<鼻歌で散歩>

くも膜下出血で受け死にかけました。鼻歌を歌って散歩しながら体力つけて100まで生きるつもりです。

リハビリの記憶 回復期2

2020-04-01 22:31:12 | 蜘蛛膜下出血
前に書いたように回復期の終わり頃には自力で立って歩くことはできてもヨタヨタ歩くと言った感じでとても退院できるような状況ではなかったのです。このまま退院して家に帰ってもとても安心して暮らせないところでした。回復期の終わりに担当の理学療法士さんと作業療法士(OT)さんが私の実家に来てくれて家に帰って暮すにはどうしたらいいかというアドバイスをしてくれました。例えば、車を降りてから家の玄関まで行くのが大変だろうから車を停めるところから玄関まで手すりをつけることとか。階段を上るのが大変だからエレベータをつけるとかでした。結局退院までには玄関前の手すりだけでした。その時自宅階段を上るwつぃのどうががありますが、一段を登るときに両足を乗せてゆっくりと登っています。右足を出して一段登って右足と同じ団に左足を乗せるというやり方で登っています。あれから4年経った今は右足と左足を交互に引き上げて普通の人のように上がっています。回復期の時は自立して生活できるような状態ではなかったので色々とアドバイスをくれました。その中で実際に工事をしたのは道路から玄関に向かう階段につけた手すりでした。他のことはあまりしませんでした。
回復期の終了間際になっても歩くことも含めできることは少なかったので病院側も回復期後のリハビリをどうするか考えてくれました。色々な選択肢の一つは要介護の患者さんや痴呆症の患者さんがいるケアセンターに入ることでした。ケアセンターには回復期の終了していきませんでした。でもまだ縁は続きます。結局普通の患者さんたちに混ざって療養等に行ってリハビリを続けることになりました。

リハビリの記憶 回復期

2020-04-01 10:55:51 | 蜘蛛膜下出血
急性が終わって回復期が始まります。急性期は手術の直後から始まりました。急性期の間に担当の理学療法士(PT)さんが抱きかかえて歩かせてくれました。私は覚えてないのですが動画を撮ってくれたので。どんな様子だったかはわかっています。回復期が始まるとジムによくあるトレッドミルに頑丈なフレームをつけてフレームに体をぶら下げるおくるみのようなものをつけて歩行訓練が始まります。これはPTさん達にとっても大変な負担みたいで右と左足にそれぞれの担当のPTがついて後ろに私の体を押して前に進めてくれるPTが付きます。これだけの人数のPTを集めるのも大変だと思います。ただ回復期の最後の方はPTの数も減って後ろから押してくれる人の一人だけになりました。
それでも私が自力で立って歩くことはできませんでした。どうしたら歩けるようになるかなと、思っていました。ところがある日、いつもとはちがうPTと訓練していたところ。そのPTが「あの手すりにつかまって歩いてください」言ったので病院内の廊下にあった2mくらいの長さの手すりにつかまって歩いてみました。手すりのおかげで倒れることなく自力で立って歩くことができました。私としてはかなり嬉しい瞬間でした。手すりにつかまってはいるものの自力で立って歩いたわけですからいつか歩けるようになると思いました。
かなり歩く自信がついたので担当のPTに「自力で立って歩けるようになりたいと言いました」すると「それが僕たちの目標です」という答えが返ってきました。同じ夢を持ってるんだなと感じた瞬間です。リハビリさんとのこのような信頼関係が必要だと思います。
それでも回復期には自力で立って歩くことができるようになりませんでした。手すりにつかまりながらかろうじて歩いていました。そうやって歩いてるうちに少しずつ手すりを話して危なくないように自力で立ったりしていました。