ガウスの旅のブログ

学生時代から大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。現在は岬と灯台、歴史的町並み等を巡りながら温泉を楽しんでいます。

福島県中通りの旅

2016年06月05日 | 旅行
朝食後、5時前に自宅を出発し、渋滞している東北自動車道を避けて、国道4号線を、北に向かった。こちらの方は、ほとんど渋滞もなく順調に走って、福島県境を越えて、9時前には、郡山市内へと入ることが出来た。 
 そこを通過して、まず三春町へと向かうことにした。最初に「三春町歴史民俗資料館」を訪れたが、「自由民権資料館」が併設された施設で、ここが自由民権運動発祥の地として、県内はもとより東北の民権運動をリードした河野広中をはじめとする多くの民権家を輩出したことにより建設されたものだ。展示内容には、とても興味をそそられるものがあり、三春町出身者が、多くかかわった加波山事件についても認識を新たにした。
 また、歴史民俗資料館から三春町役場へ下る坂の途中には、「自由民権ひろば」があり、河野広中の銅像や「自由民権運動発祥の地」の記念碑があって、撮影しておいた。
 その後は、三春城跡へと急坂を登って行ったが、ちょうど「お城まつり」が行われているとのことで、二の丸周辺は、多くの人でにぎわっていた。そんな中で、本丸を巡ったが、結構見晴らしがよく、気分は爽快だ。
 それからは、搦手門跡から下っていき、城下町にある紫雲寺へと向かった。境内には、河野広中の遺髪塚があり、その前の道路脇に加波山事件「自由の魁」の碑が立っていて、興味深く見学した。
 また、その近くに「三春町文化伝承館」というのがあり、無料で公開していたので、立ち寄って案内してもらった。
 その後は、再び郡山市街へと向かい、昼食後、開成山公園へと至った。
 ここは、明治初期からの開拓の歴史を記したメモリアル公園で、昔は原野だったところを安積疎水の開削などによって、開墾していったのだ。また、小説家宮本百合子のゆかりの地でもあり、祖父が開拓の功労者で、祖母が住んでいたので、子供の頃たびたび訪れ、その印象が小説「貧しき人々の群れ」、「禰宜様宮田」等となったとのことだ。池の畔に宮本百合子文学碑があって、小説「貧しき人々の群れ」の一説が刻まれていたので、カメラに収めておいた。
 次に、近くにあるこおりやま文学の森の「郡山市文学資料館」と「久米正雄記念館」も見学して、教養を深めたが、この地は、宮本百合子以外にも久米正雄や高山樗牛、中山義秀などのゆかりの文学者が多いことを知って、とても興味深かった。
 その後は、国道4号線へ出て、南下していき、白河市域へと入っていった。
 ここには、白河小峰城跡があるが、戊辰戦争白河口の戦いの激戦地で、東軍と西軍の主力間での攻防戦があり、落城している。その時、三重櫓は焼失し、建物はすべて壊され、石垣と堀を残すのみとなっていたが、1991年(平成3)120余年ぶりに、三重櫓が史実に基づいて木造復元されたのだ。現在では、みごとな石垣の上に白と黒の勇姿を見ることが出来るのだが、先の東日本大震災で、一部の石垣が崩れ、修復中だった。しかし、三重櫓の内部は見学することができた。
 この戊辰戦争では、約100日間にわたる戦いがあって、千名を超える死傷者があったが、戦後白河の人々は、敵味方問わず戦没兵士を葬り、碑を建てた。市内には両軍合わせて30ほどの碑が残り、今も香華を手向けているそうだ。
 そこで、城の案内人に尋ねて、戦死者の碑の場所を教えてもらった。近くには、「西軍薩摩藩戦死者墓」があったので、まず行ってみたが、立派な石碑が立っていた。
 その後、車で移動して、JR東北本線をくぐり、少し南方にある「東軍戦死墓」と「会津藩銷魂碑」なども訪れて、激しかった戊辰戦争白河口の戦いを追想した。
 そうこうしていたら、すでに16時半近くなっていたので、帰路を急ぐことにして、来た時と同じ、国道4号線に出て、南下していった。
 しかし、日曜日の夕方のこととて、車が多く、結構時間がかかって、帰宅したのは、20時半近くなり、とても疲れた。