コンクールの帰りに、今回は初めて読谷に行ってみました。
どうせコンクール惨敗の傷心旅行になるだろうと読んでいたので、「ええい贅沢しちまえ」と、勢いでホテル日航アリビラを予約。
幸い、おかげさまで、「傷心旅行」は「昇進旅行」になりましたが。
夕食も食べて、早めに部屋でゆっくりしているうちに、たまたまつけたテレビが、地元局の制作番組でした。
戦没者の遺骨収集にボランティアで取り組んでいる人々のドキュメンタリー。
西原町での遺骨収集作業を映し出していました。
記憶がややあいまいですが、10数名の若者たちによる、わずか数時間の作業で、30柱ほどの遺骨が見つかっていました。
西原町とは、那覇から車で30分。
じつは、わたしの所属する琉球民謡音楽協会が、毎年コンクールを行う場所でもあります。
わたしも前日まで、ここにいたわけです。
西原は、畑のなかに工場がぽつぽつ建っているのどかな町ですが、多くの住民がここで亡くなっていました。
毎年のように西原町に通いながら、初めてそれを知りました。
衝撃でした。
沖縄本島全体の3人に一人がいのちを落とした沖縄戦。
西原町だけでは、じつに2人に1人の住民が砲弾に当たり、亡くなったのだそうです。
知っている方も多いと思いますが、沖縄にはまだまだ多くの遺骨が土の中に残されています。
本来、国費でなされるべきことだと思うのですが、なぜか、国からの予算はもうつかないのだそうです。
時間がたち、戦争が風化したあげくの放棄です。
こういう国の対応を見ていると、福島第一原発の補償問題も、時間がたてばたつほど風化して、なかったことにされないとも限りません。
形だけ支払って、あとはおしまい、そういうことになるんじゃないかとつい穿ってしまいます。
だから、損害補償は早急に進めてほしい。
中途半端な補償で先送りしては、この遺骨収集のようなことになりかねません。
繰り返しますが、本来、遺骨収集は、国がしなければならない事業だと思います。
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