうある。
《一(副)
(1)(打ち消し、または「だめ」のような否定的な語を下に伴って)一つ残らず。あらゆる点で。まるきり。全く。
「雪は―残っていない」「金は―ない」「―だめだ」
(2)あますところなく。ことごとく。全く。
「一体生徒が―悪るいです/坊っちゃん(漱石)」「母は―同意して/何処へ(白鳥)」
(3)〔話し言葉での俗な言い方〕非常に。とても。
「―いい」
二(ト/タル)[文]形動タリ
すべてにわたってそうであるさま。
「実に―たる改革を宣告せり/求安録(鑑三)」》
大辞林は副詞としての意味を(1)~(3)に分けているが、これらは結局「全く」の意味で同じものだろう。敢えて分ける必要があるのだろうか。
「全然大丈夫です」は文法的に「全然大丈夫」だ。
「全然」が否定的な語を伴うものとして認知されていることへの違和感は、高島俊男が「お言葉ですが・・・」で取り上げていたように思う。私も昔の小説で、肯定的な用例をいくつか見た覚えがある。
「おつかい物」を知らないだけで「どんな環境で育ったのだろうか」と疑いつつ、「全然」の用法は自らの感覚を信じて疑わない、そんな人間が、美しい日本語がすたれると嘆いている。そしてそれを掲載する朝日。朝日が掲載したことにより、「全然」を肯定的ニュアンスで用いるのは誤用であるとの認識がさらに広まることだろう。
どちらが、日本語の破壊者だろうか。
書店で店員に「おつかい物にしたいので、図書カードを二つお願いします」と言ったところ、意味がわからないと言われたので、「人さまに差し上げたいのですが」と言ったところ、「それならプレゼントですね」と言われ、「ええ、そうそう、プレゼント、ギフトです」と、ようやく意味が通じたとのこと。
《この女性はどんな環境で育ったのだろうか―と思ったが、「いや、いや、この国の閣僚の方々もやたらと横文字をお使いだ」と思い直した。》
私も、「おつかい物」という言葉は知らなかった。
Googleで、「おつかい物」で検索してみると、1310件がヒットした。
「おつかいもの」で検索してみると、38200件。
「お遣い物」では、30900件。
「お使い物」では、109000件。
結構広く使われている言葉らしい。
しかし、私はン十年生きてきたが、聞いたことがない。
私は、「どんな環境で育ったのだろうか」と思わせるほど異常な環境で育った覚えはないのだが。
妻に聞くと、「お持たせ物」のことをそう言うのではないかと思うが、あまり聞かない言葉だという。
しかし、調べてみると、「お持たせ物」は持参する手土産のことを言うそうだから、ちょっとニュアンスが違うような気もする。
あるサイトによると、「東京ではよく耳にする言葉」だそうだが、この情報もこのサイトでしか見つからなかったので、地域的にどうなのかよくわからない。
『東京おつかいもの手帖』という本が2005年、『京阪神おつかいもの手帖』という本が2007年に出ている。Amazonで「おつかいもの」で検索すると、2004年に出た本が最新だ(「お遣い物」「お使い物」「おつかい物」ではヒットしない)。もしかすると、比較的最近になって、はやりだした言葉なのかもしれない。
ところで、投稿者の文はこう続く。
《そういえば、最近は「全然大丈夫です」とか「すごいうれしいです」など、全然文法になっておらず、すごく気になる言葉が、電波を通じて流されている。》
「全然」は、下に打ち消しの言葉を伴って「全然・・・ない」のように用いるのが正しい用法だと思っておられるようだ。
たしかに、近年はそういう用法をよく見るが、元々は必ずしもそのように用いられていたわけではない。
『大辞林』が提供している「goo辞書」によると、「ぜんぜん 【全然】」の項にはこうある。
《一(副)
(1)(打ち消し、または「だめ」のような否定的な語を下に伴って)一つ残らず。あらゆる点で。まるきり。全く。
「雪は―残っていない」「金は―ない」「―だめだ」
(2)あますところなく。ことごとく。全く。
「一体生徒が―悪るいです/坊っちゃん(漱石)」「母は―同意して/何処へ(白鳥)」
(3)〔話し言葉での俗な言い方〕非常に。とても。
「―いい」
二(ト/タル)[文]形動タリ
すべてにわたってそうであるさま。
「実に―たる改革を宣告せり/求安録(鑑三)」》
大辞林は副詞としての意味を(1)~(3)に分けているが、これらは結局「全く」の意味で同じものだろう。敢えて分ける必要があるのだろうか。
「全然大丈夫です」は文法的に「全然大丈夫」だ。
「全然」が否定的な語を伴うものとして認知されていることへの違和感は、高島俊男が「お言葉ですが・・・」で取り上げていたように思う。私も昔の小説で、肯定的な用例をいくつか見た覚えがある。
「おつかい物」を知らないだけで「どんな環境で育ったのだろうか」と疑いつつ、「全然」の用法は自らの感覚を信じて疑わない、そんな人間が、美しい日本語がすたれると嘆いている。そしてそれを掲載する朝日。朝日が掲載したことにより、「全然」を肯定的ニュアンスで用いるのは誤用であるとの認識がさらに広まることだろう。
どちらが、日本語の破壊者だろうか。
「おつかいもの」なんていう日本語は、その新聞投稿で初めて知りました。
この御仁、「おつかいもの」が通じず、プレゼントが通じたとして、日本語の乱れを憂いているのですが、その前に、「贈答用」とか「贈り物」と言えばよいのであって、そういう基本単語を知らない婆さんが知ったかぶりのご高説を垂れるご時世を憂います。
「全然」を肯定文で用いる際の夏目漱石の引用も有名ですしね。そんなことも知らないのかと。
それから「すごいうれしいです」は最近の言葉などではなく、関西では普通に使いますよ。むしろ「すごくうれしい」などと聞くと、ひっかかりを感じます。
「えらいしんどい」というのも同じ用法ですが、関西会話では頻出します(「うれしい」も「しんどい」も形容動詞です)。
京都在住と言っても、年をとってから関西に引っ越して来たなんちゃって関西人なのかな。
30代半ばの元接客業ですが、プレゼント、ギフトを扱うことが多々ありましたので、言葉は知っています。個人の感覚であり、客観的なデータがあるわけではありませんが、東京の裕福な初老以上の女性から聞くことが多かったような気がします。
件の京都市在住の60歳の主婦の方にとっては、「おつかい物」はそれまでの人生で通じなかったことがないくらいの常識的な言葉だったのだろうと推測しますが、それが通じなかったからといって「異常な環境」は言い過ぎですね。
自分が普通だと思いこんでいること(言葉遣いに限らず)を相手が理解できなくて衝撃を受けることは誰にもあることだと思いますが、その時にどう思うか、どのような対応ができるのかには、人としての器量が現れるのでしょうね。
#自分の知識にないこと、常識外のことに遭遇した時にどうするかも同様。
その点、この方はちょっと残念な人といったところでしょうか。
それと、もし私が件の書店員の上司だとすれば、「図書カード」を注文され、「おつかい物」という謎の言葉を聞いた時点で、プレゼントではなかろうかと推理するくらいの血の巡りが欲しいところですね。まあ、わからなくても仕方がない言葉なので、怒りはしませんけど。
また、自分の無知を棚に上げて「贈答用」「贈り物」という言葉を使わなかった=知らないと決めつける静流氏を憂います。見下しはしませんがね。
>また、自分の無知を棚に上げて「贈答用」「贈り物」という言葉を使わなかった=知らないと決めつける静流氏を憂います。見下しはしませんがね。
わたしは「贈答用」「贈り物」という言葉を使わなかったからその御仁がそれらの言葉を知らなかったと述べているのではありませんよ。
それと「自分の無知」というのが「おつかいもの」という言葉を聴いたことが無いということを指すなら、私は「だからおつかいものという言葉を使うな」と言っているのではないですよ。
ほかにももっと一般的な用語があるにもかかわらず、あえて「おつかいもの」という言葉を使い、それが通じないからと、一般的な表現をしなかった自分を棚に上げて日本語の乱れを憂いている老婆を嘆いているのです。
何を言ってるんだ。自分の書いた文章を見てみろ。
>その前に、「贈答用」とか「贈り物」と言えばよいのであって、そういう基本単語を知らない婆さんが知ったかぶりのご高説を垂れるご時世を憂います。
と書いてるじゃないか。「贈答用」とか「贈り物」という基本単語を知らない婆さんだと決めつけてるじゃないか。
> 「贈答用」「贈り物」という言葉を使わなかったからその御仁がそれらの言葉を知らなかったと述べている
ように読めましたが、私の読解力に問題があるのでしょうかね。
#それとも、「基本単語」は「贈答用」「贈り物」ではなく、「「全然」を肯定文で用いる際の夏目漱石の引用」や「「すごいうれしいです」の関西での一般的な使用」を指すのですかね。だとしたら文章構成に問題ありと判断しますね。
> ほかにももっと一般的な用語があるにもかかわらず、あえて「おつかいもの」という言葉を使い、それが通じないからと、一般的な表現をしなかった自分を棚に上げて日本語の乱れを憂いている老婆を嘆いているのです。
はじめに「おつかい物」という言葉遣いをしたことは、それが一般的な表現(「贈答用」「贈り物」等と同じ程度に)だと思っている方なら仕方ないのではないでしょうか。それすらも許容できないというのでしたら、「おつかいものという言葉を使うな」と言っているに等しいですね。
件のご婦人は、「人さまに差し上げたいのですが」とこれ以上ないくらいの一般的な表現で言い換えて、意思の疎通を図っておられるわけです。その点において、
> 一般的な表現をしなかった自分を棚に上げて日本語の乱れを憂いている老婆を嘆いているのです。
は言い過ぎではないでしょうか?「「全然」を肯定文で用いる際の夏目漱石の引用も知らない自分を棚に上げて日本語の乱れを憂いている老婆を嘆く」のでしたら、まだわからなくもありません。(賛同はしませんが)
>静流さん
ちょっと筆がすべりましたかね。
>あえて「おつかいもの」という言葉を使い、それが通じないからと、一般的な表現をしなかった自分を棚に上げて日本語の乱れを憂いている老婆を嘆いている
という点では私も同じです。まあ私は、60歳を老婆と呼ぶことには抵抗を覚えますが。
あと、細かいことですが、「うれしい」も「しんどい」も形容動詞ではなく、形容詞だと思います。
>ysdさん
>東京の裕福な初老以上の女性から聞くことが多かったような気がします。
そうですか。やはり東京で主に使われているのでしょうか。
私が昔から愛用している小さな国語辞典(初版が1969年)にも出ているので、かなり昔から使われている言葉なのは確かなようです。
>その時にどう思うか、どのような対応ができるのかには、人としての器量が現れるのでしょうね。
耳に痛いです(苦笑)。本当にそうですね。
>「うれしい」も「しんどい」も形容動詞ではなく、形容詞
あうっ、そうです。おっしゃるとおりです。すみません。
*******************************
ysdさん
確かに仰るとおりですね。今見直したら書いてましたよ、自分で。
びっくりしました。ysdさんの私に対する指摘が正しくて、
私が間違っていました。ご迷惑おかけしましたね。
以下のように訂正します。
「おつかいもの」という言葉が通用せず、カタカナ言葉が通じるという経験をもってして言葉の乱れを憂いている昔のお嬢さん。しかしちょっと待ってほしい。「おつかいもの」を表す「贈り物」という立派な日本語もある。まさか彼女も「贈り物」もやはり通じなかったはずとは思うまい。「全然」を肯定文に使うことを知らないところから見ても、若者の日本語の乱れを云々するのは僭越ではないだろうか。京都在住らしいが、関西ではごく普通に使用する「すごいうれしいです」が不自然に聞こえるところからして、「娘さん」と呼ばれるには老い過ぎた年になってから関西に越して来たのかもしれない。以前の土地では「おつかいもの」が一般的だったのだろうが、老い先短いその命を大切に、地元の言葉に馴染んでいただければ、すごいうれしい。
東京では当たり前に使います。ただし主に女性が使う言葉です。
お使い物が通じなかったのを憂うのは、上品な日本語が失われていくことを心配したのでしょう。
>「おつかいもの」という言葉を使い、それが通じないからと、一般的な表現をしなかった自分を棚に上げて日本語の乱れを憂いている老婆を嘆いている
そこまで言うと、自分の無知をさらけ出すよいうか、知らなかったことの方が当たり前という言い訳にしか聞こえません。
この女性にとっては、お使い物が当たり前の日本語言葉であり、
>「おつかいもの」を表す「贈り物」という立派な日本語もある。
とは言えないでしょう。
>お使い物 普通に使う言葉です。
東京では当たり前に使います。ただし主に女性が使う言葉です。
そうなんですか。私は日暮里近くと世田谷に都合12年ぐらい住んで、三田に通っていましたが、一度も聞いたことがありませんでした。orzもちろん贈り物、御贈答品、プレゼント、ギフトは数限りなく聞きましたが。やはり自分の経験だけではわからないものですね。
贈り物だと、単なる贈り物。お使い物だと、贈る相手のことを考え、贈る物を厳選した、そんなニュアンスが含まれます。
ですから、女性が「おつかいもの」と表現し、それが伝わらないときにがっかりしたんだと思います。
「おつかい物」という言葉に対するこの投稿者の感覚を否定するつもりはありませんが、「どんな環境で育ったのだろうか」とまで述べるのは言いすぎだと思いますし、それが転じて閣僚への批判や日本語への憂慮に至るというのも、やはりどうかと思います。
このおつかいものという表現は東京の山の手言葉だと、山の手育ちの知人に聞きました。
贈答品というように感じを並べた漢語風の言葉でなく、プレゼントとかギフトといった外国語でなく、おつかいもの、という女ことばを使うことで、良家の子女風のニュアンスを表現するのだということです。
件の女性が店員さんに感じた不満というのは、日本中どこでも通用するいわゆる一般教養が不足しているということでなく、東京の良家の子女風のマナーが通用しないこと、古き良き階級秩序が失われつつあることを嘆いているのだと思います。
ここの書き込みを見ていると良家の子女の方が使われる言葉のようですが、「おつかいもの」を使ったお客様は40~50代の男性なので個人的に少し複雑な気分です。
しかし、今回知らないで恥をかいたので、これからは「おつかいもの」という言葉を忘れないと思います。
「お遣い物」は関東・関西とか下町・山の手といった地域性による方言ではなく、社会階層に基づいた方言ではないか。ある階層の子女教育では「ごきげんよう」という挨拶を義務付けていますが、その階層の仲間内を確認するために用いられる言葉ではないでしょうか。
納得いたしました。
みなさんのコメント、勉強になりました。
下町生まれさんの仮説、ニュアンス的に納得いきますね。
ったく、自分のアホさ加減を、
意味のナイ文章で、
つくろってみても、
みっともなさが倍増するだけだよ(笑
普通に使うと思います。
祖父はいつも目黒の蜂の家のもなかを
おつかいものにしてました。
上野や銀座のデパ地下なら
当たり前に使われていると思う。。。
例えば、いらっしゃい!いらっしゃいしてるような街の魚屋でマグロ買って、自分でたべるんじゃなくて人にあげたいから、ビニール袋にぽいじゃなくて、それなりに包んで欲しいときに、魚をプレゼント用にしたいのでとか贈答用とか贈り物にしたいので包装してくださいって言うんですか?w一言「おつかいものにしたいんですけど」で一発で通じますよ。昔ながらの魚屋でもコンビニでもどこでも使いますよ。上品でもなんでもないですよ。東京では山の手言葉とかお上品なイメージなんですかね?その地域でしか通じないローカルルールみたいな言葉ってどこでもあるじゃないですか。そんなに悩むことですかね。住んでる地域から出たことないんですか?w
>住んでる地域から出たことないんですか?w
それは、この自分の感覚を一般的なものだと信じて疑わない、「声」に投稿した京都市在住の60歳の主婦に言うべき言葉ではないでしょうか。
「おつかいもの」という言葉ですが、小生個人は日常的に使いますし、意味が通じなかったという経験もありません。もちろん、他人様がお使いにならないからと言って、そのことをとやかく言うつもりもありませんが、データのサンプルとして、書き込んでみました。
なお、最近使われなくなった良家の子女風の言葉といえば、尾籠な単語で申し訳ないのですが、「ご不浄」でしょうかねぇ。僕が高校生の頃には、拙宅に遊びに来た友人(男子)も「ご不浄をお借りします」と普通に言っていたのですが、久しく聞きません。
コメントのやり取りを見ていて、ふと、思い出しました。
乱文失礼。
45歳で、目黒生まれ・育ちですがよく使う言葉です。
接客業が長かったので耳慣れた言葉でもあったのかと思います。
お持たせ、なども品もあり思いやりのある言葉で素敵だと思います。
友人の家や目上の方のお家に出向く機会が増えれば自然に使うことが増えると思います。
自分が普段使わない言葉でも、美しいなと思うものに触れたらマネして使えばいいのではないですか?
投稿者のご婦人の気持ちも少しわかります。
でもめげずに使ってほしいです。
古い記事ですがコメントさせていただきました。
失礼ですが、郵便学者の内藤先生でいらっしゃいますか?
著作はいくつか拝見しております。
何の気なしに書いた記事なのに、検索で上位になってしまって、正直困っています。
やはり、東京方面で多く用いられているのでしょうか。
>自分が普段使わない言葉でも、美しいなと思うものに触れたらマネして使えばいいのではないですか?
そうですね。
私としては未だに聞き慣れない、言い慣れない言葉ですので、用いるつもりはありませんが、用いている人を否定するつもりはありませんし、新たに用いたい人は用いればよろしいでしょう。
私のこの記事の趣旨は、店員が「おつかいもの」というただ一語を知らなかっただけで、「どんな環境で育ったのだろうか」と疑問に思い、自らの「全然」の用法の誤認にも気付かず、日本語の用法への憂慮をわざわざ投稿するこの女性と、それを掲載する朝日新聞への違和感です。
秋田生まれの秋田育ち、現在38歳。大学卒業後に入社した会社で先輩から「おつかいものを買ってきて」と頼まれたのが、この言葉との出会いです。綺麗な日本語だと感じましたので今も使っています。
私のイメージですが、確かにちょっと上品で改まった言い方のような気がします。階級やら地域柄やら諸説あるのかもしれませんが、皆さんのイメージが田舎であろう秋田でも使われています(笑)
ちなみに僕も、秋田生まれの秋田育ちですw
私も会社でもお店でも通じなかった事はありません。
中野生まれ、37歳女です。
関西出身の27歳の者です。普段、おつかい物という言葉は"進物"という意味でよく使います。
両親も、周りの人もそのように使っていると思います。
記事になっていることが事実なら、少しずつ使われなってきた言葉の一つなのかもしれませんね。
今日、私たちが使っている様々な言葉は昔はそのような意味でなかったのに自然と変化した言葉や、新しくできた言葉ですから、消えていく言葉も当然たくさんあると思います。昔の言葉、美しい日本語を学ぶことももちろん大切だと思いますが、自然と変化した言葉や、私たちが変だなと違和感を覚えるような新しい言葉も受け入れていかなければいけないのかなと感じました。
私の住む富山では、そうですねぇ、他人からはあまり聞いたことがないような気がしますが、私の母は普通に使っていました。
だから私も普通に使います。
で、ちゃんと通じてました。
綺麗な言葉なので、なくしたくないですね。
田舎で育った根っからの粗忽者ですが、「おつかいもの」は普通に使います。
高校に入った頃には、もう普通に使っていた気がします。
ただ、どこで知ったのかまでは覚えていません。
当時好きだった時代劇や時代小説で覚えていたのか、あるいは行きつけだった和菓子屋で知ったのか。
もしくは祖父母が使っているのを聞いて覚えていたのかもしれません。
いずれにせよ、私も「おつかいもの」はなくならないで欲しいと思いますし、店員として、もしお客様からそう思われたらと思うと、知らなくてもしょーがないじゃん、と反発する一方で、自分の不勉強にも恥じ入るのではないかと思います。
むしろあっさりと受け流されて、その実内心失望されている方が、本人のためにもならず、嘆かわしい事態といえるのではないでしょうか。
かくいう私も、短くない店員勤務の間に、きっと同じように思われていたと思います。
今更ではありますが、その反省の機会をこの記事で得ることができて、良かったと思います。
深沢さま、この記事を取り上げていただいてありがとうございます。
深沢さんは、この記事の趣旨は、使うか否か、よりも件の女性と朝日新聞への違和感である、とレスの中でも強調されていらっしゃいます。ただ、内藤陽介さんが“データのサンプルとして”書き込んでおられましたので、私も真似をして“使う派”の一人として是非一票を投じておこうと思います。
私は、この言葉の意味を今まで誰からも教わったことはありませんし、辞書で調べたこともありませんが、ごく普通に幼いころから当たり前のように使っております。
日本語を習い始めたばかりの外国人ならいざ知らず、この国で生まれ育った人なら、「お+つかい+もの」というこの言葉の元々の意味と、使われている前後の文章、及びそのときの場面や状況から、仮に初めて目にし耳にしたとしても、すんなり解釈できるのではないかと思うのです。意味を問い、説明されて、さらに「それならプレゼントですね」と切り返す店員は、客に対して失礼だし、もしその人が日本育ちの人なら、私には理解ができません。
私にとって「おつかいもの」は日常ごく普通に用いる言葉なので、「贈答用」「贈り物」の方が一般的という感覚がまず理解できません。
年齢にもよりますが、普段から贈り物をする、される人付き合いをしていれば自然と身に付く、一般教養の範疇の言葉だと思います。
まして、接客業に就いていて知らないというのは、少々恥ずかしいレベルかと。
また、他の方も仰っていますが、会話の内容から意味は充分推察できた、とも思います。
最北の大地の、ごく一般的な家庭で育った33歳の男性にまで、しっかりと浸透している言葉だというデータを、一つ参考までに。
おかげで、これまで何の気なしに使用していた言葉のルーツに興味が湧きました。
感謝します。
私は、初めて目にした時、すんなり解釈できませんでした。件の店員さんも、耳にした時、同様だったのだと思います。
すんなり解釈できるものなら、こんな記事は書いていません。
もっとも、「そのときの場面や状況から」、そうした意味なのだろうなとは推察できます。が、それはあくまで推察ですから、相手に確認する必要はあるでしょう。
私が店員でも、聞き返したと思います。
「お+つかい+もの」が何故進物、贈答品といった意味になるのか、私は未だに釈然としません。
説明できるという方は、よろしくお願いします。
東京生まれ東京育ち。父母は地方の生まれ育ちですが、
ちゃんと通じます。
お持たせは頂いたお土産を丁寧に言う言葉で、
持って行く側の人間が言う言葉ではありません。
最近は自分で持って行く物をお持たせと言い、品物の特集をするアホな雑誌があるのを憂いています。
例えばお客様がケーキをお土産に持って来て下さって、それを一緒に頂きましょうという場で、「お持たせですが」とお皿に乗せて供するのです。
私自身、子どもの頃に親が言っているのは聞いたことはないけど、大人になってから何度か聞きました。
裕福そうな女性が使うというお話しもありましたが、上品な言葉、経済的、社会的な地位がある人が使う言葉という認識で、自分もその端くれに入れて欲しいと背伸びをする時に使う言葉かな、と。
もちろん、その言葉をごく自然に使われている上流階級の方もいらっしゃいますし、それに対して何らいうことはないのですが、それを知らないのは、どんな環境で育った=お里が知れる、と見下したような形になってしまったのは残念。
投書された方は、そういう意図はなかったのかもしれませんが、私にしたら嫌味に聞こえました。