『子供たちにとっての本当の教科書とは何か』 ★学習探偵団の挑戦★

生きているとは学んでいること、環覚と学体力を育てることの大切さ、「今様寺子屋」を実践、フォアグラ受験塾の弊害

夢の教科書を求めて ⑩ 耳の痛い話は成長の糧

2018年01月13日 | 学ぶ

「耳の痛い話」と合格祈願
 拙いブログを毎週350人の人が読んでくれるようになりました。土曜日には100人を超えることもあり、感謝に堪えません。数が少ないのか、多いのかわかりませんが、約5年前、週に数名(!)からはじまって、現在の人数になったことに驚くとともに、優秀で心身ともに健やかな子どもを育てたいと考えるお父さん・お母さん・先生方、志を同じくする人が増えることが、この上ない喜びです。
 毎回、「『耳の痛い話(?)』だろうな」と思うとき、極端にヒット数が減ります(ホント!)。しかし、長い人生から、自らが真剣に考え、手にした「正しいと思うこと」は、『ケツをくすぐったり(奈良で、いちばん言葉が悪いといわれる田舎の「近く」で育ちました!)』「おもねったり」はせず、『伝え続けたい』と思っています。

 子ども、特に小さい子どもは、「建前」では育ちません。たいせつなことは「心」と「心」のぶつかり合いです。また『純粋な子どもほど、建前を見抜きます』。ピュアで純粋な子に、「建前」を教えてしまえば、どんな子になっていくのでしょうか
 教えなくとも、やがて『建前』は覚えます(覚えざるを得ません)。「耳の痛い話」は、ぼくたち大人も子どももきちんと受け止め、「反省の材料」にするべきではないでしょうか。いつも子どもたちにアドバイスすることですが、「人はまちがうものだ。その過ちに目を留め、正面から見つめ、反省や再考をしないと、正しい答えは見つからないし、どんな成長もない」。
 当人にとって「耳の痛い話」というのは「自らも心当たりがあって、きちんと振り返るべきポイント・弱点」であることがほとんどです。「気になっている」から耳が痛いわけです。そうしたことを「避けて通るべきではない」、「目をつぶって、耳を押さえて見逃すべきではない」。直すために与えられたよい機会だ。ぼくは、そう思っています。
 正面から向かって、自らを振り返り、それを克服していくことで、「勉強(学習)」の正誤はもちろん、人としての大きな成長も期待できます。大人も子どもも問わず。

 さて、団では、他塾が缶詰め授業で大わらわのとき、子どもたちと毎年少し足を延ばし、奈良の桜井まで合格祈願に行きます。
 「苦しい時の神頼み」ではなく、「山の静かな雰囲気と清新な空気を子どもたちに味あわせたいから」です。試験の際は、何より「心の構え」がたいせつです。「心の構え」とは、「向かうもの」に心を整えること。「心を整える時間をもつこと」。「一生の大事」には、「心の構え」は欠かせません。 
 試験前になると『追い詰め・追い詰め』という指導がふつうのパターンでしょう。
 しかし、今まで学んだことを、「詰め込み」ではなく、「頭の『あるべき位置』」に整理していく余裕と、本人や周囲の「落ち着き」を取り戻さないと、受験勉強や受験生活は、「ぎゅうぎゅう詰めの満員電車に乗っているようなもの」です。
 周りの景色も見えず、降りたい駅もわからない、降りる駅にも降りられない・・・そんな姿で一生過ごさなければなりません。子どもの「心の構え」にも思い至りません。自戒とともにですが、ただ『試験だけ』を乗り越えた体験で終われば、それ以外の方法や考えが浮かばないのかもしれません。

 しかし、そのままでは『生命の限り』と「それらを見越した上での日々の行動や日常まで想いが届かず」、何をしているのかも、どこへ向かうかもわからない、「他人任せ」の道程になりかねません。子どものときの「節目」にこそ、「そうではないものの見方があること」を伝えたいと思っています。 
 そこから見える景色は、「失敗や反省も、長い人生では自らを大きく成長させる良いきっかけ」です。絵馬をプレゼントし、子どもたちは、自ら志望校や氏名を書き込み奉納します。「どこかでもらってきたお守り」を渡すのもやさしい行為ですが、本人がその行為を確認できる機会があれば、経験値は、さらに豊かになります。
 神社の苔むした灯篭や大樹の間の石畳を抜け、裏道を通り田舎道を駅までゆっくり歩きます。
 サザンカの白や椿の赤に目を留め照葉樹の話をし、製材所のすぎの香りに出会えば、年輪の話題に触れます。課外学習での太陽の向きや大樹の枝ぶりから考える「方角判断」が「年輪」の実見で完結します。見える年輪が師管や道管や形成層のしくみを表現してくれます。また、板目や柾目は中学入試には出てきませんが、「学習対象の立体化」に一役買います。その「しくみ」が鳥の巣箱をつくるときの「のこぎりの手応え」で確認できます。

 道行くときに目を留めたり、凝らしたりする機会が、今はどんどん減っていきます。その減少とともに、子どもたちの学習対象は「やせ細って」いきます。それとともに「学ぶおもしろさ」は減退していきます。学習をおもしろく進めるためには、何よりも「学習対象への気づき」、「立体化による存在感」がたいせつになります。子どもたちの学習は、どんな意味においても「環境から」始まります。いや始めなければなりません。
 日ごろの課外学習の道行きもそうですが、「彼ら(ぼくたち)の身の周りにあるもの」を見ずして、気づかずして、何も始まりません。静寂の中の合格祈願、清々しい空気も、子どもたちの生活の一部であり、学習のたいせつな要素なのです。

三匹の子豚の受験指導
 今日は大阪市の中学入試です。今までの指導経験からつくりあげたキャラクターです。「三つ子の子豚」の受験体験の童話をお話しします。みなさんの学習指導や学習応援の参考にしてください。
 三つ子の子豚ちゃん、甘やかされてばかりいる、ブー・フー・ウーが受験をすることになりました.
 長男の「ブー」は頭は良いのですが、遊びほうけてばかり、時間があればゲーム、時間がなくてもゲーム。
 「調子が良い」のが取り柄で、ブーの通っている学校は、「休まないでクラブ活動に参加すればA評価(!)」という特殊な学校ですから、彼はそれ以外のことに目が向きません。「私立中学は受験勉強をしなければ合格できない」ということが、そもそもわからない。
 さらに元々能力が高いので、小学校の中学年までは勉強がよくできました。皆勤、クラブ活動をやればA評価の学校ですから、みんな勉強しません。ブーの小学校に限らず、小学校の低学年までは、本来の能力が高ければ成績はよく、その時点で本人は「勉強を甘く見ます」。「勉強なんか、たいしたことない」というわけです。

 「ブー」は今後どう指導すべきでしょう?
 まず、育て方の反省です。もっともっと小さいころに、「ゲーム以外にやれること・やるべきことがあること」をきちんと教えなければなりません。「(人の)寿命には限りがあること」を教え、「時間がかけがえのないものであること」がわかれば、次は、「世の中には、四の五の言わずやらなければならないことがあること」や、「自らもやるべきことをやる責任があること」を教える
 また、「やってはいけないこと」、「時には自らの欲求を押さえ、我慢しなければならないことがあること」をちゃんと教える。さらに、世の中にはゲーム以外にも、たくさんおもしろいものがあることを、小さいころから伝えるようにする。必要なことは「根本的な指導の改善」です。さらに、こうした指導も4年生までに行わないと難しくなります。

 「フー」は次男。
 やはり甘やかされているので、受験勉強も形だけ。「宿題もちゃらんぽらん」で、すぐ解答を見ます。「頭に汗をかこう」としません。つまり「考えること」をしないし、知りません。わからなければ、答えを写しても平気です。
 小さいころからなんでもやってもらっていたので、「『自分が』しなければならないこと」「『自分で』しなければならないこと」がわかりません。幼い頃から、自分でしなくてもいつのまにか準備や用意が整っていたので、「自分がしなければいけない」という意識がないのです。
 「負けたら恥ずかしい」し、「腹が立つ」のですが、それだけです。「勝とうという意識」、「そのためにはどうすべきか」という、たいせつなことを知らないまま育ってきました。
 そんな具合ですから、成績は上がりません。自分で何でもやる(やってみる)経験が乏しいので「メタ認知」が育たず、「自分や自分のやり方が悪い」という反省がなく、受験間際になって、とっかえひっかえ新しい参考書や問題集に手を出し始める。そういう調子ですから、つまらない漢字のまちがいや読み違い・読み落としが多く、覚えちがいの悪癖が抜けません。

 「フー」へのアドバイス。
 受験勉強は、各科目定評ある参考書を、繰り返し三周以上やれば十分です。その参考書がきちんとマスターできた段階で過去問に取り組むこと。
 つまり、参考書やテキストを疑う前に、その参考書やテキストの学習に「理解不足」や「勉強の穴」がないかを調べる、あったら、まずそれをなくすこと。それがいちばんです。
 受験では100点取る必要はありません。7割以上得点できれば、一部の難関校を除き、合格圏です。それまでの参考書をきちんと終わらせないで、受験前にあちこちやるのは「百害あって一利なし」。
 「NGOとPKO(!)をまちがえたり、愛媛県を愛姫県と書いたり、石田三成を石田光成と書いたりしないことに、最大の努力を払うべき」です。
 三男「ウー」はいちばん真面目で、学力も順調に伸びてきています。
 アドバイスするなら、「何も心配ないこと」を伝え、「進学したのちの諸注意や心構え」を伝えること。気を抜かず取り組み、さまざまな可能性が待っていることに気づかせること。合格すれば英語や数学の「先取り学習」を行っていくこと。
 お父さん・お母さんに参考になる本。最近読んで手近にあった本ですが、「僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう」(山中伸弥・羽生善治・是枝裕和・山極壽一・永田和宏 文春新書)なんかを読めば、さらに子どもたちにできる話があるかもしれません。

英英辞典の効用
 OB教室のH君については度々紹介しています。一貫校進学(現在中一)後、週一回グレードリーダー“Logan’s Choice”(Cambridge University Press)を読んでいますが、一年経過しました。何も知らないところから、辞書だけを頼りに読むことを進めてきました。
 かなり読めるようになってきました。英和辞典の訳語にとらわれず、情景のイメージを大切にしながら、「訳語」を考え、「訳文を考える」、「意味を大切にする」という方法です。
 今京大大学院でベトナムへ留学しているY君との「老人と海」のときもそうだったのですが、もう少しすれば、二人で英英辞典から「自らの言葉で訳語を考える」という指導をしていきたいと思っています。
 それによって語彙力は増し、言い回しも覚えるし、日英両語の「語感」も身につくだろう、と思います。大学進学時には原書を読めるようになるでしょう。
 ああ、若いってことはなんていいことだ。うらやましい。


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