だいぶ前に書きそびれていたこと。
今年3月7日、国連の女子差別撤廃委員会が発表した日本に対する最終見解には、慰安婦問題についての昨年12月の日韓合意を批判する内容が含まれていると報じられ、問題となった。
そしてその直後、最終見解の案には、天皇が男系男子に限られていることをも問題視する記述があったが、日本政府の抗議により最終見解からは削除されたと報じられた。
朝日新聞デジタルの記事より(以下、引用文中の太字は全て引用者による)。
紙面での扱いはそれほど大きくなかったと思う。
私は当時これを読んで、国連の委員会が問題視しようとしたのは女性天皇の是非であり、女系継承ではなかったのだと理解した。
その後、twitterで、この国連の委員会が女系継承を問題視しようとしたのはわが国の伝統の否定でありケシカランとの趣旨のツイートを見て、女系継承ではなく女性天皇ではないですか、歴史上女性天皇は実在しますがとリプライを送ったところ、委員会は女系継承をも問題視していると産経新聞の記事の呈示を受け、私は調査不足を謝罪した。
産経新聞の記事は次のとおり。
当時、この問題に触れたツイートを当時いくつか見たが、ふだん、まっとうな論説を展開していることの多い方が、概して反発を示しているのに私は驚いた。
確かに、国民がさまざまな女性差別で難儀しているのを批判するというなら、まだわかるが、国の君主の継承方法についてどうこう言われても、大きなお世話だという気がしないでもない。
しかし、女系継承を認めるかどうかはともかく、女性天皇の禁止については、差別か差別でないかと問われれば、差別といっていいのではないだろうか。
何故なら、言うまでもなく、わが国には8人10代の女性天皇がいた。伝統に照らして、女性天皇は何ら禁じられた存在ではなかった。
それを明治の藩閥政府が旧皇室典範を定める際に勝手に禁止したのである。
このことは以前にも少し書いたが、もう一度挙げておく。
鈴木正幸『皇室制度』(岩波新書、1993)はこう述べている。
井上毅が女帝否定の根拠として挙げている「皆一時の臨朝」とは、いわゆる中継ぎとして即位した例を指しているのだろうが、確かに中継ぎの例はあるものの。そうではない女帝もいる。また、「初めは摂政に起因せし者」とはどういう意味だろうか。神功皇后が摂政と呼ばれたことを指すのだろうか。しかし普通神功皇后は天皇には数えないし、最初の女帝である推古天皇には摂政の経験はない。推古天皇を聖徳太子が摂政として補佐したことを指すのだろうか。よくわからない。
第二の根拠、「婦女の選挙権を許さずして、却て最高政権を握ることを許すは理の矛盾」については、確かに明治時代はそうだったのだろうが、こんにち婦女の選挙権も被選挙権も認められて久しいのだから、何の根拠にもならない。
また、女帝の皇子は女帝の夫の姓を継ぐものであるから、皇統が他に移るという批判は、当時一般に男子がイエを継ぐものとされていたからだろう。
ところが、こんにちイエ制度はない。そして、夫婦は結婚に伴いどちらかの姓を名乗るとされている。ならば、女帝がその父の姓を継いだと考えれば、皇統が他に移るということにはならない。
(そもそも皇室に姓はないのだから、姓を云々すること自体がおかしいのだが)
したがって、ここで井上が挙げている理由はいずれも、明治時代の社会を前提とした話であって、こんにち通用する話ではない。
未だに男系男子に固執する人々は、きっと頭の中が百数十年前と同じなのか、自分が暮らしたこともないそうした社会を理想化しているのだろう。
鈴木氏は続いて、女帝、女系帝についての民間での議論もこう紹介している。
やはり、「日本は男尊女卑の国柄」といった主張があったことがわかる。
男系男子による継承は伝統によるもので、男尊女卑とは関係ないといった主張をする方がいるが、大嘘である。
私は、伝統はどうであれ、男系男子継承では側室制度を設けるなどしない限りいずれは行き詰まるのだから、女系継承を認めてもいいのではないかと思っているが、その点は置くとしても、前例のある女性天皇や女性宮家をも男系派が拒絶するのは理解できない。
さて、わが国はこの国連女子差別撤廃委員会の動きに対して、皇位継承制度の歴史的背景などを説明して「女子差別を目的とするものではない」と反論したというが、差別を目的としていなければ、差別ではないのだろうか。
かつての在日外国人に対する指紋押捺制度や、らい予防法は、別に差別を目的としたものではないだろう。指紋は本人識別のため、強制隔離は感染防止のために必要だと考えられたにすぎない。
しかし、どちらも、対象とされた側からは差別と受けとめられ、批判が高まり、廃止されるに至った。
差別を目的としていないからといって、それが後の世で差別にならないとは言えない。
女性天皇禁止が女子差別を目的としていないとしても、それが結果として女子の社会進出の障害になっているということはないのだろうか。
国のトップが男性に限られているということは、女性が各分野のトップに立つことに全く影響を及ぼしていないと言い切れるだろうか。
私は、心理的な影響は決して低くはないように思う。
今年1月に台湾で蔡英文総統が誕生したとき、私は、ああわが国は後れをとってしまったと思った。
これまでにも、アジアで女性が国のトップに就くことはあった。スリランカのバンダラナイケ首相をはじめ、フィリピンのコラソン・アキノ大統領、パキスタンのベナジル・ブット首相、インドネシアのメガワティ大統領、韓国の朴槿恵大統領等々。
しかし、彼女らは男性政治家の妻や娘といった親族関係にあったことがきっかけで、政治家になったのだ。
だが、蔡英文氏は違う。
女性であれば誰でもいいわけではもちろんない。
しかし、アジアでは民主制の先進国であったわが国に、未だに女性のリーダー一人誕生していないというのは、後進性の現れと見られはしないか。
そうした、女性のリーダーを輩出しがたい社会の有りように、女性天皇の禁止が影響しているとは考えられないか。
「男尊女卑の国柄」などという言葉が公然と語られた時代に、典範の制定者たちが女性差別を「目的」としていたはずはない。
それは、その社会において当然のことだったからだ。
だが、こんにち、男尊女卑が社会的に許されないのもまた当然のことだ。
皇室典範の改正は、そうした観点からも論議されるべきだろう。
明治時代に許されていた「驚くほど自由な議論」がこんにち許されないはずはない。
今年3月7日、国連の女子差別撤廃委員会が発表した日本に対する最終見解には、慰安婦問題についての昨年12月の日韓合意を批判する内容が含まれていると報じられ、問題となった。
そしてその直後、最終見解の案には、天皇が男系男子に限られていることをも問題視する記述があったが、日本政府の抗議により最終見解からは削除されたと報じられた。
朝日新聞デジタルの記事より(以下、引用文中の太字は全て引用者による)。
国連委見解当初案、皇室典範見直し要求 皇位継承めぐり
2016年3月9日11時36分
国連女子差別撤廃委員会が7日発表した日本に対する最終見解の案に、皇位を継げるのは男系男子のみとして女性天皇を認めない皇室典範を問題視し、見直しを求める内容の記述があったことが、外務省関係者への取材で分かった。日本政府が抗議し、実際の最終見解では該当部分は削除された。
見解案は先週末、委員会が日本政府に提示した。2月に行われた日本に対する審査会合では、皇室典範が議題にならなかったことから、日本政府はジュネーブ代表部を通じて「審査で議論されていない内容を最終見解に盛り込むのは、手続き上問題がある」などと抗議。委員会は最終的に皇室典範に関する記述の削除に応じたという。
菅義偉官房長官は9日の記者会見で「我が国の皇室制度も歴史や伝統が背景にあり、国民の支持を得て今日に至っている。皇位継承のあり方は女子に対する差別を目的としておらず、委員会側が皇室典範について取り上げることは全く適当ではない」と語った。
紙面での扱いはそれほど大きくなかったと思う。
私は当時これを読んで、国連の委員会が問題視しようとしたのは女性天皇の是非であり、女系継承ではなかったのだと理解した。
その後、twitterで、この国連の委員会が女系継承を問題視しようとしたのはわが国の伝統の否定でありケシカランとの趣旨のツイートを見て、女系継承ではなく女性天皇ではないですか、歴史上女性天皇は実在しますがとリプライを送ったところ、委員会は女系継承をも問題視していると産経新聞の記事の呈示を受け、私は調査不足を謝罪した。
産経新聞の記事は次のとおり。
【国連女子差別撤廃委】
男系継承を「女性差別」と批判し、最終見解案に皇室典範改正を勧告 日本の抗議で削除したが…
国連女子差別撤廃委員会が日本に関してまとめた最終見解案に皇位継承権が男系男子の皇族だけにあるのは女性への差別だとして、皇室典範の改正を求める勧告を盛り込んでいたことが8日、分かった。日本側は駐ジュネーブ代表部を通じて強く抗議し、削除を要請。7日に発表された最終見解からは皇室典範に関する記述は消えていた。
日本側に提示された最終見解案は「委員会は既存の差別的な規定に関するこれまでの勧告に対応がされていないことを遺憾に思う」と前置きし、「特に懸念を有している」として「皇室典範に男系男子の皇族のみに皇位継承権が継承されるとの規定を有している」と挙げた。その上で、母方の系統に天皇を持つ女系の女子にも「皇位継承が可能となるよう皇室典範を改正すべきだ」と勧告していた。
日本側は4日にジュネーブ代表部公使が女子差別撤廃委副委員長と会い、皇位継承制度の歴史的背景などを説明して「女子差別を目的とするものではない」と反論し削除を求めた。副委員長は内容に関する変更はできないが、日本側の申し入れを担当する委員と共有するなどと応じたという。7日の最終見解で皇室典範に関する記述が削除されたことについて、委員会側から日本政府への事前連絡はなかった。
皇室典範に関しては、2月16日の対日審査だけでなく、日本政府が昨年9月に提出した報告でも触れていない。過去の最終見解でも言及されたことはない。外務省によると、2003年7月の対日審査で、皇太子ご夫妻の長女、愛子さまが女性天皇になる道を開くために「皇室典範の改正を検討したことがあったか」との質問が出たことがあっただけだという。
〔後略〕
当時、この問題に触れたツイートを当時いくつか見たが、ふだん、まっとうな論説を展開していることの多い方が、概して反発を示しているのに私は驚いた。
確かに、国民がさまざまな女性差別で難儀しているのを批判するというなら、まだわかるが、国の君主の継承方法についてどうこう言われても、大きなお世話だという気がしないでもない。
しかし、女系継承を認めるかどうかはともかく、女性天皇の禁止については、差別か差別でないかと問われれば、差別といっていいのではないだろうか。
何故なら、言うまでもなく、わが国には8人10代の女性天皇がいた。伝統に照らして、女性天皇は何ら禁じられた存在ではなかった。
それを明治の藩閥政府が旧皇室典範を定める際に勝手に禁止したのである。
このことは以前にも少し書いたが、もう一度挙げておく。
鈴木正幸『皇室制度』(岩波新書、1993)はこう述べている。
皇室典範制定までの皇室諸法案には、典範最終案にみられないいくつかの特徴があった。そのひとつが譲位の規定である。
〔中略〕
もうひとつは、「皇室制規」〔引用者註:宮内省が立案した典範の草案〕では、女帝・女系帝を認めていたことである。「(皇位は)皇族中男系絶ゆるときは、皇族中女系を以て継承す」(第一条)、「皇女若(もし)くは皇統の女系にして皇位継承のときは其皇子に伝え、若し皇子なきときは其皇女に伝うる」(第七条)とあった。また、「女帝の夫は皇胤にして臣籍に入りたる者の内、皇統に近き者を迎うべし」(第一三条)という規定もあった。
井上はこれを批判する。第一に、「我が国の女帝即位の例は、初めは摂政に起因せし者にて、皆一時の臨朝」にすぎないとして、前例を否定した。そして第二に、「王位は政権の最高なる者なり。婦女の選挙権を許さずして、却て最高政権を握ることを許すは理の矛盾なり」とした。そして女系帝については、女帝の皇子は女帝の夫の姓を継ぐものであるから、皇統が他に移ることになると批判したのである。そしていう、「政事法律百般の事は尽(ことごと)く欧羅巴に模擬することも可なり。皇室継統の事は祖宗の大憲の在るあり。決して欧羅巴に模擬すべきに非ず」と(「謹具意見」)。
井上の強い批判をうけて、「帝室典則」以後の案には女帝と女系帝の規定は出現しない。〔中略〕成立した「皇室典範」ではその第一条に、「大日本皇位は祖宗の皇統にして男系の男子之を継承す」とうたわれた。(p.56-57)
井上毅が女帝否定の根拠として挙げている「皆一時の臨朝」とは、いわゆる中継ぎとして即位した例を指しているのだろうが、確かに中継ぎの例はあるものの。そうではない女帝もいる。また、「初めは摂政に起因せし者」とはどういう意味だろうか。神功皇后が摂政と呼ばれたことを指すのだろうか。しかし普通神功皇后は天皇には数えないし、最初の女帝である推古天皇には摂政の経験はない。推古天皇を聖徳太子が摂政として補佐したことを指すのだろうか。よくわからない。
第二の根拠、「婦女の選挙権を許さずして、却て最高政権を握ることを許すは理の矛盾」については、確かに明治時代はそうだったのだろうが、こんにち婦女の選挙権も被選挙権も認められて久しいのだから、何の根拠にもならない。
また、女帝の皇子は女帝の夫の姓を継ぐものであるから、皇統が他に移るという批判は、当時一般に男子がイエを継ぐものとされていたからだろう。
ところが、こんにちイエ制度はない。そして、夫婦は結婚に伴いどちらかの姓を名乗るとされている。ならば、女帝がその父の姓を継いだと考えれば、皇統が他に移るということにはならない。
(そもそも皇室に姓はないのだから、姓を云々すること自体がおかしいのだが)
したがって、ここで井上が挙げている理由はいずれも、明治時代の社会を前提とした話であって、こんにち通用する話ではない。
未だに男系男子に固執する人々は、きっと頭の中が百数十年前と同じなのか、自分が暮らしたこともないそうした社会を理想化しているのだろう。
鈴木氏は続いて、女帝、女系帝についての民間での議論もこう紹介している。
女帝については、すでに民間でも議論のまとになっていた。自由民権結社で、のちにその幹部が立憲改進党結成に参加した嚶鳴社は、「皇室制規」立案に先立つ一八八二(明治一五)年一月、「女帝を立るの可否」と題する討論を行ない、三月から四月にかけて東京横浜毎日新聞紙上にその内容が連載されたのである。
〔中略〕
この討論に参加した論者は八名、女帝を否とするものは発議者の島田三郎、益田克徳、沼間守一であり、可とするものは。肥塚竜、草間時福、丸山名政、青木匡、波多野伝三郎であった。
この討論で冒頭、島田三郎が、女帝を否とする論拠として、つぎの三点をあげた。第一に、過去の女帝〔中略〕は、明正を除き、いずれも皇子が帝位につくまでのいわば中継ぎであり、ヨーロッパの女帝制とは本質が異なるものであること。第二に、日本は男尊女卑の国柄であるから、女帝の夫は人臣でありながら女帝の上に位置するようにみられ、かえって皇帝の尊厳を損ずるうえ、しかも日本では外国の王族と結婚するわけにもいかないこと。第三に、女帝の夫が暗に女帝を動かして政治に干渉する弊もおこりうること。こうして論争がはじまった。
論争の主要な争点は男女の地位の問題に関わっていった。草間は、島田の論は「猶お亜細亜の僻習中に迷うて、男を人とし、女を獣として、女子の権利を破らんとする」ものだと正面から反論した。しかし、こうした論者は意外に少ない。女帝を可とする論者でも、「男女の間に同等の権を立んと云うにあらず」として、日本は男尊の風習があるから男を先にすべきだが、女帝の風習もあったのだから否定すべきではないとか(肥塚)、皇帝は雲の上の人だから、人民の間に男尊女卑の慣習があっても、女帝の尊厳が損なわれることはないとか(波多野)、消極的な論が中心であった。
女帝賛成論者は、自由民権運動家らしく、立憲政治との関係で自説を主張したものがめだつ。たとえば、島田が女帝の夫が政治に介入する弊を云々したことに対し、肥塚や草間は、君主独裁国ならばともかく、これから日本がめざす立憲国にあっては君主は憲法にしたがって政治を行うのであり、内閣の大臣の意見を無視して政治を行うことはできないからその心配はないと主張した。
女帝が臣下の夫を迎えるのが問題であるならば、外国の王室と結婚する途もあるではないかという論点も登場した。〔中略〕
この討論は、採決の結果、女帝を可とするもの八名、否とするもの八名の賛否同数であった。結局、議長権限で女帝は否となったが、しかし、少数ながら男女同権論が存在したことといい、女帝論者が半数いたことといい、さらには外国王族との婚姻を認める発言といい、今日からみても驚くほど自由な議論が展開されたことは注目すべきであろう。そして国家の側における皇室法案のなかにも女帝や譲位を考えも存在していたことは、明治国家草創期に特有の秩序観の多様性を示していたといえよう。(p.58-60)
やはり、「日本は男尊女卑の国柄」といった主張があったことがわかる。
男系男子による継承は伝統によるもので、男尊女卑とは関係ないといった主張をする方がいるが、大嘘である。
私は、伝統はどうであれ、男系男子継承では側室制度を設けるなどしない限りいずれは行き詰まるのだから、女系継承を認めてもいいのではないかと思っているが、その点は置くとしても、前例のある女性天皇や女性宮家をも男系派が拒絶するのは理解できない。
さて、わが国はこの国連女子差別撤廃委員会の動きに対して、皇位継承制度の歴史的背景などを説明して「女子差別を目的とするものではない」と反論したというが、差別を目的としていなければ、差別ではないのだろうか。
かつての在日外国人に対する指紋押捺制度や、らい予防法は、別に差別を目的としたものではないだろう。指紋は本人識別のため、強制隔離は感染防止のために必要だと考えられたにすぎない。
しかし、どちらも、対象とされた側からは差別と受けとめられ、批判が高まり、廃止されるに至った。
差別を目的としていないからといって、それが後の世で差別にならないとは言えない。
女性天皇禁止が女子差別を目的としていないとしても、それが結果として女子の社会進出の障害になっているということはないのだろうか。
国のトップが男性に限られているということは、女性が各分野のトップに立つことに全く影響を及ぼしていないと言い切れるだろうか。
私は、心理的な影響は決して低くはないように思う。
今年1月に台湾で蔡英文総統が誕生したとき、私は、ああわが国は後れをとってしまったと思った。
これまでにも、アジアで女性が国のトップに就くことはあった。スリランカのバンダラナイケ首相をはじめ、フィリピンのコラソン・アキノ大統領、パキスタンのベナジル・ブット首相、インドネシアのメガワティ大統領、韓国の朴槿恵大統領等々。
しかし、彼女らは男性政治家の妻や娘といった親族関係にあったことがきっかけで、政治家になったのだ。
だが、蔡英文氏は違う。
女性であれば誰でもいいわけではもちろんない。
しかし、アジアでは民主制の先進国であったわが国に、未だに女性のリーダー一人誕生していないというのは、後進性の現れと見られはしないか。
そうした、女性のリーダーを輩出しがたい社会の有りように、女性天皇の禁止が影響しているとは考えられないか。
「男尊女卑の国柄」などという言葉が公然と語られた時代に、典範の制定者たちが女性差別を「目的」としていたはずはない。
それは、その社会において当然のことだったからだ。
だが、こんにち、男尊女卑が社会的に許されないのもまた当然のことだ。
皇室典範の改正は、そうした観点からも論議されるべきだろう。
明治時代に許されていた「驚くほど自由な議論」がこんにち許されないはずはない。







的外れな批判。
それから、私は、女性天皇の禁止が女性リーダー輩出の妨げになってはいないかという話はしましたが、それだけが女性天皇を支持する理由ではありません。
そもそも女性天皇の前例はあるのに、明治の皇室典範がそれを否定しただけであり、明治の男尊女卑の国柄とやらは現代のわが国では通用しない話だと述べていいます。
的外れなのはあなたです。
なお、次からは識別のため、ハンドルネームを使っていただきたいものです。
当ブログではUnknownさんは原則コメント非承認です。
歴代の女性天皇は生涯独身を貫きましたけど
現代の女性天皇に「妊娠すると祭祀が出来なくなるから子供は諦めていただけますか?」というのも人権無視かと思います。
天皇は神道のトップではありません。勉強してください。
>歴代の女性天皇は生涯独身を貫きましたけど
歴代の女性天皇が皆生涯独身であったわけではありません。勉強してください。
>現代の女性天皇に「妊娠すると祭祀が出来なくなるから子供は諦めていただけますか?」というのも人権無視かと思います。
ではそう言わなければ済むことです。私はそんなことは言いません。