政府は今回の閣議決定に際して、集団的自衛権の行使については極めて限定的に容認する立場をとった。しかし、その限定の字句はあいまいであり、時の政府の意向次第でどうにでもなるものだという批判がある。例えば、朝日新聞は閣議決定をこう報じた。
しかし、この新3要件が「抽象的な文言」だと言うなら、「これまでの政府の3要件」はどうだったのか。
防衛省・自衛隊のホームページには、「これまでの政府の3要件」が次のように説明されている。
「急迫不正の侵害」とは何か。
「必要最小限度の実力行使」とはどこまでなのか。
これもまた「ときの政権がいかようにも判断できる余地を残している」のではないか。
1954年12月22日、鳩山一郎内閣の大村清一防衛庁長官は衆議院予算委員会で、憲法は戦争を放棄したが自衛のための抗争は放棄しておらず、自衛のための必要相当な範囲の実力部隊を設けることは憲法に違反しないとの新たな政府統一見解を示した。
これについて翌23日の同委員会で、野党自由党の本間俊一議員と大村長官及び林修三・内閣法制局長官との間に次のような問答があった(国会会議録検索システムより。明らかな誤記と思われる箇所がいくつもあるがそのままとした。〔 〕内は引用者による註)。
こうした政府の立場は現在でも受け継がれている。
だから、「自衛目的」であれば、空母の保有も核兵器の保有も憲法には違反しないというのが従来からの政府見解である(最近、安倍首相が小泉内閣の官房副長官だった頃に「核兵器の使用は違憲ではない」という趣旨の発言をしていると騒ぎ立てているツイートを見かけたが、今さら何を言っているんだろうか)。
個別的自衛権の行使であっても、事実上「わく」など存在しないのである。
したがって、北方領土や竹島の不法占拠や、北朝鮮による日本人拉致、中国による日本人拘束や火器管制レーダー照射などを、政府が「わが国に対する急迫不正の侵害」とみなし、「他に適当な手段がない」と判断すれば、「必要最小限度の実力行使」を行うことは、従来の憲法解釈上でも可能なのである。
そうならないのは、単に政府が自制しているからにすぎない。
「歯止め」となっているのは、その時その時の政府の判断であって、憲法の条文や内閣法制局の憲法解釈ではない。
安倍首相が記者会見で「いままでの3要件とほとんど同じ」と述べたというのは全く正しい。
朝日新聞の円満亮太記者は「今回の閣議決定は、海外での武力行使を禁じた憲法9条の趣旨の根幹を読み替える解釈改憲だ」と述べているが、9条の条文のどこにも、海外での武力行使を禁ずるなどという文言はない。
9条の趣旨は、「国際紛争を解決する手段として」の戦争の永久放棄、そして「陸海空軍その他の戦力」の不保持であったはずである。2項の「国の交戦権は、これを認めない」とは、自衛のためであれ、戦うこと自体を禁じたと見るべきだろう。だから、1946年の時点では吉田茂首相は、軍備を持たないわが国が独立後侵略を受けたとしても、国際連合がどうにかしてくれるはずだと答弁している。
それを、1950年代の「ときの政権」が、自衛のための実力組織は9条に言う「戦力」には当たらないと解釈を変えた。そちらの方がよっぽど「趣旨の根幹を読み替え」たものではなかったか。
朝日新聞が集団的自衛権の行使容認に反対するのは自由だが、報道と論評は峻別していただきたいものだ。
今回の閣議決定は、海外での武力行使を禁じた憲法9条の趣旨の根幹を読み替える解釈改憲だ。政府は1954年の自衛隊発足以来、自国を守る個別的自衛権の武力行使に限って認めてきた。しかし、閣議決定された政府見解では、日本が武力を使う条件となる「新3要件」を満たせば、個別的、集団的自衛権と集団安全保障の3種類の武力行使が憲法上可能とした。
首相は記者会見で「いままでの3要件とほとんど同じ。憲法の規範性をなんら変更するものではなく、新3要件は憲法上の明確な歯止めとなっている」と強調した。
しかし、これまでの政府の3要件には「我が国に対する急迫不正の侵害があること」という条件があり、日本は個別的自衛権しか認められないとされてきた。新3要件は「他国に対する武力攻撃」を含んでおり、集団的自衛権を明確に認めた点で全く異なる。さらに首相が「歯止め」と言う新3要件は抽象的な文言で、ときの政権がいかようにも判断できる余地を残している。
首相は「日本が戦争に巻き込まれる恐れは一層なくなっていく」とした。だが、集団的自衛権行使の本質は、他国の戦争に日本が加わることだ。(円満亮太)
〔中略〕
〈武力行使の新3要件〉 ①我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に、②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がない時に、③必要最小限度の実力を行使すること――という内容。
しかし、この新3要件が「抽象的な文言」だと言うなら、「これまでの政府の3要件」はどうだったのか。
防衛省・自衛隊のホームページには、「これまでの政府の3要件」が次のように説明されている。
(2)自衛権発動の要件
憲法第9条の下において認められる自衛権の発動としての武力の行使については、政府は、従来から、
①わが国に対する急迫不正の侵害があること
②この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
という三要件に該当する場合に限られると解しています。
「急迫不正の侵害」とは何か。
「必要最小限度の実力行使」とはどこまでなのか。
これもまた「ときの政権がいかようにも判断できる余地を残している」のではないか。
1954年12月22日、鳩山一郎内閣の大村清一防衛庁長官は衆議院予算委員会で、憲法は戦争を放棄したが自衛のための抗争は放棄しておらず、自衛のための必要相当な範囲の実力部隊を設けることは憲法に違反しないとの新たな政府統一見解を示した。
これについて翌23日の同委員会で、野党自由党の本間俊一議員と大村長官及び林修三・内閣法制局長官との間に次のような問答があった(国会会議録検索システムより。明らかな誤記と思われる箇所がいくつもあるがそのままとした。〔 〕内は引用者による註)。
○本間委員 〔中略〕政府の解釈がそういうふうに拡張されて来たことは事実です。そこで前の内閣は、憲法の禁止をしておる戦力とは近代戦争を遂行する能力だ、こういう限界を置いておつたわけです。そこで現内閣はどういう限界を置かれるかということを明らかにしていただきたいと思います。
○大村国務大臣 さきに申し上げますように、自衛権の内容でありますところの自衛力限界は、自衛目的で制約をされておる、こう考えております。
○本間委員 自衛目的で制約されておるということですと、これはちよつとわからないのですが、どういうことなんでする。
○林政府委員 先ほどから防衛庁長官がおつしやつておる通りだと思うのでありますが、昨日来申し上げております通りに、自衛権を認めておるわけでありますから、自衛の目的のためにはもちろん持てる。但しその限度も、自衛権の国土防衛というもののために必要、相当な限度こういう二つの考え方で行くと言われたものと、かように考えます。
○本間委員 亦法制局長官の答弁によりますと、どうもわくのない解釈に立たないとそういう解釈はできないのじやないかと私は思うのです、よろしゆうございますか。防衛目的といいますか自衛のためといいますか、日本を自衛するためにしからば必要なものとなりますと、必要な実力部隊と申しますか、そういうものの限界はないことになります。〔中略〕憲法には一定のわくがあるんだ、こういう説明なんですが、今の御答弁だと、わくのない解釈に立つておられるように私は思う。そこでもしわくがあると言うならば、そのわくはどういうものかということをお尋ねいたしたいと思います。
○林政府委員 今申し上げましたことは、――いわゆるわくはあるものと私ども思つております。要するに自衛のために必要、相当と申しますのは、やはりその国々が置かれた客観的ないろいろな情勢なり、ある時期、状況によりまる判断によけつて、国会がおきめになることだと実は思うわすでございます。これは、いわゆる近代戦争遂行能力という言葉自身も、客観的に一定したものではないと私どもは思うのです。それぞれそのときどきによつて、おのずからやはりそこに上下の動き方がある、かように考えるわけであります。その点は双方どちらも一つのわくであろう、かように考えます。
○本間委員 そうしますと、お尋ねしますが、前の内閣は、この憲法のわくを――(発言する者あり)憲法のわくを近代戦争遂行をする能力だ、要するに近代戦争に耐え得るものは憲法で禁止しておる戦力だ、こう説明しておる。そうすると、今の内閣は前の内閣がとましたわくよりも一体広いのか、狭いのか、その点をひとつ伺いたい。
○大村国務大臣 広いか狭いかということは、これは客観情勢によつてきまることでありまして、わからぬと思います。
○本間委員 わくがあるとおつしやられるから聞いたのですが……。御承知のように実際の問題に当てはめてみれば、その国の地理的な環境によつて、あるいは相手によりましてこれは違つて来るのです。たとえば日本の自衛力あるいは日本の防衛する力というものは違つて来るのです。違つて来るのだが、少くとも今は憲法の解釈を論議しておるのだから、そのわくがあるというのならば、そのわくの概念をどこに置くか。相手によつて違いますということではわくがないということと同じことでしよう。それでは一体現内閣はそのわくをどう考えられるかということとを私はお尋ねしておるわけです。
○大村国務大臣 その点は先ほど来お答えをいたしておりますように、自衛目的で制約されます。
○本間委員 自衛目的でわくがあるということは概念の上でもわくがないということでしよう。
そうすると、これだけひとつ具体的にお尋ねしますが、前の内閣よりも憲法で禁止しておる戦力のわくは少くとも概念の上では広くお考えですか、狭くお考えですか。おそらく広くお考えになつておるのじやないかと思いますが、広いなら広いでいいのです。その点どつちでもいいのですから……。
○大村国務大臣 これも先ほどお答えいたしましたように、自衛目的に制約された限度でありますから、これは客観情勢によつて広い場合も狭い場合も想像すればあり得ると思います。
○本間委員 それでは、今のような御説明だとすれば、自衛のためにはわくがないんだという解釈をおとりになりたいのじやないですか。その点はどうなんですか。もう一度御答弁を願います。
○大村国務大臣 先ほど来申し上げた通りであります。
こうした政府の立場は現在でも受け継がれている。
だから、「自衛目的」であれば、空母の保有も核兵器の保有も憲法には違反しないというのが従来からの政府見解である(最近、安倍首相が小泉内閣の官房副長官だった頃に「核兵器の使用は違憲ではない」という趣旨の発言をしていると騒ぎ立てているツイートを見かけたが、今さら何を言っているんだろうか)。
個別的自衛権の行使であっても、事実上「わく」など存在しないのである。
したがって、北方領土や竹島の不法占拠や、北朝鮮による日本人拉致、中国による日本人拘束や火器管制レーダー照射などを、政府が「わが国に対する急迫不正の侵害」とみなし、「他に適当な手段がない」と判断すれば、「必要最小限度の実力行使」を行うことは、従来の憲法解釈上でも可能なのである。
そうならないのは、単に政府が自制しているからにすぎない。
「歯止め」となっているのは、その時その時の政府の判断であって、憲法の条文や内閣法制局の憲法解釈ではない。
安倍首相が記者会見で「いままでの3要件とほとんど同じ」と述べたというのは全く正しい。
朝日新聞の円満亮太記者は「今回の閣議決定は、海外での武力行使を禁じた憲法9条の趣旨の根幹を読み替える解釈改憲だ」と述べているが、9条の条文のどこにも、海外での武力行使を禁ずるなどという文言はない。
9条の趣旨は、「国際紛争を解決する手段として」の戦争の永久放棄、そして「陸海空軍その他の戦力」の不保持であったはずである。2項の「国の交戦権は、これを認めない」とは、自衛のためであれ、戦うこと自体を禁じたと見るべきだろう。だから、1946年の時点では吉田茂首相は、軍備を持たないわが国が独立後侵略を受けたとしても、国際連合がどうにかしてくれるはずだと答弁している。
それを、1950年代の「ときの政権」が、自衛のための実力組織は9条に言う「戦力」には当たらないと解釈を変えた。そちらの方がよっぽど「趣旨の根幹を読み替え」たものではなかったか。
朝日新聞が集団的自衛権の行使容認に反対するのは自由だが、報道と論評は峻別していただきたいものだ。






