ガウスの旅のブログ

学生時代から大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。現在は岬と灯台、歴史的町並み等を巡りながら温泉を楽しんでいます。

旅の豆知識「桃山文化」

2020年03月03日 | 旅の豆知識
 安土桃山時代に花開いた文化で、織田信長が室町幕府第15代将軍足利義昭を奉じて、京都に上った1568年(永禄11)から、1603年(慶長8)江戸幕府開設までの時代の文化です。
 その特徴は、①新創味溢れる豪華・壮大なものであること、②新興大名や豪商によって培われたこと、③南蛮文化の影響を受けていること、などとされてきました。この時代には、新興大名が成長し、織田信長と豊臣秀吉によって天下統一事業が進められて、戦乱の世が終結していきます。その中で、豪商が出現し、さかんな海外交渉などを背景として、南蛮文化の影響も受け、自由闊達で豪壮・華麗な文化が開花していきました。壮大な城郭が建築され、豪華雄大な障壁画が発達、千利休によって茶の湯が大成され、能楽が盛んとなり、浄瑠璃や阿国おくに歌舞伎などが発達しました。
 この文化の代表として、松本城、彦根城、姫路城、二条城などの城郭建築、都久夫須麻神社本殿、西本願寺飛雲閣・大広間・唐門、大徳寺唐門、醍醐寺三宝院表書院などの寺社建築、『洛中洛外図屏風』、『唐獅子図屏風』、『山水図屏風』、『松林図屏風』、『花下遊楽図屏風』などの絵画、二条城二之丸庭園、醍醐寺三宝院庭園などの庭園も残されています。また、出版・文学としては、キリシタン版の『伊曽保物語』、『平家物語』、『日葡辞書』などが登場しました。尚、千利休によって茶の湯が大成され、妙喜庵茶室(待庵)、如庵などの茶室がつくられ、能楽、浄瑠璃、歌舞伎などの芸能も発達しています。

〇桃山文化を巡る旅六題

 旅先で桃山文化の関係地を訪れ、良かった所を6つ、北から順に紹介します。

(1) 松本城<長野県松本市>

 1504年(永正元)、島立貞永が築いた深志城がそのはじまりとされますが、1550年(天文19)、武田信玄によって落城しています。その後、武田氏がこの城に城代を置いていましたが、1582年(天正10)、勝頼の代になって織田信長に滅ぼされました。それからの深志城は信長の城代がおかれていましたが、本能寺の変によって信長が倒れてからは小笠原氏が入り、小笠原貞慶のとき城の名を松本城と改めたのです。豊臣秀吉の時代になって、石川数正が入封し、現在の松本城の築城にとりかかり、1598年(慶長3)、主要部分が完成しました。この頃に、現在国宝に指定されている天守閣が完成したものと考えられています。5層6階の大天守を中心に、3層の乾小天守を渡櫓で連結し、さらに2層の辰巳附櫓と1層2階の月見櫓を複合してきました。天守閣の外壁は各層とも上部は白漆喰で、下部は黒漆塗りの下見板で覆われていることから、別名「烏城」とも称されています。

(2) 都久夫須麻神社<滋賀県長浜市>

 琵琶湖北部に浮かぶ竹生島に鎮座し、竹生島弁財天として有名な神社です。創立は中世以前にさかのぼるとされますが、国宝の本殿は1567年 (永禄10) の再建で、1602年 (慶長7) に京都の豊国廟(豊国神社)の一部を移建して改造されたものとも言われてきました。内外は漆塗りで、蒔絵、障屏画、絵様彫刻などで飾られ、蒔絵は壮大なもので、鳥獣、草花などをモティーフとし、派手な彩色や牡丹唐草の精巧な透し彫など見るべきものが多く、華麗なものとなっています。

(3) 安土城跡<滋賀県近江八幡市>

 織田信長の居城跡で天下統一のシンボルとして建てられました。七重の黄金に輝く天守閣がそびえていましたが、本能寺の変で焼失しました。今でも、巨大な石垣が往時を忍ばせ、1952年(昭和27)に国の特別史跡に指定されています。その城跡を散策すると、その規模の大きさに目を見張らされます。当時は、大きな城下町も形成されていて、その跡にはセミナリオやコレジオといったキリスト教に関連するものもありました。琵琶湖と通じる舟運に関わる史跡をめぐることもできます。近くに、「滋賀県立安土城考古博物館」があって安土城跡発掘の成果が展示されています。またその並びに「安土城天主信長の館」があって、安土城の復元天守(5・6階部分のみ)を見ることができます。

(4) 西本願寺<京都府京都市下京区>

 現在地には、1591年(天正19)に豊臣秀吉の寄進により大坂天満から移転したとされています。境内には、安土桃山時代の文化を代表する建造物や庭園が数多く残されており、1994年(平成6)に国の史跡に指定され、同年に「古都京都の文化財」の一部として世界遺産(文化遺産)にも登録されました。豊臣秀吉が造らせた伏見城や聚楽第の遺構と伝わるものが多く移築されていて、飛雲閣、大広間、唐門等は安土桃山文化の代表的建造物と言われ、国宝建造物に指定された、絢爛豪華ですばらしいものです。

(5) 醍醐寺三宝院<京都府京都市伏見区>

 平安時代後期の1115年(永久3)に創建されましたが、応仁の乱の兵火で伽藍のほとんどを焼失、寺領も失ってしまいました。しかし、豊臣秀吉の援助によって再興され、1598年(慶長3)に、ここを中心に“醍醐の花見”が開催されたのは有名です。三宝院庭園は、豊臣秀吉の作庭によるものと伝えられ、今も安土桃山時代の華やかな雰囲気を伝えていて、1952年(昭和27)に、国の特別史跡・特別名勝に指定されました。また、そのころに建造された表書院と唐門が残されていて、共に1954年(昭和29)、国宝に指定されています。

(6) 二条城<京都府京都市中京区>

 江戸時代前期の1602年(慶長7)~1603年(慶長8)頃に、徳川家康が京都の守護および上洛時の居城として造営されたとされています。天守や本丸御殿は焼亡しましたが、二の丸御殿(国宝)は桃山時代の書院造りの形態を伝え、狩野派の画家による障壁画と共に重要な遺構とされてきました。また庭園は、小堀政一(遠州)の代表作とされる桃山様式の池泉回遊式で、神仙蓬莱の世界を表した庭園と言われ、別名八陣の庭とも呼ばれています。池には3つの島(蓬莱島、亀島、鶴島)が浮かび、4つの橋を併せ持ち,池の北西部には、二段の滝があります。二之丸御殿大広間上段の間(将軍の座)、二之丸御殿黒書院上段の間(将軍の 座)、行幸御殿上段の間(天皇の座)・御亭の主に三方向から鑑賞できるように設計されていました。明治時代以降に、宮内省に所管されてからは5回以上改修が行なわれ,離宮的・迎賓館的な城として利用されることになります。1939年(昭和14)に、宮内省が二条離宮を京都市に下賜し、それから、一般公開されるようになりました。これ以外にも城内には、明治時代に造られた本丸庭園、そして昭和に入ってから造られた清流園があります。四季折々に花が咲き、季節を愛でるにもよいところです。また、二条城は1994年(平成6)に、「古都京都の文化財」の一つとして、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。

☆桃山文化の主要な文化財一覧

<建築>

・松本城天守閣…[国宝]
・彦根城天守閣…[国宝]
・姫路城天守閣…[国宝]
・二条城二之丸御殿…[国宝]
・都久夫須麻神社本殿…[国宝]
・西本願寺飛雲閣…[国宝]
・西本願寺大広間…[国宝]
・西本願寺唐門…[国宝]
・大徳寺唐門…[国宝]
・醍醐寺三宝院表書院…[国宝]
・妙喜庵茶室(待庵)…[国宝]
・如庵…[国宝]

<絵画>

・『洛中洛外図屏風』…狩野永徳作[国宝]
・『唐獅子図屏風』…狩野永徳作[国宝]
・『山水図屏風』…海北友松作[国指定重要文化財]
・『松林図屏風』…長谷川等伯作[国宝]
・『花下遊楽図屏風』…狩野長信作[国宝]

<庭園>

・二条城二之丸庭園…回遊式浄土庭園[特別名勝]
・醍醐寺三宝院庭園…相阿弥作庭[特別史跡・特別名勝]

<文学・出版>

・『伊曽保物語』…キリシタン版
・『平家物語』…キリシタン版