忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「上には上がいるのか」

2010年12月15日 | 過去記事
「上には上がいるのか」

ツレの忘年会。重機屋をしているツレには久しぶりに会った。酒に酔ったついでに腕相撲をした。私もツレも海老蔵のように好戦的なアレではないが、互いにパワーファイターを自負していたわけだから、酒でも飲めば男の子として「力比べ」をしたりする。無邪気なモノだ。そして―――ツレは子ウサギを扱うように優しく、私の前腕を折らぬように気遣いながらゆっくりと倒してくれた。大人と子供以上、だ(笑)。

学生時代からパワーのある奴だったが、どうにか私が勝ってもいた時期もあった。しかしながら、やはり、日々の鍛錬がモノを言う。最近、私は白骨に近い高齢者しか動かさないが、彼は毎日鉄骨を持ち上げている。それ以前も、私は長らくマウスと箸くらいしか動かしていないが、彼はそのときからずっと「鉄の塊」を動かしてきた。この差は大きいのだ。

掌も私の1.5倍以上、胸板も腕の太さも比べモノにならぬ状態だ。正直、ちょっと情けないと反省するが、とはいえ、別に私が特段に弱いわけではない(笑)。要するに「上には上がいる」ということであり、それは実に自然なことであり、仕方のないことなのだ。

もちろん、このモンスターのようなツレでもゴリラには及ばぬ。尻尾がなくてウホウホという共通点はあるも、私のツレはやはり人間だ。所詮は握力だって80キロ~90キロ程度だ。ゴリラの握力は平均で400キロ~500キロといわれる。ギネスにあるのは600キロを超えているらしい。これがどれほどの馬鹿力かというと、ライオンの咬合力(咬む力)の平均が300キロというから阿呆みたいなことになっている。

ちなみに「ゴリラの握力」とは「ワニガメ」の咬合力と同じくらいだ。いずれにしても、これらに咬まれたり、掴まれたりすればタダでは済まないとわかる。ちなみに陸上生物で最強の咬合力は「ナイルワニ」とのことだ。どれくらいかと言うと2300キロ程度らしい。つまり2トンを超えている。だから、ナイルワニの口の中で踏ん張って何とかなりそうな気がするのは気の所為だ。また、ぐっと昔に遡ればティラノサウルスなどもいる。「ちゃんと咬んで食べなさい、もう、この子、歯が弱いのかしら・・・毎朝、歯ブラシしなさいよ!」と叱られるティラノサウルスの子供の咬合力は3トン以上だったとされる。

また、シロクマが何気なく海面をえぐるとき、その一撃はアザラシを陸に吹っ飛ばす。アザラシは海中にいて200キロほどあるから、もし、シロクマが70キロのサンドバッグにアッパー喰らわすと、サンドバッグは楽々3.5メートルの中空に舞い上がる。もちろん、これはシロクマの渾身のアッパーではない。戦闘用ではない。とすれば、私がツレに腕相撲で歯が立たなくとも、別におかしい話ではない。妻には「かっこわるい~」と笑われるが、世の中には「上には上がいる」のである。実に当たり前のことだええいちくしょう(泣)。

また、しかし、ゴリラもシロクマも相手にならんのが「亀田」である。

亀田兄弟のどれかが「ワイのパンチは宇宙一や!メガトンパンチや!」とか言うが、彼ら一人一人のパンチ力は100万メガトンパワーである(ソウル妄想科学研究室部長:トン・マッスル氏)。しかも、3人が同時に繰り出すパンチ力は単純に300万メガトンパワーではなく、その「兄弟愛」の作用によって実に100兆万億メガロドンを超える。すなわち、相手は超時空平行宇宙空間に叩き込まれることになる。ここに亀田オヤジが加わると「宇宙が300年分縮む」と予想されている(ソウル宇宙戦艦研究所「ヤマトゥ」所長イ・チョンチャン博士)。

ま、このように、だ。いろんな意味でも「上には上がいる」のであるが、民主党の大増税隠しのためにマスメディアを賑わす歌舞伎役者の子倅にはわからんのだろう。それにしても酷い嫌われようだ(笑)。芸能レポーターから芸人まで、ホントかウソか知らんが素晴らしいエピソードを撒き散らしている。テレビ屋は「偉そうなのが嫌い」なんだろうが、それをそのままテレビで流してもいる。反日マスコミは日本が嫌いだから、どのようなことを報道すれば、日本人の視聴者が怒るのかも心得ている。「目上の人に絶対に敬語を使わない」などもツボのひとつで、実際の職場で「ゆとり世代」に手を焼いたお父さんらは、う~ん、と唸る他ない。その他に「出てくる話」も酷過ぎて、視聴者の多くは「海老蔵ww」となっているに違いない。もちろん、私も暴力団崩れのチンピラと飲み歩いたり、甘やかされて育った非常識な馬鹿を擁護するつもりなど毛頭ない。しかし、だ。

ちょっと頭を冷やしてよく考えてみよう。

例えば、相撲界の腐敗も話題になった。お相撲さんは毎日、どこかのマスコミから追いかけまわされ、世間知らずのまま「角界」に放り込まれた力士が吊るされた。麻薬や賭博が蔓延している、相撲界は一度解体して創り直さねばならない!とかやっていた。テレビでは引退した朝青竜が北朝鮮に行っただけで何度も取り上げ、日本で起こした事件を反省していない!とやった。これにも勝谷氏が怒っていた。逮捕しろ!と言っていた。

ンで、今度は歌舞伎だ。共に「日本の伝統文化」である。無論、朝青竜も海老蔵も「日本人好みの真面目な人間」ではないかもしれないし、横柄で上から目線の威張りん坊かもしれない。それは、普段、さぞかし常識的な生活をしておられるであろう視聴者の方々から、常識がない!と批判されても仕方のないことかもしれない。

しかしながら、その結果、NHKは相撲中継を取り止めたりもした。海老蔵もこれだけマスコミからやられたら、その後は大変だと思われる。世襲制である歌舞伎の世界も、相撲と同じく「あり方」を問われることになろう。外から見てもわからぬ「閉鎖的な世界」という点では相撲も歌舞伎も似ていたりする。マスコミは、こいつらはカネも持っているし、贅沢に暮らして甘えている、と暗にイメージを擦り込むこともできる。一見すると、何ら意味のないような内容の報道でも、その事実自体に意味はなくとも、視聴者がどう思うか、は存外に操作しやすい。例えばあの時期、朝青竜は「朝からハラミを10人前焼いて食べたそうだ」ということを報じられた。

さて、これを見た視聴者は「さすがによく喰うなぁ」と思うだけだろうか?そして、この後もテレビはヤル。字幕で解説で、司会者やレポーターの表情、コメンテーターの意見、芸能リポーターの裏情報、これらを加味すると、ハラミ10人前は弟子が買いに走っているとわかる。焼くのもメシを炊くのも弟子か嫁さんだ。それも100グラム120円とかのハラミではなく、当然ながら特上ハラミだと紹介される。また、夜は銀座で赤坂で六本木で飲み歩く姿を「よくみかける」と報じられる。弟子や関係者を引き連れて、我が物顔で肩で風切り歩くと報じられる。どこの誰だか知らんが「怖かった」とか「ガラ悪そう」などという「目撃者」も登場する。そんなことばかりだから、朝青竜もマスコミ関係者を嫌うことになる。どこまでも付いてきて不愉快な質問を「これは我々の当然の権利だ!報道する義務があるのだ!」としてするから、社交辞令や処世術など知らぬモンゴル人のお相撲さんは「うるせぇな!」と言わなくても顔に出る。それを今度は「我々報道陣に対しても鋭い視線を送った」などとして、何度も何度も、何度も何度もテレビで映像を流す。

もちろん、アリバイ作りに「朝青竜物語」みたいなこともする。モンゴルから来た時の苦労話や親孝行な息子の姿もやる。視聴者は「驕れるものは久しからず」という警句を引用しながら、横綱であろうが社長であろうが、人間は謙虚さを忘れたらダメだな、とやる。「実るほど首を垂れる稲穂かな」なんてのも出てくる。結局は悪いイメージになる。


思えば――――だ。朝青竜が引退せざるを得なくなった決定的な事件も「暴力事件」だった。相手は、いわゆる「素人」ではないということも海老蔵事件と同じだ。示談をちらつかせて、妙な弁護士が出てくるのも、有名人を揺さぶるのも似ている。無論、被害者はあっちである。朝青竜も酒に酔って行った乱暴な言動を認めてもいる。海老蔵は事件について「殴ったり、挑発したこともありません」と否認しているが、海老蔵の「酒癖の悪さ」はマスコミが連日やっている。そこらのBARでは「灰皿テキーラ」が流行っているという。「海老蔵ゲーム」として盛り上がっている。

また、海老蔵の件でも、どこのマスコミも「多勢に無勢だった」ことを報じる気配はない。海老蔵は馬鹿ボンで思い上がりも甚だしいど阿呆だから、マスコミ様の記者会見を蹴って「ひとりで飲みに行った」わけだ。で、相手は元愚連隊の地元で有名な悪童が数名だ。「喧嘩を売ったのが海老蔵」だとしても、海老蔵の「殺されると思った」にウソはなかろう。それに相手も飲んでいたなら、手心を加えていたかどうかも怪しいモノだ。あの「非常階段の血痕」も何度もテレビで見させられたが、もし、アレが海老蔵のモノだとすれば、かなりの危険な暴力だったと分析することもできよう。

あの血痕は「上から下に」伸びているとわかる。もちろん、下に薄くなっているからだ。海老蔵は「逃げていた」ことに間違いはない。ならば、あのシーンで「壁側に手を突く」ということは、階段の上から蹴られた可能性が高い。蹴り落とされていたら死んでいる可能性すらある。しかも、あの血液の付着量だ。海老蔵は「右手に裂傷」は負っていない。そして当然、壁に接触したのは「掌の部分」であるから、相手の血液である可能性も低い。つまり、あの血液は自分の「陥没骨折部分」か「頭部からの出血」に触れた際の血液だと思われる。傷を押さえて逃げていたのだろう。その際、階段の上から蹴られた、とすれば、あの血痕にも納得がいく。加えて、あの「血痕が伸びている長さ」はどうだ。階段の数段に及んでいる。落ちるところだったのではないか。海老蔵はプロ野球選手に「腕相撲」を挑むほど腕力に自信があった。あの血痕の最上部にはおそらく、相当な広さに血液が飛び散っていると思われる。渾身の力で壁を叩いたわけだ。転落せぬために。


また、マスコミのおかげで「例のスナックビル」は連日、見学に来る一般人でいっぱいらしい。マスコミ関係者も多かろう。ああいうビルにある店は、安モンの電気屋の「閉店セール」とは違い「会員制」といったら本当に会員制だから、人目を忍んで飲みに来る上客の足は遠のく。これは明らかな営業妨害であるが、マスコミには「国民に知らせる義務」とやらが都合よくあるので、どこに文句を言っても聞いてくれないことになっている。

そして、だ。相撲界のモンゴル人横綱が暴力団関係者と飲みに行って暴行事件を起こし、歌舞伎界の世間知らずのプリンスが勝手に飲みに行って「元暴走族リーダーら」と喧嘩してボコボコにされた事件と、例えば、政権与党の現職参議院議員が「暴力団組長と賭けゴルフした」と裁判で明らかになった事件では、どちらが「国民の皆様」に影響があるのか。

海老蔵が酒に酔った暴走族リーダーの髪の毛を掴んで椅子から引きずり倒すのと、愛人と喧嘩して包丁を突き立て、あまつさえ首を絞めた、と裁判所で「立証された」参議院議員では、どちらが社会的な道義責任を問われることになるのか。しかも、この国会議員は酒に酔っていたわけでもあるまい。素面でヤルのだ。

さらに私の主観であるも、マスコミは相撲や歌舞伎を叩きたくても叩けない。日本人の反応が怖いのだ。元からあるのが当然の日本人からすればピンとこないが、こういう「伝統文化がない国」の連中からすれば、もう、身悶えするほど羨ましいのである。盗むか潰すか、常に腹の中では考えているのだ。だから、叩けるネタがあると、何よりも優先してげっぷが出るまで流し続ける。また、その「反日マスコミが破壊したい&奪いたい最たるもの」は言わずともわかると思う。


朝青竜は「上には上がいる」と知っていた。だから「上を目指すこと」には妥協しなかった。海老蔵は恒常的に「上にいる」ということが当然と教えられてきた。人間国宝の跡継ぎというのは、海老蔵が産まれたときから決まっていたことだ。なぜに歌舞伎が世襲制なのかと考えれば、それはすぐに「伝統文化だから」と気付く。だからお父さんが「人間国宝」なのだ。すなわち「護らねばならない」ということを宿命的に背負うことになる。

しかしながら、この「上には上がいる」というのは「上を目指す」とか「現状に驕るな」という警句なだけではなく、本当のところは「敬愛の意を忘れてはならぬ」という教訓ではないかと思う。「上」というのは権力者のことではなく、また、己が属する分野における「上位者」のことだけでもなく、それら全てを包含する「権威的なるもの」についてであろうと思う。朝青竜なら貴乃花ではなく「相撲道」であり、海老蔵なら団十郎ではなく「歌舞伎」という伝統文化に対する敬愛の念をいうのだろう。

またこれは「下には下がいる」という真逆の言葉に含まれる「下のモノに気を許すな」とも相反する概念かもしれない。「下には下がいる」とは、決して「下を見下して現状を満足しろ」というニヒリズムではない。虐めや差別に通ずるレイシズムのことでもない。ましてや「自分はまだマシ」という慰めのための言葉でもない。これは「どのような立場であれ、それを妬む下賤な連中はいるから気をつけよう」という意味であると思われる。


「なんでテレビは海老蔵ばっかりやるの?」→「みるからじゃん」から脱しよう。それは結果であって原因ではない。なぜ最初に黒人とのハーフが逮捕されに出てきたのか、それをマスコミはどう報じているかも注視すればすぐにわかる。連続殺人犯でも地元では「良い人に見えたけどね」が日本人の客観性だ。あてにならんのだ。

「正義感が強く仲間思い」やら「容疑者は曲がったことが嫌いだった」も疑うのだ。不良は「曲がったことが嫌い」だから不良になる。曲がっているのに気付かぬ奴は左翼になる。世の中は曲がったことだらけであり、それを許容して正すことが出来る人を大人という。世の中が曲がっているなら、オレっちはもっと曲がってやるぜ!は所詮が餓鬼の発想だ。


ま、いずれにせよ、群れるのはハイエナだ。オオカミではない。本当の不良は社会に出てちゃんと働きながら強く生きているのだ。



―――ゴリラは握力を鍛えるためにハンドグリップを1000回握ったりしない。ナイルワニも丸太を咬み潰して威張ったりしない。それは「上には上がいる」と知っているからだ。ただ、野生の動物は「下には下がいる」とも本能で知っているから、鍛えるのではなく、今ある武器を研ぐだけだ。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。