今日は、天気が良くて気温もそれほど高くないとの予報だったので、余っている「青春18きっぷ」を使って、日帰りで福島県へ行って、福島交通飯坂線の乗りつぶしをしてくることにした。
早起きをし、朝食を済ませてから、自宅を出て、5時過ぎには武蔵野線へと乗り込んだ。南浦和駅で、京浜東北線へ乗り換え、大宮駅で宇都宮線へ乗ろうと思ったが、小金井行の普通列車しかなかったので、とりあえずそれで進むことにした。すでに明るくなっていたので、ぼんやりと車窓を眺めながら、関東平野を北行していく。
終着の小金井駅では、次の宇都宮行きまで少し時間があったので、改札を出て、駅のスタンプを押す。そろそろ通勤客が増えてきていたので、ホームへ戻って、電車を待ったが、まだのんびりした感じだった。
しばらくして電車に乗り込み、宇都宮駅で黒磯行きへと乗り継ごうとしたものの、ここでも30分ほどの待ち時間があった。再び改札を出て、駅のスタンプを押してから、ホームへ到着した電車へと乗り込む。
次の終着黒磯駅でも30分ほどの待ち時間があり、なかなか前へと進んでいかない。ここから県境を越えて福島県へと入るあたりが、沿線では一番人口の少なそうなところで、電車も昼間帯は1時間に1本くらいしかないのだ。
やっとのことで、新白河行きへと乗車できたが、乗り換えるごとに電車の編成が短くなっていく。山間部のような人気のないところを走って行って、東北地方へと入っていったが、やっと来たという感じがする。
新白河駅で、郡山行に乗り換えるのにも時間がかかったが、やっとのことで福島県中通りを進むことができる。郡山駅で福島行きに乗り換え、福島交通飯坂線の始発、福島駅へとたどり着いたのは、正午近かった。
今朝電車に5時過ぎに乗ったのだから、かれこれ7時間近くかかったことになる。まあ、「青春18きっぷ」の旅とはこんなようなものなのだが....。
結構時間がかかってしまったので、昼食時間を惜しんで、福島交通の乗り場へと急いだが、阿武隈急行の駅を兼ねていた。改札口で、一日乗車券がないか聞いてみたが、飯坂温泉入浴料込みのものしかないとのことだったので、自販機で飯坂温泉駅までの切符(370円)を買い求めることにした。
福島交通は、福島県内において、福島市の福島駅から飯坂温泉駅(9.2km・駅数12)を結ぶ飯坂線を運行するローカル私鉄事業者だ。1924年(大正13)に、福島飯坂電気軌道として、福島駅~飯坂駅(現在の花水坂駅)間が開業した。同年に飯坂電車に社名変更し、1927年(昭和2)3月23日に、花水坂駅~飯坂温泉駅間が延伸開業し全通する。同年10月1日に、福島電気鉄道が飯坂電車を合併し、飯坂西線となり、1962年(昭和37)7月12日に福島交通に社名変更した。尚、鉄道事業以外に、自動車運送事業(路線バス、貸切バス、貨物運送等)、保険業務、旅行業などを営んでいるとのことだ。
ここからは、先頭車両の一番前の窓際に陣取って、車窓を楽しみながら沿線の写真を撮っていくことにする。沿線には、レトロな駅舎や鉄橋があって、被写体には困らない。23分ほどで、終着飯坂温泉駅へと到着したが、この駅が一番立派だった。来た電車は2分で折り返すとのことだったので、駅前の写真を撮ったり、昼食も買い求めたかったので、25分後の次発で戻ることとする。
駅舎の外へと出てみると大きな松尾芭蕉の像がある。そういえば、「奥の細道」の旅で芭蕉は飯坂温泉へ泊まっているのだった。それをカメラに収め、駅の脇を流れる川面の風景にシャッターを切ってから、昼食を購入するため、構内のコンビニへと入った。結局、時間節約のために、オニギリとカレーパンを買って、駅のベンチで食べることにする。ちょっと味気ない感じもするが、ここへ来るまでに時間がかかりすぎているし、適当な食堂もなさそうだったので、致し方ない。
食後は、自販機で福島駅までの切符(370円)を買い、再び飯坂線へと乗り込んだ。復路は座席に座りながら、車窓から沿線の風景を楽しんでいくが、長閑な感じがする。終点の福島駅の脇には、JR線への乗り換え口があり、簡単にホームへ出ることができ、すぐに郡山行きへ乗ることができる。
郡山駅では、水郡線か磐越東線を経由して、常磐線を使って戻ることも考えたが、適当な時間の列車がなかったので断念し、来た線路をひたすらに復していくことにした。
しかし、新白河駅での乗り換えには、50分ほどの時間を要し、黒磯駅、宇都宮駅でも待ち時間があって、帰着が遅くなりそうだった。そこで、宇都宮駅での待ち時間を利用して、構内のコンビニへ行って、夕食を買い求めることにする。チキンカツカレーピラフを買い求めたが、冷たくなっていて、あまり美味しくはなかった。
この駅からは、湘南新宿ラインの逗子行きへ乗り込んだが、車窓はだんだん暗くなっていき、小山駅あたりでは、ほとんど見えなくなってしまったので、あとはまどろみながら、席に座り続けることとなる。
結局、浦和駅、南浦和駅で乗り換え、自宅へと帰り着いたのは、夜8時近くとなっていて、かなり疲れてしまった。
早起きをし、朝食を済ませてから、自宅を出て、5時過ぎには武蔵野線へと乗り込んだ。南浦和駅で、京浜東北線へ乗り換え、大宮駅で宇都宮線へ乗ろうと思ったが、小金井行の普通列車しかなかったので、とりあえずそれで進むことにした。すでに明るくなっていたので、ぼんやりと車窓を眺めながら、関東平野を北行していく。
終着の小金井駅では、次の宇都宮行きまで少し時間があったので、改札を出て、駅のスタンプを押す。そろそろ通勤客が増えてきていたので、ホームへ戻って、電車を待ったが、まだのんびりした感じだった。
しばらくして電車に乗り込み、宇都宮駅で黒磯行きへと乗り継ごうとしたものの、ここでも30分ほどの待ち時間があった。再び改札を出て、駅のスタンプを押してから、ホームへ到着した電車へと乗り込む。
次の終着黒磯駅でも30分ほどの待ち時間があり、なかなか前へと進んでいかない。ここから県境を越えて福島県へと入るあたりが、沿線では一番人口の少なそうなところで、電車も昼間帯は1時間に1本くらいしかないのだ。
やっとのことで、新白河行きへと乗車できたが、乗り換えるごとに電車の編成が短くなっていく。山間部のような人気のないところを走って行って、東北地方へと入っていったが、やっと来たという感じがする。
新白河駅で、郡山行に乗り換えるのにも時間がかかったが、やっとのことで福島県中通りを進むことができる。郡山駅で福島行きに乗り換え、福島交通飯坂線の始発、福島駅へとたどり着いたのは、正午近かった。
今朝電車に5時過ぎに乗ったのだから、かれこれ7時間近くかかったことになる。まあ、「青春18きっぷ」の旅とはこんなようなものなのだが....。
結構時間がかかってしまったので、昼食時間を惜しんで、福島交通の乗り場へと急いだが、阿武隈急行の駅を兼ねていた。改札口で、一日乗車券がないか聞いてみたが、飯坂温泉入浴料込みのものしかないとのことだったので、自販機で飯坂温泉駅までの切符(370円)を買い求めることにした。
福島交通は、福島県内において、福島市の福島駅から飯坂温泉駅(9.2km・駅数12)を結ぶ飯坂線を運行するローカル私鉄事業者だ。1924年(大正13)に、福島飯坂電気軌道として、福島駅~飯坂駅(現在の花水坂駅)間が開業した。同年に飯坂電車に社名変更し、1927年(昭和2)3月23日に、花水坂駅~飯坂温泉駅間が延伸開業し全通する。同年10月1日に、福島電気鉄道が飯坂電車を合併し、飯坂西線となり、1962年(昭和37)7月12日に福島交通に社名変更した。尚、鉄道事業以外に、自動車運送事業(路線バス、貸切バス、貨物運送等)、保険業務、旅行業などを営んでいるとのことだ。
ここからは、先頭車両の一番前の窓際に陣取って、車窓を楽しみながら沿線の写真を撮っていくことにする。沿線には、レトロな駅舎や鉄橋があって、被写体には困らない。23分ほどで、終着飯坂温泉駅へと到着したが、この駅が一番立派だった。来た電車は2分で折り返すとのことだったので、駅前の写真を撮ったり、昼食も買い求めたかったので、25分後の次発で戻ることとする。
駅舎の外へと出てみると大きな松尾芭蕉の像がある。そういえば、「奥の細道」の旅で芭蕉は飯坂温泉へ泊まっているのだった。それをカメラに収め、駅の脇を流れる川面の風景にシャッターを切ってから、昼食を購入するため、構内のコンビニへと入った。結局、時間節約のために、オニギリとカレーパンを買って、駅のベンチで食べることにする。ちょっと味気ない感じもするが、ここへ来るまでに時間がかかりすぎているし、適当な食堂もなさそうだったので、致し方ない。
食後は、自販機で福島駅までの切符(370円)を買い、再び飯坂線へと乗り込んだ。復路は座席に座りながら、車窓から沿線の風景を楽しんでいくが、長閑な感じがする。終点の福島駅の脇には、JR線への乗り換え口があり、簡単にホームへ出ることができ、すぐに郡山行きへ乗ることができる。
郡山駅では、水郡線か磐越東線を経由して、常磐線を使って戻ることも考えたが、適当な時間の列車がなかったので断念し、来た線路をひたすらに復していくことにした。
しかし、新白河駅での乗り換えには、50分ほどの時間を要し、黒磯駅、宇都宮駅でも待ち時間があって、帰着が遅くなりそうだった。そこで、宇都宮駅での待ち時間を利用して、構内のコンビニへ行って、夕食を買い求めることにする。チキンカツカレーピラフを買い求めたが、冷たくなっていて、あまり美味しくはなかった。
この駅からは、湘南新宿ラインの逗子行きへ乗り込んだが、車窓はだんだん暗くなっていき、小山駅あたりでは、ほとんど見えなくなってしまったので、あとはまどろみながら、席に座り続けることとなる。
結局、浦和駅、南浦和駅で乗り換え、自宅へと帰り着いたのは、夜8時近くとなっていて、かなり疲れてしまった。