オマル・ハイヤームの「ルバイヤート」

2005-02-03 20:27:32 | Weblog
ハイヤーム(1048~1131)はイスラム圏はペルシャの人である。現在では厳しい禁酒圏であるイスラム圏にこのように酒を讃える歌が生まれたのは実に興味あることである。しかも、作者オマル・ハイヤームは田夫野人ではない。当時のイスラム圏では最高の学者の一人だったのである。その学識は実に多方面に亘り、「ペルシャのレオナルド・ダ・ビンチ」などと称せられることもある。この大学者は本来鬱的傾向があったのか、あるいは鬱を装っているのか知らないが(伝記が甚だ少ない)、この世を「鬱」と断じていた節がある。その鬱を散じるのが酒だった。ハイヤームが実際に大酒のみだったのかどうかは分らない。もし常習的な大酒のみだったならば、学問上の輝かしい成果を上げることができたかどうか疑わしい。「ルバイヤート」とは四行詩のことである。「ルバイイ」が単数形で、その複数形が「ルバイヤート」というわけである。手元に小川亮作氏によるペルシャ語からの訳本がある。流麗で大変良い訳である。
酒の他に驚くのは、アッラーの神の国ペルシャの人ながら、徹底した無神論、虚無主義、価値に対する懐疑など、イスラムの人々にとっての悪徳が次から次へと果てしなく歌われるのである。これは驚きという他はない。資料によると、世の悪評を恐れ、ハイヤームの生前にはごく内輪の者だけが読むに止まり、世に出たのは没後しばらく経ってからだったそうだ。今では生国イランでも国民詩人の扱いを受けているそうだが、これもなかなか理解し難いことだ。イスラム原理主義の国である。サウジアラビアなどには宗教警察があって、飲酒した者は鞭打ちの刑が科せられるのである。その飲酒の歌が、名詩であるという理由で許されているとすれば、謎という他はない。
ともあれ、詩の実例を挙げる。

もともと無理やりつれ出された世界なんだ、
生きてなやみのほか得るところ何があったか?
今は、何のために来り住みそして去るのやら
わかりもしないで、しぶしぶ世を去るのか!

*これは岩波版で2番目にある四行詩なのだが、この虚無感はどうであろうか?まるでJ.サルトルの「人生は無益な受難である」であるとか、アルベール・カミュの「不条理」などを想起させるものだ。

われらが来たり行ったりするこの世の中、
それはおしまいもなし、はじめもなかった。
答えようとて誰にはっきり答えられよう――
  われらはどこから来てどこへ行くやら?

*これは正統な神学への真っ向からの疑問である。

酒をのめ、ムハムードの栄華はこれ。
琴をきけ、ダヴィデの歌のしらべはこれ。
さきのこと、過ぎたことは、みな忘れよう。
今さえたのしければよい――人生の目的はそれ。

*徹底した現世礼賛には脱帽するしかない。ハイヤームは英国の詩人たちのように難解な理屈はこねない所がいい。思うことをずばり平明な表現で書く。ルバイヤートが愛される所以だろう。

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