居酒屋ええ滑空鉄道。

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一筆。

2006-08-09 | 草子
先日、爺様が亡くなった。86歳だった。
最期はおだやかなものだったようだ。
6月の時点でいつ心臓が止まってもおかしくないといわれていたので覚悟はしていたが、いざ連絡をもらうとやはりこたえるものだ。
丁度、前の店が閉店してその片付けがまさにおわったその日の昼だった。前日にまた危険だという連絡は貰っていたのだが、まあいつもよりは大丈夫そうだという事だったので帰らなかった。
爺様と最後に話したのは6月の頭になってしまった。
夕方、家にいくと爺様が寝ていた。病院に居たときよりよっぽど顔色がいい、そんな寝顔だった。

葬式にはいろいろな人が来てくれた。爺様が趣味が長じてはじめた鎌倉彫の会の方々に大いに助けていただいた。
右も左もわからぬまま、親父殿が葬儀屋と手はずを整えて行く中、なにもできぬまま葬式当日を迎えた。
小売・接客業とは因果なもので、通夜の受付を店のレジと同じにローテーションとか弔問客の接"客"を考えたりしてしまう。頭の片隅に違うだろ!とささやくものが居るのだが、体が接"客"をしてしまう。
何年ぶりかで妹に会った。まあかなりぶっ飛んだ奴なのでどんな格好でくるか、ワクワクテカテカ、ではなくハラハラドキドキしていたが、まあ激甘採点で合格?ではあった。他人様の式には間違っても出せないが。

爺様は昔トラックメーカーでミッションの設計とかやっていたとかいう話を数年前に話した事があった。
だから爺様はずっと機械屋だったと思っていた。でも葬式の時にあった爺様のいとこ筋の話を総合するとどうも戦前は近衛連隊にいたとかいないとか、馬をもらって帰ってきた事があるとか無いとか、俺様は爺様の若い時とそっくりとか違うとか、いろいろ爺様と話をしてみたかったこともできたわけで、これは杉田の墓でいろいろ聞くとしようか。
もっとも過去を語るは無用、聞くは無作法な不文律があるふいんきのうちのことて、誰も語らんだろうけど。

一段落がついた8月のある日、僕は高松へと旅立った。
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