ガエル記

本・映画備忘録と「思うこと」の記録

「音楽が終わった夜に」辻仁成

2019-06-10 20:16:49 | 

f:id:gaerial:20190610070708j:plain

凄く良い本でした。

先日フレディ・マーキュリーを描いた映画「ボヘミアンラプソディ」を観たこともあって書かれていることが映像のように浮かんできました。

もちろんそれは筆者である辻仁成氏の文章が素晴らしいからに他ならないのでしょう。

ロックミュージシャンを目指してエコーズでデビューしZOOという名曲を作り活躍し、後に作家へと転向し美人女優と結婚離婚を繰り返し今は愛する息子とパリに住みながらもまだなお作家だけでなく様々なクリエイターとして名をはせるというちょっと出来すぎ以上の存在である辻氏。

でもなぜそういう人生を送れるのかは本著を読んでいると判るような気がしてくるのです。

恵まれたすらりとした容姿に加え音楽と文章の才能。そしていつも明るさをもちながら真摯に歩んでいこうとする気持ち、友情と別れの時の切ない思い。

 

実を言うと辻さんを知ったのは辻さんの音楽でなくてブルーハーツのヒロトが辻さんを慕っているということを本で知ったからでした。

私はブルハ好きでヒロトがそんなに慕う人ならもう絶対ステキな人なのだろうと思ったわけです。

その後辻仁成氏はあっという間に作家として有名になっていき、ロックミュージシャンだった人が小説家としても活躍できることに驚きました。

最近はツイッターでフォローしていてパリでの生活を読ませてもらってますが知れば知るほど好きになれる人でツイッターの文章だけでいかに辻氏がきらめく感覚を持った人物なのかがわかります。

「おやすみ日本。とんとんとん」というのが彼の決め言葉ですが、その一文でどんなに多くの人(特に女性?)の心が癒されているのか、と思うのです。

こんな才能を持つ人はそんなに多くはない、というか他には知りません。

 

さて本著、絶対映画化してほしい作品ですね。

今はもうこんなロックの時代ではない、と思うだけによけいにこの世界を映像として留めて欲しい。

良い話がいくつもありますが特に自分がマンガ好きなせいもあって辻さんが漫画家志望の青年と仲良くなり共作しようという話は心にせまってきます。

「凄い作品」が生まれるはずだった。

でも辻さんのほうが音楽に行かなければならなくなって共作が中座してしまう。

「いい加減な奴だな」と言われてしまった若き辻仁成。

もし時期が少しずれていたらほんとうに「凄い作品」が生まれるはずだったのかもしれない。

この本で辻氏はとてもロックを小説には書けない、という。

他のロック小説を読むと醒めてしまうという。

ロックをやっていたわけじゃないけどわかるような気がします。

あの熱い思いや音楽の鼓動を文章の中に封じ込めることはできないのでしょう。

 

と判りつつも映画という媒体なら少しだけでも近寄れるのじゃないかと思い、この世界を映像にして欲しいと願ってしまうのです。


「胎児のはなし」増﨑英明・最相葉月-後半の後半ー  母乳の認識をしましょうという話

2019-06-10 05:17:08 | 

f:id:gaerial:20190524051647j:plain

また昨日に戻りますが全編を通してもこの「疫学でがんを防止する」という話はこの本の最も重要な部分でしょう。

しかしその話は少し間違えば大変な事態になることも示唆しています。

 

昨日も書きましたが妊婦が、がんのキャリアであることを告げることで本人が自殺するかもしれない(自殺はなかったそうですが)夫やその家族が嫌って離婚することもある。これは実際あったそうです。現在であれば家族にも医師からの説明があった方が良いはずです。(これはどうなっているのかはわかりませんでした)

病気というのは隠せば隠すほど悪い方向へと行くように思えます。

オープンにして多くの理解を得ることでしか解決していかないのではないでしょうか。

 

そして増﨑医師は語ります。

こうしたがんキャリアの母乳を止めるという予防を30年間した結果長崎では激減するという結果が得られたのですが、逆に東京で増えている。

これは人口の移動であると。

 

最近ツイッターで「母乳神話」(に対する抗議)というツイートを見ました。もちろん、こういったウィルスがある危険性を言った話ではなかったのですね。

こうした母乳の危険性、という話は私自身この年齢になって初めて知ったことです。つまり自分の育児中というより妊娠中も知らなかった。しかも九州人であるのに。

長崎県以外では知られてなかったこと、というのでしょうか。

そして今東京のほうに増えているという事実。

ただし、増﨑医師の会話では7年前からどんな妊婦さんにも検査は行われていて母乳をやらないよう指導されている、となっています。

それでも国民がこうした事実を知らないのは、というよりこうした事実を知っておくべきだと思います。

 

付随して、たとえこのウィルスを含む母乳でもいったん冷凍そして解凍すればウィルスは死ぬそうです。

ただし最新式の高速冷凍はウィルスが生きたまま保存されます。

昔ながらのじわーっと凍らせる冷凍庫のほうがウィルスが死ぬそうです。

科学の力って負の方向にも作用する、という事ですね。注意しましょう。

 

さてやっと次章、第八章です。

といってもこの章で特に記しておきたいということもないのですね。

ART(生殖補助医療技術)昔は「試験管ベイビー」なんて呼ばれていました。

2015年のデータで国内では48万2627人生まれている。教室に一人か二人いると言われているそうです。

世界では約700万人。 

でも本人の多くはそのことを知らないと。

 

この本にも書かれていますが、長く生きて来た者として実感することがあります。

「妊娠出産は後でできる。今は医療も進んでいるので高年齢での出産も可能だ。女性も仕事に専念せよ」と言われていたのに実際そうしたばりばり働く女性たちが高年齢になった後で「やっぱり高年齢出産は様々な危険がある。卵子も老化し数も激減する。染色体異常も増える」と言い出したのですね。

言い出したのは誰なのか。

いつの間にかそうした風潮が生まれてしまっていた、としか言えません。

現実にどうなるか、やってみないと判らなかった、つまり人体実験されてしまった、ということなのかもしれません。

私自身は影響を受けてはいないのですが、そうした言葉を信じてバリバリ働いてきた女性たちは「もう産めないよ」と告げられて「生むにしても高リスクだよ」と言われてどんな思いだったのか。

実際事実として妊娠率が下がり染色体異常が増えることを証明させられたように思えてなりません。

結局、女性がいうちに働きながら妊娠出産し育児休暇を取ることができ、復職できる社会を形成するのが一番いいのです。伴侶である男性も同じく育児休暇をとって復職できる社会、ということですね。

そして同性愛カップルも代理出産や養子縁組という形を取りやすくできるようになる、そういう事の一つ一つが少子化を防ぐことになっていくのだと思います。

 

終章。

今回のブログ記事を書く前にアメリカのコメディアンの動画というのを見てしまいました。

それは「この国のほんとうの持ち主は未来永劫絶対に教育問題を改善させたくないのだ」という話でした。


奴等がほしいのは「従順な労働者」だ!- ジョージ・カーリンの警告

 

上に書いてきたこともこの動画のジョージ・カーリンの言葉で理解できます。

真実は知らされない、本当に大切なことは勉強できないのです。

バリバリ働いてきた女性たちは真実を知らされず年齢を重ねてしまいました。頭の良い人間だったはずなのにそれを知ることができなかったのです。

母乳神話を鵜呑みにして信じていれば病気になり医療が必要となります。

予防されてしまうよりそちらのほうが儲かるでしょう。

 

誰かが教えてくれるのを待っていては遅いのです。

もちろんすべてを知るなんて平凡な市民には無理ですが、それでも「支配者」たちに抗う行動はしていきたいのです。

本を読み、色々な人の意見を聞きましょう。たとえ、それはわずかであっても何も知らずにいるのはいやなのです。

政府を信じ切ってしまう恐怖を持っていたいのです。

この本一冊だけでも多くの事を知りました。

それがすべて真実なのか、は判りませんが記憶にとどめていく価値がありました。

インターネットではジョージ・カーリンを知ることができました。

世界中で同じように考えている人がいるのです。

私たちは考えなければいけないのです。


「胎児のはなし」増﨑英明・最相葉月-後半の前半ー

2019-06-10 05:11:02 | 芸術

f:id:gaerial:20190524051647j:plain

さて「胎児のはなし」続き第六章から行きます。

その前に第五章の最後「膣を通るとき肺胞液を絞る」はとても映画的な説明です。それまで液体の中で酸素を得ていた胎児が生まれた途端に肺で呼吸をする。そのために肺がスポンジ状になっていて界面活性剤である肺胞液をつくってためている。

胎児はぎゅーっと狭い産道を通ることでスポンジ状の肺が絞られ肺胞液を鼻からジョジョジョーと出す。それでスポンジのような肺が絞られ外に出た途端パーンと肺が開いておぎゃあと泣く。初めて呼吸をするのですね。

この描写は感動的です。映像作家であれば映画にしてみたくなりませんか。ある場所で生きていたものが突如別世界に行って未知の感覚を知る、という話がとても好きなのです。人間は皆それを一度経験しているということになります。

 

さて第六章は出生前診断について語られていきます。

お母さんがRhマイナスで子供がプラスだった時が判るのは役に立つのですがそれ以外は何の意味があるのかと、増﨑医師は言います。ここが彼の一番の思想になるのです。

生選別も時に中絶につながります。

そしてNIPT胎児の染色体検査そこで陽性が出た場合には羊水検査を必ず受けることになります。現在の検査の対象は18トリソミー、13トリソミー、21トリソミー(ダウン症)の3つの疾患で遺伝子の異常まではほとんどわからないということですが、いずれわかるようになるでしょう、と増﨑医師は言います。

この検査を医師は提示するだけで決めるのは妊婦さん及びその家族ですが「提示するってことは勧めているってことですよ」と増﨑医師は言うのです。

そしてそれを「受けなかった」という人を「正しい選択です」といい「受ける」ことも「正しい選択です」という。

やったから正しい、しなかったから正しい、そういうのはすでに通り過ぎている、と言います。

現在出生前診断においての問題はここにあるのでしょうが、もしかしたら問題でもないのかもしれません。

日本では90%中絶になるそうです。ヨーロッパだとこれがけっこう産む、のだそうです。そこは宗教や福祉の違いなどがあるでしょう。

増﨑医師はこの話はしたくない、とまで言っていて、あるレビューではそのことを避けていたのでこの本は意義がない、と書いている人がいましたが読んでみると増﨑医師の考えははっきりしています。

今の妊娠出産に関する医療は検査が多すぎる。妊婦さんはもっと幸せでほんわかしていて欲しい、人生は色々なことが起きるもの、でも楽しむためのものだ、と。

そういう意見に関しても賛同する人と妊婦の事を考えてない、と感じる人がいるようです。それもまた当然のことなのかもしれません。

私自身は読んでいて確かに増﨑医師の言う通りだと感じました。

トリソミーに関する問題は悩ましいものです。あるいはわかるなら診断を受けてダウン症であれば中絶という選択をあたりまえにしてしまうこともあり、そのことも間違いとは言えないでしょう。

産む選択をする場合には周囲の理解や福祉がないと母親には大きな負担があるわけです。

とても気になることであり今まで幾つかのドキュメンタリーなどを観ましたがそこで語られることはほんとうの愛と幸せを知ることができた、ということでした。そしてそういう幸せを拒絶する社会に対して疑問を投げかけていく姿勢でした。

ただこういう選択を医師が妊婦に対して強制できないのが今の社会です。それはもちろん良いことなのです。

生きていくうえで様々なことがあり、そのたびごとにどうすればいいのか、何が大切なのかを考えていかねばなりません。自分にとって大事なもの、最も愛すべきもの、を考えることで人生が作られていくのだと思います。

 

そして次に二人の話はとても不思議な方向へいきます。

夫婦は他人ですが実は生物学的につながっている、という話です。

家族の中で夫婦と言うのは別々の男女であり血のつながりはないわけですが、DNAでつながっているというのです。

つまり胎児と母親はDNAを通じて情報交換をしているわけですが、もちろん胎児のDNAは半分父親が由来なわけで、父親って妊娠中は外にいて何も関係ないと思っていたが胎児を介して父親のDNAが母親に行っている、ということなのです。

夫婦と言うのは遺伝的つながりはまったくない、と思っていたがこどもができるとつながる、子供を介して父親のDNAが母親の体を巡る、というわけです。

ところが話は進んで妊娠はしなくてもセックスをするだけで男のDNAが女性に入っていく、という話になってきます。

セックスをするだけでも女性は男性のDNAを受け取る。こうして似た者夫婦が生まれる、という話になりますw

 

ところで今からの話はこの本の内容ではなくてネットで仕入れたものですが、恋人たちがキスをしますよね。

あれって何の意味があるのか?何の意味もなくべちゃべちゃしているだけじゃないのか、って思いますよね。

ところがあれって男性の持つ免疫を女性の体に入れ込むことによって女性がより強い免疫を持つ体になるのだそうです。

それでより安全な妊娠出産をするための重要な準備だというのですね。いきなり性交・妊娠・出産するより半年ほど(ここ適当ですが)時間をかけてたっぷりキスをすることで母体の免疫を高め、より強靭で健康な体を作って性交・妊娠・出産することが大切である、と。

本当なのかは知りませんが目からうろこでした。

人間は無駄なことはしていないと。

キスというのは愛情の表現ですね。

やはり愛のある妊娠・出産は素晴らしい、ということなのでしょう。

 

第七章

この章で一番の驚きだったのは「長崎県は母乳を遮断してがんを防いだ」という項です。増﨑医師は佐賀県伊万里市の出身でお隣長崎県で産婦人科医として活躍されていたのですが、その仕事のひとつに「長崎県ATL母子感染防止研究協力事業連絡協議会会長」として」白血病のプロジェクトに携わってこられたとのことです。

成人T細胞白血病(ATL)という病気があって母乳から赤ちゃんに感染する、30年前に長崎県にキャリアの妊婦さんが7パーセントいて全国でも多い地域だったのを「母乳を飲まさない」ことで0.8%にまで減らしたというのです。

がんを疫学で減らした、というのは世界で初めて、という事らしいです。長崎県は30年間それにお金を出した、そして30年前に基礎研究をやっていた先生方がそれを見つけたと増﨑医師は賛辞しています。

でも最初は出る母乳をやらないために母親にがんのキャリアであることを告げなければならない。この時妊婦さんにだけ告げて夫には黙っていたと言います。離婚話をおそれたそうです。

またもっとも自殺を恐れたけど30年間自殺はなかったそうです。しかし母乳をやらないことで姑にいびられたり、離婚はあったそうです。うわあ、となります。母乳をやらないためか、がんのキャリアであることを仕方なく告白したためなのか、どちらにしてもそれで離婚とは。もちろん別の理由からかもしれませんが。

この成人T細胞白血病の治療は十分なものがないそうです。それを疫学で減らした。すごいことですね。

 

今日はここまでにします。

後半の後半はまた後で。よろしく。


「胎児のはなし」増﨑英明・最相葉月-前半ー

2019-06-10 05:00:32 | 

全編、おもしろい興味深い話がいっぱいでした。

まずは表紙の軽やかな絵に安心して入っていけますね。この絵がマジだったりするとちょっと抵抗あるかもしれませんし、お二人の話自体が軽やかなのでこの絵がぴったりであると思います。

 

内容に触れていきます。

 

第一章では染色体について話されます。

人間には二十二対の常染色体と一対の性染色体があり、女性がXX、男性がXYです。これは知っていましたが,Xの中には物凄い数の染色体があって女性はそれを二つ持っているので一つ壊れてもは反対側が働けばいい。だけど男性はひとつしかないので早く死んでしまう、のだそうです。

じゃあ、Yってなんだというと女を男にする役目しかないというのです。Xは「生きますよ」「生きてますよ」という遺伝子があって女性は二つ持ってるのに男性はひとつのXがYに変わってしまったという、なんという不思議なことでしょうか。

男性はこういう話をやたらと「どちらが偉いか」みたいな話に持っていきがちですが、単に役割、ということではないのでしょうか。

 

そして続く話が「胎児についての研究」が怖ろしい犠牲の上に成り立っているという事でした。今ではとても認められない人権無視の行為がかつて行われたことで今の知識が存在するのです。

 

第二章は魚群探知機が妊婦の超音波診断に発展する、という言うお話から先生の生い立ち話、そして逆子体操の話になるのですが、実はこれ、私自身経験しております。

最初の子の妊娠中「逆子になっているので体操してください」と言われ、大きなおなかで苦しい体位をする体操をしなきゃいけないのですが、おかげさまで案外すんなり逆子治りましてほっとしましたが、増﨑医師は「赤ちゃんがいたい格好でいいんじゃない」というようになったそうですw増﨑さんの発言は万事こういう自然体なのがとても好感持てます。他には手でひっくり返すという技もあるとか。「外回転術」という保険診療だそうです。

  

第三章は胎児はまだまだ未知なるもの、という話でした。

十月十日ということばはまだ存在しているのでしょうか。実際の妊娠期間は40週間で一般では最終月経から割り出しているようですが(すみません。これに関しては私はまったく考えたことがないのですよ)増﨑医師はこの方法は違いがありすぎるとして超音波での計測で完璧と言います。赤ちゃんが30ミリで必ず10週目という事から計算していくと、この時期までは個体差がないのですね。

そして、女性の体の中になかった「羊水」というものがどうして妊娠した時に発生するのか。これも何も考えずにいたことですが、「どうして?なぜ?」を考えることが科学ですね。

羊水の初期はお母さんの血清といっしょで生まれる前の成分はおしっこといっしょになっている。つまり赤ちゃんはお母さんの血の中で育って自分の出すおしっこで満たされていくということになります。このおしっこ羊水は再び赤ちゃんが飲むので増えすぎることはないということです。

だけどうんちは生まれるまでずっとためていて生まれてから排出する。なのでうんちで羊水がよごれることはなく、もし汚れたらそれは赤ちゃんが具合が悪いということになるのです。

 

 第四章 胎児を救う!「人」として扱う医療を

難しい話になってきました。

中絶、という問題について語られていきます。

特にこの章において増﨑医師の考えが述べられています。

例えば病気を持って生まれてくる子供をどう考えるか、日本と欧州での考え方の相違。宗教による考え方の相違。

中絶の話し合いで夫のほうが強く主張するとき、増﨑医師はお母さんの意見を聞いているのです、と言うのだそうです。

中絶の手術をするのは辛い仕事なのです、と語られています。そのこと自体にも様々な考え方があるのでしょう。

この本ではレイプでの妊娠を掘り下げて語ることはされていません。それは別の場所で話し合われるべきで当然ですね。

避妊をしなかったための妊娠での中絶。優生保護法による中絶。なんという悲しいことか。

しかし医師としては仕事として割り切るしかないという事実。

産婦人科医の喜びと苦しみが語られます。

 

第五章

前の章が特に苦しい話だったためか、この章は柔らかい話になっています。

特に子宮の羊水の中にいる胎児、を「エヴァンゲリオン」のLCLに満たされる場面と重ねて話されたのが興味深かったです。

羊水の中の赤ちゃんはお母さんから酸素をもらっているので口や鼻で呼吸をしているわけじゃないのにあくびをする、というのもおもしろいです。

そしてしゃっくりも凄く多いという。

ここで増﨑医師はしゃっくりの止め方を最相さんに教えるのですが、私も知っているやりかたでした。ですが、最相さんは知らなかったのでちょっと驚きでした。

私も増﨑医師と同じ佐賀県生まれなのですが「水を入れたどんぶりの前後左右四か所から水を飲むとしゃっくりが止まる」というのは佐賀特有なのでしょうか。

あれはほんとうに止まります。最近しゃっくりでないのでここんとこ試してませんが。

とにかく胎児は呼吸をしなくていいのに呼吸をするような運動をいっぱい練習しているのだそうです。

こうして胎児はお母さんのおなかの中で生まれてくる準備をがんばっているのですね。


「レイプもセックスだと思ってた」性を教えることの大切さ

2019-06-09 15:16:12 | 女性

「勃起と射精」に拘泥する男の“性欲”と、ニッポンの「性教育」

「レイプもセックスだと思ってた」…まともに教えず、男を誤解させる自民党の政治的性教育

この二つのリンクは前編・後編でつながっています。

実はリツイートで後編の「レイプもセックスだと思ってた・・・」から読んで記事にしようと思ったのですが、前編があったのに気づいて順番で並べました。

だけどもしかしたら前編のほうがよくある話なので後編から読んだ方が入り込みやすいかもしれません。

どちらにしても読むべき記事であると思います。

前編で語られたのはこの時代になっても性教育というものがなかなか進んでいかないことですね。男性二人の会話ですが男性女性ともに教育が不十分であることがわかります。女性ももっと自分の体を知るべき、という説明に肯きました。

 

私自身(50代)性教育というものはまったく受けられなかったと言っていいと思っています。

なんとなく「そういうもの(性教育)は成長につれていろいろなとこで聞いていくものだ。セックスそのものは女性は結婚してからでいいだろうし、男性はいろいろで風俗ですますのもひとつだ」という風潮のまま来てしまっているように思えます。

もちろん学校によっては真剣に取り組んでいるところもあると思いますが、多くは私の学生時代とあまり変わっていないのではないでしょうか。

これもジョージ・カーリン語るところの「未来永劫教育は変わらない」なのかもしれません。無知であるほど経済はさまざまに動かせるからです。立派な教育を受けたら風俗や堕胎手術の費用もなくなってしまうじゃないかということなのでしょうか。

さまざまな教育が大切ですが「性教育」は人間が生きていくうえで欠かせないものです。これだけは真っ先に充実させていかなければならないものなのです。

上のリンク先では触れられていませんが女性向けの低用量ピルのことなど学生時代には知る由もありませんでした。あたりまえです。解禁が1999年ですから私は36歳になっています。それでも私は生理痛などが軽かったから良かったのですが重い女性たちの苦しみを思うと何故もっと早く(学生じゃないとしても)普及してくれなかったのでしょう。というか、現在でも普及しているとは言えません。いまやっとネットで「もっと活用しましょう」と呼びかけている状態ですね。すべての日本女性が当然のように使用するのはまだまだです。

それを一部の人々が「ピルを使う女はセックスにふしだら」などと意味不の言論をしているのにあきれ果てます。

 

リンク先に戻ります。

 

清田 これは自分自身にも当てはまることなんですが、男って自分の性欲について実は“よくわかってない”ような気がするんですよ。

 

これは女性だってそうだと思いますが、本当に大変な問題であります。

そして会話は続きます。

 

清田 はい、同著で坂爪さんは、「(男性は)女性の身体の評価や採点、支配や売買を通して、間接的に自らの性を語ることしかできない」とも述べていますが、まさにその通りだなと。

村瀬 それを考えるにはまず、「快楽としての性」をどう捉えるかが鍵になると思います。これには2種類あると僕は考えていて、ひとつは身体的なオーガズム、男の場合で言えば射精につながるような“性的快感”(からだの快感)です。そしてもうひとつは、触れ合って、ほっとして、安心して……という心理面で味わう“心的快感”(こころの快感)です。

 

この「心的快感(こころの快感)」というものは簡単に手に入るものではありませんね。

それには二人の人間が互いを認め相手を知ろうとする努力が必要になってきます。そんな努力を経て心的快感はあると思いますが、その努力をしようとする気持ちが少ないもしくはまったくないことを多く感じます。

 

村瀬 そうだね。まず100%。特に男子はそちらに囚われている傾向が強いかもしれない。この性的快感って自慰行為でも得られるわけで、実は必ずしも相手を必要としないものですよね。これは何も「相手がいないから一人で」という話ではなく、恋人がいようと、結婚していようと、高齢者になろうと、相手の有無に限らず自分だけの性的快感は自分で獲得できるという意味で。

清田 村瀬先生はそれを「セルフプレジャー」と呼んでますよね。

村瀬 はい、そうです。いい表現でしょう? しかし、もう一方の心的快感は、触れ合いやコミュニケーションの中で得られるものであり、基本的に相手を必要とします。それで、ここが重要なポイントなんですが、性欲というものにはそのふたつを求める気持ちが混ざっています。

 

この大切なことを性教育の中でされたことがどのくらいあるのでしょうか。

どういうわけか。「性教育などしたら世の中が乱れる」という奇妙な論理を持っている人が見られますがすべての男女が村瀬氏が言っていることをすでに理解していると言えるのでしょうか。私にはそうは思えません。

 

村瀬 それが単なる射精欲求ならば、これはもうセルフプレジャーで満たすことでいいんですよ。そうやって生理的欲求を自己コントロールできることは、自分への自信にもつながるはずなので。逆に、そのために相手を利用するのはやめるべきでしょう。相手は射精のための道具ではないからです。

清田 “相手の身体を使ったオナニー”という表現もありますね。よくヤリチン男性なんかが「いくらセックスしても心の空白が埋まらない」みたいなことを言いますが、それっておそらく「本当は心的快感が欲しいのに、それを得られるようなセックスをしていない」ってことなのかもしれませんね。

 

痴漢、セクハラ、レイプなどの身勝手な行為がなくならない理由がわかる説明ですね。

男性の方がセックスだと思っていたのが女性からすればレイプだったというすれ違いがあるのもこういうことなのです。

 相手を思いやる、セックスはふたりの心と体の触れ合い、という事を無視して愛し合えるはずがないのです。

 

そして後編へ続きます。

 

ここで村瀬氏自身の体験が話されます。失敗のあとで夫婦ではなしあって解決していったという話は感心します。こうありたい形です。

そして村瀬氏は学生たちに性教育を施し学生たちも積極的に勉強していくという、これも素晴らしい話でした。

 

しかしその後にされた話には驚きました。

 

 

村瀬 その後も順調に広がっていって、性教育の取り組みを新聞で取り上げてもらったり、書籍や講演会の依頼がきたりしました。1982年には「“人間と性”教育研究協議会」という全国的な研究団体の設立にも関わり、1989年からは一橋大学、さらに津田塾大学、東京女子大学で非常勤講師をするようになった。そして1992年には学習指導要領が改訂され、性に関する具体的な指導が盛り込まれるところまで到達したんです。

清田 1992年は“性教育元年”と呼ばれているそうですね。すごいです、まるで『プロジェクトX』のようです!

村瀬 ところがね……ご存じの人もいると思いますが、21世紀に入って以降、性教育に大きな逆風が吹き荒れるんですよ。女性の自立や性の対等・平等性などが進むことに、時の政権が危機感を覚えたんですよ。

清田 いわゆる「バックラッシュ」と呼ばれる動きですよね。

村瀬 そうです。特に今の首相である安倍晋三さんなんかは、第一次安倍政権の2005年に「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクト」を設置し、性教育を激しくバッシングしました。その事務局長を務めていた山谷えり子さんとは、フジテレビの討論番組で向き合いましたが、「性なんて教える必要はない」「オシベとメシベの夢のある話をしているのがいい」「結婚してから知ればいい」などというのがその主張でした。

 

ええ?知りませんでした。

まさかここでも安倍首相の名前を聞くことになるとは。性教育をバッシングする、というのはどういうことなのでしょうか。

勿論その性教育が間違っていたというのなら解りますが、「性なんて教える必要はない。おしべとめしべでいい」とはどういうことなのか。

人間にとって性とは単なるおしべとめしべではなく心の問題が重要であるのに国の首相がそれをバッシングする。そして女性の自立や対等・平等性が進むことに危機感を持つ?

私は最近になって「性教育が昔より悪くなっている気がする」と感じていたのは間違いではなかったのですね。

男女差別が以前よりひどくなっている?何故?という感覚が日増しにあったのは気のせいではなかったのです。

 

正しい性教育がなければ男女差別はより悪い方向へといきます。

そしてそれはますます少子化に拍車をかけていくのです。

 

性教育が正しく普及していかなければ、それこそ社会は乱れ狂ってしまいます。

政府がどうこうではなく私たちが動かなければいけないのです。