ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

締りのある語り

2009年11月06日 | 通信-その他・雑感

 落語は、「落ちのある語り」とその字から想像されるが、私の感覚としては「締りのある語り」と理解している。「・・・ということです」、「なるほど」といった感じ。

 全国的に人気のあるテレビ番組『笑点』が、沖縄では放送されていない。今は放送されていないが、私が子供の頃はやっていた。私が子供の頃は確か、立川談志が司会で、三遊亭圓楽は大喜利のメンバーの一人であった。メンバーが自己紹介する時に「星の王子様、三遊亭圓楽です」と言っていた頃だ。座布団運びは毒蝮三太夫だった。
 圓楽に司会(三波伸介の頃もあった)が代わってからも私は『笑点』を観ている。何しろ私は子供の頃からずっとお笑いが好きであった。コント55号もドリフターズも大好きで、夢路いとし・こいしもチャンバラトリオも大好きで、てんぷくトリオもやすしきよしも大好きで、落語も大好きであった。『笑点』以外にNHKで落語を放送していて、それはほぼ欠かさず観ていた。圓生、小さん、米朝などよく観た。時代は下るが、英語落語などで意欲的な活動をしていた桂枝雀は特に好きであった。自殺してしまったが。

 落語は好きであったが、残念ながら寄席へ行ったことは無い。生の落語は『沖縄じゃんじゃん』がある頃、そこで観た立川志の輔だけである。
 そりゃあ当然、生の方が面白いのであろうが、落語はテレビで観ているだけでも十分に面白い。しかも、何度も聞いている話なのに毎回毎回楽しめる。サゲ(オチ)も知っているのに何で面白いのだろう?と不思議に思う。特に古典落語がそう。考えるに、おそらくそれは、演者の芸が優れているからだ。飽きさせない芸なんだと思う。

  私の好きな桂枝雀は古典よりも新作落語で有名だが、その芸には毎回毎回大笑いさせてもらった。新作落語では春風亭柳昇も好きでよく聴いていた。今その辺でよくある可笑しい話を新しい語り口で聴かせてくれた。それも優れた芸に違いない。
 古典落語では、『笑点』のお陰だと思うが、やはり最も馴染み深いのは三遊亭圓楽、テレビでだが、彼の落語は何度も聴いている。優れた芸だと思う。昨今のお笑い芸人と同じ芸人という言葉を用いるのは失礼と思うほど、芸人中の芸人、芸の大達人である。そんな圓楽さんに「さて、私もそろそろサゲとなりました。おあとがよろしいようで。」と言われたら、「なるほど」と納得する。話も人生も締りがしっかりした人。合掌。
          

 記:2009.11.6 島乃ガジ丸


結婚したくなる映画

2009年11月06日 | 通信-音楽・映画

 好きな女がいても、結婚となると・・・、あれがあーなって、これがこーなって、あんなことさせられて、こんなこと禁止されて、などと、想像力逞しい私は想像して、結婚すると一生手足を伸ばせない、窮屈な生活になるに違いないと思ってしまう。
 結婚は、私のような怠け者にとっては、「できちゃった」でも無い限り、なかなか踏み出せない面倒事である。それは女性の方にも言えることで、この男でいいのだろうか、私の一生をかけてもいいのだろうかなどと考え、「できちゃった」でも無い限り、なかなか踏み出せない女性も多いはず。恋愛と結婚は次元が違う話だと思う。

 そんな私が先週末、「結婚もいいなあ」と思ってしまった。ある映画を観てのこと。映画は・・・、とここで鬱憤晴らし、映画の話をする前に愚痴を少し。
 先々週末、電話で父に呼ばれた。大雨だったので断ったが、来週行くからと約束してしまった。で、その来週である先週土曜日、実家へ行く。実家へ行くためだけに那覇へ行くのは時間の無駄なので、ついでに映画を観たというわけ。
 父の用事は特に何も無く、「週に1回は顔を見せろ。暇だから話し相手になれ。」ということ。当然、腹が立つ。こっちは来年収入があるかどうかも分らない身分だ、今、あれこれ模索している状況だ。「俺が暇だから来い」には合点が行かない。
 2年前の夏、炎天下で肉体労働が連日続いていた。休みの日に病院へ母を見舞いに行くと、「あんた、毎日大変なんでしょ、私のことより自分の体の心配をしなさい。」と母は言い、私を追い返すようにした。それに比べ何て親父だ!・・・と愚痴はここまで。

  映画は『人生に乾杯!』というハンガリー映画。老夫婦のお話。老夫婦が想い出という宝物を胸に、強盗をしながら想い出の地を巡り、心中するというお話。
 恋愛の想い出というのは、それが、全身全霊で愛した人、全身全霊で愛してくれた人との想い出なのであれば、たとえそれが短い期間であっても人生最高の想い出になるんだなぁと感じた。そして、人生最高の想い出を共有する人と人生の終わりの日々を暮らせる、それは何て素敵なことなんだろうと感じた。結婚したい、と思った。
 老夫婦の想い出はダイヤモンドの耳飾、最初のシーンで妻が少女だった頃の、その耳にある。それを含め、私が覚えている限り、耳飾は4度出てくる。3度目のシーンでは年老いた妻の手に渡され、最後のシーンでは妻が少女だった頃の、その手に握られる。不覚にも私はその2つのシーンでウルウルしてしまった。良い映画でした。
  終わり頃、老夫婦に人質にされながらも老夫婦に同情を感じていた女刑事が、テレビニュースの画面を観て笑顔になる。画面は老夫婦が死んでいないことを暗示していた。死んだと思っていた老夫婦が死んでいない、で、女刑事は喜ぶ。そのシーンはしかし、私は蛇足だと思った。老夫婦は死んでもいいのである。想い出が残っている。
          

 年老いた私に妻がいて、かつては愛していたが、既に空気のような存在になっていて、毎日ほとんど会話も無く、淡々と退屈な時間を過ごしていたとする。そして、「このままつまらない思いのまま死ぬのは嫌だなぁ」と私が気付いたとする。昔死ぬほど愛した女を抱きしめて、「二人で最後の旅をしようぜ、最高に楽しい旅を。」と言いたい。
          

 記:2009.11.6 島乃ガジ丸