12 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 長文! (和壱郎) 2011-09-03 13:32:31 よくぞまとめてくださいました、お疲れ様です!僕も舞台として、場としてのバランスをかかなり気を使うので凄く共感しました。そこは魅せる側として活躍する寺岩さんらしい意見だと思います。かなり要約して僕の意見を言うと、オープンな対戦形式のライブでは自由でいいと思います。見世物としてやるライブはバランスや秩序が必要になってくると思います。前者に関しては残念ながら勝つことが目的なのでそこに制約を入れるべきではないです。「勝ちにいく」「客無視で自己中心的」という部分に嫌悪感を感じる人はいるみたいですが、勝つのが目的である以上仕方がないです。僕は今回オープンな戦いでのプレイスタイルに文句つけるのはただの悪口じゃないかってとこで、僕の考えに則り腹を立てていたのです。大喜利が「お題に対して面白い答えをする」というルールしかない以上、プロレスも殺し合いもできてしまいます。こうである以上、今回の寺岩さんの意見もシュール系の人に残った善意(これもあくまでこちらから言う善意)に訴えかけるものでしかないものだとは思うのですが、僕はその努力と行為に賛同します。 レス (寺岩) 2011-09-03 13:57:26 コメントありがとうございます。なるほどです。「善意に訴えかける」というとなんだかずいぶん僕にしては遠慮しちゃってる言い方のように思えますね。自分の中のつもりとしては「そうまでして自分が認められることを優先する意味あるの?」ってつもりで今回のことは書きました。舞台の形式がどうであれ、お客さんはお金を払って見にきてくれているわけで、それはましてや素人の大喜利です。その素人が、お客さんが楽しむかどうか、とか、大喜利に関して歪んだ価値観を植えつけるかもしれない、とか、そういうことを度外視してまで「その場で自分が誉められる」ことを優先してどうすんだ?それこそ「やらナイト」のように、身内だけでカラオケボックスに集まった時にでもやればいいことなんじゃないの?というのが僕の考え方です。「勝つのが目的」というのはプロレスでいう建前の部分で、あくまでお客さんが入っている以上、プロレスの本分をやるべきだ。ということですね。 拝読しました (店長) 2011-09-03 18:16:51 はじめまして、京都で大喜利鴨川杯というイベントを主催している店長と申します。ツイッターからブログを拝読し、考えさせられる所が多々あったのでコメントさせて頂きたいと思います。拙い文章ですが何か参考になれば幸いです。まず僕自身の大喜利についての考えですが、僕は大喜利=「お題の下で」フリップとペンを使った自己表現・個性の露出と考えています。ですから自分が回答する際も、他人の回答を拝見する際も個性の強さ、面白さの絶対値≧大喜利らしさを重視しています。正統派だから良い、大喜利っぽいから良いとはしていませんし、逆にシュールだから良い、新鮮だから良いというわけでもありません。正統もシュールも全て含めて、最終的には「面白い」に帰結してほしいという考えです。ただその考えはあくまで「お題の下で」のみ成り立つものだとも考えています。(僕はたまに「最初からお題の無い大喜利」をやったりしますが)お題が与えられた以上はその土俵の上で戦うべきだと思います。ですので、お題を無視する(お題への裏切りは除く)=お題の下で戦っていない=同じ土俵で戦っていない≒面白くても大喜利として評価すべきでないのでは??=他の回答者、見学者に良い影響を与えないのでは??という寺岩さんのご意見には納得させられるものがありました。『大喜利』と『面白いこと言いあい対決』は違いますし、僕もお題無視を「それも個性」と単純に捉えるのは良くないと思ういます。ただ、ネット大喜利でも伺えることですが特にリアル大喜利では大喜利=回答以外にも様々なファクターが絡んでいる(ex.外見、言い方、間の取り方、その人の雰囲気、会場の雰囲気etc...) のも事実であり、様々な要素を全て総合して「お笑い・エンターテイメントの1つとしての『大喜利』」だとも思っています。ですので、あくまで僕の意見ですがお題を無視する(お題への裏切りは除く)=お題の下で戦っていない=同じ土俵で戦っていない≒面白くても大喜利として評価しない、されるべきではないとは僕は一概にしたくないし、事実主催しているイベントでも「お題無視はダメ」というスタンスはとっていません。その結果当イベントでいわゆる「単語のパワー」で勝負している方が上位入賞される例もあり、一部の方からは否定的なご意見もいただいていますが、それは上記で書いたように、多くの要素が絡み合った結果であると解釈しています。(もっとも鴨川杯では出場者が審査員も兼ねているので、審査員の大喜利への理解や良心に委ねている部分は大きいです。それがブレてしまい「お題に添わない≒大喜利」となってしまったら、それはイベントとしても本旨から外れています)長々と書いてしまいましたが、僕自身大喜利を始めてまだ3年弱ですので至らぬ点、理解の及んでいない点がたくさんありますし、間違っている部分、寺岩さんが納得いただけない部分も多々あると思います。読みづらいコメントになってしまいましたが、少しでも僕の考えをお伝えできていれば幸いです。 レス (寺岩) 2011-09-03 18:55:08 コメントありがとうございます。鴨川杯、リアルタイムではありませんが第一回の動画は以前拝見しましたので、どういう方が出ていたのか知っています。おっしゃっていることは大変よくわかります。生の舞台にある空気や状況の変化やうねりを感じ、対応し、時には利用するために「お題→答え」という理屈・理論以外のものが重要なファクターになるというは、なんというか、僕自身の大きなテーマの一つでもありますし、武器にしているものでもあります。しかし、例えば言い方や間の取り方といったそれらは、僕にとっては「自己表現」や「個性」ではなく、大喜利上の「テクニック」と言われるものだと思っていますし、客席の空気、舞台上の流れに合わせて答えを変えていくのも「テクニック」だと考えています。経験と努力で自覚的に学習できるものだと思っています。そして、テクニックはそれがメインになるべきものだとも思っていません。あくまで回答の上に「乗って」くるものであって、その土台になる回答が「お題」からブレるのであれば、やはりそれと、逆にお題に沿ったものとを、同じ水準で評価することはできないです。本分の中でも書きましたが、僕はその「お題を見てない」ものを根絶したいとか、そういうことではないです。もっと突っ込んで言えば、評価に関して誰かに遺恨が残るものが嫌だなと思うんです。まったく評価しないというのも違う、でも同じ水準で評価するのも違う、というのはそういうことです。僕自身が、昔そういったことでとても悔しい想いをしたことがあったりもしたので。評価に関しては、なるべく全員が納得できる形を、と考えています。それが成立するなら、誰が一番とかは瑣末なことだと思っています。 Unknown (粉~雪~♪(パグ~よし~♪)) 2011-09-03 22:55:49 寺岩さーん!寺岩さーん!読まさせていただきましたよー。文章長い!でも、わかりやすい!僕は、大喜利スタイルの是非の議論はぜーんぜん嫌いじゃないですよ。寺岩さんは顔がヤクザみたいだし、なぜか挑発的なときがありますが、大喜利への姿勢はいつも真面目やし真剣やしストイックに取り組んではるので、僕は大好きですよ。鴨川杯のときも、決して誰かを小馬鹿にしたいから発言されているのでは無いというのは、僕はわかっていますよ。でもこないだのつぶやきは乱暴過ぎです。だから鴨川杯関係者と参加者の方々の中で、まだ寺岩さんを知らない人たちには、悪意として受け取られる可能性が高いと思いました。せっかく寺岩さんの格好良い大喜利スタンスと積み重ねて来た哲学があって、それはすごく魅力的なのに、こないだのは、若い人たちに良いように伝わらないと思ったので、なんか腹立ってきたんですよー。寺岩さん、皆さん、なんかごめんなさい。仲良くいきましょうよ!議論も大喜利も楽しく続けましょう。おわり! ひとこと (すり身) 2011-09-04 06:49:31 こんばんは生大喜利をやる前というかやる場をほとんど知らないときは、お題とかそういうの考えて思うこともあったんですけどここ1年で東京やら大阪、ラジオ、ニコ生とか大小15個ぐらい大会に実際に出て様々な大喜利をやってみるとねそういうの変わってしまいましたね。もういろいろなんです、本当にフリーなのからガッツリお題と向き合わないと評価されないのもあったりとかその安心感があるから例えばただ言いたいこと言い合う(ような)ものも心の底から笑えるんですねそう思えるようになったのは、実際に会って飲んだりして喋ると、所謂お題を無視する系の方々が王道をやってそれでしっかり笑いを取る方に対して心底リスペクト(あんまり好きな表現じゃないんですが)してるというところなんですね。そこを知ったんで今はあまり表題のことを思わなくなっちゃいましたそれを知ってさらに大喜利が好きになって月200時間以上費やす廃人になってしまったわけですが(苦笑これでまだやり足りてないっていう レス (寺岩) 2011-09-04 08:55:52 >パグさん長い中ご苦労様でした。確かにあの時のpostは乱暴でしたね、twitterこわい。だからこそブログなんか書いたんですが、いざ終えてみればこれだけの分量のことを140字postでやろうとしてたんだから乱暴にもなるってもんです。反省してます。僕がたまに挑発的なのは、「寺岩死ね!」って思うような人が出てこないかなあ、ってたまに思ってしまうからです。 レス (寺岩) 2011-09-04 09:10:59 >すり身さんコメントありがとうごさいます。同じ大喜利をやる人達との交流がここ数年で増えた自分としても、とても共感できるお話です。そうなんですよね、大喜利やってる人に嫌な人って、ほんと不思議といない。こんな記事を長々と書いちゃう自分が一番嫌な奴なんじゃないかとさえ思います。でも、どれだけ知り合いが増えて仲良くなっても、やる側がお互いの顔を見合って舞台に立つのは違うな、って僕は思ってしまいます。お客さんの方を向きながら、背中で同じ舞台に立つ人達を感じる。安心感というより緊張の中にある信頼感みたいなもの。そういうのがうまく機能した時、ああ、今日の舞台面白かったなあ、ちゃんと価値あるものにできたなあ、って感じます。そこには「こういう(この記事のような)こと、わかってるよね?」っていう暗黙の確認もありますし、その疏通が計れているチームでやるイベントは自分も手放しで楽しめます。だから、やっぱりそこを切り離して考えることはできないな、ってのが僕の返答です。 真面目かっ (鮎夏) 2011-09-06 03:30:42 本文も長けりゃコメントも長い。こんな時間なのに目が冴えましたわ。みんな真面目だよ。ちゃんと考えてるんだね。思うところがあったって、言葉にするのは難しいと思う。そういう意味でも尊敬します。と私も予防線張っといて。私は全くの、それもこの世界を知って1年強のぴよっこ観客です。最初はD関無双、次が判定考査、次に天下一。ただの観客から、審査する難しさもいい具合に知った、半半熟くらいな感じ?だから単なる観客の戯れ言ですが、一応思う事を。私的には舞台に立つ以上、それ相応の意識を持って貰いたいです。お題無視の面白い事言いたいだけなら、その壇上にいる必要は無くない?何が嫌いって、ボードに書いた字が走り書き過ぎて読めない、一瞬過ぎて上げたボードが見えない、何を言ってるか聞き取れない、お題と関係無い事を永遠答える、こんな人です。その場の雰囲気とか、その人のキャラでウケてるのかもしれないけど、私は全く笑えませんね。好みの問題って言われればもう全てが無駄になりそうだけど、実際いくつかの舞台を観てきた、今の意見です。お題にコタエられないなら、それはもう大喜利じゃない、とまで思います。だって、今私が観てるのはその舞台であって、他の舞台でも、普段どうなのかでも無いわけですよ。こっちはあくまで「大喜利」を観たいから行ってるんです。もちろん、館長さんや割石さんは大好きですよ。何が違うって聞かれたって、明確な言葉には出来ないけど、それはもうすでに色々乗り越えてきての今、なんじゃないですかね。無視してるって印象はないですもん。私だって全否定するつもりは毛頭ありません。流れが大事なのはよぉーく分かります。ただ、それだけを武器にするのは筋違いだし、観客が置いてきぼりになるならば、それは無意味なんですよ。…というのが、客観的観客側からの1意見です。長くなったじゃん。上から目線にしてみましたけど、わざとですから。だって オキャクサマはカミサマ でしょ? レス (寺岩) 2011-09-06 21:56:42 レスが遅くなりました。そうですね、僕は内心、お客にその場の全評価をまかせる形式のイベントを見ると「よくやるなあ」と思ってしまうくらいあんまお客さんの手での直接評価というやつを信用してませんが、少なくとも舞台に立っている間はお客様に楽しんで笑って頂くためにやってます。そこんとこ、僕の個人的価値観とズレまくってはいますが、お金を取って人を入れるというのは、それくらい重いことだと思います。お客さんの方を向かないのなら、わざわざそれをイベントにする必要はないんです、準備しんどいし、自分らが一番面白いところで反応がイマイチだったりもするし。館長さんとか割石さんのやるお題無視がなんでちゃんとその場で成立している(かのように見える)かっていうのは、僕も一概には言えません。それをやって許されるタイミング、空気感を読んでるからという時もあるし。無視しているというマイナス評価を差し引いてもなお評価せざるを得ないパワーを持っている時もあるし。ただ言えるのは「お客さんから見たこの答え」っていうのを意識してるからじゃないかなーということです。ちゃんとその場にそぐうもの、それだけのパワーのあるものなら、お題無視だろうがウンコチンチンだろうがいいんです、出しゃあウケます、評価もされます。だから、ちゃんとマイナス評価もしよう、ってことなんです。別に「お題無視したらダメ、マイナス100」ってんじゃないんです、20でも10でも、5でもいいからちゃんとマイナスしようよ、ってことなんです、それは本来的にはやっちゃダメなことなんですから。そのマイナスの上で、でもやっぱすごい、評価しないのもったいない、ってなったら胸はって評価すればいいんです。ほんと、そんだけなんすよ。 れすれす (鮎夏) 2011-09-07 23:30:40 そうか、そうでした。書いてるうちにある特定のイベントを思い出してしまって、その時の怒りをぶちまけてしまいましたが、必ずしも勝敗を決めるものばかりでは無いし、観客がいるとは限らないですよね。ネットだったり、仲間内だったり、手段は様々でした。私がほざいていたのは仰有る通り、お金を払ってイベントとして行れているものに限る、と。ここに慎んで、お詫びして訂正申し上げます。お題、作ってみたらどうなんでしょうね。考え方は変わるでしょうか。変わらない気もしないでも無い…かな。後々になって、そのコタエを見た時の事を、流れや言い方なんかもひっくるめて全部、を、思い出し笑い出来るようなそんな大喜利が観たいものです。そう、例えば判定考査のような。 レス (寺岩) 2011-09-08 21:33:26 釈然としないイベントとか、まあありますけど、特定のものに怒りをもってもしょうがないし、何より「そのイベント」っていう単一のものは、ちょっとしたきっかけで変わりますからね。でも「全体」は一回方向性が定まってしまうとなかなか変わんないです、だから怖いなー、って思います。そうすね、後からでも、一年二年後からでも面白いものを作りたいなあ、って僕も日々思ってます。やらナイトのサイトとか、今見ても超面白いですもん。 コメントをもっと見る 規約違反等の連絡 コメントを投稿 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
僕も舞台として、場としてのバランスをかかなり気を使うので凄く共感しました。
そこは魅せる側として活躍する寺岩さんらしい意見だと思います。
かなり要約して僕の意見を言うと、
オープンな対戦形式のライブでは自由でいいと思います。
見世物としてやるライブはバランスや秩序が必要になってくると思います。
前者に関しては残念ながら勝つことが目的なのでそこに制約を入れるべきではないです。
「勝ちにいく」「客無視で自己中心的」という部分に嫌悪感を感じる人はいるみたいですが、勝つのが目的である以上仕方がないです。
僕は今回オープンな戦いでのプレイスタイルに文句つけるのはただの悪口じゃないかってとこで、僕の考えに則り腹を立てていたのです。
大喜利が「お題に対して面白い答えをする」というルールしかない以上、プロレスも殺し合いもできてしまいます。
こうである以上、今回の寺岩さんの意見もシュール系の人に残った善意(これもあくまでこちらから言う善意)に訴えかけるものでしかないものだとは思うのですが、僕はその努力と行為に賛同します。
なるほどです。
「善意に訴えかける」というとなんだかずいぶん僕にしては遠慮しちゃってる言い方のように思えますね。
自分の中のつもりとしては「そうまでして自分が認められることを優先する意味あるの?」ってつもりで今回のことは書きました。
舞台の形式がどうであれ、お客さんはお金を払って見にきてくれているわけで、それはましてや素人の大喜利です。
その素人が、お客さんが楽しむかどうか、とか、大喜利に関して歪んだ価値観を植えつけるかもしれない、とか、そういうことを度外視してまで「その場で自分が誉められる」ことを優先してどうすんだ?
それこそ「やらナイト」のように、身内だけでカラオケボックスに集まった時にでもやればいいことなんじゃないの?
というのが僕の考え方です。
「勝つのが目的」というのはプロレスでいう建前の部分で、あくまでお客さんが入っている以上、プロレスの本分をやるべきだ。
ということですね。
ツイッターからブログを拝読し、考えさせられる所が多々あったのでコメントさせて頂きたいと思います。
拙い文章ですが何か参考になれば幸いです。
まず僕自身の大喜利についての考えですが、僕は
大喜利=「お題の下で」フリップとペンを使った自己表現・個性の露出
と考えています。
ですから自分が回答する際も、他人の回答を拝見する際も
個性の強さ、面白さの絶対値≧大喜利らしさ
を重視しています。
正統派だから良い、大喜利っぽいから良いとはしていませんし、
逆にシュールだから良い、新鮮だから良いというわけでもありません。
正統もシュールも全て含めて、最終的には「面白い」に帰結してほしいという考えです。
ただその考えはあくまで
「お題の下で」
のみ成り立つものだとも考えています。
(僕はたまに「最初からお題の無い大喜利」をやったりしますが)
お題が与えられた以上はその土俵の上で戦うべきだと思います。
ですので、
お題を無視する(お題への裏切りは除く)=お題の下で戦っていない=同じ土俵で戦っていない≒面白くても大喜利として評価すべきでないのでは??=他の回答者、見学者に良い影響を与えないのでは??
という寺岩さんのご意見には納得させられるものがありました。
『大喜利』と『面白いこと言いあい対決』は違いますし、
僕もお題無視を「それも個性」と単純に捉えるのは良くないと思ういます。
ただ、ネット大喜利でも伺えることですが特にリアル大喜利では
大喜利=回答以外にも様々なファクターが絡んでいる
(ex.外見、言い方、間の取り方、その人の雰囲気、会場の雰囲気etc...)
のも事実であり、
様々な要素を全て総合して「お笑い・エンターテイメントの1つとしての『大喜利』」
だとも思っています。ですので、あくまで僕の意見ですが
お題を無視する(お題への裏切りは除く)=お題の下で戦っていない=同じ土俵で戦っていない≒面白くても大喜利として評価しない、されるべきではない
とは僕は一概にしたくないし、事実主催しているイベントでも「お題無視はダメ」というスタンスはとっていません。
その結果当イベントでいわゆる「単語のパワー」で勝負している方が上位入賞される例もあり、
一部の方からは否定的なご意見もいただいていますが、
それは上記で書いたように、多くの要素が絡み合った結果であると解釈しています。
(もっとも鴨川杯では出場者が審査員も兼ねているので、
審査員の大喜利への理解や良心に委ねている部分は大きいです。
それがブレてしまい「お題に添わない≒大喜利」となってしまったら、それはイベントとしても本旨から外れています)
長々と書いてしまいましたが、僕自身大喜利を始めてまだ3年弱ですので
至らぬ点、理解の及んでいない点がたくさんありますし、
間違っている部分、寺岩さんが納得いただけない部分も多々あると思います。
読みづらいコメントになってしまいましたが、少しでも僕の考えをお伝えできていれば幸いです。
鴨川杯、リアルタイムではありませんが第一回の動画は以前拝見しましたので、どういう方が出ていたのか知っています。
おっしゃっていることは大変よくわかります。
生の舞台にある空気や状況の変化やうねりを感じ、対応し、時には利用するために「お題→答え」という理屈・理論以外のものが重要なファクターになるというは、なんというか、僕自身の大きなテーマの一つでもありますし、武器にしているものでもあります。
しかし、例えば言い方や間の取り方といったそれらは、僕にとっては「自己表現」や「個性」ではなく、大喜利上の「テクニック」と言われるものだと思っていますし、客席の空気、舞台上の流れに合わせて答えを変えていくのも「テクニック」だと考えています。
経験と努力で自覚的に学習できるものだと思っています。
そして、テクニックはそれがメインになるべきものだとも思っていません。
あくまで回答の上に「乗って」くるものであって、その土台になる回答が「お題」からブレるのであれば、やはりそれと、逆にお題に沿ったものとを、同じ水準で評価することはできないです。
本分の中でも書きましたが、僕はその「お題を見てない」ものを根絶したいとか、そういうことではないです。
もっと突っ込んで言えば、評価に関して誰かに遺恨が残るものが嫌だなと思うんです。
まったく評価しないというのも違う、でも同じ水準で評価するのも違う、というのはそういうことです。
僕自身が、昔そういったことでとても悔しい想いをしたことがあったりもしたので。
評価に関しては、なるべく全員が納得できる形を、と考えています。
それが成立するなら、誰が一番とかは瑣末なことだと思っています。
読まさせていただきましたよー。
文章長い!でも、わかりやすい!
僕は、大喜利スタイルの是非の議論はぜーんぜん嫌いじゃないですよ。
寺岩さんは顔がヤクザみたいだし、なぜか挑発的なときがありますが、大喜利への姿勢はいつも真面目やし真剣やしストイックに取り組んではるので、僕は大好きですよ。
鴨川杯のときも、決して誰かを小馬鹿にしたいから発言されているのでは無いというのは、僕はわかっていますよ。
でもこないだのつぶやきは乱暴過ぎです。
だから鴨川杯関係者と参加者の方々の中で、まだ寺岩さんを知らない人たちには、悪意として受け取られる可能性が高いと思いました。
せっかく寺岩さんの格好良い大喜利スタンスと積み重ねて来た哲学があって、それはすごく魅力的なのに、こないだのは、若い人たちに良いように伝わらないと思ったので、なんか腹立ってきたんですよー。
寺岩さん、皆さん、なんかごめんなさい。
仲良くいきましょうよ!
議論も大喜利も楽しく続けましょう。
おわり!
生大喜利をやる前というかやる場をほとんど知らないときは、お題とかそういうの考えて思うこともあったんですけど
ここ1年で東京やら大阪、ラジオ、ニコ生とか大小15個ぐらい大会に実際に出て様々な大喜利をやってみるとねそういうの変わってしまいましたね。
もういろいろなんです、本当にフリーなのから
ガッツリお題と向き合わないと評価されないのもあったりとか
その安心感があるから例えばただ言いたいこと言い合う(ような)ものも心の底から笑えるんですね
そう思えるようになったのは、実際に会って飲んだりして喋ると、所謂お題を無視する系の方々が王道をやってそれでしっかり笑いを取る方に対して心底リスペクト(あんまり好きな表現じゃないんですが)してるというところなんですね。そこを知ったんで今はあまり表題のことを思わなくなっちゃいました
それを知ってさらに大喜利が好きになって月200時間以上費やす廃人になってしまったわけですが(苦笑
これでまだやり足りてないっていう
長い中ご苦労様でした。
確かにあの時のpostは乱暴でしたね、twitterこわい。
だからこそブログなんか書いたんですが、いざ終えてみればこれだけの分量のことを140字postでやろうとしてたんだから乱暴にもなるってもんです。
反省してます。
僕がたまに挑発的なのは、「寺岩死ね!」って思うような人が出てこないかなあ、ってたまに思ってしまうからです。
コメントありがとうごさいます。
同じ大喜利をやる人達との交流がここ数年で増えた自分としても、とても共感できるお話です。
そうなんですよね、大喜利やってる人に嫌な人って、ほんと不思議といない。
こんな記事を長々と書いちゃう自分が一番嫌な奴なんじゃないかとさえ思います。
でも、どれだけ知り合いが増えて仲良くなっても、やる側がお互いの顔を見合って舞台に立つのは違うな、って僕は思ってしまいます。
お客さんの方を向きながら、背中で同じ舞台に立つ人達を感じる。
安心感というより緊張の中にある信頼感みたいなもの。
そういうのがうまく機能した時、ああ、今日の舞台面白かったなあ、ちゃんと価値あるものにできたなあ、って感じます。
そこには「こういう(この記事のような)こと、わかってるよね?」っていう暗黙の確認もありますし、その疏通が計れているチームでやるイベントは自分も手放しで楽しめます。
だから、やっぱりそこを切り離して考えることはできないな、ってのが僕の返答です。
こんな時間なのに目が冴えましたわ。
みんな真面目だよ。ちゃんと考えてるんだね。思うところがあったって、言葉にするのは難しいと思う。そういう意味でも尊敬します。
と私も予防線張っといて。
私は全くの、それもこの世界を知って1年強のぴよっこ観客です。
最初はD関無双、次が判定考査、次に天下一。
ただの観客から、審査する難しさもいい具合に知った、半半熟くらいな感じ?
だから単なる観客の戯れ言ですが、一応思う事を。
私的には舞台に立つ以上、それ相応の意識を持って貰いたいです。
お題無視の面白い事言いたいだけなら、その壇上にいる必要は無くない?
何が嫌いって、ボードに書いた字が走り書き過ぎて読めない、一瞬過ぎて上げたボードが見えない、何を言ってるか聞き取れない、お題と関係無い事を永遠答える、こんな人です。
その場の雰囲気とか、その人のキャラでウケてるのかもしれないけど、私は全く笑えませんね。
好みの問題って言われればもう全てが無駄になりそうだけど、実際いくつかの舞台を観てきた、今の意見です。
お題にコタエられないなら、それはもう大喜利じゃない、とまで思います。
だって、今私が観てるのはその舞台であって、他の舞台でも、普段どうなのかでも無いわけですよ。
こっちはあくまで「大喜利」を観たいから行ってるんです。
もちろん、館長さんや割石さんは大好きですよ。
何が違うって聞かれたって、明確な言葉には出来ないけど、
それはもうすでに色々乗り越えてきての今、なんじゃないですかね。
無視してるって印象はないですもん。
私だって全否定するつもりは毛頭ありません。
流れが大事なのはよぉーく分かります。
ただ、それだけを武器にするのは筋違いだし、観客が置いてきぼりになるならば、それは無意味なんですよ。
…というのが、客観的観客側からの1意見です。長くなったじゃん。
上から目線にしてみましたけど、わざとですから。
だって オキャクサマはカミサマ でしょ?
そうですね、僕は内心、お客にその場の全評価をまかせる形式のイベントを見ると「よくやるなあ」と思ってしまうくらいあんまお客さんの手での直接評価というやつを信用してませんが、少なくとも舞台に立っている間はお客様に楽しんで笑って頂くためにやってます。
そこんとこ、僕の個人的価値観とズレまくってはいますが、お金を取って人を入れるというのは、それくらい重いことだと思います。
お客さんの方を向かないのなら、わざわざそれをイベントにする必要はないんです、準備しんどいし、自分らが一番面白いところで反応がイマイチだったりもするし。
館長さんとか割石さんのやるお題無視がなんでちゃんとその場で成立している(かのように見える)かっていうのは、僕も一概には言えません。
それをやって許されるタイミング、空気感を読んでるからという時もあるし。
無視しているというマイナス評価を差し引いてもなお評価せざるを得ないパワーを持っている時もあるし。
ただ言えるのは「お客さんから見たこの答え」っていうのを意識してるからじゃないかなーということです。
ちゃんとその場にそぐうもの、それだけのパワーのあるものなら、お題無視だろうがウンコチンチンだろうがいいんです、出しゃあウケます、評価もされます。
だから、ちゃんとマイナス評価もしよう、ってことなんです。
別に「お題無視したらダメ、マイナス100」ってんじゃないんです、20でも10でも、5でもいいからちゃんとマイナスしようよ、ってことなんです、それは本来的にはやっちゃダメなことなんですから。
そのマイナスの上で、でもやっぱすごい、評価しないのもったいない、ってなったら胸はって評価すればいいんです。
ほんと、そんだけなんすよ。