<鼻歌で散歩>

くも膜下出血で受け死にかけました。鼻歌を歌って散歩しながら体力つけて100まで生きるつもりです。

ラオスのトゥクトゥク

2005-11-30 08:52:53 | ガルマルの鼻歌で散歩
ラオスで見つけたトゥクトゥクです。トゥクトゥクはタイのほうが有名ですが、ラオスにもちゃんとあります。三輪車といったらいいのか、バイクに荷台をつけたものといったらいいのか微妙なところです。そういえば、子供のころ、大量に走っていた三輪車はどこに行ったのでしょう。私の近所でも、二、三年前までは見かけることがありましたが、この頃はとんと見なくなりました。まあ、どう見てもすぐ倒れそうで安全上問題がありそうですがね。

一級建築士と弁護士

2005-11-30 08:49:46 | ガルマルの鼻歌で散歩
不快になるのでなるべく見ないようにはしているのですが、どこを見ても一級建築士の偽装工作だらけです。本当に行き場のない怒りを感じます。と同時に、一級建築士という資格を持った人がこんなことをするんだという感じです。でも、考えてみたら、最近、弁護士の免許を持った代議士が逮捕されました。どちらも、何だか貧乏していたみたいです。誰もがとれない資格を取っても生活ができないということなのでしょうか。

そんななかで、日経のホームページに、他の建築士はまじめに仕事をしているのに、全体が偽装ばっかりしていると思うのは間違いだという記事が出ていました。まあ、何かの事件が起こった時に必ず出てくる感情論です。大多数の人はまじめにやっているのに、一部の人間だけが誤ったことをしたというものです。大蔵省(当時)のノーパンシャブシャブ事件の時もそうでした。外務省の時もそうです。

でも、本当にそうでしょうか。一部の人が誤ったことをして、大多数の人はまじめに仕事をしているのでしょうか。表面上はそうかも知れません。でも、その業界には、そういう一部の人たちを出してしまうような土壌があるのではないでしょうか。

私は、建築士という人たちを信用できません。彼らが設計した家や建物を見ても住みたいと思わないのです。たとえば、私の近所に世界的に有名な人が設計した建物があります。20年くらい前にできたものです。その建物は、当時のはやりだったコンクリートの打ちっ放しの壁です。当時、いくら流行とはいっても、今見るととても安っぽく見えます。こんな風に、建築物の設計をやっている人たちは20年くらいしか持たない(強度だけではなく、デザインとしても)建物を平気で建てているような気がします。近所に、一級建築士が住んでいる家がありますが、これもガラスだらけで外から中の様子が丸見えです。それなりの哲学があるのでしょうが、私は住みたいとは思いません。

結局、私がいいたいのは、建築士全体で自分たちの設計哲学を見直さない限り、こんな偽装事件はいくらでも出てくるだろうなということです。タイトルにある弁護士とは全然関係なくなってしまいました。