<鼻歌で散歩>

くも膜下出血で受け死にかけました。鼻歌を歌って散歩しながら体力つけて100まで生きるつもりです。

粗忽長屋

2020-04-26 11:10:35 | 蜘蛛膜下出血
落語の噺の中に粗忽長屋というのがあります。長屋に住む八と熊という落語の定番の二人が登場します。ある日八さんが散歩をしていると人だかりがありました。行き倒れがいるらしくて大勢の人が集まっていました。八さんがそこにいる人を押し分けて行き倒れを見に行きます。するとそこにいたのは八さんの隣に住んでいる熊さんでした。「大変だ。熊が死んでるよ。急いで教えてやらないと」と言って慌てて長屋に帰ります。長屋で熊さんの家に行きますと熊さんが出てきました。「おっ熊いたか。お前死んでるぞ」と八さんが教えてあげます。二人で行き倒れの死体を見に出かけます。すると行き倒れの死体を見せながら「なっ死んでるだろう」と八さんが熊さんに言います。「本当だ。あそこで死んでるのは。俺だ」と熊さんは言います。言いいながらも「死んでるのは俺だけど、その死んだ俺を見ている俺は誰なんだろう」と思います。落語らしい不思議な噺です。
私もこれと同じことをクモ膜下出血で入院中に体験しました。会社に電話をかけて「私に連絡を取りたい」というと、会社の人は「頭の病気でいません」と答えるのです。それを聴きながら「そうか私は死んでいるのか、でも私が死んだということを考えているこの私は誰なんだろう」と思っったのです。誰かに言ったわけでもなく、落語にかけたオヤジギャグのつもりだったのでしょう。でもその頃は自分に何が起こったのかわからなかったのです。クモ膜下出血の日から一年くらいはほとんど何も覚えていません。くも膜下出血ということさえ理解してなかったと思います。
それでこの粗忽長屋は不思議な噺だなと思っていました。それが最近思うのです。これは藤子不二雄さんの漫画「パーマン」に出てくるコピーロボットのことかなと思うんですね。パーマンが任務で出かけるときは押し入れに隠してあるコピーロボットに額をつけて自分の記憶をロボットに移すんです。パーマンがいないときはコピーロボットがパーマンの代わりに活動してくれます。それでパーマンの任務遂行中に起きたことを記憶してもらって帰ってきたらまたロボットに額をつけて任務中に起きたことの記憶を教えてもらいます。それでパーマンは自分の生活にスムーズに戻ることができます。粗忽長屋に戻りますが熊さんはコピーロボットに記憶を写したんはないでしょうか。熊さんが任務で出かけてる間に熊さんの記憶を持ったコピーロボットが行き倒れたんです。そこで一つ疑問がわきます。熊さんは自分の記憶を写したコピーロボットのことを忘れています。パーマンはコピーロボットのことを覚えています。熊さんとパーマンのコピーロボットの性能が違うんです。
熊さんの時のコピーロボットは記憶をコピーすると全部の記憶がなくなる仕様なんですね、その点、パーマンの時代にはコピーロボットに記憶をコピするだけで元の記憶はちゃんと保存することができるロボットが開発されていたんです。チャンチャン。お後がよろしいようで。