日本ゴーシェ病の会

『日本ゴーシェ病の会』
先天性代謝異常症 ゴーシェ病 患者会役員のブログです。

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三男計憲(かずのり)!!

2016年12月25日 | 役員紹介
会計監査役員の森です。

三男の計憲(かずのり)はⅢ型です。
現在、16歳で体重は20㎏、身長は130㎝、寝たきりです。
呼吸器、ペットボトルの持続吸引器を常時使用しています。
胃ろうから1日3回エネーボ(注入液)、1日2回抗けいれん薬、去痰剤、トリクロ、1日1回ソリタ水を注入しています。
呼吸器の回路は、月に2回交換しています。
体位変換を1日2回しています。

学校は訪問授業を週3回、1回2時間受けています。
その授業の時間に合わせて訪問看護も利用しています。
訪問看護は週に5日、ヘルパーさんは毎日来ています。
たくさんの方々の支えで計憲は自宅で1日を過ごしています。
年3回、1週間のレスパイトも利用しています。

計憲の出産入院中に次男、勇貴(ゆうき)が発達の遅れのため別の病院で検査入院をしていました。
血液検査の異常から骨髄を調べてゴーシェ病と診断され、兄弟2人のセレザイムが始まりました。
勇貴が10歳で亡くなるまで8年間、毎回、両祖父母に同行してもらい、大人3人車2台で点滴通院を続けてきました。
勇貴は、診断後、徐々に歩けなくなり、飲み込みが出来なくなり、息止めの痙攣もありました。
小学校4年生まで、週3日、支援学校へ通学していました。
計憲は6歳で呼吸不全になり気管切開して医療ケアが大変になったため、勇貴は気管切開をしないで見守る事にしました。
勇貴は10歳の時、自宅で呼吸が止まり、その日に病院で亡くなりました。
天使になる1日前まで学校に通い、精一杯生きてくれました。

長男(否患者)も無事に成人となり、計憲も2年前褥そう入院してからは容態が安定しています。
在宅という小さな社会の中で、出来る事を探しながら日々過ごしていこうと思っています。


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霊感!?

2016年12月18日 | 日記
「ただいま。」
小学5年生の娘は 遠足から 元気に帰って来ました。

「帰りのバスで夢見た。
真衣ちゃんの夢」
「何で 真衣ちゃんてわかったん?」
「自分で 真衣ちゃんって 言ったもん。」
「えっ!」
私は 興味津々になりました。
真衣ちゃんは お腹の中に 35週と5日いて 常位胎盤早期剥離で 亡くなった私にとって 第1子の子どもです。
娘にとっては 6歳年上のお姉ちゃん。

「真衣ちゃんは 誰に似てた?」
「なんとなく勇くん(息子)に 似てた。でも 顔が ぼんやりしてて よくわからなかった。
髪の毛は この辺。
私より 背が 高かったで。
勇くんの学校の制服じゃないやつ。襟のある制服 セーラー服 着てた。
制服のスカート丈は 短くしてなかった。普通ぐらい。真面目や。」
「何か 言ってた?」
「何も 言ってない。笑ってた。
横に 薄茶色の普通ぐらいの大きさの犬が いた。」
私は びっくりしてしまいました。犬は 昔 実家で飼っていた『ムク』に そっくりです。
捨てられていた子犬を 飼って欲しいと家族にお願いしたのは 私です。結婚して実家を出るまで 散歩は 私の役目でした。
ムクは 娘が生まれて 2ヵ月後に 亡くなりました。写真も 実家にしかなく 娘はムクのことを 覚えていないでしょう。
でも ムクは 出産後 実家に帰って来た真衣ちゃんや息子や娘のことは 知っているはずです。
棺桶で実家に帰って来た真衣ちゃんのことは見ているはずです。
ムクが 天国に行った時 真衣ちゃんを探してくれたんだろうな。そして 寂しくないように そばにいてくれているんだ。
娘の夢の話を聞きながら 涙が出てきそうになりました。
真衣ちゃんは 赤ちゃんのままでなく大きくなっている。想像できなかったけど 娘の話に 遠くにいるもう一人の娘の成長を確認できたような感覚になりました。

私の夢の中には 今まで 1度も でてきてくれたことがないのに・・・。
真衣ちゃんは なにか 用事があったのかな?

次の日曜日 家族で 納骨しているお寺にお参りに行きました。
真衣ちゃんに 家族の元気な顔を 見せるために・・・。
そして 私の夢の中にも 遊びに来てくれるように お願いしました。

これは 4年前のお話です。
夢で会えるように お願いしたけど やはり 私の夢には 1度も 出てきてくれません。
でも 私達 家族のそばにいて いつも 見守ってくれているんだろうな。と 思うことのできる嬉しい出来事でした。


日下部



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家族って いいな

2016年10月20日 | 日記
こんにちは
日下部です。

ゴーシェ病の3型の診断がつき 治療を開始して 1年。
2週間に1回 病院に 連れていくことになれた頃
息子を お兄ちゃんと呼ばれるようにしてあげたい できれば 女の子が欲しいとおもうようになりました。

でも 簡単に 産もうと 思った訳ではありません。
妊娠した子が ゴーシェ病なら・・・。
当時は まだ 遺伝子外来は 知られておらず 相談するところを知りませんでした。
毎年 行われていたゴーシェ病の東京でのセミナーから 1/4の確率で発症。 兄弟は 同じ病状。ということだけしか 情報がありませんでした。
1/4の確率は 高いの?低いの?
1人病院に点滴のために連れて行くのも 2人連れて行くのも 同じだ。と思いました。というより 思うようにしました。
子ども達が 2人とも 神経症状が出たら 私の残りの人生が 介護の生活になっても良いかな。今まで やりたいことは やってきし・・・。きっと 介護の中にも 楽しいことは あるはず。
生まれた子どもが ゴーシェ病でなかったら・・・。
医療従事者にしよう。そして ゆくゆくはお兄ちゃんを助けてくれたら・・・。これで 親がいなくなっても 安心。
でも 日が経つにつれ 息子に神経症状があらわれたら・・・。
赤ちゃんの面倒をみることができるかな。
息子と赤ちゃん 二人ともに さみしい思いをさせてしまうことにならないかな。
もしかしたら 息子の病気が 次の子どもの負担になってしまったら・・・。
次の子どもが欲しいと思うのは 親のエゴだけなのかな?
迷いで いっぱいになってしまいました。日ごとにかわる 出産への想い。
赤ちゃんが欲しいと思う気持ちと 遺伝性の病気の子どもがいるのに 次の子どもを 生むことは いけないのではないか と思う気持ちが なかなか 整理できないとともに 子どもの一生を決めてしまうかもしれない決断に 正解のない未来への不安が 増してきました。

考えたあげく 自分の中で 出産可能年齢を決めることにしました。それまでに 次の子どもを妊娠しなかったら 子どもとの縁はなかったのだから きっぱり あきらめようと考えました。そして タイムリミットのギリギリで 妊娠がわかりました。
それも 胎盤剥離で亡くなった子どもと 予定日が 1日違い。
この日を待ち望んでいたように感じました。
この子は 真衣ちゃんの生まれ代わり。絶対 女の子!

私も 主人も この子がゴーシェ病でも 絶対 産んで育てるという想いがあったので 羊水検査は するつもりはありませんでした。
しかし 医師から 強く羊水検査をすすめられ ゴーシェ病なら 出産を考えた方が良いとまで言われました。
またまた 悩みの日々です。
主人と顔を合わす都度に羊水検査や子どもの話になります。ゴーシェ病なら 堕ろすことが 子どもにとっての幸せなことなのか?病気とわかった子どもを生む事は 不幸なことなのか?
主治医の説明も 考慮して 私達は 最終的に ゴーシェ病なら 産まないことに決断しました。

妊娠5ヵ月目に入らないと 羊水検査はできないため 検査をして結果がでるまでは 親類以外 息子にも友達にも 妊娠のことは 伝えませんでした。自分自身 今の置かれている状態が 喜べる状態なのか わからなかったので 毎日 気の晴れない想いですごしていました。

検査結果は ゴーシェの遺伝子を持っていませんでした。
その時 性別もきいて 女の子だということがわかりました。
息子に 妹が 夏には やってくることを伝え 家族3人で お寺に 腹帯をもらいにいきました。

赤ちゃんは 妊娠後期に入って 前置胎盤であることがわかりました。
出血が 1滴でもあれば すぐに 救急車で病院に来るように言われました。
里帰り出産のため 家族で生活している家から病院まで 自家用車で 1時間弱。早めに入院するようにも言われました。私は 前回までの出産から 問題があったので 出産前後で 最低1ヶ月の入院は 必要でした。入院中は 実家に 息子をあずかってもらう予定です。
息子の点滴は 出産する病院の小児科で。主治医より 連絡はいっています。
でも やっと 息子が 幼稚園に慣れたところなので なるべく 入院はしたくない いつもの病院での息子の点滴を 私が連れて行ってから 息子は甘えたさんなので 私がいないと・・・。と 産科の先生に伝えると
目の前の子どもも大切だけど お腹の中の赤ちゃんも ちゃんと 生きているのですよ。とたしなめられました。

出産後は 主人に 有休を取ってもらって息子を点滴に連れて行ってもらいました。
実家は遠く商売をしていたので 助けてもらうことができなかったので 実家に出産後 1ヶ月間お世話になって その後は 家族4人で 頑張りました。
生後3ヶ月になった娘は
息子の点滴の日には 一時保育に預けました。部屋に入ると お腹が空いていても 空いていなくても 母乳を飲ませます。人見知りをはじめた娘の泣き声を聞きながら 部屋を出る時は 胸の締め付けられる思いでした。
幼稚園終了時間にあわせて 息子を迎えに行き 嫌がる息子を無理やり車に乗せて病院へ。
一時預かりは 4時間。ゆっくり している時間はありません。
息子の点滴が終わると一目散に保育所へ。
家に着くと お腹をすかせた娘が大泣き。
今考えると あの時は てんてこ舞いだったと思います。でも それが 当たり前の生活でもあったような気がします。
早くから 保育所に行っていった娘は 15歳になり 家族の中で1番のしっかり者です。もしかしたら 娘には 寂しい想いを沢山させたかも知れません。

はじめの子どもを 妊娠10ヵ月弱で常位胎盤早期剥離による死産。2人目は 2歳でゴーシェ病と診断。3人目は 見るからに健康優良児。でも 産んでもらえるかわからなかった子です。
子どものことでは 辛い想いをした時や大変な時期がありました。
真衣ちゃんが いないことは 悲しいことですが リビングの小さな仏壇から いつも 見守ってくれています。
真衣ちゃんのことで いつも泣いていたのを助けてくれたのは 息子です。息子に 兄弟がいることの楽しさを教えてくれたのは娘です。そして いつも 私達のワガママをきいてくれる主人がいます。
少食の息子は 私の作るイチゴムースやバナナマフィンが大好きです。北海道旅行も シンガポール旅行も 家族の大切な思い出です。
なぜか妹から お兄ちゃんと呼ばれることはなく 名前で呼ばれていますが 息子にとっては 生意気だけど かわいい妹のようです。
20歳になった息子を
親が 何もかも 守ってあげることができないと思います。これからは 自分の世界で また 違った経験を いっぱいして欲しいです。
困った時は 家族が助けます。しっかり者の娘は 今は 息子とケンカばかりですが きっと 今後 1番の助けになってくれる存在だと信じています。

現在 子ども達の手が離れていく中で
息子も 娘も 産んで良かった。
生まれて来てくれて良かった。
と つくつぐ 感じています。




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ゴーシェ病なんて なんのその!

2016年05月16日 | 日記
こんにちは
日下部です。

はじめての子どもの真衣ちゃんが 胎盤剥離で 天使になってから 半年間
私は いつも 泣いていました。
両親や親戚や友達の前で 涙を見せることは 心配をかけることになると その時は しっかり涙を止めることはできるんです。
でも 家に着いたら 涙は止まりません。
本当に あの時は 主人も 辛かったのに 私の様子を見て もっと 辛かったと おもいます。
子ども好きの主人のためにも 私は 次の子どもが 早く欲しかったです。

医師に 次の妊娠まで 最低半年は あけて下さいと 言われていました。ちょうど 半年たった時 基礎体温をつけていたグラフで 高温期が続きました。
妊娠9ヵ月目からは 管理入院となりました。
前回の胎盤剥離があるので 帝王切開で 手術日も 時間も 決まっています。あとは その時を待つだけです。
今回も 前回のように 死産になったら・・・。
私も 一緒に 死んでしまって良いと思っていました。私は 助けないで欲しい。と。

手術予定日の前日 早朝 シクシクお腹が痛みました。
モニターをつけて 陣痛がきていることがわかり すぐに 手術と言われました。
偶然にも 当直は主治医で 手術室の看護師が揃うと 手術室に 運ばれました。

無事 帝王切開で男の子が生まれました。
2580gの 少し小さめの赤ちゃんです。
もう少し遅かったら 前回 急いで縫った子宮の切開部が 破裂するところだったそうです。
今回 妊娠できたのも 胎盤剥離の後 子宮の収縮がみられたから 子宮を残せたそうです。
きっと 真衣ちゃんが いつまでも 悲しまないように 子宮をおいていってくれたのだと思います。

私の回復は 早かったのですが 息子は 上手に母乳を飲むことができず なかなか 体重が増えませんでした。
助産師に この子は 少し不器用な子かもね。って言われました。
当たっていました。本当に 不器用です。

生後9ヵ月の時 医師から 肝脾腫があるから 大きな病院で調べてもらって・・・。と言われました。
体重も順調に増えていたし 発達も 何も問題はないように 私は思っていました。
大学病院で 腹部エコーの検査をしましたが 問題はなく 貧血は見つかりましたが 離乳食がすすめば 改善するだろうということでした。
1才半健診も 問題なく ひとりで歩いて 言葉もでていました。
お腹の膨らみは 乳幼児の特有の体型だと 思っていました。
ある土曜日 昼寝から目が覚めて なかなか 泣きやみません。
何か 異常を感じ 救急で 小児科の病院に行きました。
土曜日 午後のため 検査ができず 入院を勧められましたが 帰宅することにしました。
家に帰ると 子どもはケロッとしていたことを覚えています。
しかし 何か 気になり 後日 近くの総合病院の小児科に連れて行きました。
先生も 何か 異常を感じたのか 癌の検査等 考えられる病気の検査をして いろいろ調べてくださいました。
2才で 再び 大学病院 血液内科を紹介され
ゴーシェ病と診断されました。

私は 診断名が付いて ホッとしました。
進行性で 2週間に1回の点滴が一生涯必要と聞きましたが 私は 比較的早く受け入れることが できたと思います。
私は 以前 子どもを亡くしています。
目の前に 自分を慕ってくれる子どもがいるんです。親が この子ために 何もできない訳がないです。
病気がわかりましたが 今は 元気に 歩いています。いろんなところに連れて行ってあげて いろんな 楽しい経験をさせてあげて いろんな 美味しい物を食べさせてあげることができます。
真衣ちゃんが 経験できなかったことを この子はできるんです。
もしかしたら この子の寿命は短いかも知れません。でも 一生 面倒を見る覚悟もありますし 楽しい思い出を いっぱい作ってあげる自信もあります。
車椅子になっても 寝たきりになっても 私は この子を しっかり 育てていけると・・・。
健康で生まれても いつ交通事故で 寝たきりになってしまうかわかりません。そう思うと 未来なんて わからないから 今を ちゃんと 見てあげたら 良いのかも。と 思いました。

現在 息子は 19歳です。
決して 順調に 来た訳では ありません。
辛いことも 悲しいことも 迷ったこともありました。
ある人の言葉が 心の支えになっていたのかもしれません。お父さんとお母さんが 子どものことで 迷った挙句にだした答えは それが 子どもにとっての最善策であって 間違えではないと。

私は 1度だけ 後悔していることがあります。
子どもが小学4年の時 医師に言われた言葉で不安になったことがあります。子どもも 病気のことは知っていたので 子どもの前で 医師や主人に 私の不安を 訴えてしまいました。
子どもは 私とふたりっきりになった時「僕が しっかりしなくては いけないんだ。」と 言いました。
その言葉を聞いた時 すごく悲しくなったのと ダメなお母さんだと思いました。
親の不安は 子どもの不安にとつながります。
その時から 決して 子どもの前では 悲しい顔は見せず 笑っている強いお母さんでいようと思いました。

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会計監査の池田です。

2016年02月14日 | 役員紹介
平成10年4月10日3114g誕生。

平成11年 
2月(0歳)   肺炎にて入院。血小板減少が分かる(7万)。
5月(1歳)   ゴーシェ病診断 
6月      セレザイムによる酵素補充開始・息止め発作、ミオクローヌス出現、デパケンを飲み始める

平成12年 
6月(2歳)   名古屋大学病院にて気管切開手術。経管栄養開始(鼻チューブ)。
         術後、吸引が多く15秒に1回の頻度で吸引しなければならず自分のトイレも行けず持続吸引開始。
7月       平成16年11月(6歳)嘔吐にて入退院を繰り返す。

平成17年 
3月       GER精査(胃食道逆流検査)。
4~6月(7歳) 胃ろう手術(4月19日)。吸引が少し減る。
11月      発作を繰り返す

平成19年 
5月(9歳)   レスパイト入院開始
  
平成21年
11月(11歳) 呼吸不全、神経因性膀胱のため導尿開始。腰椎圧迫骨折
12月      肺炎にて入院。せん骨の褥そう治療(3ヶ月)

平成22年
4月(12歳)  週2回学校に通学開始(自宅から車で20分のところに学校が出来た為)

平成23年 
8月(13歳)  Tチューブカニューレに替え、吸引が1時間に1回に減る。

平成27年 
6月(17歳)  肺炎にて入院


★現在高校2年生(もうすぐ3年生)

小さい頃は、痙攣が多く2ヶ月に1回は入院していたけれど、今は痙攣も減り穏やかな日々を送っています。
学校や卒業後に通う生活介護の場で仲間と楽しく過ごしています。小さな頃からお世話になっている人達に囲まれ幸せです。
生活介護では、看護師さん付きでバスがお迎えに来てくれるので、
家の前でバイバイすると一人で乗っていき、少しずつ自立をしてくれていると感じれています。
このまま成人式を迎えることが目標です。

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