宇宙哲学フォーラム

アダムスキーの宇宙哲学は、他の惑星の人々から伝えられた宇宙の法則の教えです。

知覚と思考(その4)

2013-01-20 21:46:39 | アダムスキー全集解説・第7巻
私は、参考文献
『他者の心は存在するか』金沢創著(金子書房)
で述べられている、
・心が感覚情報から成り立つこと、
そして
・人間の心や思考は「物質世界があって生命が形づくられ、そして心が生まれた」
と解釈するのではなく、
「感覚情報に基づいて、心がそのように認識するから物質が存在していると感じる」
ことができる、と認識を改めました。

そして、改めて
『21世紀の宇宙哲学』の 第2章 知覚と思考
を読んでみると、同書35~37ページには、
----------------------------
・・・もしわれわれが自己の内部に存在するものを知覚するならば、われわれは
それを具体化させることができる。知覚によってわれわれは実際に一つの物を生
み出して成長させるのである。

 生命の科学全体は思考と知覚にもとづいている。すなわち思考と知覚によって
万物は現象の世界に存在させられているのである。思考は"因"を働かせて活動を
生み出す原因となる。
----------------------------
と、まさに私が認識したとおりのことが書かれており、「宇宙哲学」について私の
理解が足りなかっただけでした。

だからといって、正直に言って
「思考と知覚によって万物は現象の世界に存在させられている」
という実感は起こりません。
「現象の世界があってその中に自分がいる」
という認識は変わりません。

----------------------------
思考と知覚の間には実際にはほとんど相違はない。前者は"因"の魂の感知
であり、後者は肉体の感覚器官の感知である。そしてこの二つは常に一体
でなければならない。
----------------------------

おそらく人間以外の生物では感覚情報は忠実に認識されるのでしょう。ところが
人間の心は、感覚情報を言葉と結びつけて認識するに至りました。
すると人間の心は感覚情報を「外部世界」として認知し、さらに言葉によって
世界を分節してゆきました。

 感覚情報は実は1種類しかないのだと思います。いわゆる4つの感覚器官とは
人間がそのように認識すると決めたから4つなのです。

 どうすれば私たちは感覚情報を言葉による分節なしに、一つのものとして認識
できるようになれるのでしょうか?
 言葉は無用なのでしょうか?テレパシーが言葉に代わるものなのでしょうか?
そうではないと思います。言葉がなければ私たちは何も理解できないと思います。

 むしろ感覚情報を言葉によって分節するだけではなく、個別の情報として認識
し理解するけれども、全ての感覚情報(及び対応する言葉)は結びついていると
認識すべきなのでしょう。
(この項続く)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 知覚と思考(その3) | トップ | 原発事故被災者支援の政府交渉6 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

アダムスキー全集解説・第7巻」カテゴリの最新記事