「カニの爪」の正体
先週、化石採集で発掘した「カニの爪(?!)」をもって大阪市自然史博物館を訪れました。
学芸員の方が虫眼鏡で丁寧に観察している様子を、みんなワクワクそわそわしながら見ています。
返ってきた答えは「・・・おそらく巻貝だと思います」でした。「巻貝の口の部分が少し崩れて現状の姿をしているのではないか」というものです。みんな少し気落ちしたのですが、あとの「意味不明!」だったものが、「おそらくウニかヒトデの一部」だという判断で、もう一つは「樹皮の一部のようだ」そうです。
それぞれ「カニの爪」「花弁」「植物の種」というみんなの予想は、ことごとく「敗北(?!)」です。しかし彼らがそこで手に入れたものは、化石に対する興味であり、地球の歴史に対する視点であり、環境に対する好奇心です。つまり学習内容への親近感です。すべて子どもたちの「環覚」を培う条件たちです。これらが子どもたちの学習のバックグラウンドをしっかり補完し、次の「学習すること」や「研究すること」にまで思いが至るわけです。
子どもたちの成長や学体力を養成するのは受験問題の繰り返し演習では決してありません。その誤解を解かないと、目をキラキラ輝かせる好奇心にあふれた青年には育ちません。お父さん・お母さん、そして先生方、もう一度、巻貝の「カニの爪」の大切さに思いを留めてください。
M君への理科・社会指導(続)
社会の学習指導について、僕は「この参考書を使って」等ということは書いていません。お話ししている子どもたちとの「やり取り」が「理科や社会の学習法」(!)です。つまり、大学受験の時期になってしまえば、特別に披露するほどの方法はありません。学体力が整うことで、自ら工夫し、乗り越えられるようになる科目です。
かつて地名や述語・年代の暗記に明け暮れ、恐ろしいほど退屈だった「社会」。高校一年生の時担任だったK先生が、「君は他の科目がこんなによくできるのに、なんで僕の地理だけが欠点(不合格点)なんだ」と嘆かれたことを今でもよく思い出します。
今のようにテレビなどの情報取得手段もなく、山や川で遊んだことしかない。旅行なんかとんでもないという経済状況。そんな少年が、「とってつけたような(!)地理の勉強」に「大いに興味をもつ」なんてことはほとんど考えられません。
約半世紀たった今も、その「指導法の解決」に目を向けず、これらの学習法や勉強が、ほとんど変わりなく続いているのが現状ではないですか。子どもたちが自らの周囲のものに目を向け、その対象の奥行、歴史や広がり、関係性に興味をもってこそ、これらの科目の学習に対するモチベーションが高まります。
ふだんゲームやスマホにばかり向かっていては周囲のおもしろいものの存在に気づくことはできません。誤解を恐れずに言えば、「学習対象の多くが周囲の抽象」であるのに、それらを観察したり見たこともない中での学習が、「いかに理不尽で、味気ないもの」になってしまうかということは、経験からもきっとみなさんの想像の範囲内におさまるでしょう。ゲームやスマホに向かうようになる前に、小さいころからまず教えるべきこと・伝えるべきことがあります。「環覚」の育成です。
「自らの周囲のものの存在に気づき、おもしろいものやことを見出せるか」。そうでないと、「勉強」はいつまでたっても「勉強という縛り」を超えることはできず、手段や方便にとどまり、大学に入れば「用無し」になる運命のままです。
そういう思いの中から、かつて僕が子どもたちのために書いた地理のテキストの「まえがき」を紹介して、「夢へのワープ ゲームセンターから京大へ」を終わります。ちなみに、同じ苦い思いを子どもたちに味あわせたくないと、同時期にぼくが書いた社会のそれぞれのテキストも紹介しておきます。
なお、宇宙や地球の歴史については、いつも松井孝典さんの著書を参考にしています。「宇宙生命、そして人間圏」(ワック出版)、「宇宙で地球はたった一つの存在か」(ウェッジ選書)、「松井教授の東大駒場講義録」(集英社新書)、「われわれはどこへ行くのか?」(ちくまプリマー新書)他多数。次も松井さんの著書からです。
宇宙の中の地球
宇宙の階層構造
ハゲエモンの「日本の歴史」の冒頭でもふれたが、ここでは「宇宙の中の地球」について、松井孝典氏の著書「宇宙から見る生命と文明」(日本放送出版協会)を援用しながら、少しだけ詳しく見てみよう。
まず、左の写真(イラスト)」を見てほしい。これは私たちの地球がどのように宇宙に存在しているかという階層構造を表したものだ。
一口に宇宙といっても、例えば『スペースシャトルで宇宙へ行く』などという場合は、「宇宙」というより、「地球の大気圏の上層に広がるプラズマ圏」の中で、いわば、その外側からが本当の宇宙といえるものだそうだ。地球は、水星や金星・火星など他の惑星とともに太陽の周りを公転しているが、これが左のイラストの左から二つ目、太陽系である。
太陽系の外側では、太陽のような質量の天体(恒星)が1000億個くらいもあり、太陽とは質量の異なる天体まで含めると、2000億個くらいの天体が一つの集団を作っている。これがいわゆる銀河系で、約10万光年(光のスピードで10万年かかる距離)くらいの広がりがある。
銀河系はいくつかの腕が中心から伸びて渦を巻いたような形で回転しており、私たちの太陽系はこの銀河系の端のほうに位置し、他の天体と同じく数億年で一周するくらいの運動をしている。その銀河系の外側には物質的にはほとんど何もない空間が広がっており、その所々にほかの銀河、つまり何千億という星が集まっている別の銀河もある。
さらにもっと大きい目で見ると、それらの銀河が集まって存在しているように見え、銀河団とか銀河群とかの集団名がつけられている。銀河が一つの星のように見えるくらいのスケールで見ると、銀河は泡の表面に分布しているように見え、これは宇宙の大規模構造と呼ばれている。
このような銀河を単位とするスケールの宇宙は何千億もの銀河から構成されていると考えられているが、その宇宙の果てがどこにあるのか、本当のところは何もわからない。宇宙が誕生した瞬間に宇宙がどこまで広がったかということが本当は分からないので、見える範囲のもっとも外側が宇宙の果てだという言い方しかできないのである。
10万光年という距離
ここで、もうひとつ大切なことを学ぼう。私たちの日ごろの生活では意識されることはないが、光が伝わるのにも時間がかかるという大切な事実である。光の速度は毎秒約30万㎞という速さであるが、宇宙という大きな対象を考えると、先ほどの銀河を例にとっても、約10万光年という大きさである。
10万光年とは「光のスピードで10万年かかる距離」だと述べたが、それはとりもなおさず、その星の光が我々のところに届くまで10万年かかるわけだから、今我々が見ている光は、その星を10万年前に飛び出した光!である。我々は現在、その星の『10万年前の姿』を見ていることになる。
もう少しわかりやすく言うと、地球そのものは光を放っていないが、10万光年向うに宇宙人がいて、地球の姿がありありと見える素晴らしい視力を備えていると仮定するならば、彼が見ているのは地球の10万年前の姿、いわゆる地球上のネアンデルタール人などが見えているわけである。わかるだろうか? 何とも面白い話だが、現実なのだ。
さて、こうした「宇宙の中の地球で生まれて」僕たちがここにいるわけだ。こういう壮大なことがわかったのは、いうまでもなく君たちの先輩の「人類」が「研究」や「努力」・「勉強」をしたおかげだ。
それらに比べたら、君たちが今困っている(!?)「勉強」なんて「たかが知れている」と思わないか? そんな「高が知れている」勉強をしないと、こういう大きな「知の体系」のおもしろさに触れることもできないし、それに協力することもできないってことがわかるだろうか?
「勉強」を否定的にとらえてはいけない。君たちも勉強して「人類の一員」としての存在感を示そうよ。それでは、「宇宙の中の地球の一部(!)」に少しふれてみよう。さあ、「地理」の勉強だ(以上)。
テキストは、次に「地球の形と大きさ」に続きます。
「地理の勉強は地理の勉強には終わらない。理科の勉強は理科の勉強には終わらない。子どもたちの教養や人格を高めるために、いずれも欠かせないものだ。関係ないものはない」。
ぼくは自分の「地理」の「痛い想い出」を振り返りながら、そう試行錯誤しています。
来週からは「母親教室」のテキストを紹介します。団を始めて10年くらいたった時、「お母さんやお父さんに、ぜひ話しておきたい」と書いたテキストです。