異文化って一口にいいますけどね、あんまり、いい言葉じゃないね。他人に対して、あいつとは文化が違うからしょうがないってことで理解するのをあきらめてしまう。特に、外国人に対して理解するのを停止してしまう言葉だと思うんだよね。だから、この頃は多文化といったりする。アメリカだって、人種のるつぼといっていたけど、人種はほとんど混じらなかった。だから、最近はフルーツバスケットといったりする。文化とは混じらないもんじゃないだろうか。もし、自分がイスラム教徒の子として生まれていたら、やっぱり、アメリカに対して怒りを持っていたと思うもんね。
えー、エコロジジイでございます。
以前に見たNHKの特集で人類の言語というのは、歌から始まったと言ってる学者さんがいるそうですな。たとえば、労働するときに一緒に歌を歌ってお互いにコミュニケーションをとったりしていたのが言語の始まりという説もあるそうです。言語というものが人類という生物を特有なものにしているともいわれます。ってことはですよ、歌こそが人類が人類であることの証ってことになるじゃないですか。
そこで、思い出したのが、ドアーズの二枚目のアルバム「ストレンジデイズ」の最後の曲「When the music is over」です。その中で、ジム・モリソンという、あの当時は男前のボーカルが「音楽は唯一の友達だよ」なんて歌ってましたな。このストレンジでイズというアルバムは他のドアーズのアルバムのジャケットと違うんですな。他のアルバムはメンバーの写真ですが、子のアルバムはなんだか、サーカスの一行のような人たちが写っていて、まるで、その頃はやったフェリーニ映画のサテリコンの様な感じです。あたしには、何だかあのアルバムだけが違うグループの様な気がするのです。
そんなわけで、というわけで、音楽とともに文明の光がやってきて、音楽が無くなると文明の光も去っていくのでしょうか。
以前に見たNHKの特集で人類の言語というのは、歌から始まったと言ってる学者さんがいるそうですな。たとえば、労働するときに一緒に歌を歌ってお互いにコミュニケーションをとったりしていたのが言語の始まりという説もあるそうです。言語というものが人類という生物を特有なものにしているともいわれます。ってことはですよ、歌こそが人類が人類であることの証ってことになるじゃないですか。
そこで、思い出したのが、ドアーズの二枚目のアルバム「ストレンジデイズ」の最後の曲「When the music is over」です。その中で、ジム・モリソンという、あの当時は男前のボーカルが「音楽は唯一の友達だよ」なんて歌ってましたな。このストレンジでイズというアルバムは他のドアーズのアルバムのジャケットと違うんですな。他のアルバムはメンバーの写真ですが、子のアルバムはなんだか、サーカスの一行のような人たちが写っていて、まるで、その頃はやったフェリーニ映画のサテリコンの様な感じです。あたしには、何だかあのアルバムだけが違うグループの様な気がするのです。
そんなわけで、というわけで、音楽とともに文明の光がやってきて、音楽が無くなると文明の光も去っていくのでしょうか。