ポイズンブロイラー

コギト・エルゴ・スム / オレ・ブログ・カク

お題無視系回答についてのこと

2011-09-03 10:48:24 | 大喜利についてのこと

久しぶりにブログなんて書いてみたりするんですけど、相変わらず大喜利のことです。
大喜利のことで、ちょっと真面目な大喜利のことです。

先日、twitter上のまあちょっとしたきっかけで、
『大喜利やる上でお題にまったく沿っていない答えってどうなの?』
っていう話になりまして。
まあ僕は簡略化すると「んなもんノリだけやろ」「大喜利って名前使って好きなこと言ってるだけ」みたいに、まあクソミソなpostをしましたよ、と。

ここまでが前回のあらすじ。

で、この記事に書くに至ったのは、twitterの140文字制限もあり、その場の感情で割りと乱暴に書いちゃった側面も否定できないし、後から読み直してみても僕の考えるところの何%伝わっているのか、何十%誤解されているのか、みたいな文言だったので。
ちょっとコレに関しては一回腰を据えた文章に起こしておくのが、まー日頃から好き勝手ほざいてる自分の義務でもあるかな、と思った次第で。

早速、本題に入りたいんですけども、もうちょっとお待ちいただいて前置きをどうぞ。

前置き1.
ここまででわかると思いますが、大喜利という、しかも「アマチュアの」大喜利というせまーい世界の、ややこしーい話です。
そういうのに興味の無い方は、この先も読むだけ無駄なのでやめましょう。

前置き2.
これから書く内容がどういうふうに筆が滑るのかわかんないので先に言っておきますが、僕自身に「誰か個人の大喜利のスタイルを否定しよう」だとか「特定のイベントの到らなさを糾弾しよう」だとか、そういう気はありません。
もっと俯瞰的で大局的なこととして書きたいと思ってますが、やらかしちゃった時のエクスキューズとしてこう前置きしておきます。

前置き.3
全てにおいて例外はあります。
特に、今回「お題無視系」の答えについていろいろ書くんですが、その筋の大御所にオフ喜利の「館長さん」という一般論が何も当てはまらない方がいるので、館長さんを含めて語ってしまうと何も説得力が出てこないなあ、ってのがかなり悩みどころです。
だから、反論等あるかもしれませんが、館長さんくらいになれる方はもう好きにしてください。
僕はそこにはまったく口を挟みません。
まあ、そんな人、今のところ他にいませんけどね。

前置き終わり。
長い。

----------------------------------------
お題に沿っていない答え、ってどうなのか?
----------------------------------------

さて。

アマチュア大喜利にどっぷりつかっている僕らが一番困る質問の一つに、大喜利をよく知らない人から聞かれる「大喜利ってなんなの?」があると思います。
これって、簡単に答えようと思えば答えられるんですよね、「お題が出て、それに対して面白いこと考えて答える」っていう、それだけなんです。
なんならどういうお題が出るのか一つくらいサンプルを見せてみればいいんです。
まあ、そうなった場合、十中八九は「じゃあやってみて」ってなるので僕は絶対に大喜利やってることをプライベートで知られたくないですけど。

それは余談。

で、上記のようなプロセスで「大喜利をよく知らない人」に大喜利を教えることはできます。
でも、それで大喜利が何なのかなんて、5%も伝わってないですよね。
少なくとも僕はそう思います。
大喜利を実際にする中で、どう思考がめぐり、どのくらい笑って、どんな人がいて、その人たちがどんな大喜利をして、それがどう組み合わさって、そして極マレに本当に奇跡みたいな答えに出会った時の興奮とか、そんなのは伝えられないです。
最低でも、実際にいい舞台をちゃんと見てもらわないと、自分がやってる大喜利ってこういう楽しいことなんだよ、って核の部分は、少しも伝わらないです。

何が言いたいかって言うと、大喜利っていいよね!ってことじゃなくて(それもあるけども)、大喜利って、そのくらいまだ認知されてない、伝える術も確立されてない、ふわふわした状態にあるものだってことです。
見る側の人たちもそうだろうし、やる側にも、まだまだその辺のコンセンサスみたいなものってないと思います。

そこをまず覚えておいてもらいたいのが一つ。

そいで、ここら辺でようやく本題に入るわけなんですが。
まず、具体的に書きましょうか。
お題の文脈がどんなものであれ、それに対する回答になっていない単語、文章の羅列だけをただ続ける、人によっては「ナンセンス系」とか「シュール」とか「キチガイっぽい」とか呼んだりする、そういうスタイル。
これまで何度かアマチュア大喜利の舞台を見てきて、何度かは立たせてもらってきた中で、こういうタイプの方をけっこう見てきました。
徹頭徹尾それに終始する方もいれば、そういうのを間々にぶっこんでくる方もいますし、そしてそういう方たちが賞賛されているところも見てきました。

それらに対して、大喜利ってこういうものだ、とか、それをやったらもう大喜利なんて終わりだ、とか、個人の趣向・主義・主観の範囲なら何だって言えると思うんです。
事実、僕だってそう思ってます。
「そんなの大喜利じゃねえよ」
「それが通ったら大喜利はもう形を成さないよ」

でも、それってすごくヤな言い分だなとは思います。
先に踏んだ者勝ち、みたいな。
ただの空き地なのに、先に野球やってたからここは野球場、って言ってるみたいな座りの悪さを感じるのも事実で、言ってしまえば年寄り臭い、老害っぽい。
だから違うアプローチでちゃんと説明しないとな、って思うのですよ。

「何を面白いと思うかなんて人それぞれ」っていう使い古された価値観論はとりあえずおいといて。
じゃあ、その「お題無視回答」で一切笑わないか、って、いや笑いますよ、全然笑います。
正確に言えば、一回、二回なら笑います。
それに、時と場合によれば自分でもやります。
それは「お題に全然答えない」っていう裏切りになってるから。

大喜利はお題に対する裏切り、っていうようなことを僕は常々思ってますし、たまに言ったりもします。
お題の中に溶け込んでいる「前提」みたいなものを、みんながそうと気づかず受け入れている当然のものを引っくり返すようなところがありますよね。
パッといいのが出てこないので、ほんと申し訳ないんですが自分の出した答えを例としますが、


お題:
『なぜだ!?なぜとどめを刺さない!!』その理由とは。

答え:
児童相談所の人が来た

『大喜利実力判定考査2010・準決勝Aブロック』より
http://blog.livedoor.jp/poaro_oogiri/archives/51995068.html


基本的なことですが、お題にある台詞から「屈強な男二人」っていう絵を先入観として持ってしまいがちなところに、そこの裏切りとして「親と子ども」という絵に置き換えたっていう、これすっごい恥ずかしいことなんですけど、説明させてもらいました。

僕はこのお題の答えの一つとしてこう裏切るパターンを見せましたが、人によって、そのお題のどこをどう裏切っていくか、というのもスタイルの違いだったりで見てて面白いところなわけです。
だったら「お題に答えない」「全然関係ないこと言う」っていうのも、まあアリだと思ってます。
一回、二回なら。

何度目かはその時々で違うのでしょうが、そこの分水嶺を越えた時点で、裏切りは裏切りじゃなくなるし、さっきと同じパターンのことを何回もやってるだけ、になりますから。
「それでも面白いんだからいいじゃない」という主張もあるかもしれませんが、それはもうお題への裏切りが面白いのではなくて、単純に語感が面白いとか、そういう面白さですよね。
園児がいきなり「うんこ!」って言い出す面白さですよね。
別にそれが悪いってんじゃないですよ、それをもっとハイレベルに、ハイセンスに昇華させていけば面白いと思いますよ。
そして「シュール系」の方たちはそれを目指してるのかもしれない、わかんないですけどね。
(あと、これも余談なんですけど、僕はわけわかんないものをすぐ「シュール」って言っちゃう感じが大嫌いなんで、納得してないですけどわかりやすくするために「シュール」って書いてるんですよ、って言い訳しておきます。)

僕はいちおう自分もそうであるので、すごくプレイヤー側の気持ちみたいのを感じて考えながら大喜利を観戦してしまうことが多いです。
自分がそこにいたら、みたいに想像してしまうこともあります。
だから、っていうのもありますが、そういう舞台上の流れを見てると、手放しで笑えない息苦しさみたいなものを感じてしまいます。

だって「シュール系」の方たちにそれをやられたら、すごく邪魔ですもん。
めちゃめちゃやりにくいですよ、普通の、お題に合わせた答えを言うの。
ましてや、その「語感が面白い」っていうのが評価されだしたら、その舞台の価値観なんてブレまくるでしょう。
「さて、この舞台で何が面白い?」っていう目になった時、それをフラットに見られる人なんているんですかね。
そして、フラットに見られないことがわかった舞台で、どんだけやる気が出るんですかね、その、普通の大喜利をやろうと思って、そこに立ってる人たちは。

僕が参加している「大喜利やらナイト」という集まりでは、特に公式に謳っているわけではないですが、暗黙のルールとして「大喜利の邪魔をしないこと」っていうのがあります。
みんな各々したい大喜利があって、それを集まってやろう、って場なので、誰かの邪魔になるような大喜利や振る舞いはやめようよ、ってことです。
なんていうか、そういうの気持ちよくないじゃないですか。

まあ、その人たちは誰かの邪魔してるつもりなんてないのかもしれません。
というか、たぶんないでしょう。
でもそう思う人だっていますよ、少なくとも僕はそうです。
なんてーか、大喜利イベントとなると「誰が一番か決めようや!」っていうダイナマイト関西から始まった個々の能力戦みたいなスタイルが主流になってますけど、でもプロの人でもなかなか、本当の一人で大喜利の舞台を成立させることなんかできないですよ。
その時のその場の全員でワンセットだったりしますから。
ましてややってるのがアマチュアだと考えると、誰かの答えを潰すようなことはやめときましょうよ、とは思います。
(と言いつつ、僕もたまに無神経にやってしまうことはありますけどこれも余談です)

それから、最初に触れたところに戻るんですが、大喜利ってどういうもの?ってのがわかってない人たちが、例えばその「お題を見てない」大喜利がウケて、評価されて、一番や二番やって称えられた舞台を見た時、どう思うんだろうってことも考えます。
きっと「大喜利ってこういうことなんだ」って思うんじゃないですかね。
そして、そういう価値観を持って、「じゃあ俺も大喜利やったろう」って思う人もいるかもしれない。

僕が一番怖いなって思うのは、そういう状況です。

お題に対して「お題を無視する」って、かなり答えとしてはイリーガルな方です。
確かにパターンとしてはアリかもしれませんが、毎度毎度やってたらいい加減飽きられるような飛び道具です。
プロレス上では反則でありインパクトでもあった毒霧が、今ではトリッキーな反則の代名詞としてパターン化してしまったように、それはすぐ「慣れ」られてしまって、その後にあるのは「語感の面白さ」を何の縛りもない茫漠とした言語体系から探っては出すだけの大喜利になります。

それも一つのスタンダードだ、と認識されてしまうのが、僕はすごく怖いです。

別にそういう大喜利する人を非難する気はないです、僕は評価しないし笑えないだけです。
でも、それがスタンダートの一つの形になることだけは、本当に「怖い」ことです。
それは本来的には反則だし、何より誰かの邪魔になる可能性が大いにあるから。

だから、やるな、ってんじゃなくて、そこを踏まえて見て欲しいって思うのです。
前述でも例として書きましたが、よく「大喜利イベントの構図ってプロレスに似てるなあ」ってイメージしたりするんです。
プロレスって「誰が強いか決めたるんや!」というポーズの元、「興行」として「エンターテイメント」としての仕組みや協力関係があったりして。
だから「反則」は「反則というパーツ」として機能したりもします。
それを僕は蔑ろしたり排除したりしたいとは思いません。
でも、腕にドリルつけてでも勝ったやつが勝ち、っていうのは違いますよね。
やっぱ反則はそれとしてのペナルティがあって、でも絶対的に禁止されている(という建前がありながらも)わけでもなくて、ただその分は評価から差し引かれる。
という見方。

その姿勢を、建前を崩したらエンターテイメントからどんどん離れていってしまうんじゃないだろうか。
そして、その姿勢を作っていくのは、やっぱり大喜利をやる側の人です。
やる側がそこを崩さなければ、それを見た人は着いてきてくれる。
というのはまあ、僕の希望的観測と、あとこれまでの経験と、そういうものを踏まえた個人的な感覚ではあるのですが。
まあ、そういうのが僕のスタンスです。



ブログに上げる程度の文章としては、自分なりに時間をかけて、厳密に書いてみたつもりです。
それでもやはり、納得できない、お前おかしい、って方はいると思います。
そういうのも含めて、何か思うところあったらコメント頂ければ、きちんと返答していきたいと考えてますので、どうぞよろしく。


最新の画像もっと見る

12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
長文! (和壱郎)
2011-09-03 13:32:31
よくぞまとめてくださいました、お疲れ様です!
僕も舞台として、場としてのバランスをかかなり気を使うので凄く共感しました。
そこは魅せる側として活躍する寺岩さんらしい意見だと思います。

かなり要約して僕の意見を言うと、
オープンな対戦形式のライブでは自由でいいと思います。
見世物としてやるライブはバランスや秩序が必要になってくると思います。

前者に関しては残念ながら勝つことが目的なのでそこに制約を入れるべきではないです。
「勝ちにいく」「客無視で自己中心的」という部分に嫌悪感を感じる人はいるみたいですが、勝つのが目的である以上仕方がないです。
僕は今回オープンな戦いでのプレイスタイルに文句つけるのはただの悪口じゃないかってとこで、僕の考えに則り腹を立てていたのです。

大喜利が「お題に対して面白い答えをする」というルールしかない以上、プロレスも殺し合いもできてしまいます。
こうである以上、今回の寺岩さんの意見もシュール系の人に残った善意(これもあくまでこちらから言う善意)に訴えかけるものでしかないものだとは思うのですが、僕はその努力と行為に賛同します。
レス (寺岩)
2011-09-03 13:57:26
コメントありがとうございます。
なるほどです。

「善意に訴えかける」というとなんだかずいぶん僕にしては遠慮しちゃってる言い方のように思えますね。
自分の中のつもりとしては「そうまでして自分が認められることを優先する意味あるの?」ってつもりで今回のことは書きました。
舞台の形式がどうであれ、お客さんはお金を払って見にきてくれているわけで、それはましてや素人の大喜利です。
その素人が、お客さんが楽しむかどうか、とか、大喜利に関して歪んだ価値観を植えつけるかもしれない、とか、そういうことを度外視してまで「その場で自分が誉められる」ことを優先してどうすんだ?
それこそ「やらナイト」のように、身内だけでカラオケボックスに集まった時にでもやればいいことなんじゃないの?

というのが僕の考え方です。
「勝つのが目的」というのはプロレスでいう建前の部分で、あくまでお客さんが入っている以上、プロレスの本分をやるべきだ。
ということですね。
拝読しました (店長)
2011-09-03 18:16:51
はじめまして、京都で大喜利鴨川杯というイベントを主催している店長と申します。
ツイッターからブログを拝読し、考えさせられる所が多々あったのでコメントさせて頂きたいと思います。
拙い文章ですが何か参考になれば幸いです。


まず僕自身の大喜利についての考えですが、僕は

大喜利=「お題の下で」フリップとペンを使った自己表現・個性の露出

と考えています。
ですから自分が回答する際も、他人の回答を拝見する際も

個性の強さ、面白さの絶対値≧大喜利らしさ

を重視しています。
正統派だから良い、大喜利っぽいから良いとはしていませんし、
逆にシュールだから良い、新鮮だから良いというわけでもありません。
正統もシュールも全て含めて、最終的には「面白い」に帰結してほしいという考えです。

ただその考えはあくまで

「お題の下で」

のみ成り立つものだとも考えています。
(僕はたまに「最初からお題の無い大喜利」をやったりしますが)
お題が与えられた以上はその土俵の上で戦うべきだと思います。

ですので、

お題を無視する(お題への裏切りは除く)=お題の下で戦っていない=同じ土俵で戦っていない≒面白くても大喜利として評価すべきでないのでは??=他の回答者、見学者に良い影響を与えないのでは??

という寺岩さんのご意見には納得させられるものがありました。
『大喜利』と『面白いこと言いあい対決』は違いますし、
僕もお題無視を「それも個性」と単純に捉えるのは良くないと思ういます。

ただ、ネット大喜利でも伺えることですが特にリアル大喜利では

大喜利=回答以外にも様々なファクターが絡んでいる
(ex.外見、言い方、間の取り方、その人の雰囲気、会場の雰囲気etc...) 

のも事実であり、

様々な要素を全て総合して「お笑い・エンターテイメントの1つとしての『大喜利』」

だとも思っています。ですので、あくまで僕の意見ですが

お題を無視する(お題への裏切りは除く)=お題の下で戦っていない=同じ土俵で戦っていない≒面白くても大喜利として評価しない、されるべきではない

とは僕は一概にしたくないし、事実主催しているイベントでも「お題無視はダメ」というスタンスはとっていません。

その結果当イベントでいわゆる「単語のパワー」で勝負している方が上位入賞される例もあり、
一部の方からは否定的なご意見もいただいていますが、
それは上記で書いたように、多くの要素が絡み合った結果であると解釈しています。

(もっとも鴨川杯では出場者が審査員も兼ねているので、
審査員の大喜利への理解や良心に委ねている部分は大きいです。
それがブレてしまい「お題に添わない≒大喜利」となってしまったら、それはイベントとしても本旨から外れています)


長々と書いてしまいましたが、僕自身大喜利を始めてまだ3年弱ですので
至らぬ点、理解の及んでいない点がたくさんありますし、
間違っている部分、寺岩さんが納得いただけない部分も多々あると思います。

読みづらいコメントになってしまいましたが、少しでも僕の考えをお伝えできていれば幸いです。

レス (寺岩)
2011-09-03 18:55:08
コメントありがとうございます。
鴨川杯、リアルタイムではありませんが第一回の動画は以前拝見しましたので、どういう方が出ていたのか知っています。

おっしゃっていることは大変よくわかります。
生の舞台にある空気や状況の変化やうねりを感じ、対応し、時には利用するために「お題→答え」という理屈・理論以外のものが重要なファクターになるというは、なんというか、僕自身の大きなテーマの一つでもありますし、武器にしているものでもあります。

しかし、例えば言い方や間の取り方といったそれらは、僕にとっては「自己表現」や「個性」ではなく、大喜利上の「テクニック」と言われるものだと思っていますし、客席の空気、舞台上の流れに合わせて答えを変えていくのも「テクニック」だと考えています。
経験と努力で自覚的に学習できるものだと思っています。

そして、テクニックはそれがメインになるべきものだとも思っていません。
あくまで回答の上に「乗って」くるものであって、その土台になる回答が「お題」からブレるのであれば、やはりそれと、逆にお題に沿ったものとを、同じ水準で評価することはできないです。

本分の中でも書きましたが、僕はその「お題を見てない」ものを根絶したいとか、そういうことではないです。
もっと突っ込んで言えば、評価に関して誰かに遺恨が残るものが嫌だなと思うんです。
まったく評価しないというのも違う、でも同じ水準で評価するのも違う、というのはそういうことです。
僕自身が、昔そういったことでとても悔しい想いをしたことがあったりもしたので。
評価に関しては、なるべく全員が納得できる形を、と考えています。
それが成立するなら、誰が一番とかは瑣末なことだと思っています。
Unknown (粉~雪~♪(パグ~よし~♪))
2011-09-03 22:55:49
寺岩さーん!寺岩さーん!

読まさせていただきましたよー。
文章長い!でも、わかりやすい!

僕は、大喜利スタイルの是非の議論はぜーんぜん嫌いじゃないですよ。

寺岩さんは顔がヤクザみたいだし、なぜか挑発的なときがありますが、大喜利への姿勢はいつも真面目やし真剣やしストイックに取り組んではるので、僕は大好きですよ。

鴨川杯のときも、決して誰かを小馬鹿にしたいから発言されているのでは無いというのは、僕はわかっていますよ。

でもこないだのつぶやきは乱暴過ぎです。

だから鴨川杯関係者と参加者の方々の中で、まだ寺岩さんを知らない人たちには、悪意として受け取られる可能性が高いと思いました。

せっかく寺岩さんの格好良い大喜利スタンスと積み重ねて来た哲学があって、それはすごく魅力的なのに、こないだのは、若い人たちに良いように伝わらないと思ったので、なんか腹立ってきたんですよー。

寺岩さん、皆さん、なんかごめんなさい。

仲良くいきましょうよ!

議論も大喜利も楽しく続けましょう。

おわり!
ひとこと (すり身)
2011-09-04 06:49:31
こんばんは

生大喜利をやる前というかやる場をほとんど知らないときは、お題とかそういうの考えて思うこともあったんですけど

ここ1年で東京やら大阪、ラジオ、ニコ生とか大小15個ぐらい大会に実際に出て様々な大喜利をやってみるとねそういうの変わってしまいましたね。

もういろいろなんです、本当にフリーなのから
ガッツリお題と向き合わないと評価されないのもあったりとか
その安心感があるから例えばただ言いたいこと言い合う(ような)ものも心の底から笑えるんですね


そう思えるようになったのは、実際に会って飲んだりして喋ると、所謂お題を無視する系の方々が王道をやってそれでしっかり笑いを取る方に対して心底リスペクト(あんまり好きな表現じゃないんですが)してるというところなんですね。そこを知ったんで今はあまり表題のことを思わなくなっちゃいました


それを知ってさらに大喜利が好きになって月200時間以上費やす廃人になってしまったわけですが(苦笑
これでまだやり足りてないっていう
レス (寺岩)
2011-09-04 08:55:52
>パグさん

長い中ご苦労様でした。

確かにあの時のpostは乱暴でしたね、twitterこわい。
だからこそブログなんか書いたんですが、いざ終えてみればこれだけの分量のことを140字postでやろうとしてたんだから乱暴にもなるってもんです。
反省してます。

僕がたまに挑発的なのは、「寺岩死ね!」って思うような人が出てこないかなあ、ってたまに思ってしまうからです。
レス (寺岩)
2011-09-04 09:10:59
>すり身さん

コメントありがとうごさいます。
同じ大喜利をやる人達との交流がここ数年で増えた自分としても、とても共感できるお話です。

そうなんですよね、大喜利やってる人に嫌な人って、ほんと不思議といない。
こんな記事を長々と書いちゃう自分が一番嫌な奴なんじゃないかとさえ思います。

でも、どれだけ知り合いが増えて仲良くなっても、やる側がお互いの顔を見合って舞台に立つのは違うな、って僕は思ってしまいます。
お客さんの方を向きながら、背中で同じ舞台に立つ人達を感じる。
安心感というより緊張の中にある信頼感みたいなもの。
そういうのがうまく機能した時、ああ、今日の舞台面白かったなあ、ちゃんと価値あるものにできたなあ、って感じます。

そこには「こういう(この記事のような)こと、わかってるよね?」っていう暗黙の確認もありますし、その疏通が計れているチームでやるイベントは自分も手放しで楽しめます。

だから、やっぱりそこを切り離して考えることはできないな、ってのが僕の返答です。
真面目かっ (鮎夏)
2011-09-06 03:30:42
本文も長けりゃコメントも長い。
こんな時間なのに目が冴えましたわ。

みんな真面目だよ。ちゃんと考えてるんだね。思うところがあったって、言葉にするのは難しいと思う。そういう意味でも尊敬します。

と私も予防線張っといて。

私は全くの、それもこの世界を知って1年強のぴよっこ観客です。
最初はD関無双、次が判定考査、次に天下一。
ただの観客から、審査する難しさもいい具合に知った、半半熟くらいな感じ?
だから単なる観客の戯れ言ですが、一応思う事を。

私的には舞台に立つ以上、それ相応の意識を持って貰いたいです。
お題無視の面白い事言いたいだけなら、その壇上にいる必要は無くない?

何が嫌いって、ボードに書いた字が走り書き過ぎて読めない、一瞬過ぎて上げたボードが見えない、何を言ってるか聞き取れない、お題と関係無い事を永遠答える、こんな人です。
その場の雰囲気とか、その人のキャラでウケてるのかもしれないけど、私は全く笑えませんね。
好みの問題って言われればもう全てが無駄になりそうだけど、実際いくつかの舞台を観てきた、今の意見です。

お題にコタエられないなら、それはもう大喜利じゃない、とまで思います。
だって、今私が観てるのはその舞台であって、他の舞台でも、普段どうなのかでも無いわけですよ。
こっちはあくまで「大喜利」を観たいから行ってるんです。

もちろん、館長さんや割石さんは大好きですよ。
何が違うって聞かれたって、明確な言葉には出来ないけど、
それはもうすでに色々乗り越えてきての今、なんじゃないですかね。
無視してるって印象はないですもん。

私だって全否定するつもりは毛頭ありません。
流れが大事なのはよぉーく分かります。
ただ、それだけを武器にするのは筋違いだし、観客が置いてきぼりになるならば、それは無意味なんですよ。

…というのが、客観的観客側からの1意見です。長くなったじゃん。
上から目線にしてみましたけど、わざとですから。

だって オキャクサマはカミサマ でしょ?
レス (寺岩)
2011-09-06 21:56:42
レスが遅くなりました。

そうですね、僕は内心、お客にその場の全評価をまかせる形式のイベントを見ると「よくやるなあ」と思ってしまうくらいあんまお客さんの手での直接評価というやつを信用してませんが、少なくとも舞台に立っている間はお客様に楽しんで笑って頂くためにやってます。
そこんとこ、僕の個人的価値観とズレまくってはいますが、お金を取って人を入れるというのは、それくらい重いことだと思います。
お客さんの方を向かないのなら、わざわざそれをイベントにする必要はないんです、準備しんどいし、自分らが一番面白いところで反応がイマイチだったりもするし。

館長さんとか割石さんのやるお題無視がなんでちゃんとその場で成立している(かのように見える)かっていうのは、僕も一概には言えません。
それをやって許されるタイミング、空気感を読んでるからという時もあるし。
無視しているというマイナス評価を差し引いてもなお評価せざるを得ないパワーを持っている時もあるし。
ただ言えるのは「お客さんから見たこの答え」っていうのを意識してるからじゃないかなーということです。
ちゃんとその場にそぐうもの、それだけのパワーのあるものなら、お題無視だろうがウンコチンチンだろうがいいんです、出しゃあウケます、評価もされます。

だから、ちゃんとマイナス評価もしよう、ってことなんです。
別に「お題無視したらダメ、マイナス100」ってんじゃないんです、20でも10でも、5でもいいからちゃんとマイナスしようよ、ってことなんです、それは本来的にはやっちゃダメなことなんですから。
そのマイナスの上で、でもやっぱすごい、評価しないのもったいない、ってなったら胸はって評価すればいいんです。

ほんと、そんだけなんすよ。

コメントを投稿