忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

山上容疑者モデルの映画、国葬前後に上映足立監督「内面に迫る」

2022年09月24日 | 忘憂之物






明の初代皇帝、朱元璋は坊主で頭もボウズだった。朱元璋は民衆が「禿」とか「僧」の文字を使うと捕まえて首をはねた。いわゆる「文字の獄」だ。つまり、朱元璋というのは残虐で小物、疑り深くて短絡。どこに出しても恥ずかしくない、まさに漢民族だった。

同じ漢民族の習近平も似る。2018年には米ウォルト・ディズニーの実写映画「プーと大人になった僕」の上映が中止になった。習近平が嫌がるから中国語のくまのプーさん「維尼熊」も検索できなくなった。北京冬季五輪の羽生弓弦も演技後、クマのプーさんのぬいぐるみは投げ込まれなかった。みんな習近平に気を使った。平昌五輪では「プーさんシャワー」だったが、朝鮮半島は中国共産党よりマシということか。

中国で上映禁止といえば「ゴーストバスターズ」も駄目だった。理由は「共産国に幽霊はいない」とか左翼弁護士みたいな理由だった。日本アニメでは「進撃の巨人」がダメだった。巷間、言われている理由は「巨人が共産党みたいだから」だとか。なにかと納得する。

もちろん、中国人が作ったネットドラマも禁止されたりする。最近だと「同性愛モノ」が「国内に同性愛が広まったどうするある」として公開中止になった。「日本はジェンダー教育が遅れている」と言う国内フェミの中には、中国に侵略されてもイイ男がいるかもしれない、という不気味なのがいるが、日本が中国の自治区になったら、おっさん同士の恋愛ドラマなど見れなくなる。それに中国のイイ男がいたとしても選ぶ権利はある。いくら漢民族だとしてもあんまりだ。勘弁してあげてほしい。


ところで、今年の7月8日。安倍元総理が凶弾に倒れると、すぐに中国では「山上グッズ」が販売された。自作銃を構えた山上フィギアが作られて、山上のイラストが入ったTシャツなどが売られていた。「山上は真の刺客」とか「山上義士」の文言が入ったグッズが多く出た。7月末頃には当局から指導が入ったのか、販売中止するメーカーも出ていたが、それでも小規模のネットショップや個人での制作、販売は後を絶たない。つまり、売れる。

SNSでは犯行当時の山上のコスプレをして投稿するのがいる。犯行時に山上が着ていた同じTシャツが売れる。飲食店でもお祝いの垂れ幕を出してキャンペーンをやる。そのまま「安倍元総理死亡お祝いセット」を用意する店もあるとか。相変わらず、身の毛もよだつ異常な民族性だが、言うまでもなく、いまの日本国内をみるに、これはとても笑えない。

日本でもまだ、起訴もされていない山上に対する減刑署名がなされ、現金100万円を含んでいろいろと差し入れもあるそうだ。「よくやった」「愛してる」などの山上賛美の声もマスコミは報じる。漢民族と比して変わらぬ愚劣さだが、国葬当日、山上Tシャツを着たのが武道館周辺をうろうろするなら、これはもう国辱ものだし、たぶん、もうそこは日本じゃない。


また、安倍元総理の国葬の日に合わせて、山上をモデル、主役にした映画を緊急上映するとか、朝日新聞が宣伝記事を書いている。なんでも日本国内で生活保護を受けながら映画も作る元日本赤軍、元パレスチナ解放戦線のじいさんが監督らしい。これも「表現の自由」なのかどうかしらないが、日本の懐の深さ、というか能天気は異常だ。もう「平和呆け」ですらない。こいつらがやっていることは、もう不謹慎や不道徳、非常識などですらない。日本民族として、これに何も感じないなら国が壊れている。日本国が終わってしまう。

日本マスコミは「国葬反対デモ」も盛り上げている。デモ参加者がインタビューにて「やっぱり国葬って、弔意の強制じゃないですか。もう絶対に止めなきゃいけないと思って」と阿呆を晒していた。「強制」の意味を知らないのだろうが、そもそも安倍さんが本当に「独裁者」なら、今頃、日本国内でいちびっている「アベガ―」はぜんぶ、どうにかされている。

反対もできるし、参加も拒否できる「強制」は矛盾が過ぎる。だから反対を通り越して「妨害」までを懸念せねばならなくなっている。日本における「言論の自由」を悪用しながら、民主主義の根幹ともなる選挙活動中に殺された名宰相をこき下ろして町を練り歩くこと自体が「安倍政権の独裁」とやらがないという証左だ。

マスコミは「安倍政権でメディアは委縮している」とか言ったが、これと同じだ。あの異常なほどの安倍批判報道をして、いったいどこのだれが、どのマスコミが委縮していると思っているのか。最近ではもう、週刊誌も合わせて反統一教会一色だが、中には「憲政史上最長政権とはいっても統一教会のバックアップがあったからだ」という批判をするのもいる。たった6万人ほどの信者で?と不思議に思うと、小林よしのりなどは「(前略)選挙ではものすごい僅差で勝敗が決まる激戦区があり、当落ギリギリの候補へ効果的に票を割り振れば、6万票で何人かは当選させられる。実際に安倍は実際統一協会に頼んで票の差配をやっていたし、ましてや地方議会はもっとずっと少ない票数で決まるから、その威力は相当なものとなるのは間違いないのである」(MAG2NEWS)とか言う。

間違いないのである、とか「ごーまんかまして」いる場合ではない。それなら創価学会は800万人だ。小林の理屈なら、とっくに公明党は自民党の議席を抜いている。連立政権では自民党から財務大臣しか出ない。それに「憲政史上最長の総理大臣」は山口代表だったろう。無投票で代わらないんだから。それに幸福実現党は1100万人とも言われる。すでに政権取ってなければおかしいだろう。「アベ憎し」で論理が混乱しているのかしらないが、選挙への干渉、政治への介入というなら、この両党はとても見逃せる事実ではないと思う。

「安倍政治」はなにと戦っていたのか。どこと戦っていたのか。「安倍政治」をどこが攻撃してきていたか。だれが攻撃していた、あるいは「いる」のか。「戦後レジーム」とはどういう意味だったのか。安倍さんはなにから「日本を取り戻す」と言ったのか。

安倍さんの国葬儀は3日後だ。安倍さんの冥福を祈りつつ、安倍さんの「無念」を晴らすためには何を考え、何を観て、何をすべきか、深く深く考える必要がある。




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