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日ソ共同宣言の「履行を拒否した」のはソ連である

2018-09-25 06:32:59 | 領土問題
承前

 古谷経衡氏の記事「日露平和条約締結は日本の決断次第~そろそろ2島返還で決着の時だ~」には、もう一点大きな疑問がある。
 それは、本年9月12日、東方経済フォーラムに出席したプーチン大統領が、1956年の日ソ共同宣言について「「日本が履行を拒否した」と述べ、その結果、戦後70年にわたって交渉が続いていると主張」したと報じられたことについて、

「日本人の多くはこのプーチン発言を「一方的なロシアの言い分ではないか?」と捉えるかもしれないが、いや実際には一理も二理も、プーチン発言は正しい側面がある。〔太字は引用者による。以下同じ〕


と評したことである。

 古谷氏は、これに
「いったいどういうことだろうか? 」
と続けて、その理由を縷々述べるのだが、これが私には理解できない。

 古谷氏が述べるその理由とは、前回も挙げたが、
・1951年、サンフランシスコ条約で日本は千島列島を放棄した。この千島列島には国後、択捉が含まれると当時の日本政府は答弁していた。
・1955~56年の日ソ交渉の途中で、「「ダレス恫喝」が強く影響」して、政府は国後・択捉を含む「四島一括の帰属の確認」の強硬路線に転換した。そのため政府は、「千島列島」には国後、択捉が含まれないと主張を変えた。
・しかし、歴史的に見て、千島列島に国後、択捉が含まれるとされてきたことは明らかであり、政府の主張は「無理筋」である。

というものである。

 そして古谷氏は、

冒頭紹介したプーチン発言の”平和条約締結後に北方領土の色丹島と歯舞群島の引き渡しをうたった1956年の日ソ共同宣言に言及した上で、「日本が履行を拒否した」と述べ、その結果、戦後70年にわたって交渉が続いていると主張”という部分は、こういった意味で、ある意味正解ともいえるのである。

 なぜなら日本政府は少なくとも「ダレス恫喝」の前までは、国後・択捉の放棄を渋々ながら承認し、2島返還で決着(重光)という方向に動いていたからだ。その方針を1956年2月以降、強硬路線に転換したのは日本自身だったからである。


と述べている。

 しかし、日ソ共同宣言は、「ダレス恫喝」の後の1956年10月に署名されたものである。当然、わが国がサンフランシスコ平和条約で放棄した千島列島には国後、択捉は含まれないと解釈を変更した後のことである。

 日ソ共同宣言の発効後、わが国が何らかの解釈変更により、共同宣言の内容を反故にするようなことがあったと言うなら、古谷氏の言い分もわかる。
 だが、日ソ共同宣言は、千島列島について何も触れていない。故に、プーチン大統領の「日本が履行を拒否した」発言は、「ダレス警告」や、わが国の千島列島の解釈変更とは何の関係もない。

 前にも書いたが、古谷氏は、自分が何を書いているのか理解していないのではないか。
 あるいは、論理的整合性がとれないことを承知で適当に書き飛ばしている人物なのか、どちらかだろう。

 このプーチン大統領の「日本が履行を拒否した」発言を聞いて、日ソ領土交渉の経緯をある程度知る者の中には、「いや拒否したのはソ連だろ」と思った者もいたのではないだろうか。
 私はそう思った。

 日ソ共同宣言には次のようにある。

9 日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。
ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。
ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。


 確かに、「歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡す」との文言がある。
 しかし、それは「平和条約が締結された後に現実に引き渡される」ものとされている。
 わが国が、いつ、「平和条約の締結に関する交渉を継続すること」を拒否したと、プーチン大統領および古谷氏は言うのだろうか。

 「平和条約の締結」とは、戦争に起因する領土問題の最終的解決を意味する。
 日ソ共同宣言には、歯舞群島及び色丹島以外の領土に関する文言はない。しかしそれは、わが国がその他の領土をソ連が領有することを承認したことを意味しない。
 継続する「平和条約の締結に関する交渉」には領土問題についての交渉も含まれるというのがわが国の立場である。

 1956年8月に重光外相らによる第1次モスクワ交渉が失敗に終わり、鳩山一郎首相は、いわゆるアデナウアー方式、つまり合意が困難な問題(ここでは領土問題)を棚上げしてとりあえず国交正常化を先行する方式による解決を、そしてそのために自らモスクワに赴くことを決意した。
 鳩山はソ連のブルガーニン首相に、領土問題の継続交渉を前提として、抑留者の即時送還、漁業条約の発効、日本の国連加盟支持などの5原則にあらかじめソ連の同意があれば、国交正常化交渉に入る用意があるとの書簡を発した。
 ブルガーニンからの返簡には、5原則への同意は記されていたものの、肝心の領土問題の継続交渉については触れられていなかった。
 このため、松本俊一が9月25日モスクワを訪問し、グロムイコ第一外務次官と会談し、次のような書簡のやりとりを行った(いわゆる「松本・グロムイコ書簡」)。

 書簡をもつて啓上いたします。

 本全権は、千九百五十六年九月十一日付鳩山総理大臣の書簡とこれに対する同年九月十三日付ブルガーニン議長の返簡に言及し、次のとおり申し述べる光栄を有します。

 前記鳩山総理大臣の書簡に明らかにせられたとおり、日本国政府は、現在は、平和条約を締結することなく、日ソ関係の正常化に関し、モスクワにて交渉に入る用意がある次第でありますが、この交渉の結果外交関係が再開せられた後といえども、日本国政府は、日ソ両国の関係が、領土問題をも含む正式の平和条約の基礎の下に、より確固たるものに発展することがきわめて望ましいものであると考える次第であります。

 これに関連して、日本国政府は、領土問題を含む平和条約締結に関する交渉は両国間の正常な外交関係の再開後に継続せられるものと了解するものであります。

 鳩山総理大臣の書簡により交渉に入るに当り、この点についてソ連邦政府においても同様の意図を有せられることをあらかじめ確認しうれば幸甚に存ずる次第であります。

 本全権は、以上を申し進めるに際し、ここに閣下に向つて敬意を表します。

千九百五十六年九月二十九日

日本国政府全権委員 松本俊一

ソヴィエト社会主義共和国連邦第一外務次官 ア・ア・グロムイコ閣下

(仮訳)

 書簡をもつて啓上いたします。

 本次官は、千九百五十六年九月二十九日付の閣下の次のとおりの書簡を受領したことを確認する光栄を有します。

〔松本書簡の引用略〕

 これに関連して本次官は、ソヴィエト社会主義共和国連邦政府の委任により、次のとおり申し述べる光栄を有します。すなわち、ソヴィエト政府は、前記の日本国政府の見解を了承し、両国間の正常な外交関係が再開された後、領土問題をも含む平和条約締結に関する交渉を継続することに同意することを言明します。

 本次官は、以上を申し進めるに際し、閣下に向つて敬意を表します。

千九百五十六年九月二十九日

モスクワにおいて

ソヴィエト社会主義共和国連邦第一外務次官

ア・グロムイコ

日本国政府全権委員

松本俊一閣下


 このように、国交正常化後も領土問題を継続して交渉することについてソ連政府の同意を取り付けたから、鳩山首相の訪ソが実現したのである。

 鳩山が赴いての第2次モスクワ交渉で、日本側は当然、日ソ共同宣言にも「領土問題を含む平和条約締結に関する交渉」といった文言を含めるつもりだった。ソ連が一時呈示した案にはそれが含まれていたが、最終的にソ連は「領土問題を含む」の語句を削ることを要求した。河野一郎農相は抵抗したがソ連の拒否は変わらず、日本側はやむを得ず、歯舞、色丹の引き渡しは平和条約締結の時とする文言を盛り込むことと、先に挙げた松本・グロムイコ書簡を公表することで、共同宣言から「領土問題を含む」の語句を削ることに同意した。

 かくして、共同宣言には、「平和条約締結に関する交渉」から「領土問題を含む」は削られたが、これはもちろん平和条約締結に関する交渉に領土問題が含まれないことを意味するものではない。加えて松本・グロムイコ書簡があるのだから、ソ連政府は書簡のとおり「両国間の正常な外交関係が再開された後、領土問題をも含む平和条約締結に関する交渉を継続す」べきであるというのが、わが国政府の立場である。

 ところが、1960年1月に岸信介内閣が日米安全保障条約の改定を実現させると、当時外相になっていたグロムイコは、次のような覚書を日本政府に送付した(いわゆる「グロムイコ覚書」)。

この条約が事実上日本の独立を奪い取り,日本の降服の結果日本に駐屯している外国軍隊が日本領土に駐屯を続けることに関連して,歯舞,および色丹諸島を日本に譲り渡すというソ連政府の約束の実現を不可能とする新らしい情勢がつくり出されている。

 平和条約調印後日本に対し右諸島を譲渡することを承諾したのは,ソ連政府が日本の希望に応じ,ソ日交渉当時日本政府によつて表明せられた日本国の国民的利益と平和愛好の意図を考慮したがためである。

 しかしソ連邦は,日本政府によつて調印せられた新条約がソ連邦と中華人民共和国に向けられたものであることを考慮し,これらの諸島を日本に譲り渡すことによつて外国軍隊によつて使用せられる領土が拡大せられるがごときを促進することはできない。

 よつてソ連政府は日本領土から全外国軍隊の撤退およびソ日間平和条約の調印を条件としてのみ歯舞および色丹が一九五六年十月十九日付ソ日共同宣言によつて規定されたとおり,日本に引き渡されるだろうということを声明することを必要と考える。


 日米安保改定という「新らしい情勢」が生じたため、共同宣言に規定された歯舞、色丹の引き渡しは「日本領土から全外国軍隊の撤退」後とするとの新たな条件を付けたのである。

 しかし、旧日米安保条約は既に日ソ共同宣言当時には存在していたものであり、これは共同宣言の障害になってはいない。安保改定はわが国の片務性を解消することを意図したものであり、防衛目的であることに変わりはなく、ソ連や中国への脅威を高めるものではない。
 また、共同宣言第3条には

日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、それぞれ他方の国が国際連合憲章第51条に掲げる個別的又は集団的自衛の固有の権利を有することを確認する。


との文言があり、わが国が集団的自衛権に基づいて外国の軍隊を駐屯させることを禁止してはいない。

 にもかかわらず、ソ連は一方的に共同宣言の履行に新たな条件を付したのである。これが背信行為でなくて何だと言うのだろうか。
 さらに、その後ソ連は、日本との間に領土問題は存在しない、領土問題は解決済みと公言した。そのため領土問題は停滞し続けたのである。
 ゴルバチョフ政権の末期になって、ソ連はようやく領土問題の存在を認めるに至った。それはソ連崩壊後のロシアも継承したが、日ソ共同宣言の有効性を認めたのは、プーチン政権発足後のことである。
 日本が共同宣言の「履行を拒否した」だって? とんでもない。履行を拒否してきたのはソ連、そしてそれを継承したロシアである。

 何度も言うが、私は2島返還論それ自体を否定するつもりはない。
 だがそれは、「ダレス恫喝」でわが国が2島返還論から4島返還論に転じたなどという嘘に基づくものであってはならないし、わが国が日ソ共同宣言を拒否したなどという嘘に基づくものであってもならない。
 そして2島返還論者は、わが国が国後、択捉の要求を取り下げることにより、どのような見返りを得ることができるのかを直截に語るべきだ。
 古谷氏は、北極航路の可能性やシベリアの地下資源を挙げ、日露の平和条約締結(国境線画定)がなければロシアとの友好関係の基礎が築けないと説いている。
 しかし、国境線の画定がなければ経済活動は進められないものだろうか。
 わが国は、韓国との間に領土問題を抱えている。中国との間には、わが国としては領土問題は存在しないとしているが、中国側の見解は異なる。しかし、それらはわが国と中韓との経済活動を妨げてはいない。ロシアに対しても同様ではないだろうか。

 鳩山首相が領土よりも日ソ国交正常化を優先したのは、抑留者の問題、漁業問題、わが国の国連加盟という3つの大きな難問を解決するためだった。当時において、その判断は正しかったと私は考えている。
 だが、この3つの難問が解決したこんにち、何故国後、択捉の要求を取り下げなければならないのか。2島返還論者はその理由を十分な説得力をもって語るべきだろう。

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