せせらぎせらせら

日々思うこと

新しい角度

2013-07-29 | せらせら

どこかの島だったと思う。
もしかしたら山際の町だったかもしれない。
とにかく集落の外れに古い洋館があった。
4、5階建ての外観は灰色の石詰みで、黒い窓枠から曇ったガラスを覗くとかつて使われていたであろうソファやテーブルがそのままの位置でホコリを被っていた。

ある日、洋館の前を車で通ると、3人の男たちが中で何やら作業をしている。
取り壊すための片付けか、あるいは改装して何かに使うのか。
いつかカフェにでもできないかと密かに狙っていた僕は、ちょっと残念な気持ちになったが、同時にその洋館がどうなるのか興味が湧き、男たちに話かけてみることにした。

男たちはみな外国人だったので、カタコトの英語で話しかけてみたところ、帰ってきたカタコトの英語から、どうやらドイツ人であることが分かった。
この建物は銀行として使われていた、自分たちがこの建物を作ったわけではないんだ、作ったのは友人の女性で、自分たちはただ友人の手伝いをしているんだ、というようなことを言っていた。
もし捨てるもので使えそうな物があれば譲ってもらおうと思い、少し中を見せてもらうことにした。しかし、ソファもテーブルも壁に掛けてあった絵画も譲り受けるほど好みの物ではなかった。


そうこうするうちに、上の階から一人の女性が下りてきた。
30歳前後の日本人のようだった。特に紹介されることもないうちに、この女性が例の“友人”だな、と思った。

女性は言葉少なに差し障りのない挨拶をし、荷物運びの作業を続けた。
無愛想ではあるが、感じは悪くない。
ただ、興味本位で仕事の邪魔をしにきた男に興味を持てないだけという感じだった。

去り際に残すべき言葉を考えながら、作業を続ける人を眺めている間に、ついでだから上の階も見せてもらおうと思い付いた。

「どうぞご自由に」と、そっけない回答をもらって階段を上ったものの、上の階は吹き抜けの部分がほとんどで、家具の一つもない。

2階、3階、4階と区別の付かない空間が続いたが、続く最上階に着くと景色は一変した。
意外にも、そこには生活空間が広がっていた。

ホコリもなく、奇麗に掃除されたそこはまるで今の今まで誰かが住んでいたかのような状態だ。

なぜ銀行の上に人が住んでいたのか? 考えるほどに奇妙だが、前に住んでいたM市には商業施設の上に公民館があったし、世の中には奇妙なことなんて例を挙げればキリがない。

見てしまった以上、疑う余地はなかった。

広い空間が薄い壁で4部屋に分けられ、書斎、寝室、客間、居間に分かれているようだ。
階段を上がってすぐの客間らしき部屋は、和とも洋ともつかない雰囲気で、それまでの階とは打って変わって庶民的。
すべてがDIYといった様子で、壁や窓枠など細かいところに粗が見て取れる素人作業ではあるものの、置いているオブジェや壁などセンスは僕好みだ。
自分の家もこういう風にしたいものだと感心し、学べるアイデアがあれば盗んで帰ろうと、俄然興味が湧いてきた。

続いて寝室を覗いたところで、驚いた。
雑然とした雰囲気の中に一人で寝るには少し大きめなベッド、冴えない柄のカーテン、手作り感を全面にたたえる机、ホームセンターにでも売っていそうな安っぽい本棚……。
それらのほとんどすべてが、配置から色調に至るまで僕が幼い頃に住んでいた部屋と酷似していた。
こんなことがあるんだなぁと思った。

下の階から上がって来た女性に、なんだか懐かしいなぁ~という言葉を皮切りにありのままの感想を伝えると、女性も驚いたように僕の言葉に耳を傾けた。
「そうそう! 僕はここに置いていた水槽に熱帯魚を飼ってたよ、ここのは金魚だけど」「ここも似てる! ここに同じように工具箱を置いてて……」「このステッカーの位置に、僕も似たようなステッカーを貼ってたよ~」
女性は相槌を打つばかりで、自分からはなにも話そうとしない。
ただ興奮気味に僕の口から飛び出す言葉を微笑み交じりに聞いていた。
少し好き勝手に喋りすぎたと感じて言葉を止め、それとなく彼女の話に話題を切り替えた。
芸術家だが、職業にするほどではなく、今はまちづくりのプロジェクトを進めているということだった。
以前はこの部屋に住んでいたが、最近は忙しく海外を飛び回っていて、ゴミを減らす活動に特に力を入れていると語った。
「タバコも、巻きタバコに換えるとそれだけでゴミが減るんですよ」と、絵まで描いて説明してくれた。 

最初はそっけないと感じたが、自分の本懐の話になると驚くほど熱っぽく喋る。
そして内容はどうあれ、その姿には好感が持てる。 
話をしながらかける音楽も昔、僕が聞いていたようなものばかりで、話の途中に「うわ、これも懐かしいな~」などと挟みながら、彼女の話をたくさん聞き出した。
机の引き出しからおもちゃの拳銃を取り出し、「実はこういうのも好きなんです」と言い始めたときには、名前も聞いていないこの女性に、もはや他人とは思えない親近感を覚えた。
「ならホンモノの鉄砲も持っちゃえば? 僕は猟銃免許を取って、狩猟もしてるんだ」と話すと、すでに持っていると言って、別の部屋へ案内され、猟銃も見せてくれた。
まだ実際の狩猟はしたことがないとのことだったが、僕の猟銃にはまだ付いてない肩掛け用のベルトが付いていた。

「いつか一緒に猟に行きましょう」と誘いはしたが、どうやらそれが実現しないであろうことはその時点で確信していた。

遠くでピピピと電子音が聞こえる。
さすがにそこまで来ると、一連の出来事が現実ではないことを僕も悟る。
目を覚ます前に、もう少しだけ……という思いで、部屋の中を見回すと、机の開いた引き出しの中に色褪せた1枚の写真を見付けた。
そこには若かりし頃の僕の両親と小さな子どもが写っていた。
なんでこんなものを持っているの?と問う僕に、彼女は「最近知り合った女性からもらった」と答えた。
他人にもらった他人の写真なら、引き出しに仕舞う意味がまるで分からないが、たぶん嘘なのだろうし、どうせ夢なのだから嘘でもいいと思った。

覚め際に、彼女が口にした最後の言葉は「ありがとう。今日は会えて良かったです」だった。

扇風機の風を足に感じ、PCの前で寝落ちしてしまったことを自覚し、目を開ける前にこの夢を忘れるまいと、夢の記憶を早送りでリプレイした。
そして、思った。
たぶん、あのコは僕の孫とか、もしかしたらもっとあとの世代の子孫だったんだろうなって。
いろんな人からよく言われるけど、なんとなく自分が早死にするような気がした。
(もちろん、それを望んでいるわけではないが)


恐らく、あれは何の意味もないただの夢。
どう解釈するかは自分次第だし、そもそも意味なんてないだろう。
洋館からは使えそうな物は何一つ持ち帰れなかったけど、一つだけ確実に手に入れたものがある。

それは僕の中にこれまでになかった角度。
男であれ女であれ、何世代かあとの子孫の視点から、こんな人の子孫で良かったと思えるような生き方も面白そうだ。


続々と友人に子どもができている。
親になり、新しい立場に立った友人たちと生き方や死に方について、酒を飲みながら語り合いたい。
20代の頃に、よく夜を明かしたように。
それらが、ひどく自分勝手な美学に満ちたものなら、なお好い。

 

 

余談だが、目覚ましは僕のものではなかった。

そして、夢を打ち切りにしてくれた目覚ましの持ち主である同居人からは「きっと未来の子どもが『先祖と話せるチケット』を手に入れたんでしょうね」と冗談めいた感想をもらった。
本当にそうだったらいいな、と思った。

でも、そんなものがあるなら、むしろ『子孫と話せるチケット』が欲しいね。
なんにせよ、「ありがとう」と言われるような生き方をしよう。