CP+2015 レポート Vol.2

 昨日に続いて今年のCP+で郷秋<Gauche>が気になったもの。


 SAMYANGの、ニコンFマウント用のフィッシュアイです。実は郷秋<Gauche>、SAMYANGのマイクロフォーサーズ用7.5mm F3.5 Fish-Eyeを持っております。純正がえらく高価なので購入したのですが、これがなかなか良かったのです。フィッシュアイの場合にはディスト―ションはまったく気になりませんからね、というか、それが楽しいフィッシュアイ。実はマウント部の精度の高さに驚いたのでした。だって、オリンパス純正レンズよりも装着がスムーズなんです。工作精度がえらく高いんですね。

 ところがCP+会場で試したFマウント12mm F2.8 Fisheyeはと云えば、全然ダメ。マイクロフォーサーズ用は素晴らしいのに!と担当者に云うと「当たり外れがあるのは確かです」とのお返事。この辺りが韓国製サードパーティーの現実か。フルフレーム対応のニッコールは、もう20年以上前の設計で当然Ai AF。今更こんな古いレンズに10万円も出す気にはなれませんが、SAMYANGなら半額で買えます。MFですが被写界深度がえらく深いからピント合わせは目測でもOK。電子接点があり露出計もちゃんと連動しますから最新のDSLRでも使い物になりそうなのです。でもね、買うかと聞かれれば・・・。手持ちのDX用で我慢します。

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CP+2015 レポート Vol.1

 大手メーカーの展示についてはネット上に山ほど情報があるでしょうから、郷秋<Gauche>は例によってマイナーなメーカーのマイナーなものだけをご紹介いたします。と云う事で、今年のCP+で一番気に入ったこれ。


 DJIと云う中国のメーカーの空撮ヘリ(ドローン)です。会場でデモフライトしていたNSPIRE 1に搭載のカメラは静止画1200万画素、動画4kとのこと。検索してみたらamazon購入可能で、お値段は538,000円。おもちゃにしては高価に過ぎますが、展示されていたDSLRも搭載可能な大型機は100万円以上するのでしょうから、まっ、リーズナブルと云う事でしょうか。ちなみに一番小型のPHANTOM 2は10万円。これでも3軸ジンバルが付属しているようですから安定した撮影ができそうです。


 飛行中のNSPIRE 1。バックにはNSPIRE 1が撮影している4k映像がリアルタイムに投影されています。機体を旋回させずに水平方向は360度、垂直方向180度カメラを回転させられると云う説明で、実際にそのデモがありました。この手の無線操縦ヘリコプラ―が飛んでいるのは初めて見ましたが、ソフトランディングは結構難しそうでしたがホバリングは実に安定していたのが印象的でした。

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これ、いいね!

 Bluetooth接続のようだけれど、iPhoneでも使えるのかな? 久しぶりにSONYらしい製品を見た気がする。

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大雪

 日本海側からは大雪のニュースが聞こえて来ます。太平洋側の、南関東に住まっていると冬の間中カラカラに乾いた日が続きますので、狭い日本でこれほどまでに違うのかと驚くばかりです。もう15年ほど前のことですが新千歳から名古屋に飛んだ時に、新潟の海岸線上空から眼下に雪を被った妙高高原、その向こうにはこれまた白い信州の山々、甲府盆地の向こうに富士山、そしてその向こうに太平洋がかすかに見えたことがありました。新潟の海岸線1万メートル上空からは太平洋まで見渡せてしまう、そんな狭い日本なのにこれほどまでに冬の天気は違うのですね。

 郷秋<Gauche>は福島人。東北生まれ東北育ちですが東北と云っても一番南の福島、しかも中通り地方(東北新幹線と東北自動車道が南北に通っている地域)の生まれ育ちですので、雪は降ってもせいぜい2、30センチ。冬の間は西からの風が強く吹き溜まりができますが、それでもせいぜい50センチです。しかも天気は日本海側と太平洋側を行ったり来たり。曇り-雪-曇り-晴れ、これを繰り返すのです。ですから雪は積っては融け、融けては積りを繰り返します。気温が低いとツルツルに凍って、晴れの日が2、3日続くと埃が舞う、この繰り返しです。

 ですので一晩に50センチも、それが来る日も来る日も続く大変さは経験がありませんが、その大変さの多少は判る気がします。2、30センチでさえうんざりする雪かきです。それが冬の間中続くのですから、費やす気力も体力も相当なものだと思います。事故も起こります。まったくお気の毒な雪による事故のニュースを見聞きするたびに、ホントに大変な雪なのだろうと考えさせられます。そんな雪に閉ざされた冬を耐えてきた人たちだからこその粘り強さなのかと、雪国出身の方を見て思ったりもする訳です。大雪のあとにはきっと明るい春が待っていると云っても、慰めにもならないと思いつつも・・・

 と云う訳で今日の一枚は、郷秋<Gauche>の故郷、郡山の雪景色。以前にもご覧いただいたことがありましたら、お許しを。

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Family Nikon

 Family Nikon D5500。Nikon FamilyじゃなくてFamily Nikonなんですね。手頃で良さげな感じがするD5500だけれど、子育て真っ最中の方以外にはちょっと恥ずかしいかも知れないコピーだな。ターゲットゾーンにアピールすると云うよりは、想定したターゲット以外の人には買ってもらえないんじゃないかと云う感じのコピーに思えるけれど、どうなんだろうね。いずれにしても郷秋<Gauche>は買わないけど(^^)

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成田為三先生、岡本敏明先生

 今日は恩師であるT先生にお目にかかり、先生が現在指導されている合唱団の役員の皆さんと11月に予定されている演奏会についての打ち合わせをさせていただきました。今日の本題はこちらでありましたが、本題は2時間弱で終わり、その後のお話し。まだ明るいうちでしたので目立たぬ某所でこっそりと麦酒やら葡萄酒を飲み、更に河岸を変えてからお聞きしたお話。

「浜辺の歌」で知られる成田為三先生は、1945年(昭和20年)4月13日に空襲で滝野川の自宅が罹災し秋田県の実兄宅に疎開し半年を過ごした後、10月28日に上京し玉川学園に音楽教師として着任。東京町田の同校キャンパス内の教員宿舎に落ちついたが、翌29日、脳溢血により逝去された(享年51)。葬儀は玉川学園の講堂(郷秋<Gauche>注:礼拝堂の事と思われる)で行われ、国立音楽学校と玉川学園の生徒によって「浜辺の歌」が捧げられた。玉川学園教員就任は、作曲で師事していた岡本敏明の働きによるものであった。

注:初出時に「玉川学園就任は、国立音楽学校時代の教え子である岡本敏明の働きがあったものと推測される」と書いたが、岡本敏明は1929(昭和4)年に国立音楽学校を卒業しており、成田の国立音楽学校教授就任が1941(昭和16)年であること、岡本が玉川学園奉職後の1930(昭和5)年の末頃に作曲の勉強を継続したい欲望抑えがたく、当時ドイツ留学から帰国されて評判の良かった成田の門を紹介状もないままたたいた事が判明したので訂正した。

 ここまでは知られているところですが、今日T先生からお聞きしたのは成田為三先生が亡くなった後のお話しで、T先生が国立音楽大学在学当時のこと。

 岡本敏明先生から、自分がしばらく家を留守にするので用心棒として自宅に泊まり込んで欲しいと云われ伺ったことがあったのだそうです。仰せの通りに玉川学園の東の丘の上にあった岡本邸に伺った時に迎えてくださったのが、故成田為三先生の奥様であったとの事。つまり、成田為三先生亡きあと、奥様は岡本敏明先生のお宅に寄宿されていたようなのであります。

 T先生が岡本敏明先生宅に用心棒として泊まり込まれたのは恐らく1960年頃の事と思われますので、成田為三先生逝去後15年程経っているはずです。岡本先生は恩師の奥様を少なくともその頃まで丁重にご自宅に住まわせていたことになります。その岡本敏明先生は1977年10月に亡くなりました(享年70)。長くオルガニストを務められた日本キリスト教団弓町本郷教会で葬儀が営まれ、T先生が率いる玉川大学合唱団が聖歌隊として前夜式と葬儀に参加しています(郷秋<Gauche>は残念なことに学園祭の実行委員をつてめていた関係で参加できませんでした)。

 その数か月前のことであったと記憶しておりますが、郷秋<Gauche>は玉川学園町内を散歩中の岡本先生をお見かけし、「先生のお弟子であるT先生にご指導頂いております」と、声をお掛けしました。岡本先生は顔をくずされ「そうか、T君に習っているか」とおっしゃったのをつい昨日のことにように思い出します。今日お目にかかったT先生は既に岡本先生の歳を越えられていますが、ますますお元気。先生の指揮でたくさん歌いたい思いは勿論ですが、もはやT先生しかご存じではない、戦前・戦後の音楽界・合唱界をけん引された音楽家、音楽教育家の方々の貴重なお話しをもっとたくさんお聞きしたいと思った次第でありました。

追記:前後の音楽界、音楽教育界にご興味をお持ちの方のために成田為三先生、岡本敏明先生に関する情報(リンク)を下記に掲載いたします。(2018年2月)
【浜辺の歌と成田のおばさま】2001年
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/8741/es1308.htm

【成田為三夫人、文子様逝去の情報】2000年
http://www10.plala.or.jp/kasuga3/wadai/19.htm

【成田為三先生と「浜辺の歌」】2010年
http://www.keiogakuyukai.com/Forum-06-ozasa.htm

【岡本敏明先生を偲んで】2005-2006年
http://www003.upp.so-net.ne.jp/ai520/koyama0.html

【玉川学園と岡本敏明先生】玉川大学・玉川学園
http://www.tamagawa.jp/introduction/enkaku/history/detail_6075.html 

【「どじょっこふなっこ」「蛙の合唱」の誕生秘話】玉川大学・玉川学園
http://www.tamagawa.jp/social/useful/tamagawa_trivia/tamagawa_trivia-22.html

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八重咲き椿

 花径10センチはあろうかという大振りで、しかも八重咲きの椿。見応えがあります。

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キヤノンから5060万画素機登場

 CP+が近づくと、いろいろと面白いものが登場しますね。
 50万円ですか?!ニコンには負けられないから5060万画素。ニコンが800と800Eの二本立てを止めて810に統合したのに、キヤノンは今更ながらに二本立て。「私はあなたとは違うんです」と云うことなのでしょうか。

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ペンタックスからフルフレーム機登場

 リコーのペンタックスブランドからフルフレームのDSLRが登場するようです。CP+にはその試作機が展示される模様。
http://news.ricoh-imaging.co.jp/rim_info/2015/20150205_006518.html

 その写真を見て、郷秋<Gauche>は思わず「67」か?!と思ってしまいました。ペンタックスとしても当然意識はしているのでしょうね。しかしですよ、今のペンタックスに35mmフルフレーム対応のレンズはどれ程あるのですか?

 本日付で新発売とされている HD PENTAX-D FA★ 70-200mmF2.8ED DC AWとHD PENTAX-D FA 150-450mmF4.5-5.6ED DC AWはフルフレーム対応のようですが、問題は標準ズームと広角の単焦点とズームレンズです。ペンタックスはニコン、キヤノンと並ぶSLRの老舗ですから、SLRはボディ本体だけではなく交換レンズを中心とした大規模なシステムを構築しないと本来の意味をなさないことを知っているはずですが、もう幾年もAPS-C専業となっていたペンタックスに再構築が可能なのでしょうか。

 ペンタックス側の意図とは関係なく、リコーがどのように考えているかも問題になりますね。リコーはフィルム時代にはSLRも製造していたメーカーではありますが、ニコンやキヤノンのような大規模なシステムを構築することはありませんでした。なかったというよりは出来なかったし、そのようなシステムを必要とするプロを抱え込むこともできませんでした。精密機械の老舗でありながら、少なくともカメラ部門においては覇権を競うまでには至らなかった会社です。

 悲しいかな、今のペンタックスはそんなリコーの一事業部ですからね。デジタル645はフィルム時代に確立したマーケットをそのまま引き継いでいますからそれなりの事業展開は出来るのだと思いますが、35ミリフルサイズ機となるとどうでしょうね。まぁ、ペンタックスは郷秋<Gauche>が初めて持ったSLR(SPとSL)のブランドですから頑張ってもらいたい気持ちはありますが、リコーがその経営権を握っているとなるとどうなんでしょうね。

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ビジネス特急 VS 行楽&帰省特急

 一昨日はほぼ一日、名古屋駅の新幹線ホームの真正面のビルの7階で仕事をしておりました。時折そのホームを見るといつも何本かの列車が止まっていたり入って来たり出て行ったり。1時間に上り下り各14本の列車が名古屋駅を発着するのですから、列車がまったくいない時間帯の方が少ないいのこと当然のことですね。福島人である郷秋<Gauche>が慣れ親しんでいる東北新幹線とは格が違います。

 そんな名古屋駅の新幹線ホームを見ていて気付いたのは、来る電車来る電車みんな白くて同じ形であること。そうなんです。今の東海道新幹線には700とN700、N700A、カラーリングも同じで形もほとんど同じこの3形式の列車しか走っていないのです。それに比べれば我が東北新幹線の列車はなんとバリエーション豊富なことか。

 上越新幹線、長野新幹線でも走っているE2系、ロングノーズで緑色のE5系、これに山形、秋田行きのE3系、E6系が連結されていたりもします。特に緑色のE5系と秋田行きの赤いE6系の連結車両に至っては「鉄っちゃん」ならずとも思わず見入ってしま美しさです。ちょっと前まではダブルデッカーのE4系と山形行きの旧型400系や現行E3系連結のような「凸凹コンビ」も走っていましたから、東北新幹線は見ていてもとっても楽しいのです。

 それに引き替え、東海道新幹線の何とビジネスライク、いや、大人な事でしょうか。自分が優等生であることは百も承知でいながらもそんなことは鼻にかけず、目立たぬ衣装をまとって正確に淡々と走る東海道新幹線。自分はレジャーで乗っていても隣にスーツ姿のビジネスマンがいると何となく楽しめない東海道新幹線に対して、行楽や帰省の人が多い東北新幹線はビジネス客の方が遠慮がち、とはうがち過ぎでしょうかね。


 と云う訳で今日の一枚は、一昨日の仕事場から見る名古屋駅の新幹線ホーム。既にFacebookに掲載した写真の二番煎じなのはお許しを。

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鬼は外、福は内

 暦の上でのこととは云え、明日は立春。その前日だから今日は節分。「鬼は外、福は内」の掛け声と共に豆をまく。書くまでもなく幸福をもたらす福の神は家の中へ、災いをもたらす鬼は家の外へと云う事である。善きものは内へ、悪しきものは外へ。善は内へ、悪は外へ。見方は内へ、敵は外へ。善対悪。考えてみると、つまりはこう云う構造なのか。

 福と鬼、善と悪、敵と味方は対立するしかない概念なのか。一見福と見える中に鬼、善の中に悪が潜んでいることは無いのか。悪と思える中に善が内包されていることはないのか。福と鬼、善と悪が共存することは出来ないのか。「禍を転じて福と為す」と云う言葉があるではないか。日本人は昔から、悪と思える中にも善が内包されていることを知っていたのではないか。

 つい先週の金曜日には雪が降ったばかりだし、予報によれば明後日にはまた雪が降るかもしれないと云う。寒いと身体が縮こまる。身体だけではなく気持ちまで、心まで硬く閉じてしまうような気もする。だから春が待ち遠しい。春と聞いて心が浮き立つのは何も雪国の人ばかりではない。比較的温暖な横浜に住まっていても、それでも春は待ち遠しいものなのである。


 節分ならぬ拙文、お許しあれ。と云う事で今日の一枚は昼休みの散歩で見つけたビオレ。

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究極のワンパターン

 郷秋<Gauche>は知る人ぞ知るワンパターン人間である。変らないのか変れないのか、とにかく昔から同じことを繰り返していて進歩がない。同じこと、同じもの、同じ失態を繰り返しているのだ。そんな郷秋<Gauche>にgoo blogから去年の今日、blogにこんなことを書いていましたよと云うメッセージが届いた。このメッセージは自動で毎日配信されるのでいつもは無視しているのだが、今日に限って見てみると・・・

 去年の2月2日に「きしめん住よし」と題する小文を書いているのだが(Click here)、一年後の今日、郷秋<Gauche>はまったく同じ時間に同じことをしているではないか(^^; 去年と違うのは写真を撮ったことだけだ。


 と云う訳で、今日の一枚は、去年は無かった名古屋駅新幹線上りホームにある「住よし」のかき揚げきしめん。

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名古屋

 名古屋、寒すぎます。その寒い名古屋の夜が暮れて行きます。横浜より寒いくらい。懐が寒いかいから?一人だから?

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