医療マーケティングの片隅から

医療ライター・医療系定性調査インタビューアーとして活動しています。独立30年を機に改題しました。

「精神の産業化」の時代

2012年05月10日 | レビュー

GWが終わったいまごろが、5月病が最も出やすい時期。
5月病も、悪化すればそのままうつ病に移行していくことがあるそうです。
 

それにしても、うつ病は、この10年で2倍になり、社会人のかかる病気として、メジャーな存在になりました。診断基準の変化や、景気の悪化の影響はあるにしても、それだけでこの増加を説明するのはちょっと無理があるように思います。「構造不況」ならぬ、労働環境の構造的な問題がからんでいるとしか思えません。
 

最近、梅棹忠夫さんの「情報の文明学」を読んで、目からウロコでした。
この本は、早くも1962年に情報化社会の到来を予言している本として知られており、多くの書評やブログに取り上げられています。(ほぼ日でも紹介されてます

 

主旨としては、この時代にテレビ局が開設され、マスメディア産業が黎明期を迎えているのを目の当たりにして、「農業の時代、工業の時代につづいて、今後は情報産業の時代がくる」と予言しています。わたしの生まれた年に(小声)、こんなことを見通している人がいたとは、驚きです。 

 

で、こんなくだりが。

 

工業の時代が物質およびエネルギーの産業化が進んだ時代であるのに対して、情報産業の時代には、精神の産業化が進行するだろうと言う予察のもとに、これを精神産業の時代とよぶことにしても良い。

 

精神が産業の資源に!
ならば、すりへらし、疲弊し、病む人々が増えるのは、残念ながら当然のながれではないか、と思いました。つまり、特別な人だけがなるわけではなく、だれにでもかかる可能性がある、ということになります。

 

もちろん梅棹氏は、こういう時代の到来を必ずしも手放しで歓迎しているわけではないようです。

 

ただ、それがバラ色の未来につながるかどうかは別問題である。例えば工業時代の前期には、いろんな社会悪が発生している。日本には「女工哀史」の例がある。新しい生産システムに人間が適合できなかったからだ。同じことが21世紀の初期に起こるかもしれない。


たとえばIT関係の仕事なんかはどうでしょう。低賃金の長時間労働に代表される、まさに現代の「女工哀史」といえそうです。さしずめ〝昔は「労咳(=結核)」、いま「うつ病」”というところでしょうか。怒声を受け続けて文字通り神経をすりへらすコールセンターのような仕事も、きっとそう。どちらも、前時代にはなかった職業です。 人間にとっては新しすぎて、われわれのからだがその仕事にまだ適応していないのではないかと。もっと疲弊しないやり方もあるのでしょうが、そうしたシステムが発達するにはもう少しかかるのかもしれない。

 

それにしても、梅棹忠夫さんの先見の明にはおどろかされます。高度成長期前だというのに、早くもいわゆる「パクリ」の問題を論じています。コピー機が大量生産され、安価になったことが、情報化に拍車をかけたが、それに対するいさめとして、つぎのように述べています。


一般に情報機器と称しているものは、自ら情報を生産したしたりはしない。オリジナルな情報の生産は、もともと人間の仕事である。 情報機器は本質的に、それを模倣し記録し、再生する機能を備えていたにすぎない。(中略)情報関連機器の発達をもって、そのまま情報産業の発展と喜ぶわけにはいかない。それは、自ら情報産業の成立の基盤の一角を、ほりくずしているかもしれないのだ。


精神が産業の資源となるこの時代にあっても、その仕事が社会の発展やだれかの幸福になんらか貢献するという本質的な喜びがあれば、精神の消耗度は少なくてすみます。情報産業の発展に役立つと思ってしていた仕事なのに、期せずして「ほりくずし」に貢献してしまうことは、やはり精神が消耗しそう。 まあ、そもそもオリジナルな情報の生産をしつづけることも、結構なストレスをともなうことではあるのですが。

 


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