画竜点睛

素人の手すさびで作ったフォントを紹介するブログです

「ジェノサイド」(83)

2017-12-15 | 雑談
●カント

そういうわけで、これらの説はカントの批判哲学に取って代わられることになります。確かにカントの哲学にも、実在の全体を包括するただ一つの完全な科学が存在する、という先入観が染み込んでいます。さらに或る面から見た場合、カントの哲学は近代の形而上学を延長し、古代の形而上学を換骨奪胎したものに過ぎない、と言えなくもありません。スピノザとライプニッツはアリストテレスに倣って知の統一を神として実体化しましたが、カントの批判は、少なくとも或る一つの面において、古代の科学にとって必要だったこの実在の全体を包括するただ一つの科学という仮説は、近代科学にとってもそのすべてが必要なのか、実際にはその一部さえあれば事足りるのではないか、という問いを出発点としています。事実、古代人にとって科学は概念に、言い換えると事物が属する種にかかわるものでした。彼らはすべての概念をただ一つの概念に集約することで、必然的に或る一つの存在に導かれました。彼らの辿り着いたこの存在は恐らく「思考」と呼んでいいものでしょうが、それは主体としての思考を表すものではなく、対象としての思考を表すものでした。アリストテレスが神をノエセオス・ノエシス(思惟の思惟)として定義したとき、恐らく彼が重視していたのはノエセオス(対象としての思惟)の方であって、ノエシス(作用としての思惟)の方ではありません。アリストテレスにおいて神はすべての概念の総合であり、イデアのイデアに他なりませんでした。しかし古代の科学とは異なり、近代科学は法則、すなわち関係に基礎を置いています。ところで関係とは、精神が結び付ける二つの項、もしくは二つ以上の項のかかわりを意味します。それは項と項を結び付ける知性の外では何物でもありません。したがって宇宙が法則の体系となり得るのは、諸々の現象が知性のフィルターを通過した後でそれが把握される場合だけです。諸々の現象を篩いにかけるこの知性は、恐らく、人間より無限に優れた存在の知性、事物を相互に結び付け、それと同時にそれらの物質性を基礎づけるような存在の知性でもあり得るでしょう。ライプニッツとスピノザの仮説は、まさにそのようなものでした。しかしわたしたちが望む帰結(ガリレイの物理学は無限に発展可能である、という帰結)を得るためには、必ずしもそのような知性は必要ありません。それを得るためには人間の知性だけで十分である、というのがカントの出した答えです。この点で、スピノザやライプニッツの独断論とカントの批判哲学との間には、ちょうど「必要」と「十分」との間にある隔たりと同じだけの隔たりがあると言えます。スピノザやライプニッツの独断論は、人間の自然的な傾向に沿ってギリシアの形而上学の方にとめどなく滑り落ちていきましたが、カントは彼らの独断論が滑り落ちていく坂の途中でそれを引き留め、ガリレイの物理学が無限に発展可能であると想定するために必要な仮説を最小限で済まそうとします。彼が人間の知性について語るとき、確かに問題になっているのはあなたの知性でもわたしの知性でもありません(つまり個人の知性ではありません)。自然の統一は人間の悟性によって成し遂げられますが、悟性において働いているこの統一の機能は非人称的なものです。つまりこの機能はわたしたち一人ひとりの意識に伝えられるものだとしても、わたしたち一人ひとりの意識を超越したものであり、実体的な神の働きには遥かに及ばないものの、或る個人が単独で行う働きよりは、さらに人類が集団で行う働きよりは多少とも優れたものです。この機能は、厳密に言えば人間の一部をなすものではありません。意識が知性という空気を呼吸しつつその中に浸っているのと同じように、寧ろ人間がこの機能の一部をなしています。何ならそれは、一つの形式的な神であると言っても構いません。カントにおいてはまだそれは神的なものにはなっていないものの、いずれ神的なものになる何かです。カントの衣鉢を継いだフィヒテに至って、人々はその点に気づきました。それはさておき、わたしたちの科学全体に、相対的で人間的な性格を与えること、ただし人間的とは言っても幾分かは既に神化された性格を与えること、それがこの統一の機能の主な目的であるとカントは考えます。こうした面では、カントの批判は科学についてのスピノザやライプニッツの考えを受け入れ、この二人の先駆者の考えに含まれる形而上学的な要素を最小限に抑えて、彼らの独断論を制限することを主たる目的としていました。

しかし認識の素材と形式との区別に関しては、スピノザやライプニッツに対してカントは上記のような宥和的な態度とは異なる態度を取っています。カントは知性のうちに、何よりも諸々の項を関係付ける能力を認め、関係付けられる諸項に知性を超える起源を与えました。知の統一を神として実体化した一つ前の時代の先駆者に対して、カントは、認識は知性的な項に完全に還元できるものではない、と異議を唱えました。彼はデカルト主義者達が捨て去ったデカルト哲学の本質的な要素を、修正し別の平面に移しながらも、再び哲学に統合したのです。

これによって、カントは新しい哲学への道、すなわち直観という高次の努力によって、知性を超える認識の素材のうちに身を置くことができる哲学への道を開きます。カントが示し得たであろう道筋は次のようなものです。もし意識が認識の素材と一致することができるならば、つまりそれと同じリズム、同じ運動を採用することができるならば、意識は逆方向に向かう二重の努力によって代わる代わる自己を高めたり低めたりしながら、物体と精神という実在の二つの形式を、最早外側から理解するのではなく、内側から把握することができるのではないだろうか。この二重の努力によって、われわれは可能な範囲で絶対的なものをもう一度生きることができるのではないだろうか。さらに、こうした努力の最中に知性が自ずから形をなしていき、それが精神全体の中で自らを切り分ける様もわれわれは目にすることができるに違いない。そのとき知性の認識は、確かに制限されてはいるものの、最早相対的なものとして現れるのではなく、あるがままの姿でわれわれの前に現れるだろう。

これが、自ら再興したデカルト主義に対してカントの哲学が示し得た方向性です。しかしカント自身は、こうした方向に進もうとはしませんでした。

カントが自ら開いた哲学の道に進もうとしなかったのは、彼が知性を超える素材を知性に与えて置きながら、素材のひろがりは知性のひろがりと同じもの、或いはそれより狭いものと思い込んでいたからです。そのため彼は、素材から知性を切り出すという考えに想到することができず、したがって悟性とそのカテゴリーの発生を思い描くこともありませんでした。悟性の枠も悟性そのものも、既に出来上がったものとしてそのまま受け入れる他はなかったのです。カントの考えによれば、わたしたちの知性に与えられる素材と知性そのものとの間にはいかなる類縁性もなく、それらが一致するのは、ひとえに知性が自己の形式を素材に押し付けるからでしかありません。したがって認識の知性的な形式は或る種の絶対的なものとして措定されなければならず、その起源を問うことは断念しなければなりませんでした。それだけではありません。認識の素材自体既に知性の手垢にまみれており、素材本来の純粋な状態を捉えることは最早望むべくもない、とカントは考えました。こうして彼は、認識の素材として与えられるのは「物自体」ではなく、わたしたちの呼吸する空気(知性)を通過する際に屈折した「物自体」の幻影に過ぎない、と結論するに至ったのです。

カントが、何故わたしたちの認識の素材がその形式から食み出していると考えなかったのかを問うてみると、以下のような理由が見つかります。自然に関するわたしたちの認識についてカントが行った批判は、もし科学の諸々の主張が正当なものであるならば、わたしたちの精神はどのようなものでなければならないか、また自然はどのようなものでなければならないかを問うものでした。しかし科学の主張そのものについては、彼は批判を加えませんでした。つまり彼は、所与のすべての部分を同じ明瞭さで把握できる科学、それらの部分のどこをとっても同じ堅固さで結び付いている体系として関係付けることのできるただ一つの科学という観念を何の疑いもなく受け入れたのです。わたしたちの考えでは、科学は物理的なものから生命的なものへ、生命的なものから心的なものへと進めば進むほど次第に客観的なものではなくなり、象徴的なものへと化していきます。そして経験は、恐らく相反する二つの異なる方向、一つは知性の方向に、もう一つは逆の方向に進みます。しかし「純粋理性批判」において、カントは科学や経験をそのようなものとしては想定していません。経験は一つしかなく、知性はその全領域を覆っている、という風に彼の目には映っています。われわれのすべての直観は感性的なもの、言い換えると知性以下のものである、という彼の言葉から読み取れるのはそのことです。もし科学がすべての部分において同じ客観性を示すのであれば、わたしたちとしても彼の言い分を認めるのに吝かではありません。しかし先に述べたように、科学は物理的なものから生命的なものを経て心的なものへと進むにしたがって次第に客観的なものではなくなり、象徴的なものへと化していくとすれば、或る事物を象徴するためには何らかの仕方でそれを知覚していなければならない以上、わたしたちは心的なものを、或いはもっと広く生命的なものを直観していることになります。恐らく知性はこの直観を再構成し、翻訳するでしょうが、この直観そのものは知性を超えたものには違いありません。したがってわたしたちは、知性を超えた直観を手にしている、と考えても差し支えないでしょう。このような直観が存在するとすれば、精神は外的な現象を認識するだけにとどまらず、自己自身をも把握することができる筈です。さらに特筆すべきは、カントの言う感性的な直観も、ちょうど赤外線が紫外線と連続しているように、幾つかの中間段階を介してこの種の直観、言うなれば超知性的な直観と連続しているに違いない、ということです。そうなれば感性的な直観の価値も相対的に高まることになります。それは最早把握不可能な「物自体」の幻影に惑わされているだけのものではありません。感性的な直観も(幾つかの修正を施しさえすれば)超知性的な直観と同様、わたしたちを絶対的なものへと導いてくれる筈です。逆に感性的な直観が科学の唯一の素材と看做されている限り、精神に関する科学的認識を蝕んでいる相対性があらゆる科学の領域に広がっていくのを防ぐものは何もありません。その結果、物体の科学の端緒である物体の知覚そのものが相対的なものと看做されるようになり、ひいては感性的な直観も相対的なものと看做されるようになりました。しかし今述べたように、最初に様々な科学の違いを認め、それらを区別するならば、また精神に関する科学的認識(したがってまた生命に関する科学的認識)は、或る種の認識方法、物体に適用されている限り客観的で、決して象徴的なものではない認識方法を、大なり小なり物体以外のものに人為的に拡張したものに過ぎない、と考えるならば話は違ってきます。さらに、このように秩序の異なる二つの直観(秩序が異なるとは言っても、第二の直観は第一の直観を単に反転することによって得られます)が存在し、しかも知性が自然的に第二の直観の方に向かうとすれば、知性とこの直観そのものとの間には本質的な差異はない、ということになるでしょう。こうした仮説の下では、感性的な認識の素材とその形式との間には、また感性の「純粋形式」と悟性のカテゴリーとの間にも最早超え難い障壁は存在しません。わたしたちは知性が自己の形式を素材に押し付けるのを見る代わりに、(知性がそれ固有の対象に働きかける限りにおいて)知性の認識の素材の形式とが相互に適応し合い、一方によって他方が生み出される様を、すなわち知性が物質性をモデルにして、物質性が知性をモデルにして生み出される様を捉えることができます。

しかしこうした直観の二元性をカントは認めようとしませんでしたし、認めることもできませんでした。それを認めるためには、カントは持続が実在の生地であることを認めなければならなかったでしょうし、事物の実体的な持続と、空間に散乱した時間とを区別しなければならなかったでしょう。それに加えて、空間そのもの、また空間に内在する幾何学は物質的な事物が向かう観念上の終点であり、そこで事物は自らをひろげはするものの、完全にひろがり切ってしまうわけではない、という点も考慮する必要があります。カントにとってみれば、「純粋理性批判」という言葉の字義に、またその精神にもこれほど反する考えはありません。なるほど「純粋理性批判」においては、認識は常に開かれているリストとして、経験は無限に続く事実の推力として提示されています。しかしカントによれば、事実は一つの平面(等質的空間)上に徐々にばらまかれるものであり、相互に外的で精神にとっても外的なものです。事実をそれが出来した後で捉えるのではなく、その湧出において捉えるような認識、それによって空間と空間化された時間とを掘り下げていくような認識、そういった内側からの認識にカントが言及することは決してありません。しかし意識がわたしたちを連れていくのはまさにカントが想定したような事実のばらまかれる平面の下方であり、そこにこそ真の持続があります。

この点に関しても、カントの考え方は過去の哲学者の考え方とさほど変わりません。カントは、非時間的なものと、相互に区別される瞬間に解体された時間の中間的な存在を認めません。そしてわたしたちを非時間的なものに導く直観は存在しない以上、定義上、あらゆる直観は感性的なものであると考えます。しかし空間にばらまかれている物理的な存在と、非時間的な存在、すなわち形而上学的独断論が説く概念的、論理的でしかあり得ないような存在との間には、本当に意識と生命のための場所は存在しないのでしょうか。答えは明らかに否です。瞬間から出発し、それらを繋ぎ合わせて持続を再構成するのではなく、逆に持続に身を置いてそこから瞬間へと移行するとき、わたしたちはすぐさまそのことに気付きます。

しかるにカントの直接の後継者達(例えばフィヒテ、シェリング、ヘーゲル、ショーペンハウアー等)は、カントの相対主義から逃れるために、(感性的な直観にとどまるわけではなく、さりとて上述したような中間的な存在を認めるわけでもなく)非時間的な直観の方へと向かいました。彼らの哲学では、確かに生成や進展、進化といった観念が大きな場所を占めているように見えます。しかし彼らの哲学において、持続は本当に何らかの役割を果たしていると言えるでしょうか。実在的な持続とは、形式の一つ一つが先行する形式に何かを付け加えながらそこから派生し、先行する形式によって可能な範囲で説明される、そういったものです。しかし形式を包括的「存在」から生まれたものと看做し、そうした包括的「存在」から形式を直接演繹することはスピノザ主義に戻ることであり、ライプニッツやスピノザがそうしたように持続のあらゆる実効的な作用を否定することです。カント以後の哲学は機械論的な理論に対して一見極めて厳しい態度を取っているように見えて、その実どんな種類の実在に対しても同じただ一つの科学という観念を機械論から受け継いでいます。それらの哲学は自分が考えているほど機械論と異なっているわけではない、と言ってもあながち言い過ぎではありません。何故なら物質や生命や思考について考察する際、カント以後の哲学は機械論が想定しているような複雑さの程度をそのまま受け入れるわけではないにせよ、それを「理念」(ヘーゲル)と呼ばれるものの実現の程度や、「意志」(ショーペンハウアー)と呼ばれるものの客体化の程度に置き換えているだけで、程度について語っていることに変わりはないからです。またそれらの程度は逆方向に進む二つの存在の性質の差を表しているわけではなく、同じ存在の増減や強弱の度合いを表しているに過ぎないからです。したがってカント以後の哲学が自然のうちに見て取る分節は、結局のところ機械論が自然のうちに見て取る分節と同じものであると言えます。それらの哲学は機械論からその輪郭をそのまま受け継ぎ、輪郭の内側を機械論とは異なる色で塗りつぶして別のものに仮装しているに過ぎません。しかしそれらの哲学が描き変えなければならないのは、少なくともその半分を描き変えなければならないのは色ではなく、機械論から受け継いだ輪郭そのものです。

もっともそのためには、概念の操作を旨とする構成的方法を放棄し、経験に訴えなければならないでしょう。それも単なる経験ではなく、わたしたちが訴えなければならないのは、事物に対する行動が進化するにつれてわたしたちの知性が構成した枠、経験の表面を覆っている枠を必要に応じて除去することによって純化された経験です。この種の経験は、非時間的な性質のものではありません。空間化された時間、すなわちそこに諸部分が連続的に再配置されていると思われている時間を突破し、全体の根本的な改鋳が間断なく行われている具体的持続の底流を手探りしながら探求するのがこの経験の特徴です。構成的方法が、あたかも一つずつ階を積み重ねて聳え立つ建物を建築するかのように徐々に高い一般性にわたしたちを導いていくのとは異なり、この経験は実在のあらゆる紆余曲折を辿ります。この経験は少なくとも、それがわたしたちに示唆する説明と説明されるべき対象との間に遊びの部分を残しません。この経験がわたしたちに明かすのは実在の全体ではなく、その具体的細部です。

●スペンサーの進化論

19世紀に入ったばかりの当時の思想界が、この種の哲学、すなわち恣意的なものを脱却し、個々の事実の細部にまで降りていける哲学を求めていたこと、そうした哲学に至るためには具体的持続に身を置かなければならないと感じていたことは疑えないように思えます。精神科学の誕生、心理学の発達、生物学の、とりわけ発生学の重要性の高まり、これらすべてのことが内的に持続する実在、持続そのものであるような実在の観念を当時の人々に示唆していたことは間違いありません。そこで一人の思想家が現れ、或る進化論を提唱したとき、多くの人々の注目がその人物に集まりました。その人物の学説では、知覚的なものへと向かう物質の進展と合理性へと向かう精神の歩みが同時に辿られ、徐々に複雑になっていく内部と外部の対応が一歩一歩着実に辿られていたからです。そこでは、変化が諸事物の実体そのものと看做されていました。この学説、すなわちスペンサーの進化論が同時代の思想家を強く惹き付けた理由はここにあります。スペンサーとカントとの間には何の接点もないように見えるにせよ、また事実スペンサーはカントの哲学を知らなかったにせよ、彼が初めて諸々の生物科学に接したとき、カントの批判を織り込みつつ哲学がどの方向に歩み続けることができるか、という当時の人々が抱えていた問題を解決へと導く道を彼は本能的に察知しました。

ところが自ら見出した活路に一歩踏み出すが早いか、彼は期待された方向とは別の方向に歩き始めます。様々な発生を跡付けることを人々に請け合って置きながら、彼がしたのは全く別のことでした。彼の学説は、なるほど進化論と呼ばれていました。それは普遍的な生成の流れを遡り、再びその流れを下ってくると豪語していました。が、実際にスペンサーが問題にしたのは生成でも進化でもありませんでした。

わたしたちはここで、彼の哲学を深く検討するつもりはありません。ただ次のように言って置きましょう。既に進化したものの断片で進化を再構成すること、スペンサーが原則的に取った方法とはそのようなものである、と。例えば一枚の絵が貼られた厚紙を細かく切って断片にし、それらの断片を集めて組み合わせれば元の絵を再現することができます。ジグソーパズルのピースを並べ、ばらばらのイメージを組み合わせて元の色鮮やかな絵柄を完成させた子供は、自分がその絵柄と色を作り出したと無邪気に思い込むでしょう。しかし絵を描き、色を塗る行為は、あらかじめ描かれ着色された絵の断片を寄せ集める行為とは何の関係もありません。進化の最も単純な諸結果を組み合わせれば、ジグソーパズルと同じように、確かに表面上はその最も複雑な結果を真似ることができます。しかし単純な結果を組み合わせて複雑な結果を再構成したところで、単純な結果にしろ複雑な結果にしろその発生過程を跡付けることができるわけではありません。進化したものを進化したものに付け加えても、そうして出来上がったものは進化の運動そのものには全く似ていないからです。

このように進化したものを組み合わせれば、進化そのものを再構成できる、と思い込んだところにスペンサーの錯覚があります。彼は実在をその現在の形式において捉え、細かく砕いてばらばらにします。次いでそれらの破片を「統合」し、そこから「運動を一掃」します。こうしたモザイク的な手法によって単に「全体」を模倣しただけなのに、スペンサーは元の絵を自分が描き、発生させたと思い込むのです。

まず物質の発生に関してはどうでしょうか。スペンサーは、ばらばらに散らばった諸要素、彼の考えるところでは、もともと空間内に散在している単純物体の粒子に類した諸要素を統合して、見たり触れたりすることのできる物体を構成します。それらの諸要素がどういうものであれそれは「質点」と看做されており、したがって不変の点、最小の固体と看做されています。固体性はわたしたちにとって最も身近なもの、最も扱いやすいものであるというに過ぎませんが、スペンサーは、物質の起源にはこの固体性があると言わんばかりなのです。逆に物理学は進歩するにしたがい、エーテルや電気などといったあらゆる物体の基礎と看做されているものの特性は、わたしたちの知覚する物質の特性(例えば固体性)をモデルにしては表象することができないことをはっきりと示すようになります。ところで、エーテルと呼ばれるものすら超え、さらなる根源に遡るのが哲学の役割です。哲学からすれば、エーテルとはわたしたちの感覚が諸々の現象間に捉える関係の図式的形象に過ぎません。事物のうち見たり触れたりすることのできるものは、それらに対するわたしたちの可能的な行動を表しているに過ぎない、ということを哲学はよく心得ています。進化したものをどれだけ細かく分解しても進化するものの原理に辿り着くことはできませんし、また進化したものとは進化がそこで停止した点でしかない以上、進化したもの同士をいくら組み合わせても進化を再現することはできません。

次に精神の発生に関してはどうでしょうか。スペンサーは、生物の機械的な反射を組み合わせることで、まず本能を、次いで理性的な意志を交互に発生させることができる、と考えます。生物の特定の反射は、完成された強固な意志が一つの到達点を表しているのと同じように一つの終着点を表しており、したがって進化の出発点においてそれを措定することはできない、という点を彼は見落としているのです。なるほど反射の方が意志よりも早く最終的な形態に達した可能性は大いにあるでしょう。とは言え反射にしろ意志にしろ、所詮どちらも進化運動が固体化して一時的に沈殿したものであって、進化運動そのものは、反射との関係だけでも、意志との関係だけでも表現できるものではありません。進化運動そのものに遡るためには、まず反射的なものと意志的なものとを混ぜ合わせ、次いでそれら二つの形態となって固体化する流動的な実在、恐らく両者の性質を同時に帯びながらも、そのいずれでもないような実在を探す必要があります。動物の最下層に分類される生物、未分化な原形質の塊りに過ぎないような生物では、刺激に対する反応はまだ反射のような一定のメカニズムを働かせるには至っておらず、意志的行動のように幾つかの決まったメカニズムの中から選択できるわけでもありません。したがってこのような生物の刺激に対する反応は反射的なものとも意志的なものとも言えないものの、注意深く観察すればそれは両者を二つながら予示していることに気付く筈です。例えば差し迫った危険から逃れるために咄嗟に半ば意志的、半ば自動的な行動を取るようなとき、わたしたちも始原の活動性に似た何かを自己のうちに体験します。もっともそうした体験でさえ始原的な歩みをそのまま再現しているわけではなく、それを不完全に模倣しているに過ぎません。何故なら始原の活動性は一つの単純なものであり、脊髄や脳のようなメカニズムを生み出しつつ多様化するものであるのに対して、わたしたちが体験し得るのは飽くまで既に完成された二つの活動性、既に脳と脊髄に局在化されている二つの活動性を単に混ぜ合わせたものに過ぎないからです。ところがスペンサーの進化論では、今わたしたちが指摘したような点には一切考慮が払われていません。それというのも、既に固定されたもの同士を組み合わせることで、進化の根幹をなす漸進的な固定化の働きを再構成する点に彼の方法の本質があるからです。

最後に、精神と物質の対応に関してはどうでしょうか。スペンサーが、精神と物質の対応によって知性を定義するのは間違っていません。また彼は、知性が進化の辿り着いた終着点の一つであることを正しく見て取っていました。しかしいざ知性の進化を跡付ける段になると、またしてもスペンサーは進化したもの同士を統合するだけで満足してしまいます。そのような作業には何の意味もないことに彼は気付いていません。進化したものがほんのわずかでも措定された瞬間、同時に進化したものの全体も措定されます。したがって進化したものの断片を統合することによって進化したものの全体を生み出したと主張するのは、先にも述べた通り、完成したジグソーパズルを見てそれを自分が描いたと主張するのも同然だということになるでしょう。

事実、スペンサーは以下のように考えます。自然において次々に生起する諸々の現象は、それらの現象を象徴的に表しているイメージを人間の精神に投影する。したがって諸現象間の関係と諸表象間の関係とは対称をなしている。そして自然の最も一般的な諸法則には現象間の諸関係が凝縮されているがゆえに、それらの法則から、思考を導く諸原理、表象間の諸関係が統合されている諸原理が生み出される。このように自然は精神のうちに自己の姿を映し出しており、われわれの思考の内奥の構造の一つ一つが事物の構造に逐一対応している。以上の点については、わたしたちもスペンサーの主張を認めましょう。しかし人間の精神が現象間の関係を表象し得るためには、まず現象が、つまり生成の連続性において切り取られた判明な事実が存在していなければなりません。そして今日わたしたちが目にしているような事実を切り取る特定の分解方法が与えられた瞬間、知性も現在のような姿で与えられることになります。何故なら実在がそうした方法で分解されるのは、知性との関係において、否、知性との関係においてのみだからです。哺乳動物と昆虫の目には自然の姿が同じように映っており、両者はそこに同じ分割線を引き、自然全体を同じ分解方法で分解している、などということが考えられるでしょうか。とは言え昆虫も、それが知的になり得る限りにおいて、既にわたしたちの知性の幾分かを備えています。あらゆる生物は、各自、自己の行動が辿らなければならない線にしたがって物質的世界を分解します。これら可能的行動の線は交錯しながら経験という網を描き、その網目の一つ一つが事実となります。一つの都市を例にとって考えてみましょう。或る面から見ると、一つの都市は専ら建物で構成されており、街路は建物と建物の間隔を表すものでしかありません。それと同じように自然は事実(建物)しか含んでおらず、一旦事実が措定されれば関係(街路)とは諸々の事実の間を走る線に過ぎない、と言うこともできます。しかしもう一度都市の例に戻ると、自然が事実に分解される以前に、建物の位置やそれらの形状、街路の方向を同時に決定したのは漸次的に行われたその土地の区画整理です。各々の建物が現在の場所に建ち、各々の街路が現在のような方向に開かれたのはこの区画された土地を細分した結果であって、そうした個々の細分の仕方を理解するためには、細分される前の区画を参照しなければなりません。スペンサーの根本的な誤りは、こうした区画がどのように行われたかを知ることこそ真の問題であるにもかかわらず、既に区画済の経験を措定した点にあります。思考の諸法則が諸々の事実間の関係を統合したものに過ぎない、ということはわたしたちも認めましょう。しかし諸々の事実を、今日わたしたちが見るような形状とともに措定した瞬間、わたしたちは自己の知覚能力と知的理解能力を、今日わたしたちのうちに見られるような形で想定することになります。何故なら実在を区画するのも、実在全体において事実を切り取るのもそれらの能力以外のものではないからです。したがって諸々の事実の間の諸関係が思考の諸法則を生み出した、と主張する代わりに、思考の形式が知覚される諸事実の形状を決定し、その結果諸々の事実間の諸関係を決定した、と主張することもできます。この二つの言い方は等価であり、両者はどちらも同じことを述べているのです。第一の言い方には進化を説明しようとする意図があるのに対して、第二の言い方にはそれがない、という違いは確かにあるにせよ、第一の言い方にしても進化から切り取った事実を無理やり繋ぎ合わせているだけで、そこには第二の言い方に含まれる内容以上のものがあるわけではありません。というのも、知性と物質がどのような生存様式を徐々に獲得することによって、知性はその構造の計画を、物質はその分割様式を採用するに至ったかを探求しなければ真の進化論とは言えないからです。知性の構造と物質の分割とは二枚の歯車のように相互に噛み合っており、相互に補完し合っています。両者は、互いに協調しながら進展しなければならなかったのです。それゆえ精神の現在の構造を措定するにしても、或いは現在のように分割された物質を措定するにしても、どちらの場合もわたしたちは既に進化したもののうちにとどまっており、進化しつつあるものについて、或いは進化について何かを説明し得たわけではありません。

わたしたちがもう一度見出さなければならないのは、二枚の歯車のように噛み合っている知性と物質の相互補完的な進化です。物理学の領域において自己の学問を深く究めた学者達は、哲学者に先んじて既に次のような考え、全体について推論するようなやり方で部分について推論することはできない、という考え、また進歩の起源と終着点には同じ原理を適用することはできない、という考え、例えば原子を構成する粒子が問題となる場合、創造とか消滅といったことも認められないわけではない、という考えに傾きつつあります。この結果彼らには、具体的持続、単に諸部分が組み合わされるだけでなく、そこで諸部分が生成されるような具体的持続に身を置こうとする傾向が垣間見えるようになりました。確かに彼らの語る創造や消滅は飽くまで運動やエネルギーにかかわるものであって、運動やエネルギーを伝播させる計測不可能な媒質(エーテル)にかかわるものではありません。しかし物質からそれを規定しているもののすべて、すなわちまさにエネルギーと運動とを取り除くならば、あとには一体何が残り得るでしょうか。それゆえここから先は科学者の仕事ではなく、哲学者の仕事であると言わなければなりません。哲学者は想像上の象徴に過ぎないものを白紙状態(タブラ・ラサ)に戻し、物質的世界が溶解して一つの単純な流れに、流れの連続性に、一つの生成に化す様を目撃します。こうして彼は、実在的な持続を、それを見出すのがより有益な領域において、すなわち生命と意識の領域においてもう一度見出す準備をします。生命と意識の領域において持続を見出すのが有益であるというのは、生まの物質が問題である限り、流れを考慮しなくとも大した間違いを犯す心配はないのに対して、生命と意識の領域では流れを無視すれば致命的な間違いを犯す結果になるからです。既に述べたように、物質は幾何学という錘をつけており、下降する実在である物質は上昇するものと連帯することによってしか持続しません。ところで、生命と意識とはそうして物質と連帯し、持続する上昇以外の何物でもありません。それらの運動を取り入れ、生命と意識をその本質において捉えるならば、わたしたちは両者からそれ以外の実在がどのようにして派生するのかを理解することができます。わたしたちの前には進化が姿を現し、その進化の只中で物質性と理知性が徐々に凝固することによって漸次規定されていくのをわたしたちは目の当たりにします。このときわたしたちは、その運動の諸結果を当の結果の断片によって再構成する代わりに、進化運動のうちに自らを挿入することによって、その運動を現在の諸結果に至るまで辿ることになります。わたしたちの考えでは、哲学本来の役割とはそうしたものです。このように解するならば、哲学とは精神が自己に還ることであり、人間の意識が自己の起源である生きた原理と一致すること、創造の努力と接触することです。それだけではありません。哲学とは生成一般の探究、真の進化論でもあります。要するに哲学とは、科学の――ただし科学と言っても、かつて(11世紀)アリストテレスの自然学を中核として初期のスコラ学が形成されたように、19世紀後半、ガリレイの物理学の周囲に形成された現代のスコラ学という意味での科学ではなく、確認され、証明される真理の全体という意味での科学の真の延長なのです。

(つづく)

「ジェノサイド」(82)

2017-12-15 | 雑談
わたしたちは先に、物質の科学は日常的な認識と同じように事を運ぶ点を指摘しましたが、このことはいくら強調してもし過ぎることはありません。物質の科学は日常的な認識を改良し、認識の正確さを高め、その有効範囲をひろげます。しかし日常的な認識と同じ方向にしか働かず、日常的な認識と同じメカニズムしか作動させません。そのため映画的メカニズムを作動させている日常的な認識が生成の動的な側面に見向きもしないとすれば、同じメカニズムしか働かせていない物質の科学がそうした側面を黙殺するのも当然です。物質の科学は考察の対象となる時間間隔のうちに、恐らく望むだけ多くの瞬間を認めるでしょう。そして時間間隔がいかに短くとも、必要とあらば躊躇なくその間隔をさらに細かく分割します。専ら本質的と看做される瞬間に注目する古代の科学とは違い、物質の科学はすべての瞬間を平等に扱いますが、この科学は常に瞬間という潜在的停止しか、つまり常に不動性しか考察の対象としない点では古代の科学と変わりません。実在的な時間、すなわち流れるものとしての時間、存在の動性そのものとしての時間は科学的認識の手をすり抜けていきます。わたしたちは以前発表した研究の中で可能な限りその点を明らかにし、本書の第一章でもそれに言及しました。しかし諸々の誤解を払拭するためには、最後にもう一度この点に立ち戻らなければなりません。

実証科学が時間を問題にする際に参照しているのは、或る動体Tがその軌道上で行う運動です。この運動は時間を代表するものとして実証科学が選んだものであり、常に等速で進むものと定義されています。始点T0から出発した動体が描く軌道を等しい部分に分割する点をそれぞれT1、T2、T3……と呼ぶことにしましょう。動体がその軌道上のT1、T2、T3……にあるとき、時間が1単位流れた、2単位流れた、3単位流れた……、とわたしたちは言います。或る時間tが経過したあとの宇宙の状態を考えることは、動体Tがその軌道上の点Ttにあるとき、宇宙がどのような状態にあるかを検討することに他なりません。しかし時間の流れそのものはここでは問題にされていませんし、まして時間が意識に及ぼす影響は全く考慮されていません。何故なら考慮されているのは流れから抜き出された点T1、T2、T3……であって、決して流れそのものではないからです。考察の対象となる時間をどれだけ短くしようと、つまり連続する二つの分割点TnとTn-1との間隔をどれだけ分割しようと、わたしたちが取り扱うのは常に点であり、点だけに限られます。動体Tの運動から取り上げられ、考慮されるのはその軌道上で動体Tが取る位置であり、宇宙の他のすべての点の運動から取り上げられ、考慮されるのはその各軌道上の点の位置です。わたしたちは、分割点T1、T2、T3……における動体Tの潜在的停止の一つ一つに、他のすべての動体の通過点における潜在的停止を対応させます。或る運動、或いは何か他の変化に時間tがかかったと言われるとき、それが意味しているのは、この種の対応がt個記録された、ということです。したがってわたしたちはこのときいくつかの同時性を数えたのであって、或る同時性から別の同時性への流れに注意を払ったわけではありません。その証拠として、次の点を指摘して置きます。それは、仮にわたしが或る意識に対して宇宙の流れの速さを任意に変えることができ、実際に流れの速さを変えたとすれば、宇宙の流れから独立しているその意識は、わたしの命令によって生じた変化に対して抱く全く質的な感情によってその変化に気付くに違いないのに対して、Tの運動はこの変化と一体をなしているので、時間tが経過したあとの宇宙の状態の予測を可能にする方程式にも、そこに現れる数にも、たとえ宇宙の流れの速さが変わっても何一つ変更を加える必要はないだろう、ということです。

さらに一歩進めて、宇宙の流れが無限に速くなったとしましょう。第一章で述べたように、動体Tの軌道が一挙に与えられ、物質的宇宙の過去、現在、未来の歴史全体が空間に瞬時に展開されたとしましょう。その場合でも、言わば扇状に展開される宇宙の歴史の諸瞬間と、「時間の流れ」として定義された線の分割点T1、T2、T3……の間には以前と同じ数学的対応が維持されるでしょう。科学にとって、そこには変えなければならないものは何もない筈です。このように時間が空間に展開され、継起していたものが空間に並置されたとしても、科学がその表記を全く変える必要がないのは、科学の表記では継起に特有なものや、時間の流動的な面が考慮されていないからです。継起と持続にはわたしたちの意識に直接働きかけるものがありますが、科学はそれを表現するための記号を持ち合わせていないのです。距離をおいて何箇所かに架設された橋と橋を線で結んでもその下を流れる川の曲折を描き出し得ないように、科学が生成の動的な側面にぴったり寄り添うことはありません。

しかし科学が表記し得ないとしても継起は存在し、わたしはそれを意識しています。これは厳然たる事実です。或る物理的変化が生じるとき、わたしの知覚や気質如何によってその過程が速くなったり遅くなったりすることはありません。この過程のうち、物理学者にとって重要なのはその過程が満たす持続の単位の数です。単位そのものには物理学者は注意を払う必要はありません。このため継起する世界の状態が空間に一挙に展開されたとしても、それによって科学が変わることはないでしょうし、物理学者が時間について語るのを止めることもないでしょう。一方、わたしたち意識的存在にとって重要なのは単位です。何故ならわたしたちは物理学者のように或る同時性と別の同時性との間隔(単位)の両端の数を数えているのではなく、間隔そのものを感じ、間隔そのものを生きているからです。ところで、わたしたちはそれらの間隔をわたしたちの意志の力では変えようのないものとして意識しています。ここで再び、第一章で述べた砂糖水の話に戻りましょう。わたしは、何故砂糖が水に溶けるのを待たなければならないのでしょうか。この溶解という現象の持続は、それが或る数の時間の単位に還元され、当の単位は任意に選ぶことができる点で物理学者にとって相対的なものですが、わたしの意識にとっては絶対的なものです。何故ならこの持続は待ち遠しさの強さの或る度合いと一致しており、その度合いは厳密に決まっているからです。この決定はどこから来るのでしょうか。砂糖水ができるまでの間、或る長さの心理的持続がわたしに課され、その持続に対してわたしにできることはありません。このようにわたしに心理的持続を課するもの、わたしに待つことを強いるものは何でしょうか。もし継起が、単なる並置とは区別されるものとして実在的な効力を持っていないとすれば、もし時間が或る種の力ではないとすれば、宇宙は継起する状態を、何故わたしの意識にとって真に絶対的であるような速さで展開するのでしょうか。何故特にこの速さで、他の任意の速さではないのでしょうか。何故無限の速さで展開しないのでしょうか。言い換えると、何故映画のフィルムのようにすべてが一挙に与えられないのでしょうか。これらの点を考えれば考えるほど、わたしには次のように思えてきます。第一に、未来が現在と同時に与えられるのではなく、現在に引き続いて起こる他はないのは、未来が現在の瞬間において完全には決定されていないからである。第二に、この継起によって満たされる時間が数とは別のものであり、そこに身を置く意識にとって絶対的な価値、絶対的な実在性を持つのは、時間が、恐らく砂糖水の入ったコップのような人為的に孤立させられた特定の系においてではなく、この系を部分として含む具体的な全体において絶えず予見不可能なもの、新しいものを自ら創造しているからである。このような意味での持続は、物質そのものに属する事実ではあり得ません。それは物質の流れを遡る「生命」の持続です。もっとも物質と生命というこの二つの運動は、相互に緊密に結び付いています。宇宙の持続は、そこに場所を占め得る創造の範囲と重なり合う筈であり、創造と不離一体のものであるに違いありません。

ジグソーパズルのピースを集め、元の絵柄を再現することに興じる子供は、練習を重ねるに従ってその作業が速くできるようになります。もっとも、この種の作業はもともと瞬時に行われ得るものと考えることができます。その子供はジグソーパズルの絵柄が完成しているのを、玩具屋から出て品物が入った箱を開けたときに見て知っています。したがって、ジグソーパズルを再構成する操作は一定の時間を要求するような性質のものではありません。それどころか、理論的には極くわずかな時間すら要求するものではありません。というのも、結果は既に与えられているからです。つまり絵柄は既に出来上がっており、再構成や再配置を行いさえすれば完成した絵柄を手に入れることができるからです。――こうした作業は徐々に速くなり、無限に速くなって究極的には瞬時に行い得るものと想定することができます。しかし自己の魂の奥底からイメージを引き出して創造を行う芸術家にとって、時間はジグソーパズルの復元作業のような空疎なものではありません。芸術家にとって時間は、その内容を変えることなく任意に伸ばしたり縮めたりすることのできるような間隔ではありません。芸術家の作業の持続は、彼の作業の一部をなしています。この持続を収縮させたり膨張させたりすれば、持続を満たす心理的な進展とその結実である作品をも同時に変質させることになるでしょう。創作に費やされる時間は、芸術においては作品そのものと一体をなしており、具現化されるに従って変化する思考の進展を表しています。要するに創作とは生命の過程であり、一つの観念の成熟に似た何かである、と言うことができます。

例えば画家がキャンバスの前に立ち、パレットに絵具の色が置かれ、モデルがその前でポーズを取っているとしましょう。わたしはそれらをつぶさに見ることのできる場所におり、その画家の手法も熟知しているものとします。このときわたしは、これからカンヴァスに描かれるものを予見することができるでしょうか。問題の諸要素は、わたしの手中にあります。抽象的な形ではあるにせよ、問題がどのように解かれるかもわかっています。というのも、肖像画は間違いなくモデルに似たものになるでしょうし、画家の内面に似たものにもなるだろうからです。しかしこの問題の具体的な解答、すなわち完成した肖像画は、そうした要素とは別の予見不可能な唯一無二の何か、それこそまさに芸術作品のすべてと言える何かを世界にもたらします。時間を消費するのは、まさにこの何かです。物質的には無であるこの何かが、自らを形式として創造します。この形式の芽生えと開花は収縮不可能な持続においてなされ、持続はこの芽生えや開花と一体をなしています。こうした事情は、自然の作品の場合も変わりません。自然において新たに現れるものは、一つの内的な推進力から生まれます。この推進力は進展もしくは継起する力であり、それが継起に固有の力を与え、或いは継起から自己の力のすべてを引き出します。継起、すなわち時間に力を与えるにせよ、継起から力を引き出すにせよ、この推進力は、時間において相互浸透する連続を、空間における単なる瞬間的な並置には還元できないものたらしめます。そういうわけで、物質的宇宙の現在の状態のうちに生命の形態の未来を読み取ることができるという考え、それらの形態の歴史を一挙に展開することができるという考えには、紛れもない不条理が必然的に含まれることになります。とは言え、わたしたちの身に付いたこの考えを捨て去るのは容易なことではありません。何故ならわたしたちの記憶には代わる代わる知覚する項を或る観念上の空間に並列する習慣があり、過ぎ去った継起を常に並置という形でしか表象しないからです。もっとも記憶にそういうことができるのは、まさに過去が既に出来上がったもの、活動をやめたものであって、最早創造や生命には属していないからです。このように来るべき継起もいずれは過ぎ去った継起となることから、わたしたちは、来るべき持続も過ぎ去った持続と同じように扱ってよく、それを今直ちに空間に展開しても構わない、という風に思い込み、既に未来が描き込まれたカンヴァスが巻物のように巻かれた状態で存在している、という風に思い込みます。恐らくそれは錯覚に過ぎませんが、根絶することの不可能な自然な錯覚です。人間精神が存在する限り、この錯覚がなくなることはないでしょう。

時間とは発明であり、創造です。さもなければ、それは何物でもありません。しかし映画的手法に従わざるを得ない物理学は、発明としての時間を考慮に入れることができません。物理学は単に、時間を構成する出来事と、動体Tの軌道上の位置との対応を数えるにとどまります。瞬間毎に新しい形式を身に纏う宇宙の全体、自己の新しさの或るものをそれらの出来事に伝える宇宙の全体から、物理学は出来事を切り離し、それらの出来事を抽象的な状態で、あたかもそれらの出来事が生ける全体の外部に存在しているかのように、すなわち空間として展開された時間のうちにあるかのように考察します。物理学は、出来事や出来事の系が全体から切り離されてもさほど変化しない場合にしかそれらを取り上げません。何故ならそのような出来事や出来事の系だけが物理学の方法の適用に向いているからです。近代物理学の歴史は、全体からそうした系を孤立させることができるようになった日から始まる、と言えるでしょう。以上のことから、次のように言うことができます。近代物理学は時間の任意の瞬間を考察する点で古代の物理学から区別されるが、その考察のすべては、発明としての時間を長さとしての時間で代用することによって成立している、と。

この物理学と並行して、第二の認識が形成されるべきであった、とわたしたちは考えます。この第二の認識は、物理学が見落としたものに目を向けるでしょう。物理学は映画的方法に縛られ、持続の流れそのものとかかわりを持つことができず、またかかわりを持とうともしませんでした。それに対して第二の認識は映画的方法を脱却して精神に最も慣れ親しんだ習慣を放棄するよう要求し、共感の努力によって生成の内部に身を移します。それは任意の瞬間に、或る動体がどこにあるか、或る系がどのような形を取るか、或る事物がどのような状態を経て移り変わっていくか、などと自問することはありません。第二の認識ではわたしたちの注意の停止に過ぎない時間の諸瞬間は放棄され、時間の流れ、実在の流れそのものが辿られます。ところで、第一の認識の長所、物理学の長所は、わたしたちに未来を予見させ、或る程度出来事を支配できるようにしてくれる点にあります。その反面、第一の認識は動く実在から、偶然的な不動性、すなわちわたしたちの精神が捉えたその実在に関する一つのイメージしか取り上げません。それは実在を表現すると言うよりも、寧ろそれを象徴化して人間的なもののうちに移し入れます。片や第二の認識は、仮にそういう認識が可能であるとしての話ですが、第一の認識とは違って実践的には恐らく無力です。それは自然に対するわたしたちの影響力の及ぶ範囲を広げてくれることはないでしょうし、知性の或る自然的な強い傾向に抵抗しさえするかも知れません。しかしもしこの認識が実現されれば、実在そのものを決定的に把握することが可能となる筈です。そのときわたしたちは、動きのうちに身を置く習慣を知性に身に付けさせることによって知性と物質に関する認識を補完するだけでなく、知性を補うもう一つの能力(直観)を高めることによって、物理学が看過した実在の半面への眺望を開くことができるでしょう。何故なら真の持続を前にすれば、それだけで持続が創造以外のものではあり得ないことが自ずと理解され、また自らを解体するものが仮に持続するとしても、それは自らを形成するものと合流することによってしか持続し得ないことが理解されるからです。こうして宇宙の連続的な増大の必然性、と言うより実在的なものの生命の必然性とも言うべきものがわたしたちの前に開示されます。わたしたちは知性に直観を加えることによって、わたしたちの惑星において出会う生命、宇宙の生命と同じ方向に向かい、物質性とは逆の方向に向かう生命を新たな角度から検討し直すことができるでしょう。

以上の点を反省すればするほど、近代科学そのものがこうした形而上学の考え方(第二の認識)を示唆していることにわたしたちは気付く筈です。

まず古代の科学について言えば、古代人にとって時間は理論的には無視することのできるものでした。何故なら彼らにとって、事物の持続はその本質の堕落を示すものでしかなかったからです。古代の科学が対象とするのは、不動の事物の本質です。変化は「形相」が自己を実現しようとする努力に過ぎず、重要なのはその実現がどのようなものであるかを知ることである、とされます。恐らく、形相が完全に自己を実現することはありません。このような事情を、古代の哲学は、質料なき形相は知覚することができない、という言葉で表現しています。しかし質料なき形相は知覚できないとしても、変化する対象が或る本質的な瞬間において、すなわちそのアクメ(頂点)において考察されるとき、対象はその知的形相をかすめる(知的形相に限りなく接近する)、と言うことは許されるでしょう。古代の科学が捉えるのは、この知的で理念的な、言わば極限的な形相です。こうして金貨を手にするとき、古代の科学は実質的に変化という小銭をも手に入れます。要するに古代の科学にとって、変化は存在以下のものであり、変化を対象とするような認識は、たとえそのような認識が可能であるにせよ、科学以下のものと看做されます。

他方、時間のすべての瞬間を同等に扱い、本質的な瞬間とかアクメやテロスなどといったものを認めない近代科学にとって、変化は最早本質の減少ではなく、持続は最早永遠の希釈ではありません。近代科学において時間の流れは実在そのものと看做され、流動する事物が研究対象となります。とは言え、近代科学は確かに流動する実在のスナップ写真の撮影以上のことはしていません。しかしだからこそ、科学的認識は自己を補完するもう一つの認識を要求する必要があったのです。科学的認識に関する古代人の考え方が時間を一つの堕落と看做し、変化を永遠において与えられる「形相」の減少と看做すに至ったのに対して、このもう一つの認識が最後まで辿られていたならば、わたしたちは時間に絶対的なものの漸進的な増大を、また事物の進化に新しい形式の不断の発明を見て取っていたに違いありません。

そうなっていれば、わたしたちは確実に古代の形而上学と手を切ることができていたでしょう。古代人にとって、決定的に知る方法はただ一つしかありませんでした。彼らの科学は断片化し散乱した形而上学以外の何物でもなく、彼らの形而上学は整備された体系的な科学以外の何物でもありませんでした。科学と形而上学は、せいぜい同じ類に属する二つの種に過ぎなかったのです。それに対してわたしたちの仮説では、科学と形而上学は相互に補い合いはするものの、それぞれ対立する認識方法として定義されます。このうち第一の認識方法(近代以降の科学)は、瞬間、すなわち持続しないものしか考察の対象としないのに対して、第二の認識方法(真に形而上学と呼び得るもの)は持続そのものを取り上げます。持続そのものを扱うという、形而上学に関するこの新しい考え方と伝統的な考え方との間で、近代人がいずれを選ぶべきか選択に逡巡したのは自然なことでした。彼らにとって、古代の科学において試みられたことを新しい科学でも単に繰り返すだけの誘惑、つまり自然の科学的認識を一挙に完成されたものと看做してそれらを完全に統合し、ギリシア人と同じように、この単なる統合作業に形而上学という名前を与える誘惑には抗し難いものがあったに違いありません。哲学が開き得た新しい形而上学の道のすぐ横には、このように古い形而上学の道が開いたままになっていたのです。そして物理学が選んだのは、まさにこの古い道でした。古い道を選択した物理学は時間のうち、空間にも一挙に展開され得るものしか取り上げなかったので、誘惑に抗し切れず同じ道に入っていった近代の形而上学も必然的に、あたかも時間が何も創造せず、何も消費しないかのように、そして持続が効力を持たないかのように万事を処理しなければなりませんでした。近代の物理学や古代の形而上学と同じく、映画的方法に従うことを運命づけられたこの形而上学は、当初から暗黙のうちに認められ、この方法そのものに内在している結論から逃れることができませんでした。つまり近代人も古代人と同様、こう信じて疑わなかったのです。すべては与えられている、と。

●デカルト

近代の形而上学が、当初この二つの道のいずれを選ぶべきか決め兼ねていたことは疑う余地がないように思われます。そうした迷いを、わたしたちはデカルトの哲学のうちに見て取ることができます。一方において、デカルトは普遍的な機械論を主張しています。機械論的な観点からすれば、運動は相対的なものということになるでしょうし、時間は運動とちょうど同じだけの実在性を持つので、過去、現在、未来は永遠において与えられるものということになるでしょう。しかし他方において、デカルトは人間の自由意志を信じていました(彼が普遍的な機械論を唱えながら上記のような極端な結論に走らなかった理由もここにあります)。そこでデカルトは、物理現象における決定論に人間の行動における非決定論を重ね合わせ、長さとしての時間に発明や創造や真の継起が存在する環境としての持続を重ね合わせます。そして持続を、瞬間毎に世界を新たに創造し直す神に、そうして時間と生成に接することでそれらを支え、必然的にそれらに自己の絶対的実在性の幾分かを伝える神に帰したのです。この第二の観点に立って語るとき、たとえそれが空間的運動であっても、デカルトは運動を絶対的なものとして扱っています。

したがってデカルトは二つの道に代わる代わる入っていったものの、いずれの道も最後まで辿ることはなかった、と言えるでしょう。もし彼が第一の道を最後まで辿っていたならば、人間における自由意志と神における真正な意志を否定することになったに違いありません。それはあらゆる実効的な持続を排除することであり、宇宙を一つの与えられたもの、超人的な知性であれば、瞬間において、或いは永遠において一度に捉えることのできるものと看做すことです。逆に第二の道を最後まで辿っていたならば、真の持続の直観に含まれるあらゆる帰結を手にすることも夢ではなかったでしょう。この第二の場合、創造は最早単に継起するものとして現れるのではなく、連続するものとして現れます。全体としての宇宙は真に進化しており、未来は第一の場合のように、現在の関数として規定されることはありません。未来に関してわたしたちに言えることは、せいぜい、それがひとたび現実のものになれば、その先行条件の中に再発見され得るだろう、ということだけです。ちょうど、既存のアルファベットでも新しい言語の言語音を書き表せなくはないように。ただし忘れてはならないのは、そのときわたしたちは旧来の文字の言語学的音価を拡張し、既存の音声をどう組み合わせても再現し得なかったであろう響きを遡及的に旧来の文字に付与している、ということです。そして機械論について言えば、宇宙の連続からどれだけ系を切り取ってもそれらに機械論的説明を適用することは不可能ではない、という意味で、第二の場合においても機械論的説明はその普遍性を失うことはないかも知れません。しかし機械論は第一の場合とは違って学説としての価値は失い、単なる一つの方法としての価値しか持たなくなります。この方法としての機械論がわたしたちに教えてくれるのは、どんな場合でもあっても科学は映画的方法を取らざるを得ない、ということであり、科学の役割は事物の流れのリズムを区切ることであって、そのリズムに身を嵌め込むことではない、ということです。古代から近代へと時代が転換するに当たって、哲学の前に提示された形而上学に関する二つの対立する考え方とは以上のようなものでした。

このうち近代人が選んだのは、第一の道でした。第一の道が選ばれた最大の要因は、恐らく映画的方法に従って物事を進めようとする精神の傾向にあります。映画的方法はわたしたちの知性にとって極めて自然なものであり、科学の要求にもぴったり合致しているので、形而上学においてこれを放棄するためには、思弁におけるこの方法の無力さを十分に認識しなければなりません。もっともこの選択に関しては、古代の哲学の影響も少なからずあったと考えられます。永遠に賛美されるべき芸術を創造したギリシア人は、感覚的な美の典型だけでなく、超感覚的な真理の典型をも創造しました。ギリシア人の創造したこの真理の典型の持つ魅惑から逃れるのは易しいことではありません。そのため形而上学を科学の体系たらしめしようとするや否や、わたしたちは自ずとプラトンやアリストテレスが歩んだ道と同じ方向に滑り落ちていきます。そうして一歩でもギリシアの哲学者達の引力圏に足を踏み入れたが最後、二度とそこから引き返すことはできません。

●ライプニッツとスピノザ

こうしてできたのが、ライプニッツとスピノザの学説です。わたしたちは、彼らの学説の持つ豊饒な独創性を見損なっているわけではありません。ライプニッツにしろスピノザにしろ、稀有の才能から生まれた新しい発想と、近代精神の成果を吸収した魂のすべてを自己の学説に注ぎ込んだことはわたしたちも認めます。彼らの学説のいずれにも直観が見て取れますが、とりわけスピノザの学説には体系の枠に収まり切らない直観の横溢が見られます。とは言え二人の学説からそれらに精彩と生命を与えているものを取り除くと、つまり二人の学説の骨格だけを取り上げると、デカルト的機械論を通してプラトンやアリストテレスの哲学を見たときに得られるイメージ以外のものは残りません。わたしたちがそこに見出すのは、真新しい物理学の体系と言うより、古代の形而上学をモデルに構築し直された体系です。

実際のところ、物理学の統合作業とはどのようなものであり得たのでしょうか。この物理学という科学を主導したのは、宇宙から諸々の質点系を孤立させ、所与の瞬間にそうして孤立させた系内の各質点の位置を知ることができれば、未来の任意の瞬間におけるそれらの位置を計算によって知ることができる、という着想でした。とは言うものの、新しい物理学はこのように定義された系にしか働きかけることができず、しかも或る系が必要な条件を満たすかどうかア・プリオリに判断することはできない以上、条件が満たされているかどうかは二の次で、実践上はその条件がいつでもどこでも満たされているかのように事を運ぶ方が好都合でした。この方法の規則は余りにもわかりきったことなので、敢えて定式化する必要がないほどです。事実、単なる良識でさえ、有効な探究の手段を手にしているとき、そしてその手段の適用可能な範囲がわからないときには、その範囲に限界がないかのように事を運ぶべきであること、万一うまくいかない場合には立ち止まるか、後戻りしてやり直せばよいことをわたしたちに教えてくれます。しかし科学が概ね方法の適用範囲内に踏みとどまったのに対して、この新しい科学への期待、と言うよりこの新しい科学の趨勢を実体化し、方法の一般的規則を事物の根本的な法則と看做そうとする強い誘惑に屈した哲学者、そうして一足飛びに方法の適用範囲の限界に身を移した近代の哲学者は、物理学が既に完成され、感覚的世界の全体を包括しているものと想定しました。その結果宇宙は質点の系となり、質点の位置は、先立つ瞬間との関係においてあらゆる瞬間に厳密に決定され得るもの、理論的には任意の瞬間において計算可能なものと看做されました。要するに彼らは、普遍的な機械論に到達したのです。しかし機械論が一つの学説たり得るためには、そうして辿り着いた機械論を単に定式化するだけでは十分ではありません。それを基礎付ける必要があります。つまり彼らは機械論の必然性を証明し、その根拠を提示しなければならなかったのです。宇宙のあらゆる質点、そして宇宙のあらゆる瞬間は数学的に相互に結び付いている、と考える点に機械論の本質はあります。したがって機械論の根拠は、空間の中に並置されているものと、時間の中で継起しているものがすべて凝縮されている一つの統一原理のうちに求められなければなりませんでした。こうして実在の全体は、一度に丸ごと与えられたものと看做されることになります。空間に並置された現象が相互に決定し合うのは真の存在が不可分なものだからであり、時間において継起する現象が先行する現象によって厳密に決定されるのは、存在の全体が永遠において与えられていることの表れに他ならない、と彼らは考えました。

こうなると、近代の哲学は古代の哲学の焼き直し、と言うより寧ろ古代の哲学の翻訳以外のものではあり得なくなります。古代の哲学は、或る一つの生成がそこに集中している概念、或いはその生成のアクメがそこに示されている概念を一つ一つ取り上げ、それらをすべて既知のものと看做した上で、個々の概念を纏めてアリストテレスが神とした一つの概念、つまり形相の形相とかイデアのイデアといった一つの概念を作り上げました。それに対して近代の哲学は、或る一つの生成を他の諸々の生成との関係によって条件付ける法則、現象の恒久的な基体とも言うべき法則を一つ一つ取り上げ、それらをすべて既知のものと看做した上で、個々の法則を纏めて一つの原理に統一します。しかしこうした表面上の違いにもかかわらず、法則の法則であるこの統一原理はアリストテレスの神と同じように、そしてアリストテレスの神が自己のうちに閉じ籠もらなければならなかったのと同じ理由から、不動のまま自己のうちに閉じ籠もり続けなければならなかったのです。

実を言うと、この古代の哲学への回帰には不都合な点がなかったわけではありません。それは大きな問題を一つ抱えていました。プラトンやアリストテレス、或いはプロティノスといった古代の哲学者達が彼らの科学のすべての概念を一つの概念に溶かし込むとき、その概念には実在の全体が包括されています。何故なら古代の哲学において概念は事物そのものを表しており、少なくとも事物と同じだけの実質を持つからです。それに対して、一般に法則は関係しか表しておらず、中でも個々の物理法則は具体的な諸事物同士の量的な関係を表現しているに過ぎません。そのため近代の哲学が、古代の哲学が古代の科学の概念を操作するような仕方で近代科学の法則を操作しようとすれば、また全知全能のものと看做されている物理学のすべての結論をただ一点に集中させようとすれば、現象における具体的なもの、すなわち知覚される質や知覚そのものを無視することになります。そうして統合されたものには、実在の一部しか含まれていません。事実、近代科学の第一の成果は実在を量と質の二つに分けたことであり、近代において量は物体(身体)の範疇に、質は魂の範疇に属することになったのです。古代人は質と量の間にも、魂と身体の間にもそのような障壁は設けませんでした。古代人にとって、数学的概念も数ある概念の一つに過ぎず、他の概念と同類のもの、イデアのヒエラルキーに極く自然に収まるものでしかありませんでした。古代の哲学では物体が幾何学的延長によって定義されることも、魂が意識によって定義されることもありませんでした。アリストテレスが「霊魂論」で語っているプシュケー、すなわち生命体の活力(エンテレケイア)がわたしたちの考える「魂」ほど精神的なものではないのは、彼の言うソーマには既にイデアが染み込んでおり、それがわたしたちの考える「身体」ほどには物体的なものではないからです。したがって魂と物体という二つの項の区別は、古代の哲学においては未だ漠然とした曖昧なものでしかありませんでした。しかるに近代の哲学において、両者の分裂は決定的なものとなります。この分裂の結果、抽象的な統一を目指す形而上学は、統合されたものには実在の半分しか含まれていないことを認めるか、逆に両者の絶対的な還元不可能性を逆手に取って、一方を他方の翻訳と考えるかの二者択一を迫られることになったのです。言語を例にとって考えると、仮に二つの異なる文が同じ言語に属しているなら、言い換えると、二つの文の間に発音上の何らかの親近関係があるなら、両者は異なる事実を述べていることになります。逆にそれらの異なる文がそれぞれ異なる言語に属しているならば、まさにそれらの発音上の相違のゆえに両者が同じことを表現していることもあり得るでしょう。この推論は、質と量、魂と物体の関係に関しても成り立ちます。そこで質と量、魂と物体という二つの項の間のあらゆる繋がりを断った(質と量、魂と物体を異なる言語に属する二つの異なる文と看做した)近代の哲学者達は、両者の間に古代人の思いもよらなかった厳密な対応関係を打ち立て、一方を他方の反転と考えるのではなく一方を他方の翻訳と看做した末、遂にはそれらの二元性の基体として根本的な同一性を想定するに至りました。このように物理学の統合が極限まで推し進められた結果、この統合には実在のすべてが含まれることになり、思考の現象とひろがりの現象を、質と量を、魂と物体をそれぞれ対応させる究極の機械論(並行論)が形成されるに至ったのです。

わたしたちがライプニッツとスピノザのうちに見出すのは、上記のような並行論です。ただし彼らがひろがりに与える重要度の違いから、その形式には幾つかの相違点が認められます。スピノザの哲学では、思考とひろがりという二つの項は少なくとも原理上同列に置かれます。言い換えると、両者は同一の原本を訳した二つの翻訳と看做されます。スピノザ自身の言葉を用いて言えば、それらは神と呼ばれるべき同一の実体の二つの属性です。スピノザによれば、思考とひろがりというこの二つの翻訳は、わたしたちの知らない言語に訳されるそれ以外の無数の翻訳と同様、原本によって喚起されるもの、要求されるものでさえあります。ちょうど円の本質が、言わば自動的に、図形によっても方程式によっても表現され得るように。一方、ライプニッツの哲学でもひろがりは翻訳と看做されますが、その原本となるのは思考です。思考は翻訳がなくとも存在し、翻訳はわたしたちのためだけに行われるに過ぎません。ライプニッツはこう考えます。神が措定された瞬間、必然的に、神の可能なすべてのイメージ(vue)、すなわちモナドも措定されることになる。ところで、われわれは常に、或る一つのイメージが或る一つの視点(point de vue)から得られたものであると想像することができる。そしてわれわれの精神のような不完全な精神にとって、質的に異なるイメージを、それらのイメージを得た際に立っていた質的に同一な(想像上の)視点の秩序と位置にしたがって分類するのは自然なことであるが、現実には(完全な精神にとっては、つまり原本においては)視点は存在しない。存在するのは、一つ一つが不可分な纏まりとして与えられ、それぞれが実在の全体、すなわち神を表しているイメージだけである。ただわれわれは、相互に異なるイメージの複数性を、相互に外的な視点の多様性によって翻訳しなければそれを認識することができず、同様にイメージ相互の親近性の程度を、視点相互の相対的な位置やそれらの遠近、つまり大きさによって象徴しなければそれを認識することができない。ライプニッツは以上のことを、次のような言葉で表現しています。空間は共存の秩序であり、ひろがりの知覚は混乱した(つまり不完全な精神にかかわる)知覚である。(ひろがりは実体を構成するものではなく)、世界には(無数の)モナド(という単一な実体)しか存在しない。このライプニッツの言葉は、次のことを意味しています。第一に、実在的な全体は部分を持たない、ということであり、第二に、しかしその全体は、自己の内部において無限に、そしてその都度完全に(同じやり方だけではなく様々なやり方で)反復される、ということであり、第三に、反復されるもののすべては相互に補い合っている、ということです。例えば或る対象をあらゆる視点からステレオカメラで撮影すると、撮影されたすべてのイメージからその対象の立体像の等価物を得ることができます。この立体像は、固定的な諸部分が並列されたものではなく、一つ一つが不可分な纏まりとして与えられ、相互に異なりながらも同一のものを表しているイメージすべての相互補完性によって成立している、と考えることもできるでしょう。「全体」、すなわち神はこの立体像そのものであり、モナドは相互に補い合うそれらの平面的なイメージになぞらえることができます。ライプニッツが神を「視点を持たない実体」として、或いは「普遍的な調和」、つまりモナド同士の相互補完性として定義するのはそのためです。以上のことから、ライプニッツが普遍的な機械論を実在がわたしたちに呈している様相と捉えるのに対して、スピノザは普遍的な機械論を実在がそれ自身に呈している様相と捉える点で両者は異なる、と言うことができるでしょう。
(ジャンケレヴィッチの「アンリ・ベルクソン」に次のような文章があります。「……観点は制限を意味する。だからライプニッツの言う神は観点を持たず、モナドだけが観点を持つわけだ」。また「モナドロジー」には次のような文章があります。「……モナドは表現ということが本性であるため、何ものもそれに制限をくわえて、事物の一部分しか表現しないようにすることはできないからである。もっともこの表現作用も、宇宙全体の細部では、錯雑したものであって、判明なのは事物のごく小部分においてにすぎない。つまり、おのおののモナドにたいする関係から見て、いちばん近いものとか、いちばん大きなものとかの場合にすぎない。でないと、どのモナドも神になってしまう。つまりモナドが制限をうけているのは、その対象についてではなく、対象を認識するさまざまな仕方においてなのである」)

確かに、実在的なものの全体を神に集中させた結果、スピノザにとってもライプニッツにとっても、神から事物へ、永遠から時間へ移行するのが難しくなったのは事実です。この二人の哲学者にとって、その困難はアリストテレスやプロティノスの場合よりも遥かに大きいものでした。実際、アリストテレスの神は、世界のうちで変化する事物が完成した状態を表しているイデア、もしくはそれらの事物のアクメを表しているイデアを集約し、相互浸透させることによって得られたものです。したがって神は世界から超越しており、神の永遠が弱化したものである事物の持続は永遠と並んでその脇に置かれました。それに対して、普遍的な機械論の考察によって導かれる原理、機械論の基体としての役割を担う原理が自己のうちに凝縮しているのは、最早概念や事物ではなく、法則や関係です。ところで、関係は単独で存在するものではありません。また変化する項を相互に関連づける法則は、自らが支配しているものに内在するものです。したがってこれらすべての関係を凝縮し、自然の統一を基礎づける原理は、アリストテレスの神のように最早感覚的実在から超越したものではあり得ません。それは感覚的実在に内在するものとなります。そしてそれは、時間の内に存在すると同時に時間の外にも存在するものとして想定される他はありません。というのも、そうした原理は自己の実体の統一のうちに集約される一方で、その実体の統一性を始まりも終わりもない連鎖として展開しなければならないからです。このようにあからさまな矛盾を定式化するよりも、二つの項(神と事物、永遠と時間)のうち弱い方を犠牲にして、事物の時間的な側面は単なる錯覚に過ぎないと考える方が賢明である、と彼らは判断しました。ライプニッツは空間と同じく時間を混乱した知覚と看做していますが、こうした彼独特の見方にそのことが表現されています。モナドの多数性が全体を複数の視点から捉えたイメージの多様性以外の何物でもないように、単独のモナドの歴史とは、そのモナドが自己の実体を複数の視点から捉えた多数のイメージに他ならない、とライプニッツは考えます。もしそうなら、空間が神についてのすべてのモナドの視点の全体からできているように、時間は自己についての各モナドの視点の全体からできていることになるでしょう。他方、スピノザの考えはライプニッツの考えほどわかりやすいものではありません。この哲学者が永遠と持続するものとの間に設けようとした区別は、アリストテレスが本質と偶有性との間に設けた区別と同じ性質のものであるように思えます。永遠と持続を区別すること、それは極めて困難な企てです。何故ならアリストテレスのヒュレー(素材・質料)はデカルトに決定的に排除された結果最早存在しておらず、ヒュレーによって本質的なものと偶有的なものとの隔たりを測り、本質的なものから偶有的なものへの移行を説明するわけにはいかなくなったからです。それはともかく、「不十全」に関するスピノザの考え方を「十全」との関係において掘り下げていけばいくほど彼の哲学はアリストテレスの哲学に傾斜していくのが感じられ、同様に、ライプニッツのモナドが明瞭になればなるほどそれがプロティノスの「叡智的」なものに近づいていくのが感じられます。この二人の哲学者に備わる自然的な傾向が、彼らを古代の哲学の結論へと連れ戻すのです。

したがって近代の形而上学と古代の形而上学が様々な点で類似しているのは、両者がいずれも、感覚的なものに含まれる実在性のすべてと一致するただ一つの完全な「科学」、すっかり出来上がった「科学」を、後者は感覚的なものの上位に位置するものとして、前者は感覚的なもののうちに位置するものとして措定しているからだ、と結論することができます。どちらの形而上学においても、実在は真理と同様、永遠においてそっくり与えられている、と考えられており、どちらの形而上学も徐々に自己を創造していく実在という観念を嫌います。要するに近代の形而上学と古代の形而上学がともに敵視しているのは、実は絶対的な持続という観念であると考えて差し支えありません。

●並行論と一元論

科学から生まれたこの形而上学の結論(並行論)は、わたしたちが経験論と呼んでいるものに例外なく浸透していますが、さらにそれが形而上学から科学の内部へと跳ね返ったことは容易く示すことができます。科学のうち、物理学と化学は専ら惰性的な物質を研究対象としており、生物学は生物を物理的、化学的に扱う際、その無機的な側面しか考慮しません。したがって近現代において機械論的な説明は長足の進歩を遂げたにもかかわらず、それが対象としているのは実在のわずかな部分に過ぎない、と言うことができます。実在の全体はこの種の惰性的な要素に分解することができる、或いは機械論は少なくとも世界で生じることの完全な翻訳を与えることができる、とア・プリオリに想定することは、或る種の形而上学、すなわちスピノザやライプニッツが原理を確立し、その帰結を引き出した形而上学をそのまま受け入れることに他なりません。現在、脳の状態と心理状態との厳密な等価を主張し、超人的な知性であれば、意識に生じることは脳のうちに読み取ることができる、と考える心理・生理学者は、自分が17世紀の(スピノザやライプニッツの)形而上学から遠く離れ、経験のすぐそばにいると信じ込んでいます。しかし純粋で単純な経験は、彼らが主張しているようなことは何も証言していません。経験がわたしたちに示すのは、一つは物理的なものと心的なものとは相互に依存していること、もう一つは心理状態には脳という基盤が必要である、ということであり、それだけに限られます。ところで、或る項と別の項との間に密接な関係があるからと言って、両者が等価であるということにはなりません。例えば、機械の作動に必要な部分を固定しているナットを外すと、機械は動かなくなります。このことから、ナットが機械の等価物であると考える人はいないでしょう。ナットと機械が等価であるためには、機械のどの部分にも、ナットの特定の部分が対応している必要があります。――ちょうど逐語訳において、一方の章は他方の章に、一方の文は他方の文に、一方の語は他方の語に逐一対応しているように。脳の意識に対する関係は、そうした一対一の対応関係とは全くの別物です。わたしたちが前著で証明しようとしたように、心理状態と脳の状態が等価であるとする仮説には明らかな矛盾がある、というだけではなく、先入観なく見れば、観察される諸々の事実も、心理状態と脳の状態との関係はまさに機械とナットとの関係に等しいことをはっきりと示しています。この二つの項の等価を認めることは、取りも直さずスピノザやライプニッツの形而上学の一部を切り捨てること――その結果それらを理解不能なものにすること――に他なりません。彼らは、ひろがりに関してはスピノザやライプニッツの哲学をそのまま受け入れる一方で、思考に関しては自説に都合よくこの二人の哲学を捻じ曲げます。つまり彼らは一方でスピノザやライプニッツとともに、物質の諸現象は既に統一されている、と想定し、これによってすべては機械論的に説明することができる、という風に考えます。しかし他方、意識に関する事実については、スピノザやライプニッツの場合とは異なり統一が最後まで推し進められることはありません。彼らは途中で立ち止まってしまいます。意識は自然の特定の部分と同じひろがりと持つものと想定され、最早自然全体と同じひろがりを持つものとは想定されません。その結果、彼らは或るときは「随伴現象説」に、また或るときは「一元論」に行き着きます。このうち随伴現象説は意識を脳内の個々の振動に結び付け、意識が世界のあちこちに散在している、と考えます。また一元論は、意識が存在する原子と同じ数だけの微粒子として遍在している、と考えます。しかしいずれにしても、彼らはスピノザ主義やライプニッツ主義に、それも不完全なスピノザ主義やライプニッツ主義に舞い戻っているに過ぎません。自然に関するこうした考え方とデカルト主義の間には、両者の歴史的な仲介者も認められます。この仲介者として位置付けられる人々、すなわち(ラ・メトリやカバニスといった)医師であると同時に哲学者でもあった18世紀の一部の思想家は、その偏狭なデカルト主義によって、現在見られるような「随伴現象説」と「一元論」の誕生に多大な貢献を果たしました。

(つづく)