遠い記憶(その四・最終回)

 漬物も遠く美味い記憶の一つである。漬物小屋には大きな樽や甕にたっぷりと白菜やら梅が漬け込んであった。都会からの泊り客が美味いからとお替りと頼めば、どんぶりに山ほど出して特に追加の料金も取っていないようであったとは父の言である。そんな大らかな時代でもあったのだろう。家族で泊まりに行った帰りには、この漬物を持たされ、しばらく楽しむのが常であった。

 今はどんな山奥の旅館に泊まっても、夕餉の膳にはまず間違いなく刺身が出されるが、私が子供の頃には刺身は特別の料理であり、日常の生活で食卓に刺身が出されることはまずなかったが、那須屋では時折刺身を出してもらった記憶がある。私たちが泊まりに行っている時にたままた上客がいると、その客用に部落に(多分)一軒きりの魚屋に刺身を注文するついでに、我々の分も取ってくれたのであった。

 活け花の花器のような仰々しい器に盛られた鮪の大きな切り身をかしこまって食べた記憶もあるが、出された多くが鰹であったようにも思う。従兄弟に連れられて何度か行ったことがあるその魚屋では、さすがに氷の上に魚がのっていたが、その鮮度は今とは随分と違っていたのだろう。鰹の刺身を小丼いっぱいのおろしニンニクに醤油をかけたものにつけて食べたものである。鮮度の落ちた魚の臭みを消すためだったのだろう。伯父や伯母たちは、きゅうりの糠漬けもそのにんにく醤油につけて食べていた。私が今も鰹の刺身は生姜醤油ではなくにんにく醤油で食べたくなるのはそんな原体験のせいなのかも知れない。

 こうして往時を振り返ってみると、食べ物にまつわる思いでが少なからず記憶に留まっていることに驚く。食べ物とか匂いにまつわる記憶と言うのは記憶の中枢に案外深く刻み込まれているものなのかも知れない。

 さて、古い古い記憶をたぐり寄せて、四回に分けて掲載してみたが、果たしてこれらの記憶のどれほどまでが正確なものであるのか、いささか自信がない。特に幼い頃の記憶は、その時の記憶そのものではなく、後になって少しばかりの脚色を交えながら思い出し、更にもう少しばかりの都合の良い脚色と共に記憶の引き出しにしまわれているからである。

 しかしながら、いま思い出す事柄が当時の事実と大きく異なっていることはないであろうし、たとえ事実と相違する部分があったとしても、どなたかにご迷惑をかけることでもないだろう。それは私の心の中だけに存在する、私だけの懐かしい思い出の世界なのだから。
 
 本稿はblog化以前の「独り言」に2004年1月20日に掲載した記事に加筆・修正したものです。

その一
その二
その三



夏の花。木槿(ムクゲ)を背にした百日紅(サルスベリ)。

[ 撮影:すみよしの森 ]
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コメント
 
 
 
生まれも育ちも違うでしょうが… (studiocurve)
2005-09-02 20:56:18
電車の事を「汽車」とか、八百屋サンでもらってくる「かき氷」、手作りの「おはぎ」…

生まれた世代?(昭和41年生まれなもので…)ちょっぴり(笑)違うので、お話の全てが自分の記憶と合う訳ではありませんでしたが、

「遠い記憶・4部作」をしみじみ読ませていただきました。

自分の「遠い記憶」も、今度思い出しながら書いてみようと思います。

(いつになるかは未定です…)
 
 
 
ホンの数年 (郷秋)
2005-09-02 21:53:50
studiocurveさんwrote:

>昭和41年生まれなもので…

いやいや、ホンの数年。今となっては同じ前世紀の話ですから大した違いはありゃしませんよ



>自分の「遠い記憶」も

そうですそうです。あと半世紀もすると、貴重な文化・民族史料となりますので大いに書き残しましょう!
 
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