忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

最近吐いたウソの報告w

2010年12月05日 | 過去記事
24時間のうち20時間くらい、寝ているのか死んでいるのかわからないお婆ちゃんがいる。認知症の高齢者は昼夜がひっくり返ることはめずらしくなく、夜はずっと徘徊行動を繰り返し、昼はウトウトしながら過ごしていたりする。先日、施設のホールでそのお婆ちゃんが覚醒しており、数人の利用者の方らと一緒に珍しくも声を発していた。歌だ。

介護士さんらも何人かいて、その歌に合わせてテキトーに手を叩いたりしていた。

「民謡やな、覚えてるんやね~」

といい加減なことも言っていた。私にはすぐわかった。歌っていたのは「戰友」だ。この歌が歌われたのは日露戦争時だ。この軍歌は戦意高揚を目的とした歌ではない、というか戦死した友を偲ぶ歌であるから、大東亜戦争時には「禁歌」とされていたらしい。このお婆ちゃんは80代半ば、大東亜戦争時には10代の娘さんだ。

私は歌詞を全部覚えている。途中から合わせて歌ってみると、他の利用者の方も驚き、そして歌い出した。少し離れたところにいたお爺さんも、なにごとか?と寄ってきた。あちらでは「麦と兵隊」を歌い出した。これもばっちりだ。鶴田浩二の「嗚呼・軍歌」のCDは全て頭の中に入っている。介護士の人らが本気で引いていたが、そんなことはどーでもいい。シャイな私が気持よく一緒に歌えたことが貴重なのだ。ちょっとした「軍歌療法」となった。何が幸いするかわからんものだw

利用者の方はほとんどが女性だ。男性は認知症になる前に死ぬから少ない。だから、私のような男性職員は高齢者女性とのコミュニケーションで苦労するのが相場だが、思わぬ助っ人の登場でとても助かった。また、私が「体調のことばかり聞くから」ということで、施設利用者の方の間では「新しいドクター」だと思われていたことも発覚した(笑)。態度がでかいのだろう。正直、すまんw



私が世話になっている施設にいる高齢者は全員が認知症だ。しかし、その症状は様々で、一見すると何らボケていない人もいる。私にも普通に話しかけてくるお爺ちゃんがいるのだが、これがとてもしっかりしている。「大変やね」とか「明日も?」などと「辻褄の合う」会話ができそうなことを言ってくる。先日も雨の音がし始めたら、

「今日は降らないと思ってたけどねー」

などと明確に言葉を発する。続けて、

「帰りまでに止んだらいいね」

と「私の帰宅時間」の心配までしてくれるのである。


先日も一緒にテレビを見ていると「海老蔵」をやっていて、それに対してちゃんと、

「酒癖が悪いんやね、甘やかされて育ったんもあるかねー、でも、こればっかりやね、テレビもねー」

などと安モンのコメンテーターよりも確信を突く発言もする。しかし、だ。ちゃんと老人用オムツをしている。ちゃんと夜中には徘徊するし、ご飯を手で食べたりもする。


他にも私の好きなお爺ちゃんがいるのだが、この人はお洒落、というか、渋いのである。なんと、黒のレザーコート(のような?)服を着ている。そして皮張りの車椅子に優雅に腰かけ、長い脚を組んで窓の外を見ながらカップを揺らす。中に入っているのが「コーヒー牛乳」なのが残念だが、白髪をかっちりとセットして、私と目が合うと「にやり」と不敵な笑みを浮かべるのである。私の頭の中では「ゴッドファーザー」が鳴り響いている。

しかし、このダンディもちゃんとボケていて、いつまでも持っているカップを取り上げられたりする。あまりに優雅に過ごしているので、介護士さんらから「早く飲んでしまわんと、電気全部消すで!」と叱られたら不安な顔をして、急いでコーヒー牛乳を飲み干す。間食に出たケーキを頬張り過ぎて死にかけたりもする。その前の日は栗饅頭で、もう少しであっちに逝くところだった。くれぐれも少しずつ、ちぎって食べてもらいたい。


しかし、まあ、数十人の高齢者の顔と名前を覚えるのには骨が折れる。先ず、もはや見分けがつかんのが多い。神経衰弱のようなババ抜きのような、わけのわからん感じだ。しかも、間違えていても本人が気付いているかどうか怪しい(笑)。でも、私の努力の甲斐あって、最近はもう、一日中ずっと「他の人には見えないおばさん」と話しているお婆ちゃんと「這いずりゾンビ」のお婆ちゃんは覚えた。まあ、だいぶ慣れた。



ま、なんというか、だ。ずっと「ふしぎなおどり」を喰らっている戦士のようなもので、そもそも私にはダメージとなるMPがない。また、いわゆる「職場の人間関係」という物理的攻撃も、百戦錬磨の私からすれば大したことはない。スライムの攻撃を受けている防御力999HP999のバトルマスターのようなもので「ひらりとかわす」必要すらない。



その施設に少し前からいるという「他の学校の兄ちゃん」がいる。その兄ちゃんは妙に馴れ馴れしく私に話しかけてきて「ここの主任介護士の人は怖いから気をつけたほうがいい」と先輩風を吹かせてアドバイスしてくれるが、たぶん、私のほうが怖い(笑)。ま、この兄ちゃんも昼休みに懐いてくるのは構わんのだが、何人の女を孕ませた、とか、ナンパの成功率は99%だ、とか、この資格を取るのは興味本位で本当は大手企業の内定をもらっている、とか、いい加減にしないと私に泣かされることになろう。30半ばで自慢することじゃないw

もちろん、私のことも聞いてくる。名前は名札にあるから聞かれないが、住所年齢、前職、求職の理由や倒産した理由、休日の過ごし方や家族構成まで、テキトーに質問して来るから私もテキトーに答えているのだが、その感想として「ふつーですね」には参った。

私は「普通」が素晴らしいと思うから私にとっては褒め言葉なのだが、私と比して5つほどしか年の変わらぬ兄ちゃんが、如何にも「若者代表」として振舞うのが、なんとも妙に物悲しくなる。30代半ばといえばもう青年期は過ぎている。中年の入り口だ。私ならその年で結婚もせず、休日前には夜の街でナンパに勤しんでいるほうが問題だと思うのだが、茶色い頭で毎日毎日「ああ、あと4時間もある」と不満ばかり口にする30半ばの兄ちゃんには「普通の素晴らしさ」がわからんのだろう。施設にいる「人生の先輩」に学びなさい。



冒頭の「戦友」を歌うお婆ちゃんの横顔を見ながら、終戦時には15歳ほどだった娘さん時代を想像してみた。「戦友」は父親からか、当時のボーイフレンドか、亡くなった旦那さんかはわからんが、青春時代に耳に残る名曲だったのだろう。

また、感心するのは痴呆症である多くの利用者の方が「食器を片づける」ことだ。手が動く人は皿を重ねて、ちゃんと盆に載せている。隣の利用者さんが片マヒなどの場合、その人の分まで片づけている。そして一日中、ベッドとホールを行ったり来たりして余生を過ごしておられる。そういえば先日、このお婆ちゃんのご家族の方が面会に来られた。息子さん夫婦とのことだ。

ちょうどお風呂に入っている時間だった。私がそのことを告げると、なんと、それではそういうことで・・・と帰ろうとした。おそらくはルール違反だが、私は思わず引き止めてしまった。すぐに参りますから、先ほどもう、上がられましたから・・・・もちろん嘘だ。

私が風呂場に行き、面会の方が待っておられる、と告げると、介護士の方は了解してくれた。取って返して戻り、そのことを息子さん夫婦に告げると、奥さんのほうに促されてソファに座ってくれた。ほどなくしてお婆ちゃんが来た。奥さんのほうが話しかけていたが、もちろん、何の反応もない。旦那さんのほうは施設内をきょろきょろと眺めていたかと思うと、お婆ちゃんの耳元に近寄り、じゃあ、またくるからな、と言い残して数分で帰ってしまった。旦那さんは近くにいた私を認めると会釈されたので、私も会釈をした。すると、旦那さんが言った。もうボケてるから、なにを言うてもね――――

違う。このお婆ちゃんは「戦友」を歌える。あんた息子なのに、そんなこともわからんのか。あんたも還暦を過ぎているだろう。もうすぐ、あんたもここに来るかもしれない。施設に入れるなとは言わない。しかし、時間がとれて、せっかく来たのだったら、もう少しだけ、あと5分でもいいからいてあげてくれ。肩でも背中でもいい。さすってあげてくれ。



茶髪の30代半ばが来た。ヒマだったら来るのだ。

「家族の人が来たら緊張しますね、なんか文句言われそうですもんねー」



・・・・・・・。

・・・あ、そうそう、さっき主任介護士の●●さんがキミの学校名出して、実習態度について注意してきたけど、なんかあったの?私もとばっちりだよ、実習で来ているのに、ブラブラして私語が目立つとか・・・・相当、怒ってたけど、私も学校に連絡されるんじゃないかと怖くなったよ、気をつけようね。


茶髪30代半ばは顔色を変えて持ち場に戻って行った。もちろん嘘だ。

3 コメント

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Unknown (karasu)
2010-12-05 22:54:00
ぐっと、くる話しですね

小さいころに叩き込まれた?
あるいは毎日、毎日の繰り返しで体が覚えていることもあるのでしょうか

非常に強いインパクトを感じて打ち込まれたと言う言い方もできるのでしょうね

その記憶は脳細胞の奥深くに刻まれている

きちんと食器を片付けて洗う、
戦前戦中派の人であれば、ほとんどの人が、もの心ついたころから考えてから動くではなく、体が自然に動くような時代であったはずではないのかと・・

非常に素晴らしい体験をなされたと思います

うれしく思います
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Unknown (二代目弥右衛門)
2010-12-06 13:43:33
♪旅順開城 約なりて~
敵の将軍ステッセル

祖母は僕に「水師営の会見」を子守歌として歌ってくれました。
亡くなる半年ほど前、僕が「♪旅順開城~」と歌い始めると、祖母も一緒に「て~きの将軍」と歌ってくれました。



入居者の息子さんご夫婦のような人は多いです。
そんな人たちは、自分たちも「いつか行く道」だということを果たして理解しているのでしょうか? そして、「自分たちも身内に見捨てられる」ということも。

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Unknown (久代千代太郎)
2010-12-07 20:23:39
>からす さん

ですねー

決まったことを「ちゃんと」する、というのは若い人の方がダメですねw

ホント、毎日「決まった時間」にやってます。感心しますね。



>やえもんさん


ホンマですねー

来た道笑うな我が来た道じゃ、行く道笑うな我が行く道じゃ―――河内屋さんも言ってましたね。
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