世界のはずれから勝手に叫んでみる男の日記・var2

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裏読みが必要な案件

2018年06月09日 | 世の中あれこれ

 この3日間の閲覧数が急激に増えているのは何だ?

 今日の艦これ。これから数日間は勝負のはずなのだが私用が多くてなかなか取り掛かれないかも。梅干はあと一つ。お茶と海苔が三つずつ。

 今日の城。アクセスだけ。

 今日の血。デイリーだけ。

 今日の戦乱。ようやく2段階目を突破。

 今日のシンフォギア。ランク5の二人の基礎レベル上げは終了。一応3-10を突破。

 告発するということはある意味自分も大ダメージを受ける覚悟がなければいけない>前に問題を起こしてタレントが自滅した同じ事務所とのタレントが未成年者に飲酒を強要したということで活動自粛に追い込まれた。このタレントはニュース番組でのキャスターもしていたこともあり衝撃が大きすぎるた。ただきっかけになったのは文春砲なのだが、告発者とされる酒を飲むことを強要された未成年というのが、いくつかの情報で、この告発者に対しても嫌疑ありという状況になっているんだとか。たしかに未成年という状況で酒を飲んだとすれば間違いなく現段階ではあるということになるので、これからほかのファンによる制裁という名の追い込みにあうかもしれない。いくら告発してもその代償は限りなく重いというケースが多々存在するし、今回の場合で言えば自分も未成年飲酒をして、しかもあらかじめ録音を用意していたという段階で、告発はだから自分だけ無事というケースではすむはずがない。文春が告発者を守るという可能性が少ないことを考えると、自爆といってもいいレベルの話。前に起きたタレントの事件だって未成年があんな所に行くという段階でバッシングが起こるし、先に起きた俳優の降板事件だって、被害者が実のところ加害者ではないのかという言動を事後にしまくって周辺に被害を与えてしまう結果になっている。そういう意味で言ってしまえば被害者だって時折賞もなりレベルの加害者になりうること。先のタレントの事件もそうなんだけど、どっちにしても被害者に同情が集まっている段階でおかしいだろという話なんだけど。

 前にも言ったけれどこの事務所をめぐるファンの暴走というのはものすごく、そういう連中の中には逮捕までいってしまった例が存在する。中にはお近づきになるために自分から芸能界に飛び込んだというのもいるほど。そういう連中のことを総じて「ヤラカシ」(最近ではほかの芸能人に広がっているようだが)というのだが、最近ではこのヤラカシが急増しているのはタレントの騒動の中でも口にしていたほど、外野の問題というのは深刻だと思っている。昔はこういうヤラカシに対しては鉄の結束とも言ってもいい純粋なファンが徹底的な制裁(優先チケットを回さない、ファンクラブに入っているのなら強制脱退(脱退すれば接触手段がなくなる)、それでも懲りないのであればダイレクトアタックなんてことも……)をしていたというのだが、最近ではそのファンの高齢化によって結束が緩くなっているという。それゆえに表立って行動する連中も増えているのだろう(その結果が大けがになるということも)が、もはやヤラカシと断じられた段階で犯罪者と近い扱いになっているといわれてもおかしくはない。それゆえに何らかの形で縛ることも必要になってくると思う。ヤラカシを取り扱った生地に事務所に問題ありだという論調になっているけれど、それ以前の問題としてモラルの低下のほうが大問題のような気がするのだが。 (その記事が殴られたって仕方なし?となっているけれど、個人的には殺されて山の中に埋められたって仕方なしのケースもあると思う)


 いまだったら逮捕される直前のあの写真。警官が持っているのが警棒でなく拳銃であってもおかしくない>アキバの連続通り魔事件から10年。あっという間という声もある一方で当事者たちはまだ10年という感覚になっていると思われる。時間が薬というけれど、毒薬にもなってしまっている現状を考えると、時間の残酷さが浮かび上がってくるんだろうと思う。で、やらかした犯人は自分がしでかしたことの意味を今だに理解できていそうにないし、その代償として典型的な犯罪者作り上げる環境のモデルケースの一つとしての典型(家族バラバラ・母原病・自己顕示力の塊・ダークヒーロー思考)といわれるようにもなってしまっている。被害者の一人は精力的に公演活動をしたりしているのだが、その人が言うことと現状を合わせて考えると、一度落ちた人間がそう簡単に反省をするのかという疑問がわいてくる。反省できるほどの頭の中に余裕があるとすれば、悪いけれど頭のどっかでストッパーが働くわけだし、ただでさえねじ曲がったままで育てられた状況を考えるとストッパー自体が最初からなかったと考えてもいいううような状況だと思う。悪い意味での正当化バイアスが働いているといってもいいような状況を考えると、おそらくその瞬間まで反省する気持ちというのはまずないと思う。自分のしでかしたことの意味すら理解していなそうなほどの考えなしの行動があの事件の段階では相当目立っていたし。

 犯罪に会うと被害者の人生というのは急激に暗転してしまうことがよくある。そこから這い上がる人も多い反面、閉じこもってしまう人もいる。そういう意味で言えば犯罪者も自殺する人間も結局は周囲の人間の心を壊してしまう殺人者に成り下がってしまうといってもいいレベルだと思ってしまう。質の悪いことに日本の場合はそういうことに対しての問題が論議されていない。犯罪被害者のうち被害者に近い人間にたいしては最近フォローされるようになったけれど、被害者からは遠い人間に対してはそのフォローすらないという事例が出ていると思う。やった本人は10年だって断頭台に行くまでの間のほほんのほほん過ごしていればいいが、被害者によってはたとえ断頭台の前でその命を押しつぶされたところで付いた傷が治るという可能性は少ない。それはその場で犯人が射殺されたって一緒。ここのケアがどこまでできるのかがこれからのカギになってくると思う。


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